彼の理想の玉座に輝くので候
人の流れを逆走する私VS纏わりつく人を押し退けて追う
ハンデは五分五分。
しかし距離は離れるどころか、どんどん縮まってくる。それにつれて、声もどんどん大きくなってくる。
「サク殿! サク殿! サク殿!」
「うるせえ、来るな!」
「サク殿! サク殿! サク殿!」
「寄るな、あっち行け!」
「サク殿! サク殿! サク殿!」
「何なんだよ、勘弁してよ!」
決着は、思ったより早くついた。広場を出るまで後少し、というところで十哉の手が、私の腕を捕らえたのだ。
こうなったら――――ラウンド2、ファイッ!
「手を、離すで候」
振り向き様、私は十哉……いや、兄である神之臣を睨み、反対側の手に持っていたせいらステッキで、自分の腕を掴む彼の手を弾くように払った。
十哉が苦痛に顔を歪めて手を離す。そんなに強く当たったわけじゃなかったけれど、彼の右手は何故か包帯に包まれていたため、それに障ったようだ。
気付かなかったとはいえ、申し訳ないことをした。けれど、謝るのは後だ。
「お兄様にはがっかりで候。久々に妹の姿を見ただけでこんなに取り乱すとは……やはり、はあと殿をあなたなどに譲るべきではなかったで候」
愛しい者を奪った兄を深く憎悪する非情の妹、せいらになり切り、私は十哉に侮蔑の目を向けた。
イベント演出の一環だと思われたようで、十哉の周りから人が引く。おかげで円を描いたような空間に、二人だけ取り残されるという形となってしまった。
ちょっと恥ずかしいけど……始めてしまったからにはやり遂げるしかない!
「こちらのせいらは吾輩と違い、あなたのようなうつけ者にもお優しいと聞いたで候。精々色恋に染まった桃色のぬるま湯に浸って、腑抜けになるが良いわ。こちらの世界に、お主はもう必要ない。達者で暮らすが良いで候」
「ま、待つで候! 吾輩の話も聞くで候!」
立ち去ろうとした私に、十哉が縋り付く。
ここで終わりにすりゃ丸く綺麗に収まったのに、何で粘りやがるかなぁ? 空気読めよ、ボケ!
「吾輩がせいら嬢を愛するようになったのは……サク殿に似ているからなので候」
…………は?
「いや、吾輩はサク殿でなくて、せいら……」
「幼稚園の学芸会で、女王様の役をやらさせたであろう? 銀のカツラが嫌だと本番直前に鋏で勝手に切って怒られ、仕方なくそれを被らされて不機嫌極まりない顔で玉座に座っておった。その御姿が、せいら嬢の最期の姿と重なったで候。アニメでそのシーンを観たのは離れ離れになった後であったが、サク殿が忘れられずにいた吾輩は、そこからせいら嬢に傾倒するようになったので候……」
確かに幼稚園の頃の十哉は、特にせいらを推していなかった。キュンプリは好きだったけど、一人のキャラに肩入れすることはなかった。
まさか私が先で、せいらが後だった、なんて。
せいらに似てるから私を好きになったんじゃなくて、私に似てるからせいらを好きになった、なんて。
心に、熱いものが広がる。
私、本当に愛されてたんだ。十哉は私に、ちゃんと萌えてくれてたんだ。
理想は、塗り替えられてしまった――
けれどそれでも、嬉しかった。
過去になろうと、一時でも彼の理想になれたことが、本当に嬉しかった。泣きたいくらいに。
「サ、サク殿とはお兄様が誑かした女の一人か? 全く、気の多い……移り気な男で候」
「移り気などではない! 吾輩は……」
「…………もう、良いので候」
私は十哉に近付き、そっと首に手を回した。至近距離で、目が合う。
こんなに近くで、彼の瞳に自分が映るのを見るのはこれで最後になるのだろう。
「ありがとう、もう十分だよ。ごめんね……でも、最後の言葉だけは取り消させて」
ぎゅっとしがみつき、私は彼の耳元で囁いた。
「私、トーヤに会えて良かった。トーヤを好きになって良かった。トーヤは、私には勿体ないくらい最高の彼氏だったよ。私のことなんか気にしなくていいから、幸せになって。ずっと、応援してる」
十哉の香りを、温もりをしっかり味わい、私は体を離した。
「さよなら、
涙を堪えるのに必死で、うまく笑えた気はしなかったけれど、伝えたいことはちゃんと言えた。
今度こそ、閉幕だ。この茶番にも、この恋にも。
これで十哉も、新しい恋に進める。新たな理想と歩んでいける。
ところが、華麗に去ろうとしたのに体が動かない。見ると、両肩が十哉の手でがっちり押さえ付けられていた。
「ちょ、トー……」
続く言葉が、塞がれた――――十哉の唇で。
「ど、とど、どうじゃあ! こ、公衆の面前で、接吻してやったで候! これでサク殿はもう、他の男の元にはお嫁に行けない体になったで候! 皆の者、見たか!? 見たな!? 見たであるな!? ここにいる全員が、証人で候!!」
私から唇と手を離した十哉は、周りに向かって猛々しく咆哮した。
こ、こここ、このキショヲタ……何さらしてくれるんじゃあ!!
「バ、バカじゃねーの!? お、おまおまお前、こんなことして、浅見さんに嫌われたらどうすんだよ!」
腰が抜けて地べたにへたり込んだ状態で、私は必死に非難の声を浴びせた。
「あの三次のメス豚に嫌われたところで何の問題があるので候? サク殿に誤解される原因を作った、悪の根源だというのに……百度成敗しても足りぬわ!」
「おい、いくら何でも失礼だって! あ、もしかして浅見さんの事務所の関係で秘密なの? だったらごめん、超暴露しちゃった……」
「ウチの事務所は恋愛自由ですよー!」
十哉の斜め後ろ辺りから、浅見さんが手を振りながら言う。
「いや、ちょっと待ってよ。浅見さんのこと、理想だって言ってたじゃん!」
「は? あのメス豚が理想? 吾輩はそんなこと言っておらぬで候」
「嘘つけ嘘言え嘘抜かせ! 映画制作発表の時に、隣でぼそっと漏らしてたじゃん! ちゃんと聞いてたんだからね!」
十哉は目を丸くし、合点がいったようにポンと手を打った。
「それは、カタナのことで候」
ナヌ!?
「あの白いお猫様を見た時、理想のカタナが現れたと感動したで候。吾輩……実は、大の猫好きなので候。しかし、サク殿は昔から猫がお嫌いであろう? ゆえに下手に毛や香りが付いては嫌われかねないと猫カフェにも行けず悶々としておったところ、カタナとのお仕事の話が舞い込んだので候。それなら仕事を理由に、猫様に触れられると思い、引き受けたので候」
「
再び、浅見さんが補足する。
そんな……じゃあ全部、私の勘違いだったの?
勘違いで勝手に嫉妬して暴走して、泣いて喚いて……。
――――恥ずかしい! 死にたい! ていうか死んだ! もう生き返れない!!
「サク殿、顔を上げるで候」
「無理ぃ……皆々様に申し訳なさすぎて、無理ぃぃぃ……。ゾンビマスク被って死ぬまで引きこもるぅぅぅ……!」
「それも良いで候。吾輩だけが、サク殿を独り占めできるで候。斯様に素晴らしき萌え姿を、他の者に見られるのは今も嫌で嫌で堪らないで候」
地面に倒れ伏して悶絶する私を、十哉が優しく抱き起こす。
「吾輩が心から愛しているのは、サク殿だけで候。サク殿こそ、吾輩の理想なので候」
それは初めて聞く、彼からの愛の言葉だった。
私はそっと顔を覆っていた両手を離し、十哉を見た。すると、伏し目がちにした瞼の隙間からこちらを窺う、あざと可愛いポーズが迎え撃つ。
私に怒られた時は、いつもこうして謝っていた。私がこのポーズに弱いと知っているから。
「あの時はショックで何も言えなかった上、またこれ以上嫌われたくないと恐れるあまり連絡もできなかったが……吾輩は、サク殿のお側にいたいので候。少しでもサク殿のお気持ちが吾輩にあるのなら…………どうかお別れの言葉も、撤回してほしいので候」
十哉の手が、私の左耳の髪をかき上げる。
そこには、神之臣様の家紋モチーフのピアスがぶら下がっていた。
十哉からもらったあのキーホルダーをいつも身に着けていたくて、こっそりリメイクしたのだ。
高校の入学式と同じだ。
また見付かってしまった。
また――見付けてくれた。
「僕で……いいの?」
恐る恐る問いかけた僕に、十哉は笑顔で頷いた。
「サク殿が良いので候。サク殿が好きなので候。だからサク殿にも、吾輩を好きになってほしいので候」
彼が放ったのは、あのトンデモ告白のオマージュ。
今でも忘れずに覚えていてくれたらしい。
それはきっと、十哉にとって大切な思い出だったから――。
溢れる涙を風圧で吹き飛ばす勢いで、僕も何度も何度も頷き、勢い良く十哉に飛び付いた。
「僕も……っ、僕もトーヤが好きだーー! 好き、大好き! 絶対に別れないーー!!」
「サク殿ーー! ありがたき幸せーー! 吾輩も愛しているで候ーー! 死んでも離さないで候ーー!!」
……と、恥ずかしげもなく抱き合って二人で盛り上がっていたら。
「このようにアナザーアナザー神之臣はアナザーアナザーせいらと共に帰ることになりましたゆえ、彼の活動はここまでで候! 皆様、次元を超えて映画のためにお手伝いしてくれた彼の活躍に、どうか拍手をお願いするで候!」
滑稽な舞台の幕引きのために進み出てきた浅見さんが、高らかに宣言した。それを受けて、盛大な拍手が湧く。
浅見さんはすぐに他のメンバーを呼び、何事かを軽く打ち合わせると、私達の元に駆け寄ってきた。
「さあ、立って。最後なんだから、派手に締めましょう。皆様、お隣の人と手を繋ぐで候!」
促されるがまま、私は左手に浅見さんの手を、右手に十哉の手を取った。
十哉の反対側の手は、いつの間に現れたのか
「……古泉さん、私、トーヤ君のことは諦めます。どれだけ頑張っても敵わないって、よくわかりましたから」
私だけに聞こえるくらいの声で彼女は静かにそう囁き、柔らかに微笑んだ。
そして、再び周囲に向き直る。
「では皆で一緒に! キュンプリ名物の決め台詞、いくで候!」
せーの、といううぉーりあファイブの掛け声で、皆が一斉に声を放った。
「『キラメキ
――――ワンフォー前に、割れんばかりの歓声が轟いた。
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