空を征き、戻る

 ばらばらと空に広がる、バルサラディード空軍。国境無き翼に向け、機銃を放って牽制してきた。

 国境無き翼の者は、鐡翼の操縦技術が水準よりも高い。敵の射線を読み、巧みにその位置に機体を置かぬよう、回避運動を行なっている。


 このとき迎撃のために空に現れたのは、二十機にものぼる。それまで、バルサラディードが持っていなかった戦力である。

 軍拡の動きが、国内で強まっているものらしい。

 それは、やはり、バルサラディードが近隣諸国や、ひいてはヴァーラーンへの攻勢を取ろうとしていることを示す。

 そうなれば、やはり、金が要る。国内では税が騰がり、若者は兵に取られ、民は血を吐く思いであろう。


 そうまでして、得なければならぬもの。

 それが何であるのか、アイシャには分からない。もし、そのことについて明確な真理を提示することが出来る者があれば、とうの昔にこのような戦いは止んでいるはずである。


 一機と、

 空の中で、アイシャの身体に凄まじい荷重がかかる。

 上は下になり、右は左になり、空の中でアイシャは舞った。

「何のため、我が国を攻めるか」

 繰り返し、バルサラディード側から、逓信機越しに交信が入っている。

 無論、それに答えることはない。

「シュナーにでも聞け」

 と言ってやりたいところではあるが、そのような余裕もない。

 荷重が、さらに強くなり、上は後ろに、下は前となった。そして、大地に生まれた者としてあるべき姿勢に戻ったとき、アイシャに付いていた一機は、アイシャとその位置を入れ替えていた。

「墜とせ」

 誰にともなく、そう呟いた。

 操縦桿に備え付けられた引き金を引く。

 機銃が火を噴く振動が、操縦席を揺らした。

 それは吸い込まれるようにして浅い弧を描き、眼前の一機を貫いた。

 黒煙を上げながら墜ちてゆくそれと対を成すように、高くへと舞い上がるアイシャ。

 その方向に、また別の一機。

 発射してくる機銃の弾丸は、アイシャがにわかに機体を縦にしたことで外れた。

 操縦席に座る者は、狼狽しているらしい。

 無闇やたらと、乱射してくる。

 アイシャは放胆にもそれに向かって飛び、距離を縮めながら、調整されたばかりの照準器を下げ、自らの眼にあてがった。

 一撃。

 機銃の弾丸が、運転席を正確に貫いた。恐るべき腕である。


 周囲では、他の国境無き翼が、同じようにしてバルサラディード空軍を地へと還している。

 追え。墜とせ。

 何度も、アイシャはそう呟いた。

 半分ほどに数を減らしたバルサラディード空軍が、不利を悟ったのか、にわかに機首を返し、引き返してゆく。

 その行動は、自ら守るべきものを棄てたのと同じ。

 アイシャは、思う。

 では、何故この空に出て来たのか、と。


 誰かに命じられたからか。

 背けば、罰せられるからか。

 違う。

 誰にも分からぬ、誰も知らぬ何かに、誘われ、導かれているからだ。

 抗うべきは、それにこそ。

 それと、戦うべきなのだ。

 そうでない者は、ここに、戦場ここにあってはならないのだ。

 だから、眼の前の敵を。

 この場にあってはならぬものを、消し去って。

 墜とすべきものの無い空のために。

「──追え。墜とせ」

 今度は、逓信機を通じ、声に出してそう言った。

 八機の鐡翼が、それに続き、バルサラディード王都へ向け直進した。



 何かが、おかしい。

 あの空軍は、何のために出てきたのか。

 アイシャは、それを追い、機銃を放ちながら、違和感を覚えた。

 また一機、王都へ辿り着く前に、火を上げて力を失い、地へと還ってゆく。

 勝てぬと思い、逃げる。そのようなことを、この場において、行うだろうか。

 それは、即ち、王都の陥落を意味するのだ。彼らとて、自らが向かい合って互いに機首を交えているのが、国境無き翼であることは分かっているであろう。それを前にして防戦をやめれば、王都がどうなるのかも。


 先ほどのような、半分夢想の中にあるような感覚は払われた。

 荷重がもたらす恍惚よりも、眼前の光景の異様さが、アイシャの注意を引いた。

 何か、ある。

「注意しろ」

 何に注意を払えばよいのか分からぬまま、違和感を八機に伝えた。



 光。

 王都が間近に迫り、その建物を創り成す石の継ぎ目まで見えるようになったとき、眼下がそれに包まれた。

 紅い。咄嗟に、アイシャは機首を真上に上げ、から逃れた。

 その行動を取ることが瞬時に出来なかった二機が、空から消滅した。


 龍。

 それが今まさに産まれ、空に向かって飛び上がってくる。

 一体ではない。

 二体でもない。

 機体を回転させながら、今度は、真下を正面にした。

 十はいるか。

 これほどの数の龍を、一度に眼にするのは初めてである。

 氷解した。バルサラディード空軍が行なっていたのは、襲撃を受け、それを防ぐための行動ではなく、を呼ぶための、時間稼ぎ。


 次々と放たれてくる火球を避けながら、アイシャは龍とすれ違った。

 真横で、また一機、火に呑まれて消えた。

「墜とせ!」

 バルサラディードの城棟すれすれを飛び、それを軸にするようにして龍を追う姿勢を取った。

 残っているのは、四機。

 それらが、一斉に龍に向け機銃やロケットを放った。何体かが姿勢を崩し、飛行運動を鈍らせる。

 そういうものに向け、龍雷ティニラエドを発射。

 龍を慕い、乞うようにして宙に弧を描くそれが着弾するところに、赤く白い光が丸く広がる。

 直撃を受けた龍は、煙を上げながら王都へと墜ちてゆく。


 はじめの攻撃で、四体、墜とした。

 アイシャもまた、一体に目星をつけ、その翼に向けロケットを乱射した。

 片方の翼を破壊された龍が、姿勢を大きく崩す。

 それに向けて一発の龍雷ティニラエドを放ち、すぐさまそれを追い越すようにして別の一体に。

 頭部に向け、機銃を撃ち込み続ける。

 それは堅い外殻に弾かれ意味を為さないが、そのうちの何発かが眼にあたり、龍の運動を僅かに停止させた。

 ペダルを、一杯にまで踏み込み、それとの距離を詰めた。

 振り回される腕や尾に当たるだけでも、鐡翼は簡単に砕け散る。

 アイシャが右腕を潜り抜けている間に、すぐ後ろの一機が尾にやられ、墜ちた。

 すれ違いざま、もう一発の龍雷ティニラエドを。

 これで、アイシャの鐡翼に積んだものは、

 全て撃ち尽くした。


 残っている三機。

龍雷ティニラエドが残っている者は」

 そう、呼びかけた。

 まだ空にある龍どもは、まっしぐらに、ある方向を目指している。

「無い」

 一機が、そう答えた。

「こっちもだ、アイシャ」

 もう一機からも、応答。

「俺は、まだ一発ある」

 残りの一機が、そう応答した。

「よく狙え。外すな」

 アイシャは、その一機に、そう指示をし、援護射撃を始めた。

「無理だ。機銃も、ロケットも、撃ち尽くした」

「こっちもだ」

 あまりに突然のことであった。残弾数は常に意識して、感覚的に把握するような修練を彼らの誰もが積んではいるが、突如として現れた十を超える龍への対応のため、多くの弾薬を消費したものらしい。


「くそっ」

 アイシャは、苛立った。

 アイシャ自身の残弾数も、機銃が百を切っていて、ロケットも二しかない。

「皆、広がれ」

 凄まじい速さで、ある方向へ飛ぶ龍。一機が、そのうちの一体に機首を向けた。

 龍は、速い。

 付いてゆくことは航行速度として成立する程度の速さで可能であるが、それを追い越すほどの速度を出そうと思えば、龍晶の消費が激し過ぎ、帰還行動に支障をきたす。

 だが、龍雷ティニラエドを残した一機は、あり得ぬほどの加速を見せ、龍との距離を縮めてゆく。

「やめろ、やめろ!」

 アイシャは、その者が何をしようとしているのか即座に察した。

「くそったれ!」

 その者は、最後にそう叫んだ。

 そのまま龍の背に突っ込むようにして飛行し、ぶつかる直前で龍雷ティニラエドを放ち、自ら産んだ紅い玉の中に消えた。


「こんなことが──」

 アイシャは、戦いの中で生きてきた。ゆえに、今自らが置かれている状況が、はっきりと分かるのだ。

 どうしようもない。

 まだ眼前に残り、一点を目指しながら飛行を続ける三体の龍に対し、どういう手段も持たぬのだ。

 ただ、それに追いすがるようにして飛ぶこと以外は。


 龍どもが、目指すもの。

 それが何であるのかも、アイシャには直感的に察しが付いている。

 本拠。国境無き翼の。

 謀られたのだ。


 シュナーは、アイシャの姿を野営地で見ている。アイシャは、その野営地で、シュナーが龍を呼び、ラハンに向けて放ったことを見ている。

 そして、シュナーは、アイシャをすくさま殺すことはしなかった。アイシャほどの腕ならば、傷を受けていてもあの野営地から脱出するかもしれぬ危険性があるにも関わらず。

 アイシャは、のだ。龍を呼ぶだけ呼び、さっさとシュナーがあの場から立ち去っていたことからも、それが分かる。


 そしてアイシャは本拠へと帰り着き、傷を癒した。

 当然、バルサラディードに対する策を立てる。それは、手の付けられぬ力に手が付けられぬようになる前の段階での、本拠攻撃。バルサラディード自体の機能を停止させる以外、シュナーを止める手立てはないという結論に、当然のように至った。

 そして保有する鐡翼のうち、多くの戦力を割き、繰り出した。

 今、本拠を守ることが出来るのは、十機の鐡翼と、生身の人間しかおらぬのだ。

 そこを、三体の龍が襲えば、ひとたまりもない。


 シュナーは、恐らく、終わらせようとしているのだ。

 この戦いを。

 大地から、空から、武力というものを消し去ろうとしているのだ。

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