第19話 にぎやかなひととき
電車を降り、駅を出て、賑わう大通りをしばらく歩く。信号2つ目の角を右に曲がり、さらに小道に入っていくと、車の音や喧騒が届かない閑静なエリアにたどり着いた。
そのまましばらく歩くと、やがてお昼寝カフェ【BAKU】の看板が見えて来る。
洒落た木製のドアを押し開けて、俺とマイは店内へと入った。
「こんにちはー!」
マイの元気な挨拶に続いて、俺はどう言うべきかしばし迷った。
今や半分以上ここに住んでいるようなものだから、『ただいま』とでも言うのが正しいのかもしれない。
暖色系の明かりで満たされた店内に、他の客の姿はなかった。まあ、そもそも客が入っていること自体珍しいのだが。
立地はこんなに良いのにな。
一度なぜなのか夢見に聞いてみたところ、「そう殺到されても食べきれませんから」と返された。
どうやら宣伝などはしていないらしい。
確かに、マイのような緊急の客にいつでも対応できるようにするには、あまり繁盛しても困るのだろう。
眠りについて困っている客が、自ら探して初めてたどり着けるような、ちょうどいい塩梅に保つ必要があるのかもしれない。
カウンターの中から、コーヒー豆の深く芳醇な香りが漂ってくる。
夢見はミルを挽く手を止め、顔を上げてドアの前の俺たちを見た。
「ああ、マイさんいらっしゃいませ。昭博はおかえりなさい」
投げかけられた夢見の言葉に、マイはきょとんとした顔で俺の方を見上げた。
「……『おかえりなさい』って?」
「理由あってしばらくここに住んでるんだ」
「えっ、そうだったの? どんな理由?」
気軽にサクっと切り込んで来たな。
「昭博には、住み込みで少しだけ業務のお手伝いをしてもらってるんです。ここの2階の部屋をお貸ししてるんですよ」
夢見がそう助け船を出す。
初めはてっきり客が昼寝する用のあの部屋を貸してもらえるのかと思っていたが、ちょうどひとつ空き部屋があるからと言って2階を貸してもらうことになった。
俺がいる間だけ、客用のウォーターベッドのうちのひとつを2階の宛がわれた部屋に置いてもらっている。
ちなみに隣には夢見の小さな書斎があって、一度見せてもらったところ古今東西の本がジャンル問わず詰め込まれていた。
夢見は人間の考えていること全般に興味があるらしく、心理学系の本は特に冊数が多い。サンプルのひとつにされているようで、少しの居心地の悪さを感じた。
とはいえ、約束通り俺のやたら疲れる明晰夢を食べてくれているようで、体調はすこぶるいい。
「ふーん、そうなんだ。カフェで暮らしてるなんておしゃれだね」
2階に続く階段をマイが覗き込んでいると、奥にあるソファー席から舌足らずな幼い声が聞こえてきた。
「さっきからうるさいわ、そこの人間ども」
見ると、幸世が絵本らしきものを拡げ、迷惑そうにこちらを見上げている。
どうやら読書の邪魔をしてしまったらしい。
「幸世さん、お客さんにそういうことを言ってはいけませんよ」
「いいんです。少なくともこの人間達と仲良くする気はありませんから」
……200年以上生きた座敷童だかなんだか知らないが、相変わらずの生意気な幼女だった。夢見には敬語を使っているところを見ると、一応彼女なりの序列によって言葉を使い分けているらしい。
マイは、ふむ、と何か考えるように顎に手をやった。
「えーと。幸世ちゃん、だっけ?」
「……なに?」
カツカツとヒールを鳴らしながら、マイ幸世の目の前まで歩み寄る。
なんだなんだ? さすがの生意気ぶりに怒るのか?
幸世は警戒を強めた眼差しでマイを見上げた。
俺が息をつめて二人のやりとりを見つめていると――マイは、急に相好を崩した。
「幸世ちゃん、生意気で可愛いね」
「!?」
そしておもむろに幸世の頭に手を乗せ、わっしゃわっしゃと撫で始める。
「ちょっ……急になんなの!?」
「よしよししてるだけだよ。よーしよしよし!」
「なっ……!?」
「前にここに来た時、詐欺と間違えて夢見さんに怒鳴っちゃったから、怖がらせちゃったんじゃないかって心配だったんだよね。威嚇しなくても大丈夫だよー」
「こ、怖がってなんてないわよ!」
幸世はまるで子犬をなだめるような扱いに狼狽し、頭を振る。
しかしそんな振る舞いがさらに幸世の幼さを引き立たせ、マイに対する威嚇にはならなかったようだった。
「嫌だった? ダメ?」
「…………」
少ししゅんとしたようなマイの言葉に、幸世はぐっと黙り込むと、やがてその頬を桜色に染めた。
「べ……別に、撫でたいなら撫でれば? 許してあげる」
「あはは、ありがと!」
…………。なんだその意外な反応は。
「ツンデレかよ」
思ったことがそのまま口から飛び出した瞬間、幸世は怨霊のようにうらめしそうな目つきで、乱れに乱れた黒髪の間から俺をにらんだ。
「お前のことは許さないし祟るわ」
「何もしてねえだろ!」
すさまじい飛び火の仕方だった。
BAKUで暮らすようになってから幸世と話すことも多いが、いまだに俺には心を開いてくれないのだった。
そこまで嫌われるようなことをした覚えもないので、やや寂しい。
まあ、夢見曰く200年以上生きてるというこのちびっ子おばあちゃんに好かれるようなことをした覚えもまたないので、仕方がないのかもしれない。
……ちびっ子おばあちゃん。いいなこの呼び方。
何かあったら心の中でこう呼んで憂さを晴らすことにしよう。
「ところで幸世ちゃん、なに読んでたの?」
「……絵本」
「新しく店内に何冊か本を置くことにしたんですよ。ほら、本を読んでると眠くなってくる人もいるでしょう?」
カウンターの向こうで片づけをしながら、夢見が言う。
「人魚姫よ。お前も読む?」
幸世はパタンと本を閉じて、マイに差し出した。
いやいや、頭を撫でられただけで心を許しすぎだろ。
……とは思うが、祟られたくないので黙っておく。
「……あたしはいいや。人魚姫は、ちょっと苦手で」
「ふうん、そう……。意外ね、人間の女は好きそうなのに」
幸世は気のない相槌を打つと、また絵本を膝の上に広げて読み始めた。
「では、今日は何時間のご利用ですか?」
ちょうどいいタイミングで洗い物を終えたらしく、カウンターの向こうから夢見が手を拭きながら出てきた。
「うーん……12時くらいまで仮眠してもいい?」
「……そんな遅くなると、終電間に合わなくなるんじゃないのか?」
思わず口を挟むと、マイは首を横に振った。
「タクシー呼ぶから大丈夫。それに明日は朝の番組に出るから、3時には出発しないといけないしね」
さすが芸能人。ハードスケジュールだ。
「それでは、目覚ましは12時にセットしておきますね。どうぞ」
「ありがと。……あ、そうだ」
夢見からデバイスを受け取ったところで、マイはやっと片手に下げていたケーキの箱を思い出したようだ。
「これ、お土産のケーキ。最近話題のお店なんだけど……でも、考えてみればここのメニューにもケーキがあったよね。余計なお世話だったらごめんなさい」
「いえいえ! 他店の味を知るのも仕事のうちですし、にんげ――ではなくて、女性に人気のお店を教えてくださるのは助かります」
「あは、それならよかった。この間のお詫びもかねて、どうぞ」
「ありがとうございます」
夢見は嬉しそうに笑顔を浮かべて、マイからもらった箱を冷蔵庫にしまった。
そしてカウンターの奥へと向かうと、何かを思いついたように俺に向かって手招きをする。
「昭博。ちょっといいですか?」
「なんだよ」
俺は幸世に向かって「幸世ちゃんも後で食べてねー」などと話しかけているマイをしり目に、カウンターの中に入った。
夢見はフロアの二人に背中を向けると、向こうに聞こえないよう声を潜める。
「……ふふ。私、人間にプレゼントもらったの初めてなんです。防腐処理について教えてください」
「食え。永久保存しようとすんな」
好青年然とした爽やかな見た目にそぐわぬ、気色の悪い発想だった。
「ええっ、だって、食べたらなくなっちゃうじゃないですか。もったいないです」
「好物を前にぶりっ子する女子か、お前は」
……ぶりっ子ってもしかしたら死語かもしれない。
言った直後そんなことに気付いてしまい、密かに悲しくなっていると、マイがベッドルームへのドアを開く音が聞こえてきた。
「それじゃ、ベッドルーム使わせてもらいますね。おやすみなさい!」
「ええ。よい夢を」
夢見に見送られ、マイは笑顔でドアを閉めた。
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