『古泉朔リミテッド萌エディション』でござる!

彼の偶像を超えて行くで候

 本日はお店の定休日。


 特に予定もなかった私は、最近大量に購入した同人誌を読んで、朝から心に萌えパワーを充電していた。


 攻めも受けも、BLもGLもTSもノマカプも一次も二次も三次もおいしい。とってもおいしい。


 ニヤニヤウマウマしていたら、いざラブシーンというところでスマホの着信に遮られた。同じくお休みを満喫しているはずの優愛ユアちゃんからだ。


「はいはーい、なぁにぃ?」


 クソ、早く続き読みてえ! 意地っ張り受けちゃんがどんな可愛い表情見せてくれるのか、気になって気になって仕方ナッシング!



古泉こいずみ先輩……っ、お願いだから助けてください! も、もう私、どうしていいか……!』



 優愛ちゃんの悲痛な泣き声に、萌えに染まった桃色気分が一気に吹っ飛んだ。



「何、どうしたの? 何があったの? 泣いてちゃわかんないよ?」


『ご、ごめんなさい……でもっ、先輩しか、頼れる人がいなくて』



 激しく動揺しているらしい彼女から何とか居場所を聞き出すと、私は寝間着の腐れジャージのまま、急いで向かった。




 コスプレスタジオ『アヤイレ』に到着したのは、呼び出されてから一時間ほど経った後だった。


 セットの種類が豊富で料金もお手頃なので、私もレイヤー時代によく利用していたスタジオだ。


 平日かつ夏の主要イベントが終わってしまったせいか、今日はあまり予約が入っていないらしい。駐車場にも、車は一台しか停まっていなかった。



「あれっ、恋咲コイサクさん!?」



 受付に向かうと、顔見知りのスタッフさんが驚きの声を上げた。



「すみません、呼ばれて来たんです。知人が困ってるようで」



 私の言葉に、縦ロールにパープルメッシュという個性的なヘアスタイルの女性スタッフは微妙な表情をした。



 これは何だか嫌な予感……。



 彼女からおおよその事情を説明されると、なるほどそういうことかと私は納得した。



 あのバカ!

 いつか痛い目を見るだろうとは思ってたけど……こんなところで強制ツケ払いかよ!




「古泉先輩っ!」



 フロアの最奥にある和風背景ブースに顔を出すと、輝夜てるやはあとのコス姿の優愛ちゃんが泣きながら飛び付いてきた。



「……何であんたが」



 優愛ちゃんの肩越しに、鏡水かがみせいらコスのチャキ――千晶チアキが驚きに目を瞠る姿が見える。



「この子に呼ばれたから来ただけ。あれ、撮影待機中だった? 皆様は主役を放置して、奥で撮影してらっしゃるの? それにしちゃ、やけに静かだね?」



 私達がいるのはブースに入ってすぐの位置、通路代わりにもなっている江戸風の通りを演出した場所だ。和風エリアは和室数種に庭園セットや遊郭セットなどがあり、かなり広い。とはいえ、撮影しているなら何の物音もしないなんてことはありえない。つまり、嫌味です。


 千晶はプイとそっぽを向いた。おっ、効いてる効いてる。



「人気レイヤー・チャキ様ともあろう御方が、活動ラストの大型併せを全員にドタキャンされるとはね。皆、忙しかったのかな〜?」



 大人数のレイヤーを集めてコスプレ撮影する『大型併せ』では、何人かが当日来られなくなることもある。しかし、まるっと全員が来ないなんて異常事態だ。


 恐らく、最後の最後でチャキを困らせてやろうと誰かが提案し、それが実行されたんだろう。悪質な計画だけれど、裏を返せばそれだけ恨まれていたということだ。



「にしても、カメラマンもいないなんて……どーすんの、これ。お前、どんだけ人望ないんだよ」


「うるさいっ!」



 苛立ちに任せ、千晶は日本刀を模したせいら専用の魔法ステッキを投げ付けてきた。



「っぶねーな、当たったらどうすんだよ!」


「そうですよ! 先輩の美しいお顔に傷が付いたらどうするんですか!? それにセットを壊したら、皆のキャンセル料の支払いだけじゃなくて弁償までしなきゃならなくなるんですよ!?」



 私の顔を見たおかげか気持ちが落ち着いたようで、優愛ちゃんは素晴らしい正論で千晶に殴りかかった。



「何よ……わざわざ私を笑いに来たの? だよね、ラストだもんね」



 そう言って千晶は、床にへたり込んだ。



「あんたの言う通りよ……皆に嫌われてこのザマ。惨めったらありゃしない。ファンにもレイヤーにも盛大に泣かれて惜しまれてた、誰かさんのラストとは大違いだよね。ホント笑える」


「泣くな。メイク剥げる」



 千晶に短く告げると、私は優愛ちゃんに向き直った。



「スタジオの予約時間は? 他に誰か来られそう?」


「和風スタジオとマルチスタジオ、それぞれワンデーで予約してます。なので、時間はそれほど気にしなくても大丈夫です。でも、私みたいな新人底辺レイヤーにまでSNSのDMで声かけてきたくらいですから、他は期待できなさそうですね。それに……」



 優愛ちゃんはスマホを操作して、SNSのタイムラインを見せた。



「今日は午後から夜にかけて、当日ゲリラのキュンプリオンリーコスイベが開催されると今朝発表がありました。例の実写映画関連の企画のようで、キショイ含めた本人達も出演するとのことです。SNSを見る限り、殆どのキュンプリレイヤーさんがそちらに参加するみたいですし……今から呼びかけても新たにレイヤーさんを確保するのは、難しいかと」



 くっそぉぉぉ……こんなところでも邪魔しやがるのか、あいつらは!



 ぐぎぎと奥歯を噛みながらも、私は頷いた。



「とにかく、私は知ってるカメラマンに声かけて交渉するよ。はあとせいらのツーショメインになるけど、クオリティ高める方向でいけば格好はつく。ユアちゃんはその間に、崩れたメイク直して。では、サン!」



 優愛ちゃんも頷き、私の掛け声と共に全速力で更衣室に向かって走っていった。



「お前もだよ。とっとと動け」



 電話をかけながら、私は蹲ったままの千晶に告げた。



「…………何でよ」


「あ? あっ、石田いしださん、お久しぶりです。はい、恋咲です。ご無沙汰してます」



 レイヤー時代お世話になったカメラマンさんに交渉している間も早くしろとジェスチャーで訴えたが、それでも千晶は動かない。こいつ、本当に鬱陶しいな!



「わ、いいんですか!? 助かります! そんな……謝礼はちゃんとお支払いさせてください。はい、では、お待ちしていますね」



 幸いにもカメラマンさんはちょうど時間が空いているとのことで、快く引き受けてくださった。



 まずは第一段階クリア。しかし、問題はこいつだ。



 私は千晶に近付いて屈み込み、顔面をチェックした。



「あ、泣いてなかったんだ。なら直しはいらないな。ちょっと左つけまよれてるから、そこだけ修正して……」


「何でだって聞いてるんだよっ!」



 伸ばしかけた私の手を振り払い、千晶は叫んだ。



「私、あんたのコス、散々ディスってたんだよ? 中学でも陰口叩いて虐めて、レイヤー上がった今もあることないこと撒き散らして……そのくらいあんたのこと、嫌ってたんだよ? なのに、何で助けようとするの!?」



 私はもう一度手を伸ばし、千晶のつけまつげの角度を直しながら答えた。



けやき千晶チアキのことは大嫌いだけど、『チャキ』のことは好きだから。私をコスプレに誘ってくれて、コスプレの魅力を教えてくれた、大切な人だから。その人のレイヤーとしての最後をこんな形で終わらせたくない。コスプレを、嫌な思い出にしてほしくない。ユアちゃんも同じ思いでここに来て、残ることを選んで、私を呼んだんだと思う。あの子も私と同じで、お前のコスが大好きなんだ」



 そして左右対称に形を整えてから、ポーチに入っていたアイラッシュグルーで目尻と目頭を補強する。うん、完璧だ。



「これで良し。チャキは男装も好きだけど、女装も良いよなぁ。ね、ラスト写真集は出すの? 出すなら必ず買うからね」


「出すけど……買わなくていい。プレゼントする」



 ここで千晶は、初めて笑った。



「やっぱり……恋咲には敵わないや。いろんな手使って引きずり下ろしてやろうとしたのにさ。だって生意気じゃん? コス教えた私より格好良くて人気者になって、どの男装も見惚れちゃうくらい素敵で、レイヤー辞めてもいまだにファンが多くて……悔しいじゃん。こうなりたいって望んでるのに手に入らない、それを持った奴が隣で輝いてるって」


「それが私や他のレイヤーさん達を虐めてた理由? くっだらね」



 私は肩を竦め、ついでに持参したハイライターで千晶の鼻筋にも修正を加えた。もっと鼻先を尖らせた方が、せいらっぽくなると思ったので。



「くだらなくて悪かったな。自信なくて、いつも怖くて不安で、突っ張ってなきゃやってらんなかった。特にあんたは、殺してやりたいと思ったこともあったよ。殺しても変わらないってわかっててもさ」


「それ言ったら、私だってチアキが羨ましかったよ。男装も女装も華麗にキメやがって、天は二物を与えねーんじゃなかったのかよ、ふざけんなクソがって陰で妬みまくってたもん。でも殺したいとは思わなかったな……だってお前が死んだら、コス見られなくなるじゃん」



 渡した鏡で修正具合を確認していた千晶は、頷いて出来に満足の意を示してから、また笑った。



「そうだね。私もサクを殺さなくて良かった。まだあんたの壇上だんじょう神之臣かむのしん、見てないからね」




 そこで手渡されたのは、店内ロッカーの鍵。




「メイク道具一式と、過去編神之臣の和装衣裳と小道具が入ってる。今日は神之臣コスもやる予定だったから。ねえサク……お願いできない? どうしても最後は、せいらと兄のバトルシーンを撮りたいんだ」




 私は千晶と鍵を見つめた。




 神之臣様は私にとって聖域。自分などでは不可侵だと思っていた――けれど。




「レイヤー上がって大分経つし、神之臣様は初めてだから……どんな出来でも文句言うなよ?」




 頭に浮かんだのは、十哉トーヤのアナザーアナザー神之臣。




 あれぞ完コス、理想を具現化したような神之臣だ。私の持つ資質では、あの神之臣は超えられない。


 けれど超えることは不可能でも、新たに創造することは可能だ。



 やってみよう、挑んでやろう――――私にしかできない、私なりのアナザーを!

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