彼への胸騒ぎが止まらないで候

 エセ崎に連れられたのは、同じフロアのドアを隔てた裏側だった。


 ずらりとたくさんの部屋が並ぶ中、最奥にある部屋の扉をエセ崎がノックする。どうぞ、と渋いお声が返ってくるや、彼は部屋に飛び込んだ。



椎名しいなさん、見て見て! 俺がプロデュースした神之臣かむのしんです! 完成度高すぎて、ぶったまげませんか!?」



 椅子に腰掛けてコーヒーを飲んでいた白髭ダンディに、エセ崎は十哉トーヤの腕を引いて自作の神之臣をお披露目した。



池崎いけざきくんは相変わらず表と裏の差が激しいな。舞台とは別人じゃないか……おお、すごい! 神之臣が三次元に現れたかのようだ! 顔立ちに加えて体格も素晴らしい。どこでこんな逸材を見付けたんだい?」


「でっしょ〜? 俺も彼と初めて会った時にビビっと来たんですよ。3Dキャラやめて、神之臣役は彼にお願いしたらどうです?」


「うん、悪くないな。どうだい君、神之臣役をやってみる気はないかい?」



 椎名監督に問われた十哉は、もげそうな勢いで首を横に振った。



「わ、吾輩、そんなの無理無理無理で候! 卒論もあるゆえ忙しいので候!」



 すると椎名監督は吹き出した。



「冗談だよ、すまなかったね。その口調にそのTシャツ、君はせいらファンなんだね?」


「拙者は輝夜てるやはあと嬢のファンでござる!」


「拙者も同じく、はあと嬢を愛するうぉーりあにござる!」



 呼ばれてもいない部外者がお邪魔するのは失礼だとドア付近に固まっていたのに、英司エイジスグルは見事に私を裏切り、監督の方へと駆け出してその足元に跪いた。



「ちなみにあの女の子は神之臣ファンで、神之臣の彼、きし君の彼女なんですよ」



 ついでにエセ崎にも密告された。



 監督は私を見ると、何とも言えない不思議な表情を浮かべた。



「こんな子も、いるのか……世の中は広いな。そうかそうか」



 やたら歯切れの悪い言い方をしたのは、きっと紹介されるまで男と勘違いしてたからだろう。ひどいや、スカート履いてるのに。


 慣れたとはいえショボンと俯いたその時、足に白いものが巻き付いてきた。



「おわっ!」



 それは凄まじい速度で私の体を駆け上り、頭の上に乗って容赦なく爪を立てた。


 そこで私は漸く、相手が猫だと気が付いた。



「いででで! 何しやがんだ、てめえ!」

「イヤァ!」

「嫌なのは僕の方だよ! 下りろ!」

「ヤァァン!」


「す、すみません! コラ、カタナ!」



 高く澄んだ声が聞こえると同時に、頭が重みから解放される。恐る恐る、私は顔を上げた。



「ごめんなさい、大丈夫ですか? またこの子、逃げ出しちゃって」



 目の前に立っていたのは、銀髪の超絶美女。目が眩むあまり、輪郭が発光して溶けて見えるような錯覚すら覚える。


 返事すら忘れて見惚れていると、彼女の表情がいきなり変わった。



「ウソ……神之臣様!?」



 感嘆の声を上げ、彼女は十哉の側に駆け寄った。



「すごい、理想です! 私の理想の神之臣様そのものです!!」


「ヒジリちゃんも神之臣ファンだもんね。どうだい、俺のプロデュースパワーは」



 エセ崎が得意げに胸を張る。しかし彼女は彼に見向きもせず、十哉だけを見つめていた。



「池崎さんの腕じゃなくて、彼は元が良いんですよ。そのお洋服、もしかしてせいらファンなんですか?」


「はい、で候……」



 真っ赤にした顔で俯き、十哉が答える。



「よろしければお名前聞いても良いですが?」


きし十哉トーヤで候……」


「改めて私、浅見あさみヒジリっていいます。この子はカタナ。よろしくお願いしますね」


「こ、こちらこそよろしくで候……」



 周囲の人間を置き去りにして、二人はどんどん接近していく。距離は近付いていくし、握手という接触までしたし!



 え、これどうしたら良いの?

 止めたいし、でも止めるのも野暮だし、でもでも止めたいし……。



「そうだ! ね、椎名さん、岸君にも映画のPR活動に参加してもらったらどうかな? ヒジリちゃんと一緒だとこんなに絵になるんだよ、きっと映画の注目度も上がると思う!」



 ここへ更に、エセ崎のクソが余計なことを言いやがった!



「いいアイディアだね。熱烈な神之臣ファンの浅見さんのお墨付きなら、本編のファンの皆様にも受け入れていただけるだろう。ああ、しかし岸君は忙しいんだったか……」



 便乗しかけた椎名監督にも殺意を覚えたが、最後の言葉でクソジジイ呼ばわりするのは何とか我慢した。



 ところがしかし、だがどっこい!



「私も、トーヤ君が一緒に活動してくれたらもっともっとキュンプリの魅力をたくさんの人に伝えられると思います。カタナがPRキャラとして頑張ってくれる予定だけど、猫には厳しい日程だし……女の子だけじゃ、不安なところもあるんです。無理にとは言いません、お時間のある時だけでもお手伝いいただけませんか? うぉーりあの一員として」



 こんな美人のうるうる上目遣いは反則だ! ていうか、もう下の名前で呼んでますがな!



「岸殿、ここはうぉーりあとしてお手伝いすべきでござる!」


「我らが見ても岸殿の神之臣は完璧、その能力でキュンプリ布教に尽力するでござる!」



 イタキモーー! お前らまでええええ!!



 十哉は少しだけ顔を上げて浅見さんをチラ見し、それからまた俯いて聞こえるか聞こえないかの声で答えた。



「ひ、暇な時で良ければ……」



 ……十哉のバカーーーー!!



 歯を食いしばってそう叫びたいのを堪える私を見ていたのは、カタナなる白猫だけだった。



 この時――――私の強い胸騒ぎは、危機感に変わった。

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