あらたな依頼

 帰投したアイシャは、すぐに副官のユーリとの打ち合わせに入った。

「龍を、墜とせたみたいだな」

「ラハンの空軍も」

 アイシャは鐡翼に乗るときに用いる上着を脱ぎ、ぶっきらぼうに答えた。

「全く、感服するよ。国境無き翼は、あんた一人でもっているようなものだ」

「そうでもないわ」

 ユーリも、鐡翼の操縦にかけてはかなりの腕前であるが、アイシャには敵わない。彼は鐡翼のほかに銃も使えるし、刃物による近接戦闘も修めている。この若い首領と副官が中心となり、三百からなる国境無き翼は運営されている。

「鐡翼は、もう整備に回したのか?」

「ええ。リーランに任せてある」

 リーランというのは、鐡翼の整備士である。まだ十九と年若であるが、整備の腕前にかけては一級品であった。いつもアイシャの愛機を整備しているが、時折わけのわからぬ調整を施したり、改造を施してはアイシャに怒られている。

「俺たちも、大きくなったもんだ」

 そうユーリが言うのも無理はない。はじめ、ゼムリャが若い頃にこの組織を立ち上げた頃は、僅か三十人しかいなかったらしく、たった一機の鐡翼に、ゼムリャ自身が乗り込んでいたらしい。その前は、ゼムリャはヴァーラーン帝国空軍にいたという話だが、何故それを脱け、国境無き翼を立ち上げるに至ったのかは、誰もよくは知らぬ。

 そして、アイシャやユーリが現場に出て活躍するようになった頃には、二百の人数になっていた。それから数年でまた人は増え、今、三百。ひとえに、アイシャの天才的な戦闘の腕のためである。彼女は、兵に親しまれ、そして畏れられていた。彼女は、龍とそれを使役するヴァーラーン帝国の恐怖に対抗し、この永遠とも取れる戦乱の終焉をもたらす存在になるのではないかと期待されているのだ。

 彼女は、いわば、ある種の英雄であった。人が彼女に面と向かってそう呼ぶことはない。彼女自身が、その呼称を嫌っているからだ。しかし、それを見る目と同じ目で、人は彼女を見ていた。

 もともと、彼女の師であり育ての親であるゼムリャが、英雄と人に呼ばれていた。ラクシンド戦役という戦いでの働きによるものだが、それは本筋とあまり関係がないので触れない。その彼が死んだとき、兵らは大層落胆したものであるが、アイシャが後を継いでからは、彼らは肩を落とすことはなく、むしろ胸を張って戦いに臨んだ。それは、すなわち、アイシャが英雄に代わる者であると見なされているからだ。

「時代は、ほんとうに速い。ゼムリャがいた頃なんて——」

 と言ってユーリが口をつぐんだのは、ゼムリャの死の経緯いきさつについて配慮したからであろう。

「ラハンも、これでしばらくは静かになるだろう」

 アイシャは、話を戻した。

「それに、ヴァーラーンが付け込んでくる。そこを、また叩く、か」

 今年になって、ヴァーラーン帝国はなおその勢いを増している。龍を呼び出す回数もそれに従って増えており、国境無き翼は今年だけで十を越える龍を墜としていた。

 武器、弾薬、整備にかかる費用、食料などを得るための金は、彼らに舞い込む依頼をこなすことで得ている。それはあちこちの国からもたらされ、それらを請けながら、この地域全体の力の均衡を保つのだ。

 ヴァーラーンの龍を墜とし、同時にラハンの空軍をも墜としたのは、また別の国からの依頼によるものであった。彼らは国境無き翼がいつ敵に回るか怯え、恐れながら、なおその力に頼らざるを得なかった。


「なあ、アイシャ——」

 ユーリが、なにごとかを切り出すように、言葉を発したときである。

「アイシャさん!」

 明るい声が、幔幕まんまくの外から飛び込んできた。

「整備、完了です。操縦桿も、お望み通り、しっかり調整しておきましたよ」

 さきほど話題に上がった、リーランである。彼女は、この地域の外からやってきた移民の子で、戦乱の中で親を亡くした孤児であった。幼い頃から機械をいじり回すのが好きで、工具を抱き締めながら眠ったりしており、長じて当たり前のようにして整備士になっていた。

 その彼女が、顎に沿うようにして切りそろえた黒髪を揺らしながら、祭りのときの歌のように弾んだ声でアイシャの機体に施した調整のことを語り出した。

「操縦桿もそうなんですが、やっぱり第一圧力弁の動作速度を高めた方がいいと思ってですね、新しい部品に換装しました。これにより零—百サマラン加速もより短縮されるはずですが、機首の保持には気をつけて下さい、それと——」

「分かった、分かった」

 リーランの言うことを聞いていると頭が痛くなってくる。とりあえず、調整の施された機体で演習飛行をし、感覚を合わせればよい。

 よく、リーランはこういう頼みもせぬ調整を勝手に施すのだが、それが意外にしっくり来て、回数を重ねる度に更に自分の意思の通りに動くようになっている。ただ、頼んだことだけを実行するというわけには、どうしてもゆかぬらしい。

「とにかく、もっと速く、もっと繊細に、もっと長く飛べるようになったのね」

 と話を総括してやると、リーランは嬉しそうに、

「さっすが、アイシャさん」

 と顔を綻ばせ、

「試験飛行の後、感想、聴かせてくださいね」

 とまた声を弾ませ、駆け去っていった。

「うるさい奴。ねえ、ユーリ」

「まあ、腕は確かなんだ。大目に見てやれよ」

「あれで、静かなら、なおのこと良かったのに」

「まあ、そう言うなよ」

「話に、戻りましょうか」

 アイシャが、組んだ足をもとに戻した。

「ええと、何の話だったかな」

「ゼムリャのことよ」

 ユーリは、どきりとした。なかなか、切り出せない話題であるし、わざわざ口にするようなことでもない。さきほど少しその名が出、そのあとユーリが何事かを言おうとしていたのだ。

「言っておく。ゼムリャは、関係ない。彼は、死んだわ」

 それで、ユーリが持ち込んでしまった話題は終わった。内心、切り出そうとしたことを封殺されたという思いに合わせて、ほっとするような思いもあったことであろう。

「それじゃあ、本題だ」

 ユーリは気を取り直し、今後のことについて話を始めた。複数寄せられている依頼の中から、請けるものを選ぶ。その後、その依頼を請けることにより、それがどのような影響を及ぼすのかについても緻密に分析を重ねるから、時間がかかる。

 普通は、戦闘後は頭が極端に疲れているものだが、こういうところもアイシャは常人離れしていた。

 二人が選んだ依頼は、次の通りである。

 依頼主は、ヴァーラーン帝国の東、ラハン王国の向こうにあるバルサラディード国の輸送部隊。報酬は、弾薬、食料。その南に境を接するシャブス王国との国境地帯に展開する部隊への物資輸送の護衛という、比較的容易いものであった。バルサラディードは宰相のシュナーという者が大層な切れ者で、彼が政治を行うようになってから急激に力を付けている。それまでシャブス王国の属国のようになっていたものが、解放と独立のために戦っているのだ。

 シャブスにしてみれば、バルサラディードという地域自体が、ヴァーラーンやラハンとの緩衝地帯になっているわけであるから、それが勝手に独立し、ヴァーラーンやラハンと手を結んだり、吸収されでもすれば、直接その脅威に曝されることになるわけであるから、絶対にその独立を阻止したいところであろう。

 微妙な力の均衡のため、ほんの僅かに、バルサラディードを助ける。それだけのことで、いわば息抜きであった。

 本来なら、これくらいのことは国境無き翼に依頼せずとも自国の軍で行えばよいようなものだが、なにぶんバルサラディードの人口は少なく、ラハンとの境にも兵を割かねばならないため、輸送部隊の護衛に付ける兵すらも割けぬ状態であるらしい。

「まあ、簡単で、なおかつ実入りが良い。試験飛行には、うってつけなんじゃないか」

「出撃日時は」

「明後日。〇六〇〇」

「また、寝不足ね」

 そう言って少し笑い、アイシャはユーリの幔幕を出た。

 依頼には、物資の護衛とあった。

 それが何なのかまでは分からなかったし、別に知ろうともしなかった。


 アイシャは、出撃の日の朝、冷たい空気の中に自らの息を白く溶かしながら、真横から射るように差す陽を受けて鈍く輝く鐡の翼を眺めていた。

 しばらくそうした後、口にくわえた煙草ハーラミーを捨て、自らの機体に向かって力ない色をした草を踏んだ。

 煙草は捨てても、まだ息は白かった。

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