彼が暴走機関車化したで候

「あんたはね、自分の顔の良さがわかってないんだよ」


 広げたゴミ袋の上で、床を汚さないようにエクステだけでなく地毛部分にまで鋏を入れて本格的にカットすると、千晶チアキはスプレーを使って立体的にカラーを入れていった。


 聞けば彼女、現役美容師なんだそうな。



「コンプにばっか気を取られてさ、メイクは整形と同じなの。コンプを隠そうとして一部だけを大幅に変えようとしたら全体のバランスが崩れて、次々ボロが出てくる。それを直そうとどんどん泥沼にハマってく。イベで会った時にあんた見て、こいつ泥沼いってるわって思ったよ。すっぴん知らない人にはわからないだろうけど、知ってる私からすりゃ何でわざわざブスにしてんだって感じだったもんね」



 本当に大丈夫なのかと不安だったけれど、私は千晶を信じて黙ってなすがままにされていた。



「わかります……私も古泉こいずみ先輩に、コレジャナイ感ありましたもん。恋咲コイサクのイメージとは違うからとかそんなんじゃなくて、どことなく無理してる感じで。だから、古泉先輩にそうさせてるキショイが大嫌いだったんです」



 優愛ユアちゃんが忌々しげに吐き出す。



「キショイ?」


「口にするのも悍ましいけど、古泉先輩の彼氏です。超絶キショイんです」


「あのメイクは彼氏のせいかよ……まあ、好きな男のためならわからなくもないけど」



 バカにしたら殴ってやろうと思ったけど、千晶は割とすんなり認めてくれた。


 もう彼氏じゃなくなったことは、まだ言わないでおこう。


 理由を突っ込まれたら辛いし、自分が流した噂のせいかもって千晶が気に病んだら申し訳ないし。



「でも、彼氏もすっぴん知ってるんだよね? だったらあんなメイクじゃダメだ。良いところにスポット当てて、コンプを吹き飛ばさなきゃ」



 千晶は私の目頭から眉にかけてシェーディングシャドウ、そして内側にハイライトを入れて自然な彫りを作った。


 いつもは横割りグラデにしていたのに、ダークブルーの縦割りグラデで目の横幅を強調される。更に目尻には、ダークネイビーで跳ね上げライン。つけまも、目尻に毛が密集したものを装着された。


 チークはなし。

 唇の両端にダークトーンのリップを入れ、中央に置いたベージュカラーと馴染ませる。透明なブルーのグロスを乗せ、全体の輪郭のバランスをチェックしながらハイライトとシェーディングを調整し――千晶のメイクは完成した。



「これ、これですよぅ! 私が古泉先輩に求めていたのはこれですっ! あーもう、先輩を見る度ずっとモヤモヤしていたものがスッキリしました! チャキさん、ありがとうございます!!」



 盛大に叫び、優愛ちゃんが深々と千晶に頭を下げる。千晶も笑顔でシェイクハンドからのハグに応じた。



「じゃ私も神之臣かむのしんに顔作り直すから、完成したら服交換して……何、サク。ずっと黙ってるけど、気に入らないの?」



 千晶の問いかけに、私は首を横に振った。鏡に映るせいらも連動して動く。


 兄に似た切れ長の目に凛と通った鼻筋、人形みたいに冷ややかな唇。そしてトレードマークだった長い髪を敵の斬撃で失い、燃え盛る炎の中、その身を焼き焦がしながらも戦い続け、熱く静かに命を散らした時と同じショートのウルフヘア。


 千晶は今騒がれている『三次元のアナザー』も『アニメ本編のメインヴィジュアル』もスルーし、原作ファンに最も強烈な印象を与えた死の間際のせいら――通称『ラストせいら』、略称『ラスセラ』に寄せたのだ。



 正直、こう来るとは予想外だった。


 何より、あの鏡水かがみせいらが自分にこんなにハマるなんて思ってもみなかった。



「ちょっと面食らっちゃって。すげーな、チアキ。せいらの欠片もない私の顔をここまで変形させるなんて」


「は? あんた、『自分がせいらに似てる』って気付いてなかったの?」



 手際良く己の顔面にテーピングを施しながら、千晶が呆れたような声を漏らす。



「嘘でしょ、古泉先輩……自覚なかったなんて。先輩がせいら似の美人だから、あのせいらヲタに目を付けられたんですよ? で、あの野郎、しつこく付き纏った挙句に先輩を力づくで手籠めにしたんですよね? じゃなきゃこんなに麗しい先輩が、キショイなんかと付き合うはずありませんもん!」



 優愛ちゃんまでもが賛同する。




 ええ……? えええええ!?




「これで良し。じゃ、とっとと着替えて行くか」



 メイクを終えた千晶は、私に向き直った。



「行くって、どこへ?」



 私と優愛ちゃんの声が重なる。


 再びウィッグを装着し、首から上だけ完璧な神之臣に変身した千晶は、この上なく楽しそうに笑った。




「決まってんじゃん、キュンプリのゲリラコスイベに殴り込みだよ!」






「ね、あの神之臣すごい!」


「隣にいるのって、せいら? 髪短いけど」


「バカ、あれラスセラだよ! 原作知らねーの!?」


「何だ、チャキじゃん。って、待って、あのラスセラ……!」


「やっぱり恋咲だよね? 何で? レイヤー復帰したの!?」


「あの二人のコラボって、初じゃない!?」



 急遽開催されたコスイベなのに、会場となるワンフォー前広場はレイヤーさん達で溢れ返っていた。特にコスのレギュレーションはないようで、グッズを身に着けているとかメイクをうぉーりあ風にしたというだけの人も多い。


 大変な人混みだったけれど、私達が進むと皆が避けてくれたため、広場の中程に設けられたコスプレイヤー専用の撮影区画にはあっさり到着できた。



「私、大丈夫かな……? 男が無理矢理女装して気持ち悪いって思われてないかな……?」



 人の多いところに来ると、私は忽ち弱気になって尻込みしてしまった。だって女装コスなんて、初めてなんだもん……。


 思わず不安を零した私を、千晶が隣からキッと睨む。



「サク、あんた私の目を信じてないの? 私はさておくとしても、皆の目も信じられない?」



 緊張で固まった首を回して辺りを窺えば、こちらに向けられる目は確かに尊し尊しと熱い萌えに溢れていた。



「不安なのは私も同じだよ。こんな完璧なラスセラを連れてる、こっちの身にもなれっての。それどころか、恋咲が神之臣やれば良かったのにって思われてるんじゃないかって……あんたと比べられるの、本当に怖いんだからね!」


「うぅ……私だって、場違い感パネェっす」



 優愛ちゃんも半泣きで俯く。すると千晶は、そっと彼女に寄り添った。



「はあと殿、顔を上げて。そなたの可愛いお顔を、私にしかと見せておくれ」



 チャキ神之臣による顎クイからの胸キュンワード出ましたーー! 何だよ何だよ、私の対応とは大違いじゃん!


 優愛はあとちゃんがクッソ羨ましい! ズルいーー!!



「ちゃんと邪魔しろよ、せいら。じゃないと、はあと殿は私が奪っちゃうよ〜?」



 むしろ私を奪ってもらいたいくらいなんですがね!



 そんな気持ちを押さえ、私はまず周囲に視線を向けて告げた。



「本日、吾輩共三名は撮影フリーで候。しかしながらキュンプリのレギュレーションに則り、公序良俗に反するお写真は控えてほしいで候。特に吾輩は短いスカートを履いておるが、パンツはニワトリ柄。エロスの欠片もないゆえ、その方面は諦めてほしいで候」



 勝手に撮影して良いのかと躊躇っている方が見えたので、先に伝えておいた方が良いと思いまして。



「おお、まことなり。しかも写真プリントの総柄……何処いずこにて斯様な奇天烈パンツを探してきたのか。兄はこの妹のセンスに付いていけぬ」



 しゃがみ込んで私のパンツを確認した千晶が、盛大にため息をつく。



「うるせーな、ヒヨコ柄のブラとセットだったんだよ!」


「余計ダセェわ! セット装備したら腹からタマゴが産まれる仕組みにでもなってんのかよ!」


「お二人共、落ち着いて! 素に戻ってるでござる!」



 優愛ちゃんに嗜められ、我に返った私と千晶は顔を見合わせると周囲に頭を下げて詫びた。



「良い写真が撮れましたら、是非SNS等に投稿し、キュンプリと映画を盛り上げてくだされ!」



 千晶が華麗に締め、いざポージングのリクエストを開始しようとした――その時だった。




「きゃあ、アナカム!」


「神之臣様がステージに立たれたわ!」


「出てくるの早くない? 夜からって聞いてたけど」




 私も思わずステージを見た。




 夕刻の色に染まり始めた空を背景に、過去編で祭事の折に着ていた黒と銀の和服を身に纏った神之臣様――姿の十哉トーヤが立っている。


 ここからは遠いので、表情まではよくわからない。しかし、マイクを持っていたため、彼の声はしっかりと聞こえた。




「わ……吾輩の、理想のせいら嬢がいるで候……!」




 そこへステージに、浅見あさみさんも現れた。


 何だ、ただの惚気かよ。爆発して死にさらせ、と目を背けて背中を向けた瞬間――ステージの方から悲鳴が上がった。




「トーヤ君!?」

「神之臣様あ!」

「アナカムがステージから降臨なされた!」




 浅見さんの叫びと黄色い歓声。そして。




「やかましい! 触るでない! どけ、メス豚ども! せいら嬢の元に行けぬで候!!」




 神之臣の仮面をかなぐり捨て、素に戻った十哉の怒声。



 恐る恐る振り向くと、ステージ前に人だかりの塊ができていた。十哉が、ステージを飛び降りたのだ!




「あれ……演出、じゃないよね?」



 千晶が呆然としながら言う。



「あの……こっち、向かってきてません?」



 優愛ちゃんが震え声で問う。



「いや……まさか」



 空笑いで応じた私を嘲笑うかのように、悲鳴や嬌声に混じって十哉の雄叫びが聞こえた。



「サク殿ぉ! サク殿ぉぉ! サク殿ぉぉぉ!!」



 サク殿って……もしかしなくても私のことだよね?


 てことは、あの暴走機関車の目的地は――私!?




 …………ウ、ソ、だ、ろ!!




「何でアナカムがサクの名前呼んでるの? 知り合い?」


「チャキさん、説明は後です! 古泉先輩、早く逃げてください!!」


「ありがとう、ごめん!!」



 ステージを降りてきた神之臣に触れようと突進する人垣を必死に掻き分けて逆行し、私は死に物狂いで逃げた。



 ちくしょう、久々のコス復帰だってのに何でこんなことに!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る