惹かれ合う
「あれは、ユーリだった」
と、アイシャは、虚ろな眼で言った。
「でも、ユーリさんは――」
バルサラディードの龍の襲撃により、死んだはずである。
未然に偵知することも出来ず、為す術なく国境無き翼の本拠は焼き尽くされた。生きていたなら、何故アイシャの前に姿を見せなかったのか。
そして、何故、バルサラディードの鐡翼を駆り、龍と共にあの空にあったのだろうか。
ゼムリャから受け継いだものを、ユーリも持つ。
それを、受け入れた。ゼムリャの言葉が、蘇った。
それは、ほんとうなのだろうか。
アイシャの頭の中は、混沌に支配されている。
そうであるという事実と、そうであるに違いないという推測と、そうかもしれぬという憶測が入り乱れた。
いつも冷静な彼女がこのような姿を見せるのは、珍しいことである。
ここから。折角、鐡翼を手に入れたのである。
まだ一機しかないが、この一機を使い、利を得、徐々に増やしてゆけば、また国境無き翼として戦える。アイシャの求めることが、叶うのだ。
しかし、今、彼女は、ユーリが、ユーリがと言い、狼狽するのみであった。
アイシャは、一見、ユーリなどに何の興味も持たぬ様子であった。それが死んだと思ってから、少し変わったらしい。
いつもアイシャの傍にあり、穏やかな声でもってその存在を認め、赦し続けていた。
そもそも、ゼムリャから受け継いだものをユーリは受け入れ、アイシャは拒んだ。そこから、二人は全く異なる姿勢を取り続けていたということになる。しかし、ゼムリャから受け継いだものを分かち合っている、たった一人の人間なのだ。
アイシャが背負うものを分かち合うことの出来る、たった一人の人間だったのだ。
そのユーリが、生きていた。
バルサラディードの兵として。
何故。
国境無き翼を焼いたバルサラディードに、何故付いた。
どんな理由があったものか、アイシャには知る由もない。
ただ、あの空には、確かに、ユーリがいるのだ。
また一体、龍が墜ちた。
ユーリが、墜としたものらしい。何故か、アイシャには、それが分かった。
ぱっと咲く火。
遅れて伝わってくる、爆音。
そこに、ユーリが居るのだ。
空の龍は、互いにその数を減らし、ついには残り一体となった。
民が、それを見て、声を上げている。
その頭部が、激しく光る。
口に、火を湛えているのだ。
「――やめろ」
アイシャが、悲痛な声を上げた。
放たれた。
「やめろ、ユーリ!」
それは、アイシャらのいた街の中心部に直撃し、破壊した。
続けて、五発。
それで、この比較的大きな街は、文字通り、灰燼に帰した。
アイシャは、ただ黙って原野に膝を付くしかなかった。
ユーリは、龍を助けた。その火で、人の営みを破壊するのを。
ずっと、それを阻むため、共に戦ってきたのではなかったか。
何故、バルサラディードなのだ。
何故、その凶行に加担するのだ。
今すぐに胸ぐらを掴み、問い質したいところであったが、役目を終えて溶けるようにして消える龍を背に、ユーリが駆る鐡翼は空の向こう側へ飛び去っていった。
「俺たちの、街が――」
「あんたら、俺たちを守ってくれるんじゃなかったのか」
「俺たちの、敵を討ってくれ」
民からは、様々な声が上がっている。
そのどれにも、アイシャは答えることはなかった。
ただ、リーランに言った。
「この旧型を、改造して」
そして、カシムにも。
「機銃の弾丸。それに、ロケット。あとは――」
「おい、ちょっと待て。幾ら何でも」
「うるさい」
アイシャは、鋭くカシムを見据えた。
「この街が
「いや、しかし――」
鐡翼の装備は、高価である。
「何とかして」
それをのみ言い、アイシャは国境無き翼に進発を命じた。
次に目指すは、ヴァーラーンの経済の中心とも言える街。そこで、すぐさま空で戦えるだけの体勢を整えるつもりらしい。
「わたし一人でいい」
かねてからの計画である、これを基にして更に利を得、鐡翼を増やすということをアイシャは覆した。
ユーリを、追うつもりである。
もし、バルサラディードに付き、そのために戦うならば、彼はアイシャが拒んだゼムリャのものを受け入れたというのが事実であることになる。
あのとき、ユーリは、どうしていたのか。
問い詰め、アイシャの想像することが、想像であると言ってほしい。
そう思っていた。
帰営した。
まだ、心臓が早い。
何故、再び空に来たのだ、と言いたい気持ちであった。
ここには、お前の求めるものは無いと。
あのまま、地で生きていればよかったのだ。
だが、恐らく、同じものを受け継いだ者同士、惹かれ合うのかもしれない。
否、と思った。
それに心を取られるくらいなら、何のために、自ら拠るべき場所を、仲間を、アイシャを売り、滅ぼしたのか分からぬ。
振り返ることではない。
人が行き着くべき場所を、見るべきなのだ。
国境無き翼は、力を持ちすぎていた。
この戦いの終息。いや、この地上と空にある、全ての武力の排除。
それは、国境無き翼とて、例外ではない。
あまりに大きな力。それは、アイシャ自身でもあった。
人の未来のため、国境無き翼は、滅ばなければならなかった。そして、それは、ヴァーラーンも。バルサラディードでさえ、この地上には要らぬのだ。
シュナーは、それを承知で、自分を使っているのだろう、と思った。
ならば、最後に、シュナーとの戦いになるのだろう。
この全地上から武力を排除するという目的は、シュナーと大いに合致はするが、まさかシュナーはそれが成った暁には自らをも滅ぼそうなどとは考えるまい。
ただ、この地上で唯一尊いものが、自分であり、バルサラディードである。そんな世を、シュナーは望んでいるのだろう。
実際、シュナーほどの政治手腕があれば、この地域にある国々を全て統べる最初の王となることも、不可能ではないかもしれない。
だが、それを赦すわけにはいかない。
今はまず、ヴァーラーンを、アイシャが再び空に還ってきたとしても、そのことに変わりはない。
「心が、乱れているのか」
次の作戦や、今後の方針についての話が終わり、立ち上がってから、シュナーはそう言った。
「何のことでしょう」
「お前の心は、乱れている。そのように見える」
「まさか。私は、とうに人であることをやめた身」
「だからこそ、ではないのか」
黙るしかない。ただ、黙って
「お前が生きてきた場を、愛した女を、共に戦った仲間を自ら打ち壊し、お前は、人がほんとうに求めなければならないものを求めに、ここに来た。そうであったな」
「はい。その通りです」
「だから、お前の心は乱れている。それでよいのだ。責めはせぬ。むしろ、安心した。お前もまた、人であったのだとな」
「私は、人です。だからこそ、人であることを止めたのです」
「ゼムリャも、恐ろしいことを考えるものだ」
「そうしてでも、人には救いが必要です」
「龍とお前との間に、隔たりは無いのだろうな」
「ええ。そう思います。私は、龍なのでしょう」
「苦しみ、救いを求め、叫ぶ。まさに、龍ではないか」
シュナーは、小さく声を上げて、笑った。
「それでよいのだ、ハディート。お前は、私の龍なのだ」
そのまま、シュナーは去った。
ハディートは、一人、ガスの光を見つめている。
その向こうに、アイシャの憂いのある顔が浮かんでいた。
「――赦せ、とは言わないよ」
それに向かって、問いかけた。
「これは、俺自身が選んだことなんだ。あんたに、あんたの選んだことがあるように」
ガスの灯の向こうのアイシャは、何も答えない。
「ゼムリャの考えることに、賛同したわけじゃないんだ。絶対に、あってはならないことだと思う。だけど、俺とあんたの二人なら、力を上手く使えると思ったんだ」
だけど、と唇を歪めた。そこには、悔悟の線が浮かんでいた。
「あんたの求めるものは、均衡だった。あんたが持つのは、それを壊す力だというのに」
灯火に揺らめくアイシャは、やはり無表情のままである。
「どうして、戻ってきたんだ」
穏やかな声で、問いかけた。
「戻ってくれば、俺たちは、殺し合う以外に無いというのに」
立ち上がった。ガスの灯りを消すと、アイシャも消えた。
「だけど、もう一度、会いたい。あんたに、会いたいよ。アイシャ」
いくら求めようと、自らの手で壊したのだ。それが叶うときは、空で、どちらかが死ぬとき。
「俺は、ゆく。空の向こう側に。そこにあるはずの、解放を求めて」
夜よりも暗い闇が、彼を包んでいた。
「ごめんな。だけど、俺があんたを想う以上に、人は、傷つき過ぎているんだ」
悲しそうに笑っているらしいが、闇がそれを隠している。
そのまま、ハディートは、自らも闇に溶けるようにして消えた。
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