第21話 沈黙の人魚姫-2
俺はマイが持ってきてくれた服に着替えた。
ごく普通のシャツと、濃いグレーのスラックス。
ネクタイはないものの、スーツの時とそう変わり映えはしない。夢の中でさえ社畜精神が染みついているようで、少し嫌だった。
「見てください、外の眺めは絶景ですよ」
夢見の弾んだ声に呼ばれて、バルコニーの方に向かう。
そこから見えるのは、何に遮られもしない広い空と、眼下に広がる白い砂浜、地平線まで広がる青い海だった。
太陽の光を浴びて、その景色は眩いばかりに輝いている。
「まるでリゾートじゃねえか。ますます悪夢とは思えねえな」
「まだ油断は禁物です。まずは今回の夢の舞台を把握しなくては。この部屋にいるだけでは、状況がわかりませんしね」
たしかにそれはそうだ。ここがいったいどんな悪夢の中なのか把握するためにも、外に出てみる必要があるだろう。
夢見はドアの傍まで歩いていくと、こちらを振り返った。
「とりあえず」
「なんだ?」
「……ドア、開けてください。私、夢の中では人間の姿になれないんですよね」
夢見は片足を上げて、ピンク色の肉球を俺の方に見せる。
夢そのものを食べられないとなると、バクはとことん無力だった。
部屋の外に出ると、そこには赤いカーペットが敷かれていた。
壁は白く、うっすらとアラベスクの模様が入っている。
どこまでも続いていくような廊下は、人が4人横並びに歩けそうな幅で、海外のリゾートホテルか豪邸か、という具合だった。
「まるでヨーロッパの童話に出てくるお城のようですね」
「……だな」
『強そうだから』という男子小学生みたいな理由でヒョウ柄を好んでいたくせに、随分と乙女な夢だ。
とりあえず、部屋を出て行ってしまったマイを探し、改めて話をする必要がある。
この悪夢の中でのマイの希望――心の奥底で求めているものを、見つけなければならないのだから。
だだっ広い廊下の角を曲がったその時、向かいからロングスカートをはいた女性が歩いてきた。
「ん……?」
マイではない。服装は白と黒に統一されていて、まるでヴィクトリアン朝のメイドのような姿だった。
両手に、布のようなものがたくさん入ったカゴを抱えている。
「あのう、すみません」
夢見が話しかける。豹かライオンか、という図体のでかい獣が口をきいたというのに、女は特に驚いた様子もなく夢見を見下ろし、次に俺を見上げた。
「ああ、あなたはあの子が拾ってきた人……と、猫ね」
……こんなでかい猫(しかも喋る)がいてたまるか。
ともあれ、この夢の中ではそう見えるらしい。前回の夢の中で俺の姿がマイの姿になっていたように、マイが俺たちを見た時点でのなんらかの印象が反映されている可能性もあるのだろう。
この悪夢の中で、実在する人間はマイだけだ。
あとは、マイの想像によって、世界観に合わせて無意識に作られた村人Aのようなものなのだろう。
「『あの子が拾った』とおっしゃいましたが、私たちを助けてくれたのは、やはりマイさんなのですか?」
「そうよ。この城から抜け出そうとするのは、あの子くらいしかいないもの」
「……マイは、ここで暮らしてるのか?」
今度は俺がメイドにそう聞く。
「ええ。廊下の奥の、一番豪華な部屋にいるわ。彼女は魔女様のお気に入りですから」
マイのことを語るその声には、なぜか嫌悪感のようなものが滲んでいた。
だがそれよりも今は、やたらファンタジーなワードが出てきたことが気になる。
「魔女様っていうのは誰のことだ?」
「この城の主ですよ。あなた方も後でご挨拶に行くと良いわ」
そこまで言うと、メイドらしき女は両腕に抱えたカゴを俺たちに見せるように軽く持ち上げた。
「わたし、忙しいんです。お客人には申し訳ありませんが、これで失礼します」
それだけ言って、にこりともせずに俺たちの脇をすり抜けていった。
「……魔女の城、ですか」
「らしいな」
ますますファンタジーの世界だ。
とりあえず、マイの部屋だと教えてもらった廊下の奥の部屋に行き、ノックをしてみた。
「……返事がありませんね」
「いないんじゃねえか?」
試しにドアノブをひねってみると、簡単に開いた。
「おい、マ――」
ドアが開き、部屋の中が見える前に――
俺の顔面に、パイ投げよろしく思い切り皿が投げつけられた。
◆
そう。そうだった。
マイは警戒心の強い人間で、それは当然夢の中のマイにも引き継がれている。
それは確かに考慮すべきだったかもしれない。
でも、だからと言って――
「無言でいきなり皿を投げつけてくることはないだろ!」
俺はふかふかのカーペットが敷かれた床に落ちた皿を拾った。
デザートが載っていたものらしく、べとついたソースからはかすかに苺の香りがする。
幸いデザート本体は全て食べた後だったおかげで、顔面生クリームまみれ、などという事態は避けられたようだった。
「……」
マイは眉を吊り上げて俺のことを見ている。やはり、現実でのことは覚えていないようだった。
その細い手にティーカップが握られていることに気付いて、俺は慌てて口を開いた。
今度は熱い紅茶をぶっかけられることになったらたまらない。
「大丈夫だ! 危害を加えるつもりはない。改めて、礼を言おうと思ってな」
怪訝そうな顔をしながらも、マイはカップから手を離した。
「さっきは答えてくれなかったが、お前が助けてくれたんだろ?」
マイは少し戸惑ったような顔をした後、うなずいた。やはり、気を失う寸前に見た姿はマイだったのだ。
「……もしかして、喋れないのか?」
そう聞くと、マイはまた無言でこくりと頷いた。
「筆談は?」
今度はゆっくりと首を横に振る。
……つまり、言葉を使っての意思の疎通をすること自体ができないか、もしくはする気がないらしい。
「マイ。事情は分かったが、今だけ、少しだけでもいいから声を出してみないか」
この夢の中のマイが持つ、『話せない』という設定自体を揺るがすことが出来れば、おそらくいつもと同じように意思の疎通が図れる。
そうすればこの夢の中においてのマイの希望も見つけやすくなるだろう。
そう思って提案してみたものの、夢見が口を挟んだ。
「ダメですよ。夢の中で自らに課した制限は、そう簡単に解けるものではありません。溺れた夢を見た時だって、夢だと分かっていてもなかなか呼吸できるものではなかったでしょう?」
――そうだった。
「厄介だな、夢ってのは」
「そうですか? 複雑で繊細で、素晴らしいですよ。たとえ”傷んだ悪夢”だとしても、観賞するには充分です」
……こいつもなかなか悪趣味な性格をしている。
あくまでも人間を助けたいのだとは言っているが、苦しんだり悩んだりするさまを美しいだの素晴らしいだの言うのはどうなのだ。
なにはともあれ、言葉を使わずに意思の疎通をする方法を試してみるべきだ。
気を取り直して、うなずくだけで答えられるような質問をマイに投げかけようと思ったその時――
部屋のドアがノックされ、静かに開いた。
中に入ってきたのは、さきほど廊下で出会ったメイドだ。
「お皿を下げに参りました」
さっき嫌悪感を滲ませてマイのことを話していたくせに、今はすっと取り澄ました顔で部屋のテーブルの上を片付けている。
マイはその様子をぼんやりと眺めていた。
「それ、いただきますね」
「あ、ああ……」
言われて初めて、俺は投げつけられた皿を持ったままだということに気付いた。
「なあ、どうしてこの子は喋れないんだ?」
マイ自身と話すことは出来なくとも、マイの夢の登場人物の口から聞くことは出来る。
俺は皿を渡すついでに、小声でそう聞いてみた。
「……この城にいることの条件として、魔女様に声を奪われたからですよ」
◆
結局、それ以上マイとコミュニケーションを取ろうとしても得られる情報はなく、俺たちはマイの部屋を後にした。
この悪夢は、あくまでも穏やかなファンタジーの世界に見える。
けれど出てくるキーワードは物騒だ。
声を奪われたマイ。そして俺たちは、海で溺れているところをそんなマイに助けられた。
ここまで考えて、ある悲劇の物語が頭をかすめる。
「……この夢、『人魚姫』に似てると思わないか?」
「人魚姫、ですか?」
さして童話に興味があるわけでもないが、子供の頃妹が夢中でアニメを見ていたから、そのあらすじはなんとなく頭に入っている。
物語の冒頭は、人間に恋をした人魚姫が海で溺れてしまった王子を助けるところから始まる。
人間の世界に恋い焦がれた人魚姫は、魔女に声を渡すことと引き換えに、人間の足を得て王子と再会するのだ。
しかしその後幸福になるのは一部の人魚姫をアレンジした物語だけで、原作となった童話の結末は悲劇だった。
人魚姫は王子を助けるために死を選び、海の泡となる。
そこそこ成長してから童話集を読んだ妹は、『ハッピーエンドじゃないなんて!』と文句を言ってたっけか。
「なるほど、人魚姫……。知識としては知っていますが、溺れている人間を助け、魔女に声を奪われているというシチュエーションは確かに似ていますね」
……とはいえ、マイの場合は俺たちが来るずっと前からこの城にいた様子だ。
だから厳密には違うのだろうが、マイの頭の中にあった人魚姫の物語が、モチーフとしてこの夢に採用されている可能性は否めない。
「しかしこの状況を見てすぐに人魚姫が出てくるなんて、昭博は物語に詳しいのですね」
「俺だって別に好きなわけじゃない。でも、さっき幸世が人魚姫の絵本読んでただろ。それでなんとなく思い出したんだ」
――それに、マイは幸世に絵本をすすめられた時、人魚姫は苦手だと言っていた。
そこに、なぜマイがこんな悪夢を見ているのかのヒントがあるのかもしれない。
でも、今はそれよりも考えるべきことがある。
「この推測が合っていようとなかろうと、この夢の中にある”希望”は、きっと奪われたマイの声だ」
「そうでしょうね。アイドル歌手であるマイさんにとって、声は大切なものですし」
「いや――そう単純な話じゃないと思う」
以前聞いた仕事の話を思い返す。
マイはあのキャラを辞め、本当に自分が進みたい演技の道に行きたがっていた。
しかしマネージャーの「裕美さん」にはまだ言えていないという。
裕美さんは親代わりのようなもので、現場でのやりとりを見る限り、マイは逆らえない。
その感覚はもしかすると、『声を奪われている』のと同じなんじゃないのか?
「……そうかもしれませんね。本当にやりたいことが明確にあるのにできないということは、十分に絶望の理由になり得ます」
かいつまんでマイから聞いた事情を説明すると、夢見はそう言った。
「ただし”傷んだ悪夢”は、人の心を殺してしまうほどの絶望です。なのでそれだけというのは少し引っかかりますが……とりあえず今回の悪夢においては、昭博が推測した通りかもしれませんね」
そうなると、マイの声を奪った魔女――この城の主は、きっとマネージャーの『裕美さん』だ。
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