第38話 孤独の城――3

「生きていくのが、怖いのか?」


 そう問いかけると、マイは視線を伏せて頷いた。


「……怖い。諦めたら、きっと楽になれるよ。

 このまま現実に帰らなければ、きっとそれで済む」


 俺はマイを助けられない。

 かっこよくヒロインを助けて、思春期の苦い記憶を塗り替えて俺自身が助かることもできない。


 ただ――俺が、マイが、ここに『いる』ことに意味がある。


 出会って言葉を交わすことに意味がある。

 じゃなきゃ、夢見がわざわざマイの悪夢を駆除するために俺をここに引き入れる必要もなかっただろう。

 

 怪しい健康効果をうたう水にも、ふかふかのウォーターベッドにも、悪夢を食べるバクにも、もちろん俺みたいなしがないリーマンにも、人を根本から救う力なんてない。


 必要なのは、他の誰かの手にすがることなんかじゃなくて、自分で自分の手を包んで暖まること。

 泥の中に沈んで膝を抱えている自分を、光の射す場所まで連れて行ってあげることだ。


 でもそれは孤独じゃ果たせない大仕事なのだろう。

 だったら俺は、マイの側にいてやる。


 本来なら誰にも見せられないはずの心の内側で、奇しくもこうして会ってしまったのだから。


「生きてくのは、そりゃ怖いだろうよ。きっとそう思ってる奴は多い。

 で、だ。怖い思いは、たぶん消えない。この先もずっと」


 俺の言葉に、幼いマイの肩がびくりと震える。


「でも、怖くても歩いて行くことはできる。暗いなら明かりを灯せばいいし、心細いなら仲間を作れば良い」

「仲間……?」

「本心をぶちまけ合える友達とか」

「……そんなもの、いないよ」


 諦めきっている顔で、悲しそうなそぶりすら見せずマイが言う。


「あたしはずっと自分の気持ちを人に話すことすら出来なかった。

 作られたあたしを好きでいてくれる人はいるけど、あたし自身のことなんて誰も知らないんだから。……知ってもらう勇気もないよ」


 そういう問題なら、話は簡単だ。


「俺は?」


 聞いてみると、マイがぱちくりと瞬きをした。


「テレビの向こうのお前のことも、プライベートのお前にことも、夢の中のお前のことも知ってる。

 なにかをしてやれるわけじゃないが、これからも愚痴くらいは聞いてやれるぞ。

 それに、お前は本当の自分をめちゃくちゃに卑下してるけどな――」


 俺はいったん言葉を切った。

 今から伝えるべき言葉は、少し恥ずかしい。

 でも、ここまで相手の本心を見ておいて、俺が自分の本心を隠すのはフェアじゃないだろ。


「……俺は、お前をちょっと尊敬してる。アイドルのお前じゃなくて、悪夢の中でもがいて苦しんで、本心を吐き出しても、前に進もうとするお前が」


 俺はそんな風にできなかった。

 大人になったふりをして諦めて、世間に従うことこそ一番必要なことなのだと思ってた。

 俺が変えられることなんて何一つないなんて、そんな風に斜に構えて、居酒屋でくだを巻きながらただ流されるままに生きることを良しとしていた。


「だから、もし出来るなら、お前と……生きる上での仲間に――友達に、なりたいと思った」


 マイは無言で俺を見つめ返している。

 急に自分が見当外れなことを言ってしまったような気がして、俺は思わず視線を逸らした。


「って言っても、今のお前は現実の記憶はないのか! 前回の夢でもそうだったもんな」


 というか、考えてみれば現実では知り合ってからそう経っていない。

 厚かましいことを言ったかと内心反省していると、マイの瞳がゆっくり大きく見開かれていった。

 

「ううん……。思い出した。全部。昭博が、あたしの夢の中でなにをしてくれてたのかも」


 マイがぽつりと呟くと、一瞬のうちにマイの背丈が大きくなった。

 今は現実でのマイと同じくらいの年齢だ。

 カラーコンタクトを入れていない、薄茶色の目が瞬く。


「あたし……誰かに本当のあたしを見つけて、受け入れてほしかったのかな。本当のあたしなんて、誰にも知られたくないと思ってたのに」

「自分が本当は何を望んでるのかなんて、自分ではなかなか気づけないものなのかもな」

「……そうかも。でも、見つけてもらえた」


 マイがはにかんだような笑みを浮かべる。

 今までで見た中で、一番綺麗な表情だった。


 思わず見とれてしまいそうになっていると、陰鬱なリビングの風景が影のように揺らいで消え失せ、まばゆい光で満ちていく。

 同時に、マイの身体を蝕んでいた黒い痣のようなものも煙のようにふっと立ち上って消えていった。


「なんだ? これ……。もしかして、それがお前の希望だったのか?」


 ――人に、本当の自分を見つけてもらうことが。

 アイドルとしての葛藤も、本当にやりたいことが出来ないという悩みも、深くにあるその単純な望みを覆い隠すための薄皮だった。


「なんかすごく気分がいいな」


 マイが、消えた天井を見上げる。そこには無数の鏡の破片のようなものが浮かんでいた。

 そこには万華鏡のようにいくつもの景色が色となって映り込み、それぞれが柔らかな光を帯びている。


 今まで見たことのない、想像したこともないような幻想的な光景だった。


 いつか、夢見が『人間が希望を取り戻した時の美しさ』を語っていたことを思い出す。

 ここに入れなかったはずの夢見も、どこかでこれを見ているのだろうか。


「現実に戻ったら、これも忘れちゃうのかな。こうして夢の中で話したり、戦ったりしたこと全部」


 マイが少しだけ残念そうにそう言った。


「だとしても、別にいいんじゃないか? もし忘れてたらこっちから言ってやるよ。友達になろうって」

「……なかなかやばい人みたいになるよね」

「うるせえ」

「でも、言ってね」

「ああ」


 ふいに、マイが俺に片手を差し出す。


「ありがと。あと、今後ともよろしく。あたしの初めての、本当の友達」

「……どういたしまして」


 マイの意図に気付いて、その手を握り、握手をする。

 互いに大人の姿だというのに、まるで初めて会った子ども同士がするようにぎこちなかった。

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