彼と彼女と、全自動洗濯機と私で候
「サク殿ーー!」
到着した病院の中に入るや、
「何があったの。説明して」
えぐえぐと泣くばかりの十哉に代わり、同じく涙目の
「私、カタナともっと仲良くなるために、飼い主さんにお願いしてお家で預かっていたんです。けれど、どんどん元気がなくなっていって……今日は特に具合が悪くて、ステージの後すぐ家に連れ帰って休ませたんですけど、吐いて、そのまま動かなくなっちゃって……っ」
「飼い主さんには連絡したの?」
「は、はい。今、一緒にいます」
それじゃあ私、必要ないじゃん。何のために呼んだんだよ、迷惑な。
あからさまに不愉快ですといった顔をしてみせた私に、浅見さんは慌てて弁明した。
「でもっ、どうして具合が悪くなったのか、検査しても原因がわからないそうなんです! お医者様はきっと、環境が変わったことによるストレスだろうって……」
「それで? 私は何をしたらいいの?」
ストレス発散のためのサンドバッグにでもなれってか? 今頃は式島母娘とラブ飯の真っ只中だったはずなのに……ああもう、やっぱり電話に出るんじゃなかった。
「カタナに、顔を見せてやってほしいんです。カタナは
確かにキュンプリのイベント関連は、少し前に優愛ちゃんと交代した。そのおかげで、カタナに会うこともなくなったわけだけれど。
「そんなの、意味ないんじゃないかなぁ……」
「何でもいいからやってみるで候! サク殿ぉぉぉ……どうかカタナを助けてくだされぇぇぇ…………」
足元に跪いた十哉が、恥も外聞もなく縋る。
ったく、そんな簡単に病気が治りゃ医者なんざ要らないっつうの!
今更文句を言っても仕方ないし聞き入れてくれそうにもないので、私はカタナがいるという診察室の扉をノックした。
「お待ちしておりました。お忙しいところ、本当にすみません」
人の良さそうな中年女性が私を出迎える。憔悴した雰囲気ではあるが、あの二人よりも落ち着いているように見えた。
彼女と老年の医師に促され、私は部屋の真ん中にある台を見た。そこに、白い毛の塊がぐったりもっふりと横たわっている。
「おーい……カタナー……」
襲われることを警戒し、私はドアの側から小さな声で名前を呼んだ。しかし、反応はない。
そこへ医師が、アドバイスしてくれた。
「役名ではなく、本名で呼んであげてください。『全自動洗濯機』ちゃんって」
「は?」
「『全自動洗濯機』です。略してゼンちゃん」
中年女性が平然と言う。
ねえ、何を思ってそんな名前付けたの? 全自動洗濯機の中にでも捨てられてたの?
「実はあの子、粗大ゴミの洗濯機の中に捨てられていて……」
だろうね! 知ってた!
もうヤケクソで、私は本名の方で呼びかけてみた。
「ぜ、全自動洗濯機ー……」
すると、ピクリ、と体が動いたような気がした。お、これはいけるかも?
「全自動洗濯機ー」
もにょもにょと毛玉が蠢く。いいぞ、もっとだ。
「全自動洗濯機ー!」
もふんもふんと毛玉がのたうつ。よっしゃ、その調子!
「全自動洗濯機! 全自動洗濯機! 全自動洗濯機!」
「ヤァ……ン」
返事をしたまでは良かったが、やけにか細い。そしてそれきり、全自動洗濯機は動かなくなってしまった。
もしかして苦しんでただけで、今のが断末魔の悲鳴だったんじゃ!?
私は慌てて診察台に駆け寄った。
「全自動洗濯機! ゼンちゃん、しっかりして!」
猫は嫌いだけど、そんなこと考える余裕もなかった。失われるかもしれない体温を逃さぬよう、私は白く美しい毛並みを必死に撫でた。
まだこんなに温かいのに。あんなに元気だったのに。
ダメだダメだダメだ…………まだ死んじゃダメだ!
ところが、次の瞬間。
「ヤァァン!」
「ぎゃああ!」
カタナ、いや全自動洗濯機が、バネ仕掛けみたいに勢い良く顔面に飛び付いてきたじゃないの!
「……あらまあ、やっぱりまた仮病だったのね」
モフモフの毛の隙間から、中年女性が肩を落として溜息をつくのが見えた。
「この子、よくやるんですよ。特にタレント猫になってからは我儘がひどくなって。気に入らないことがあったり欲しいものがあったりすると、具合が悪くなったフリをして何とかさせようとするんです」
隣から医者が補足説明をする。
「しかし、ここまで深刻な状態に陥ったのは初めてだったので、もしかしたら本当に病気なのかもしれないと思ったんですけれど……あなたに会いたかっただけだったようですね」
ふざけんな、クソ猫め!
正直とっとと帰りたかったが、そうもいかず――私は二人に懇願され、言われるがまま全自動洗濯機を撫でさせられたり、抱かされたり、頬擦りさせられたりキスさせられたりと、猫嫌いにとってはとてつもない苦行を強いられる羽目となった。
ちなみに全自動洗濯機のゼンちゃん、性別は女の子で、イケてるオス猫より人間のイケメンの方が好きなんだって。どーでもいいわ!
「古泉さん!」
「サク殿!」
フラフラと診察室から出てきた私の元に、浅見さんと十哉が走り寄ってくる。
カタナ、もとい全自動洗濯機が眠ったことでやっと解放されたけれど、顔を舐めたくられたせいでファンデは斑にこそげ落ち、スーツも毛まみれという大惨状。
こんな姿、誰にも見られたくなかった。特にこのキラキラの銀髪二人組には。
対比で、余計惨めになるじゃん……。
「古泉さん、カタナは!?」
「ああ……もう大丈夫。やっぱりストレスだったみたい。仕事にもすぐ復帰できるそうだよ」
仮病のことは口止めされていたため、私は医師に言われた通りのことを伝えた。
途端に浅見さんは涙腺を崩壊させ、床に崩れ落ちてしまった。
「良かった……カタナに何かあったら、どうしようかと。私、私のせいだ……! 私が、カタナのこと、ちゃんとわかってなかったから……!」
違います、あいつが我儘なだけです――と言いたくても言えず口籠る私の前で、十哉も膝を付き、浅見さんの側に寄り添った。
「浅見殿、自分を責めるのは良くないで候。浅見殿はカタナのために、居心地の良い場所を作ったり食事を工夫したり、精一杯頑張っていたで候。至らぬ部分があったのなら、これから改善していけば良いだけ、吾輩も全力で協力するで候」
「うっ……トーヤくぅぅぅん!」
泣きながら、浅見さんは十哉に抱き着いた。
十哉は驚いて両手を上げたけど……でも振り解くことはせず、彼女の頭と背中をポンポンと優しく叩いて慰めていた。
そして、初めて気付いたかのように私を振り仰ぐ。彼は困ったような焦ったような怯えたような、微妙な表情をしていた。
ああ、怒られると思ってるんだろうな。だろうね、私ってば十哉をぞんざいに扱うくせに、独占欲の塊だったもんね。
冷静にそんなことを考えながら、私は力なく笑った。
「それじゃあ私、帰るね。浅見さんが落ち着いたら、全自動洗濯機……じゃなくてカタナのところに行ってあげて」
「お待ちくだされ、サク殿。吾輩がお送りするで候」
十哉が慌てて立ち上がろうとする。けれど私は掌を彼に向けてそれを制した。
「いいよ、タクシーの方が早いし。もう遅いから急いで帰りたいの。私より、浅見さんのことお願いね」
「わ、わかったで候……」
十哉は素直に頷き、視線を浅見さんに戻した。
銀髪の美男美女が一個となって抱き合う姿はまるで絵のように美しくて――私はその眩しさから目を逸らし、背を向けた。
ちょっとだけ、もしかしたら追いかけてきてくれるかも、なんて期待したけど、そんなことはなかった。
いい女って何なんだろう。こんな思いまでして、私は何を頑張ってるんだろう。
苦しい虚しいばっかりで、胸がいっぱいに詰まって、涙も出やしない。
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