第18話 秘密のデート?
アイドルに悩みがないという思い込みは、先日否定されたばかりだ。
だが、アイドルは我がままであるということは、思い込みではなく事実だったらしい。
ショートパンツにヒョウ柄ジャケット、というプライベート仕様のマイは、向かいの席に座って長い足を組んだ。
「いやー、助かったよ。急に休みになったから息抜きしたかったんだけど、一人でいるとすぐバレちゃいそうで」
「それはあれか? 俺が君のアイドルオーラを消し去るほどの庶民オーラを出してるってことか?」
「うん、そうそう。意外と普通の人と一緒にいると気づかれないもんなんだよね」
悪びれもせずに言って、マイはチョコレートでコーティングされたケーキを一口食べた。
「うーん、美味しい!」
「……そりゃよかったな」
どこか攻撃的な格好をしていても、楽しそうな笑顔は明るくあどけない。その表情は、テレビで見るアイドルとしてのものと変わりなかった。
もしかしたら、この服装はマイにとっての鎧のようなものなのかもしれないと、ふとそんな考えがよぎる。
繊細で傷つきやすい内面を守るための、獣の毛皮。
……まあ、ただの妄想だ。
――数時間前、偶然道で出会った後。
俺は荷物持ちとしてショッピングモールでの買い物に付き合わされ、今はこうして女性客ばかりのパティスリーで一休みしていた。
人の多い店にアイドルと一緒に入るなんて御免だと断固として抗ったものの、妙な強引さで連れてこられてしまった。しかし、周囲にばれた様子はない。
おそらく、マイが小声で店員になにやら伝え、他の客の視界に入らないような奥の席に案内してもらったおかげだろう。マイがテレビに出る時と違う格好をしていて、声のトーンや喋り方も違うという点も、おそらく周囲に気づかれない要因になっている。
決して俺の庶民オーラがすごいわけではない。多分。
ソファ席の横に置いた荷物が俺の方に倒れそうになって、やんわりと手で押し戻す。
中に入っているのは、似合っているか散々聞かれたワンピースだ。ちなみに、これにも襟元と袖にヒョウ柄があしらわれている。
ヒョウ柄に対するこの執着、もしかしたらこの子の前世は大阪のおばちゃんだったのかもしれない。
「ヒョウ柄好きなのか?」
なんとなく聞いたら、当たり前のようにこんな答えが返ってきた。
「うん、だって強そうじゃん」
「小学生男子かよ!」
「強いものに憧れるのは男子だけじゃないんです~。いいでしょ? かっこいいものが好きでも」
マイは拗ねたように言って、また一口チョコレートケーキを頬張る。
フォークを口に入れた途端、にへ、と顔が綻んで、不機嫌そうな表情は一秒ももたなかった。
チョコレートソースにはわずかにブランデーが混ぜてあるらしく、ほのかにアルコールの香りが漂ってきた。
ふと周りを見ると、もうそろそろ夕飯時だというのに、他のテーブルも、この店の人気メニューだというチョコレートケーキをつついている。
俺はといえば、一杯のコーヒーを注文し、ちびちび飲んでいた。
……正直、俺もケーキを頼もうとしたのだ。が。しかし。
注文する直前になって妙な意地を発揮した俺は、気付けば「本日のコーヒー」を砂糖なしで頼んでいた。
怖いものが苦手なことと、甘い物が好きなことは、なんとなく人に隠しておきたくなるものだ。特に、異性相手だと。
しかし俺の視線は正直にもケーキに釘付けになっていたらしい。
「あれ。もしかしてケーキ食べたいの?」
「……い、いや別に。甘そうだなと思って見てただけで」
「あげよっか」
「えっ」
マイはフォークでケーキを一口サイズに切り分けると、俺の口元に持ってきた。
「はい、あーん」
「は……!?」
なんだこの唐突なシチュエーションは!? 何の罠だ……!?
甘い香りが鼻先をくすぐる。
差し出されたフォークを前に思わず固まっていると、マイが腹を抱えて笑い出した。
「あっははは! そんなびっくりすることある?」
フォークを引っ込めて、ひーひー言っている。
そのうちフォークの先のケーキが落ちてしまいそうになって、マイは慌てて皿の上にフォークを戻し、さらに笑った。
「……今日はやたら元気だな……」
「あはっ、だって楽しくってさ」
マイは笑いすぎて浮かんだ目じりの涙を拭って、はぁ、と一息ついた。
「別に楽しかないだろ。知り合ったばかりのリーマンとカフェに入ったって。もっとこう、キラキラした仕事仲間とかと来た方がよかったんじゃないか?」
「ううん。……だって、基本的に他の子と遊ぶ時は、仕事用の『マイ』じゃないといけないもん。疲れるんだよね」
「プライベートでもあのキャラなのか?」
「うん。だって、バラエティにもあのキャラで出てるんだよ? 素は全然違うって知られたら、トークの時に支障が出るかもしれないじゃん。相手もやりにくくなるかもしれないし」
マイは至極真面目なことを言って、ケーキと一緒に注文したハニーラテのカップを傾けた。
……なんか、こういうところ、意外とプロ意識があるんだよな。
今は望んでいないキャラとはいえ、芸能関係の仕事自体はこだわりを持ってやっているというのも本当なのだろう。
俺にはたまたま素を見られてしまったから、遠慮なく気楽に喋ることができる、ということか。
「そういえば、この間は大丈夫だったのか? マネージャーに怒られてただろ」
「あ、見られてたんだ」
何でもないことのように言って、マイはもう一口ケーキを食べた。
「別に、いつものことだよ。裕美さん最近ピリピリしてるからさぁ。まあ、顔は商売道具だからやめて欲しいんだけどね」
「いつものことって――」
「大丈夫だよ。裕美さんは、あたしのことが憎くて言ってるわけじゃないから」
「……そうか」
マイは傷ついた様子もなく、いたってけろっとしている。
『裕美さん』と、それなりの信頼関係があるということだろうか。
そりゃそうだよな。母親代わりみたいなもんって言ってたし。
知り合ったばかりの俺が心配するようなことでもなかったのかもしれない。
「その裕美さんには、これからのこととか相談してるのか? ほら、あのキャラはそろそろやめるって言ってただろ」
「んー……」
マイは言葉を濁すと、カップの持ち手を指でなぞった。
「今後について相談したいとは、言ったけど……まだ、言えてない。なかなかタイミングが合わなくて」
どこか取り繕うようなその表情から、マイにとってあの決意を口にするのは困難なことなのだということが伝わってきた。
「そっか。……まあその、頑張れ。色々大変だろうけど」
「うん……。ありがと」
ここまで有名になってしまったからには、マイ自身の気持ちだけでどうにかできることじゃないはずだ。
華やかな仕事に見えても、そこに自由はなく、そのぶん苦労も多いのだろう。
ましてや、あの厳しそうなマネージャーが、マイの方向転換にすぐに許可を出すとも思えない。
「……なんか不思議だな。会ったばかりの人に、こんなに色々話せるなんて」
「え?」
唐突な言葉に聞き返すと、マイは少し照れたように笑った。
「こんなこと言うのも変だけどさ、なんか昭博と話してると、『今更意地張ってもムダ』っていう気がするんだよね。もうみっともないところを見られてるから、気にする必要なんてない、みたいな……」
――それはもしかして、悪夢の中でのことを言っているのだろうか。
思わずぎくりとして、コーヒーを飲もうとした手が止まる。
マイに悪夢の記憶はないように見えるが、無意識下ではきちんと内容も含めて覚えているのかもしれない。
「このあいだ現場まで送ってもらった時も、急に悩み相談なんてしちゃってごめんね」
「いや、別に……。俺も、マイ……じゃなくて、君と同じくらいの妹がいるから。なんとなく他人事だと思えないっていうか」
それもまた事実だ。
もし俺の妹が芸能界に入って、マネージャーにビンタをされていたら、過保護な親よろしくしゃしゃり出てしまう自信がある。
まあ、もしそんなことをすればしばらく口を利いてもらえなくなるのは分かっているから、しないけど。
いやそもそも、芸能界に入るなんて言い出したら兄ちゃんは反対するけどな!
「ふうん、お兄ちゃんなんだ。いいな。あたし、一人っ子だから憧れる」
「年が離れてるから、一般的な兄妹って感じでもないぞ」
8つ離れていれば、兄妹喧嘩もないし、逆に一緒になって駆けまわって遊ぶようなことも少ない。
「……それでも、あたしは羨ましいよ。ひとりじゃないってだけで」
一瞬、マイの表情が悲しそうに翳りを帯びる。
……そういえば、特殊な家庭だったって言ってたっけか。
以前そう言っていたことを思い出し、何か言葉をかけようとすると、マイは沈みかけた空気を変えるようにぱっと笑顔を浮かべた。
「あ、そうだ。コーヒー飲み終わったならBAKUに行こうよ」
「え、今日予約してたのか?」
「ううん。スケジュール変更で急に休みになったから。でも、まだ営業時間中でしょ?」
「たぶんな」
いつ行っても客はいないし、おそらく突然行ってもなんの問題もないだろう。
マイがケーキを食べ終わり、カップに残ったコーヒーも飲み干すと、俺たちは席を立って会計を済ませた。
店を出ようとしたところで、マイは立ち止まり、レジ近くのショーウィンドウを覗き込む。
「お土産買っていこうかな」
「お土産?」
「あそこの店長……えっと、夢見さんだっけ。この間は迷惑かけちゃったし。あと、小さい女の子がいつも手伝ってるよね」
マイはそう言いながら、ケーキを2つ選んだ。
さっきまで食べていたチョコレートケーキと、蜂蜜で煮詰めた林檎がたっぷり入ったパイをひとつずつ。
……俺は思わず鳴ってしまいそうな腹をそっと押さえた。
後で、カフェメニューの余りがあったらもらうことにしよう。
「これで良し、っと。じゃあ行こ!」
店を出て、再び寒空の下を歩きだす。
澄んだ冬の空気のおかげか、星も三日月も、夜空にくっきりとその姿を現していた。
もう俺が逃げる心配もないと思ったのか、マイはさっきのように腕を組まず、すぐ隣を歩く。
テレビで見るのとは違う服装に身を包み、ツインテールを下ろしたマイは、スタイルの良さに振り返られることはあれど、あのマイマイだと気づかれる心配はなさそうだった。
駅前の大通りに出たその瞬間――急に、マイが後ろを振り返った。
「どうした?」
「……ううん。ごめん、気のせいだったみたい」
そう言って再び歩き出してからも、マイの表情はどこか固い。
「なにか気になる店でも見つけたのか?」
「……最近一人でいると、誰かにつけられてるような気がするんだよね」
ぽつりと零された言葉に、俺はぎょっとした。
「それってもしかして、ストーカーとか?」
「分からない。でも、家までついてこられたとか、そういうのじゃないの。ふと視線を感じて振り返るようなことが多いっていうか……。ねえ、幽霊だったらどうしよう」
「ゆ、幽霊……?」
思わずこわばった声で聞き返すと、マイはぱっと笑顔になった。
「あはっ、やだ冗談だよ! ホントにいたら面白いけどね」
「……どこからが冗談なんだ?」
「幽霊ってとこから。視線を感じるのはホント。気のせいだと思うんだけどね」
この場合、幽霊よりも現実の人間だった場合の方が恐怖だ。
アイドルのストーカーなんて、しゃれにならん。
「呑気な冗談言ってる場合じゃないだろ。マネージャーには相談したのか?」
「……ううん。だって何かあったわけじゃないんだよ? 裕美さんに心配かけたくないし」
意外と一人でため込むタイプらしい。
「でもな――」
「あ、もしかしたらパパラッチかもね。どうする? 『人気アイドル愛沢マイ、秘密のデート相手は一般人のサラリーマン!?』なんて見出しで書かれちゃったら」
「絶対に嫌だ。巻き込むな。もうちょっと離れるぞ」
「えー。風よけにしてたのに」
そんなくだらないことを話しているうちに、やがて駅に着いてしまった。
地下鉄で5分ちょっと揺られた先にあるBAKUへと向かう。
……さっきまでの話を蒸し返すようなタイミングもなく、誰かに後を付けられている気がするという話は、有耶無耶になってしまった。
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