番外編

寒い夜には…… 前編


 ――なぜか室内に吹雪が降っていた。

 ここは仕事した後に帰って寝るだけの場所。つまり俺のマンションだ。

 あったはずの数少ない家具さえも取っ払われて、むき出しの床には絨毯の代わりに白い雪が敷き詰められている。

 そしてその雪の上には、獣の姿をした夢見が、まるで行き倒れたように横たわっていた。

「この寒さ、死ぬかもしれません」

 毛並みは小刻みに震え、青みががかった目は伏せられて、これ見よがしに儚げな表情を作っていた。

 なんだ夢か。ほぼ毎晩明晰夢を見ることがお決まりになっていた俺は、すぐにそう認識した。

 現実の俺はきっと、【BAKU】の2階にあるウォーターベッドの上でぐっすり眠っているのだろう。

 そして夢見は、なぜか俺の悪夢を食うこともせずに、雪の上で行き倒れている。

「死ぬかもしれません」

 弱った獣がそう繰り返す。放っておけばこのまま降り積もる雪に同化してしまいそうだ。

「改めて聞くが、そんなに貧弱なくせにどうやって今まで人間の夢の中で生き延びてきたんだ……?」

「そんなことはどうでもいいではありませんか。死に瀕した私に向かってその態度、少々冷たいのではありませんか? 人間は仲間意識が強い生き物だと思っていたのですが」


 尻尾が不満げに雪の上に打ち付けられる。

 全然元気じゃねえか。


「痛んだ悪夢じゃなければ食えるだろ、お前」

「そうなんですけどね」


 夢見は『よっこいしょ』などとじじくさい掛け声とともに起き上がった。

 いや本当に全然元気じゃねえか。


「あなたも他人の夢に入り慣れてきた頃合いですから、自分の夢をコントロールすることを試みてもいいのではないかと思いまして」

「夢をコントロールってどういうことだ?」

「マイさんの夢の中に入った時に、盾……もとい、鍋のフタを具現化させていましたよね? あの要領です。天候を操るのはハードルが高そうですが、寒さをしのぐという発想なら何か出来ることがあるのでは?」


 なるほど。

 たしかにあの時と同じようになにか対策が打てるかもしれない。

 とにかく今すぐこの寒さをどうにかしたいところだ。

 暖かい場所に行く?

 いや、瞬間移動なんてそれこそ非現実的だ。リアルに想像することは難しい。

 それなら――


「こたつ」


 俺のつぶやきと同時に、部屋の中央にこたつが現れた。

 その瞬間、夢見の瞳が輝く。


「これは……噂に聞く魔の暖房器具ですね!」


 白い獣はこたつに走り寄ると、警戒するようにその周りをゆっくり歩き始めた。


「なんでも、一度入れば出られなくなるとか……。人間は恐ろしいものを作り出しますね。敵を捕獲するための罠でしょうか。きっと出られなくなったところをまとめて一網打尽にするのですね」

「どんな恐ろしい暖房器具だよ」


 ごくりと生唾を飲んでいる夢見をしり目に、こたつに入る。

 ぬくい。

 俺が落ち着くのを観察してから、夢見もそろそろとこたつに入り、顔だけ出した。


「暖かいですね……」

「だろ? 寒いときはやっぱりこれだよな」


 相変わらず頭に降ってくる雪は冷たいが、こたつの下に敷き詰められていた雪はどういうわけかほんのり温かく、いつの間にか本物の絨毯のようになっていた。

 夢と言うのは妙なところで都合がよくできている。


「こんな幸せなものがあるのなら、お客様にもぜひおすそ分けしなくてはなりませんね」

「【BAKU】に置けばいいんじゃないか?」

「……」


 夢見が無言になった。

 もしかしたら眠いのかもしれない。

 夢の中で眠いなんて妙な話だが、夢見にとってここは現実だ。

 こたつなんてものに生まれて初めて触れてしまったからには、強烈な睡魔に襲われてそのまま意識を失ってもおかしくない。

 ……やっぱりこたつって恐ろしい暖房器具だな。


 そんなことを考えていると――


「さむっ! なにここ」


 ふいに聞こえた声に振り向くと、そこには寒そうに自分の身体をかき抱くマイの姿があった。


「マイ!? どうしてここに……」

「昭博が自室に入った直後、マイさんがご来店されたんですよ。ちょうどよくマイさんもすでに眠っていらっしゃったので、特別なルートからお招きしました」


 こいつ、今の沈黙はお招きしてる間だったのか!?


「どこ? ここ。変なの。部屋の中なのに雪が降ってるなんて……」

「夢の中ですよ」


 こたつに入ったままの夢見がしらっとそう答える。

 

「……なんだ。夢の中かぁ」

「納得するのかよ」

「だって動物が喋るわけないでしょ」


 マイが当然のように言う。

 そうだった、この子は意外とリアリストなんだった。

 彼女の中で、夢の中だと納得する方が理論的だと判断されたのだろう。


「そういえばさっきからおこたに入ってるじゃん。私も入ろ」

「どうぞマイさん、私の隣が空いてますよ」

「っ…………」


 マイが白い獣を凝視する。


「なんでしょうか」

「そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ。肉食じゃないから」


 口々に言う俺たちに、マイは首を横に振った。


「ううん、別に食べられるのを心配してるわけじゃなくて……」


 しばし逡巡するような間。

 けれどその後、マイは堪え兼ねたように夢見に詰め寄った。


「あのっ、触っていい? 抱きしめてもいい? もふもふさせて!」

「そんなことでしたか。どうぞどうぞ。遠慮なさらず」


 マイはさっそく夢見の毛並みを抱きしめ、嬉しそうに歓声を上げる。

 夢見は微動だにしていないものの、機嫌よさそうに尻尾を揺らしていた。

 ……マイ。そいつ、いつもカウンターの中でコーヒー淹れてるあの優男だぞ。

 そうツッコミたい気持ちをぐっとこらえていると、夢見がちらりとこちらを見る。

 

「昭博もどうぞ。そんなに触りたいのでしたら」

「羨ましがってたわけじゃねえよ!」


 不本意な容疑をかけられた気分だった。


「はあ~。おこたあるし、大きなぬいぐるみみたいな子がいるし、いいなぁこの夢」


 マイは早くも順応したようで、こたつのテーブルに頬をくっつけて溶けていた。


「この適応力……。”痛んだ悪夢”の駆除はマイの方が適任なんじゃないか? 夢だって言われてすぐ納得したみてえだし」

「難しいですね。マイさんはこう見えてリアリストなので、きっと夢の中とはいえ非常事態には冷静さを保てません。それに『他人の夢の中に入っている』という状態も事実として認識できないでしょう」

 

 夢見とひそひそそんな会話を交わしていると――さく、と雪を踏む小さな音が背後から聞こえた。


「相変わらず騒がしくしているようね、お前たち」


 舌ったらずな幼い声。切り揃えられた黒髪。

 可憐な容姿とは裏腹の蓮っ葉な言葉を吐いて、幼女が俺たちを見下ろしていた。

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