彼らの未来に幸あれと願うで候
その夜、私は
「ルイはもう寝てるから、静かにね?」
すっぴんでもふっくらとした瑞々しさ溢れる唇に人差し指を立て、式島さんは部屋に迎え入れてくれた。
「
目の前に出されたコーヒーを恐る恐る一口飲み、私は首を横に振った。
「いえ、私が悪かったんです。自分の個人的な感情で、キュンプリに八つ当たりしてしまいました。作品に罪はないのに……式島さんに軽蔑されて当然です」
やっべ、うっめ。コーヒーうっめ。インスタントでも、式島さんが淹れたってだけで百億ドルの価値あるわ。ハッピーデリシャステイスティ、イエア!
クビ宣告じゃないかと最初は不安だったけれど、式島さんの様子からそれは大丈夫そうだと判断した。なので私は殊勝に謝りながらも、式島さんを眺め式島さんに見つめられ式島さんの淹れたコーヒーを飲むという僥倖をひたすら堪能していた。
「違うわ。八つ当たりをしたのは、私の方よ」
「いーんですって。式島さん、今日調子悪そうでしたし。私を殴って少しでも元気になれるなら、バシバシやっちゃってくださ……」
「いいわけないでしょっ! あんた、私を金棒持った鬼だとでも思ってるの!?」
そこで大声を出してしまった式島さんは、慌てて口を押さえた。何だ、この可愛い生物。成分萌えオンリーかよ。
二人で息を詰めて子ども部屋の物音に耳を澄ませ、大丈夫だと判断すると、式島さんはホッと溜息をついた。
「寝てるところを無理に起こされると、機嫌が最悪になるのよ……私に似て」
やだ、母娘揃って可愛い。声を殺して私は笑った。
しかし式島さんは深刻な表情のまま、これまで以上に小さな声で漏らした。
「それよりね、あなたに八つ当たりしちゃったのは、その…………ヨシキのことがあったから、なの」
まさかここで
「あの……?」
「いいの、わかってる。昨夜は一緒にいたんでしょう? 私がつべこべ言う立場じゃないのは、理解してるの。なのに、気持ちが頭に付いていかなくて。遅くまでヤケ酒して酷い状態で出勤した挙句、部下に嫉妬して八つ当たりなんて、上司以前に人として最低よね」
ちょいちょいちょいちょーーい!
今、嫉妬っつった? 言ったよな?
てことは……マジかよ、おい!!
「で、でも式島さんは、池崎から何度もアタックかまされては撥ね退けてたんですよね?」
「そうよ。だって、彼と付き合うわけにはいかないもの」
「つまり……彼のことが好きだけど、どうしても受け入れられない理由がある、ということですか?」
式島さんは素直に頷き、そのまま俯いてしまった。
これは……いや、こうなったら…………古泉
「私にお話、聞かせていただけます?」
式島さんがもう一度頷くのを確認してから、私は席を立った。
「その前に、トイレ貸してください。膀胱が革命起こして華やかにルネッサンスしそうなんで」
不安げに私を見上げていた式島さんは、軽く吹き出してからトイレの場所を教えてくれた。
トイレに入った私は、スマホでメッセージを送った。応答がすぐに来たので、即座に通話開始。
そしてそのままスマホをポケットに入れ、何食わぬ顔で元の場所に着席した。
「何から話したらいいのか……ヨシキとは高校の時に出会ったの。その頃の私は人付き合いが嫌いで一人を好んでたから、友達もいなくてね。それでもヨシキだけは、何度突っ撥ねても諦めずに明るく接してくれたわ」
最初は、断るのが面倒になって、何度目かの告白でオーケーしただけだった。けれどいつの間にか、式島さんにとって彼はかけがえのない存在になっていた――という。
「それに気付いたのが、別れた後。コスプレと自分どっちが大事なんだって聞かれて頭に来て、私から振ったの。でもヨシキは、コスプレをバカにしたんじゃなかった。彼はコスプレどころか、アニメも漫画も全然知らなかったのよ。私が教えてあげれば良かったのに……コスプレに夢中になるあまり、彼をないがしろにしていた。彼を大切にしなかった。全て私が悪かったのよ」
式島さんは、そのことをずっと悔やみ続けたそうだ。
高校を卒業して短大に行き、コスプレにかかる資金と将来お店を持つという夢に向けて、貯蓄を稼ぐために昼はいつでもイベントに行ける身軽なアルバイト、夜は水商売と忙しく働く中――言い寄る男は何人もいたけれど、彼女は誰とも付き合わなかった。
ずっと心に、池崎がいたからだ。
それから数年後、二人はワンフォーで奇跡的に再会を果たした。
「また会えるなんて思ってなかったから、嬉しかった。でも、近付くのが怖かった。もっともっと好きになって、彼なしでいられなくなるのが怖くて、冷たくしたけど……ダメだった。我慢できなかった。側にいたくて、誰にも渡したくなくて、彼に求められるのが嬉しくて嬉しくて。本当に、バカな女よね」
そう言って式島さんは、薄く微笑んでみせた。初めて見る式島さんの乙女の表情は、苦味が強い分、仄かに溶け出た甘さが際立って――とても切なかった。
「それでまた付き合って、二年くらい経って……妊娠したの」
ここで式島さんは、一枚の写真をテーブルに置いた。
そこに映っているのは、顔を寄せ合って睦まじく笑う二人。どうやらハロウィンパーティのようで、式島さんは美しく悩ましい猫コス、池崎は犬のカバーオールを着ていた。
なるほど、これを瑠依ちゃんに見せたのか。
「ルイから絵のことを聞いた時に、わかったんでしょう? 古泉って、普段は鈍いのに変なとこ鋭いもの」
失礼な、普段から超絶鋭いですよ。式島さんが最近シャンプー変えたこともすぐにわかりましたし。
あ、でもコンディショナーは変えてませんよね、ヘアオイルも……と反論しようとしたけれど、普通に気持ち悪がられるだけだろうし話の腰を折りたくなかったので、私は適当にウヒヒと笑ってやり過ごした。
「妊娠のことを打ち明けようか迷っている間に、ヨシキが自分の父親に私のことを告げたらしいの。無理矢理、いいところのお嬢様とお見合いさせられそうになったとかで揉めてね。結婚したい相手がいるから絶対に見合いなんかしないって彼が宣言して……そしたら、どうなったと思う?」
まさか、と私は拳を握り締めた。
「EKグループのオーナー様がわざわざ私の働いているキャバクラにいらして、目の前に大金を積んで息子と別れてくれって仰ったのよ。ヨシキには将来がある、お前みたいな女と一緒にさせるわけにはいかないって。でもね、世間体のため言ってるじゃないってことはすぐにわかった。あの真剣な目は、我が子を思う深い親心に溢れていたから」
式島さんが悲しげに笑う。けれど私には、笑う余裕なんてなかった。
「そんな……そんなことで? あいつの父親に言われたから、そんなくだらない理由で別れたんですか?」
「くだらない? ふざけるんじゃないわよ」
式島さんの表情がガラリと変わる。
「私はね、誰より何よりヨシキを愛していたのよ。彼のためなら、何だってできるわ! 彼の未来に悪い影響を与えてしまうくらいなら、身を引くくらい何てことない! 愛してたから……今も愛してるから、恋敵のあんたにまでこんな話をしてるのよ!」
黒曜石のような瞳から、涙が流れ落ちる――それを目にして、私はやっと式島さんの警告の意味を理解した。
池崎には、彼の立場に相応しい相手でなくてはいけない。私などでは、務まらない。いつか式島さんのように、辛い思いをする。
そして、再び恋人と引き裂かれた彼もまた、心に深い傷を負う。
式島さんは、何よりそれを避けたかったんだ。
「……言いたいことはよくわかりました。でも式島さん、私、彼の恋人でも何でもないし、朝まで飲んでたけど何にもなかったですよ?」
「は? ……え?」
式島さんの目が、戸惑いで見開かれる。あらぁん、こういう顔も可愛いのねぇん!
「前にも言いましたけど、全くタイプじゃないんで。むしろ式島さん、男の趣味悪〜って引いてるくらいですし」
「あ、ああ、そう。何か、ごめんね……?」
訳もわからず謝る式島さんの尊みに満ち溢れた可愛さに萌え滾っていたら、ギィィと不穏な音を立てて子ども部屋の扉が開いた。
「おいぃ、ママァ……? 何なのぉ……クッソうるっせぇんだけどぉぉぉ……?」
式島さんの怒鳴り声で、目を覚ましてしまったらしい――――サイクロプスのぬいぐるみを生贄よろしく引きずりながら、四つん這いで出てきたのは、
えっ……これ不機嫌とかのレベル超えてない? ダークサイドに堕ちてるよね!?
「ル、ルイ! ご、ごめんね〜……ええと、サク王子! そう、サク王子がちょっと騒いじゃって〜」
式島さんがさらっと私のせいにして逃れようとする。悪魔じゃ、女神が悪魔に変貌なされた!
マジ泣きしたいくらい怖かったけれど、式島さんに拝み倒され、私は闇のオーラに侵食されし瑠依姫に近付いた。
「ルイちゃん、起こしちゃってごめんね。でもサク王子、どうしてもルイちゃんにプレゼントしたいものがあったの」
「それぇ……今じゃなきゃダメなのかよぉぉぉ、あぁん? つまんねえもんだったら、わかってんだろうなぁぁぁ……?」
ひいい、超絶怖い! 最早、姫じゃなくて魔王じゃん!!
そこへ、タイミングを計ったかのようにインターフォンが鳴った。この場から逃れたくて仕方なかったらしい式島さんは、我先にと玄関に走っていった。
「え……ちょっと、何!? 何しに来たの!? やめて、離して!」
瑠依ちゃんの闇覚醒で動揺していたせいか、確認もせず扉を開けてしまったようだ。
彼女をお姫様抱っこして、部屋に入ってきたのは――――池崎。
「あ、ワンワン! ワンワンのパパだっ!」
闇が晴れて天使に戻った瑠依ちゃんが、池崎の足に飛び付く。戸惑う池崎に、私はそっとテーブルに置きっぱなしだった写真を向け、ワンワン呼ばわりされている理由を伝えた。
「うん……ワンワンのパパだよ。ルイちゃんの、パパだよ……!」
「パパー!」
式島さんを下ろし、池崎は初めて娘を抱き締めた。
「古泉……あんた、まさか!」
やっと解放された式島さんが、私に掴み掛かってくる。
「ウェーイ! スマホをスピーカー通話にして、全部聞かせてやりましたー!」
思いっ切り変顔をしながら、私はノリノリで答えた。
「何てことしてくれたのよっ! ルイのことだけは何が何でも隠しておきたかったのに! あんた、本気で殺すわよ!?」
「ルイちゃんを一人にしていいならどうぞ」
式島さんがぐっ、と唇を噛み締める。私はそんな彼女の目をしっかりと見据えて訴えた。
「式島さんが、池崎を突き放すのは自由です。好きでも一緒にいられないというなら、そうすればいいと思います。でも、パパのことに関しては、ルイちゃんにも選ぶ権利があるはずです。ルイちゃんに、決めさせてあげてください」
「……大事にするよ」
瞬きもせず私を見つめていた式島さんの肩を、池崎がそっと抱く。
「親父を説得する。ダメなら家を出る」
「バカ、何言ってるのよ!? それじゃあんたの将来はどうなるの!?」
この期に及んで、式島さんはまだ抵抗しようとする。けれど池崎はもう、彼女をしっかり捕まえてしまっていた。
「俺の将来を決めるのは、親父でも君でもない! この俺だ!」
この時の池崎は、これまで見た中で最高に格好良かった。
奴め、ここに来てイケイケドンドン崎に覚醒進化しよったぞー!
んもーこの状況、萌え萌えキュンキュンな夢小説そのものやーん!!
「必ず幸せにする。皆で、幸せな家庭を作ろう? ……ルイちゃんは、どうかな?」
「さんせーい! ルイもパパとママを幸せにするー!」
瑠依ちゃんの賛成票が入ったことにより、多数決で負け確定。こうなったらもう逃げ場はないぞ……どうする? 式島
「……頼りないくせに、大口叩いちゃって」
ラストの負け惜しみが来ました! 流石はシキ様、往生際が悪い!
「た、頼りない? じゃあ、頼れる男になるよ! 精一杯頑張る!」
「あなたには無理よ」
式島さんは冷ややかに言って池崎の手を振り解き――今度は自分が彼の肩に両腕を回して、瑠依ちゃんごと抱き締めた。
「私が一家の大黒柱になるわ。あなたみたいなヘッポコは、大人しく付いて来ればいいの。私が……二人を幸せにしてあげる」
ヤッベーー! かっけーーーー!!
さっきの池崎なんかゴミだわ。イラネ崎に降格だわ。やっぱりシキ様よーーーー!!
最高に尊いものを見せていただいたお礼は心の中だけで述べることにして、私は初の親子団欒を邪魔しないよう、影で活躍するダークナイト的なイケメンらしく、こっそり退散した。
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