第5話 悪夢の種類

 ――ブーッ、ブーッ。

 手首の振動が目覚めの時間を告げる。

 俺は昨日と同じように、手首に巻いたデバイスの小さなボタンを押してそれを止めた。


 ベッドの上で身を起こすと、二日酔いがだいぶマシになっていた。

 やっぱウォーターベッドの力ってすげえな。

 森林浴の夢も相まって、癒し効果倍増だ。


 この中に入っている水は、ウォーターベッドの中に入っているということただそれだけで、俺が売っている水の何倍も価値があるに違いない。

 毎日こうして人の体を支え善行に励んでいるのだから、ご神水とか、お水様とか、そういう神々しい呼ばれ方をしていても、全人類なんの疑問も湧かないだろう。


 ……うん。少し褒め讃えすぎたかもしれない。


 とにかく、俺はひとつ決意をした。

 貯金して、今よりもマシな寝具をそろえよう。


 そんなことを考えながらベッドエリアのドアを開けて、明るいカフェエリアへ出る。

 窓から差し込む光に一瞬目がくらんで、治まった後には、カウンターに佇む夢見の穏やかな笑顔が見えた。


「お目覚めですね。よく眠れましたか?」

「ええ。ぐっすりでした」


 白い獣と同じ声をした店長に、笑顔で答える。

 空いているので4人のテーブル席に腰かけることにした。

 間もなく幸世さんがとことことやってきて、お待たせしましたも何もなく、俺の前にグレープフルーツジュースが入ったグラスを置く。


 ……人生3周目さながらの雰囲気に押されて、心の中での「さん」付けが全く違和感なくなってしまっている自分が悲しかった。


「……そういえば君、学校は休みなの?」


 どう見ても小学生だよな。

 ふと気になって聞いてみると、ふんと顔を背けられた。


「私にそういうのは必要ないの。余計な口出ししないでとっとと飲めば?」


 それだけ言って、カウンターの奥に引っ込み、その小さな姿が見えなくなる。

 …………こんなに可愛げのないガキに出会ったのは初めてだった。

 反抗期にもほどがあるんじゃないのかな。


 夢見が、すみませんね、と昨日のように困り顔で謝ってくる。

 俺はそれに、いえいえ、と当たり障りない返事を返した。


 まあでも、今のは踏み込んだ質問をしすぎた俺も悪かったかもしれない。

 学校に行けない理由でもあるのかもしれないし。

 うんうん。と一人で納得する俺に、夢見が話しかける。


「今日の夢見はどうでしたか?」


 それはあれか。苗字にかけたダジャレか何かか。

 むずむずするが、突っ込むのも面倒くさいし、第一それほど親しくない。

 俺は少し迷ってから、この店の看板にも描かれている、あの獣のことを話すことにした。


「……バク、出てきましたよ。昨日もなんですけど」


 俺はストローでジュースをすすりながら答えた。

 それ以外、夢について特に話すべきことも見つからない。

 昨日のように想像上の生き物が実在しているていで話されるのも困るが、夢の中でも仕事をしているなんていう話をするよりましだ。


 だから、とっさに一番に思い浮かんだあの獣のことを口にしただけ――だったのだが、俺はすぐさま後悔した。


 ガチャン!と派手な音がカウンターから響いて、視線を上げる。

 夢見が茫然としたような表情でこちらを見ていた。不穏な音の正体は、拭いていた皿を落としたせいらしい。


「覚えて、いるんですか……?」


 なんともオーバーな反応だ。


「夢を覚えてるって、そんな変なことですかね」

「いえ、決してそうでは……。あの、つかぬことをお伺いしますが、もしかして明晰夢を見ていらっしゃったのですか?」

「明晰夢? なんですかそれ」

「夢の中で、『これは夢だ』と分かるような夢のことです」


 夢が多すぎてよく分からない文章だが、俺には十分すぎるほど伝わった。

 あの夢には、そういう名前がついていたのか。


「……小さい頃から多く見るんですよ、そういう夢。これどうにかなりませんかね? 楽しい夢ならいいんですけど、現実とそう変わりない夢見てるときなんか、すごく疲れちゃって」


 そうだ。もしかしたら、眠りを商売にしているこの人なら解決法を知っているかもしれない。

 期待を込めて見つめると、何かを思案するかのように眉根を寄せた。

 そして、少し戸惑うような間のあと……深刻そうな表情で、唇を開く。


「解決法は――あるには、あります。ですがその前にまず、あなたにお話しして、ご協力を仰ぎたいことがあるのです。少しお時間を頂きたいのですが、大丈夫でしょうか」

「え? ああ、はい。あと15分くらいなら」


 元々少し休んでから出ようと思っていたのだ。そのくらいなら問題ない。

 だが、途端に重苦しくなったこの雰囲気はなんだ?

 まるで、言いにくいことを打ち明ける前のような――。


「ありがとうございます。では、お仕事中のようですし、手短に話しましょう。……幸世さん」

「……なんです?」


 奥から幸世さんが顔を出す。


「この方に事情をお話して、協力を仰ぎます。表の札をCloseに変えてください」


 幸世さんは頷いて、いったん表へと出て行った。

 『協力を仰ぐ』って、一体なんのことだ……?

 疑問を口に出すより先に、俺の向かいに夢見が座った。

 そして表から戻って来た幸世さんも、その隣にちょこんと腰かける。

 それを待ってから、夢見が唇を開いた。


「この世には、良い悪夢と、悪い悪夢があります」

「は……?」


 何の話が始まったのか、よく分からない。

 ぽかんとする俺を気にすることもなく、夢見が言葉を続けた。


「良い悪夢を見ても、人はうなされるだけです。怖い思いはしますが、内容次第では自分の心を見つめ直すきっかけにもなります。つまりは、人間にとって必要なものです」


 幸世さんが俺の飲みかけのグレープフルーツジュースを自分の方に引き寄せ、何食わぬ顔で飲み始める。

 俺はそれを止めようと手を伸ばしたものの、夢見の真剣な眼差しにとがめられているような気がして、すぐに手を引っ込めた。


「えっと……それで、悪い夢は?」

「悪い悪夢は、人の心を、喰います」

「心を喰う……? 何かの比喩ですか」


 しかし夢見は首を横に振る。


「いいえ、言葉通りです。心を喰われた人間は、やがて現実で死に至ります。それは衰弱死や突然死、もしくは自殺として扱われるでしょうが」


 ……何を言ってるんだ、この人は。


「私たちは、そんな『悪い悪夢』を駆除するために、このカフェを開きました」

「……はは。面白いですね。このお店、そういうコンセプトでやってるんですか」


 何も面白くないが、そう言うしかないだろう。

 もしや、この怪しげなトークも商売の一環なのだろうか。

 だとしたら、次に来るのは何らかの金銭が関わる話だ。

 決して飲まれてはいけない。


 俺の顔に浮かんだ警戒の色に気付いたように、夢見が小さく息を吐いた。

 カラン、とジュースのグラスに入った氷が音を立てる。

 そちらの方を見ると、幸世さんが俺の方をどこか軽蔑したような眼差しで見上げていた。


「おまえ、自分の知らないことは全てこの世に存在してないとでも思っているの? ちっぽけな生き物のくせに、傲慢だわ」


 虫けらでも見るような視線に、さすがにむかっ腹が立つ。

 いわゆる『大人の対応』でやんわりと言い返そうとして――俺は、今更気が付いた。

 不遜に言い放つその表情は、決して子どものそれではない。

 夢見にしてもそうだ。雰囲気が浮世離れしていて、年齢すら分からない。


 考えてみれば、何かおかしくないか?

 この店で、あの愛沢マイ以外の客を見たことがない。

 人通りもそこそこあるはずなのに、外から店をのぞく人間もいない。

 そして、ここにいるのは妙な店員2人だけ。

 ――この店、何かがおかしい気がする。

 急に湧いて出た戸惑いが、口にしかけた俺の言葉を跡形もなく打ち消した。


「店長、本当にこいつに全部話す気?」

「ええ。以前から思っていたことですが、人間の協力者が必要です。私たちだけでは、限界がありますから」


 そう会話を交わす目の前の二人は、まるで――人間では、ないように思えた。


 さっきまで落ち着く空間だと思っていたここが、急に得体の知れない魔物の巣のように思えてくる。

 不吉な予感に、口の中が渇く。

 このまま店を飛び出していくべきか、迷った。

 それなのに……気付けば俺は、好奇心のままにこう尋ねていたのだ。


「……一体何者なんですか、あなたたちは」

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