脆く儚く美しき者たちへ――2

 奇妙な夢の持ち主を探し、現実へと足を踏み入れた私を一番に迎えてくれたのは、大きな格子窓が取り付けられた小屋――座敷牢でした。


 いえ、誤解のないように言っておきますが、決して現実に来て早々珍獣として捕らえられたわけではないのです。


 捕らえられていたのは、他ならぬあの夢の持ち主でした。

 彼は座敷牢の奥で、まるで死者のように、真っ白な着物を着せられていました。

 白金の前髪から覗く瞳は、柘榴石のように赤みを帯び、透き通った輝きを放っていました。


 顔の造形も整っていて、どこか人間離れした中性的な雰囲気です。

 日に焼けていない真っ白な肌を見て、私は最初精巧な人形かと疑ったほどでした。

 けれど、私を見て驚いたように見開かれた瞳が、彼が現実に息づいている人間であることを物語っていました。


「随分大きな猫ですね」


 彼の第一声がこれです。今思い返してもツッコミどころが満載なのですが。


「猫ではない」


 私はとりあえず否定しました。内心、彼の妙に落ち着いた態度に面食らいながら。

 彼はまだ青年と呼ぶべき外見にも関わらず、まるで千年生きた大樹のような雰囲気をまとっていました。


「ああ、気を悪くしたならすみません。私は外の世界についてほとんど知らないので。君みたいな猫もいるものかと思って」

「……喋る猫もいると?」


 尋ねてみると、彼は仕草だけは幼く、こてんと首を傾げました。


「さあ、どうでしょうね。でも、言葉が人間だけに許されたものだとは限りませんよ」


 驚きの順応力です。

まさか、現実において人間がこれほど冷静に私の存在を受け止めるとは思ってもいませんでした。

 マイペースなことに定評のある私も、さすがに少々驚きました。


しかしこれには理由があったのです。

この青年は、先天的に色素欠乏症を患っていました。

人間離れした雰囲気の70%ほどは、彼のこの生まれ持った容姿に起因していました。

残りの30%ほどは、異様な環境で作り上げられたその性格に由来していました。


 彼が身を置いている村は、山に囲まれた場所にありました。

 他の集落との交流もまれで、たまに訪れる旅人を『まれびと』としてもてなす文化もありました。


 そして、閉鎖的な集落で生まれた彼――今で言うとアルビノということになるのでしょうが――彼はその外見から『神が使わした特別な使者』として扱われていました。


 崇めることと貶めることは時に表裏一体です。


 彼は神の名のもとに人間らしい生活を剥奪され、何人も気軽に触れてはいけない存在として、その人生の大半を座敷牢に閉じ込められたまま過ごしていました。

 つまり彼は、人間でありながら、人間の常識を持たず、生まれ落ちたその瞬間から外界と隔てられていました。

 その成り立ちは、どちらかというと人間ではなく私たちあやかしに近いものなのでしょう。


 座敷牢は清潔に保たれ、調度品も質の良さそうなものが揃えられてはいるものの、格子窓からは外の様子もろくに見えません。

 一日二回、座敷牢には食事が運ばれてきました。

 神前に供えるものとして作られたそれを、青年は静かに受け取ります。


 村の他の人々は、彼のことを恐れているように見えました。

 ――ただひとりを除いては。


 ◆


「その肉球、触らせてもらえませんか?」


 彼にそんなお願いをされたのは、出会って二日目のことでした。

 昨夜彼はやはりあの奇妙な悪夢を見て、私は彼の夢の中に入りその悪夢を食べました。

 飄々とした彼の悪夢もまた飄々としていて、人間の子どもが好むという綿菓子のように口当たりが良く、私はなんとなくこの人間自体が気に入り始めていました。


 とはいえ、この時の私は、まだ人間に特別な思い入れなどありませんでしたから、言うなれば『綺麗なカナリアが入った鳥籠を偶然見つけたので、しばらくここに留まって眺めていよう』という程度の気持ちでしたが。

 現実でも彼は臆することなく私に話しかけてくるので、私もなんとなく夢から出て彼の側にいました。


「触って面白いものでもないと思う」


 不思議なことをお願いしてくる彼に、私は首を傾げました。

 出会ってたった二日だというのに、早くも彼の癖がうつってしまったようです。


「面白いか面白くないかではなく、そうしたいかそうしたくないかの問題です。私は触りたい」


 心なしか目がきらきらとしています。

 特に断る理由は無かったので、私はこの手を青年に差し出しました。


「そういえば、お前は夢を見ている時、どこにいる」

「はい?」

「悪夢を見ているだろう。視点はどこだ」

「……ああ、そういえば昨日、自分はバクだのなんだのと言っていましたっけ」


 青年にとって、私の正体は些末なことのようでした。


「神様はどこにいると思いますか?」

「は?」


 今度はこちらが聞き返す番でした。


「私は昨夜、あなたのような白い獣が、私の眼下に広がる景色を食んでいく様子を見ていたような気がします。おぼろげにしか覚えていませんが」

「空か」

「はい」


 無心に私の肉球を揉みながら、青年は頷きました。


「だが、お前は神ではないだろう」

「知っています。でも神として振る舞うことでしか、私はこの世界に存在することを許されていませんから」


 本当なら赤子のうちに間引かれる予定だったのだと、青年は語りました。

 しかし、ちょうど巡業に来ていた瞽女が産屋に入り、遠い村での伝承を語って、今まさに赤子の首を捻ろうとした産婆の手を止めたそうです。


「いわく、『この子は白蛇様の使いじゃ。以前滞在していた村で、昔同じような子が生まれた時、殺せば村に禍をもたらしたという。しかし神の化身として崇めれば、その村は繁栄する』と」


 青年はなおも私の手を揉みながら、穏やかに言葉を続けました。


「そんなわけで、私は期待された役割を全うしようと思って。幸運にも救われた命ですからいます」


 迷信深い村人たちに恩を感じる理由などないのに、この男はなにを言っているのだろうと呆れました。

 けれど彼は、何の力も持たぬ非力な神として、村人たちに対して慈悲深く振る舞うことに、自身の存在意義を見いだそうとしているようでした。

 とはいえ、人間達の現実での営みなど当時の私のあずかり知らぬところです。


「妙な男だ」


 それきり黙り込んだ私をよそに、青年はなおもにこにこしながら私の肉球を触っていました。


「まだ飽きないのか?」

「飽きません」


 私はため息をつくと、片手を彼に預けたまま床に伏せました。


 今さら白状しますと、この時の私の嫌々といった様子はすべてです。

 この風変わりな人間に対して、当時の私は素直な感情を表に出す気にはなれませんでした。


 けれど、今まで悪夢の中で一方的に認知してきた『人間』が、直接私に語り掛け、あまつさえこの身体に恐れることなく触れてくるという事実に、私は間違いなく浮かれたような気持ちを味わっていました。

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