第14話 誰にも言えない悩みごと
……そういや俺も仕事中だったな。
車の外を流れていく景色を見ながら、今更そんなことを思い出した。
幸い、先方にアポイントメントを取っているわけでもない。
少し長めの昼休みとでも思っておけば大丈夫だろう。きっと。
「ねえ」
後部座席のマイが、唐突に訝しげな声を出した。バックミラー越しに視線が合う。
「あんた、名前は? サラリーマンなの?」
「……遠原昭博。営業ですけど」
ハンドルを握りながら、俺は短くそう答えた。
「あたしのこと、知ってる?」
「……愛沢マイ。売れっ子アイドル。テレビでのキャラは、ド天然の不思議系おバカキャラ」
「なんだ、知ってるんだ。あまりにも普通に接してくるから、知らないのかと思った」
「こう言っちゃ悪いが、最近はテレビもあまり見ないし、アイドルに興味もないんだ」
思えば学生の頃から芸能人への興味は薄かった。
それに芸能人だって人間だ。
一方的にお茶の間に顔を知られているからと言って、見知らぬ相手に慣れ慣れしくされたり、逆に崇めるように接せられるのも嫌だろう。
……まあ、マイの場合は、本性を先に知ってしまったせいで『可愛い』を味わう暇がなかったせいもあるが。
こんなに年下の女の子相手に何言ってるんだと思われるかもしれないが、初対面時に思いっきりメンチ切られたことや、悪夢の中での出来事を思い出すと、普通に怖い。
「ふーん、そっか。あたしのこと、トクベツだって思わないんだね」
そう相槌を打ったマイの声は、なぜか嬉しそうに弾んでいた。
「ねえ、昭博って呼んでいい? あたしのこともマイって呼んでいいよ」
「……そりゃどうも」
最近知り合う連中は揃いも揃って距離感がおかしい。
まあ、別にいいけど。
歳の離れた妹がいるせいか、タメ口を叩かれるのも特に気にならなかった。
「それにしても、テレビとはずいぶんキャラが違うんだな」
「当然でしょ。あれは商品としての『愛沢マイ』。あたしとは別物だから」
思いのほかさっぱりとした口調で返ってきた。
やっぱり、本人はあのキャラを自分とは切り離されたものとして見てるのか……。
悪夢の中での出来事が頭に蘇る。
この先は安易に他人が踏み込んではいけないことなのかもしれないが、どうしても気になった。
「あー……そういうの、当たり前なのか? 芸能界って」
あくまでもさりげない風を装って聞いてみる。
マイは『うーん……』と逡巡するように小さくうなった後、窓の外を見ながら唇を開いた。
「……あたしさ、初めはああいうキャラ付けしてなかったんだよね。小学生の頃からずっと読者モデルやったりエキストラやったりで、芸能界にはいたんだけど。でも全ッ然芽が出なくて。でもね、そんなとき、裕美さんがあたしの所属事務所に入ってきたの」
「裕美さん?」
「あたしの今のマネージャー。
うちちょっと特殊な家庭でさ、中学生の頃からずっと面倒見てもらってるから、あたしのもう一人のお母さんって感じなんだよね。まだ若い人だから、こう言うのも失礼なのかもしれないけど。
……まあとにかく、その裕美さんは、あたしがもっと活躍できるように、一緒にキャラを考えてくれたんだ」
昔を懐かしむように、マイが目を細めて言う。
「それで出来上がったのが『マイマイ』?」
「そう。『みんなぁ、あたしと一緒に、お星さまよりも輝いてー!』……ってね」
素の状態でその台詞を言うのは恥ずかしいらしく、マイはへへへ、と笑った。
うん。こういうときは、たしかに可愛い。
「そのあたりから、読者モデルとして人気が出て、バラエティにも出始めて……
最初は楽しかったよ。あたし、演劇やりたくて芸能界入ったようなもんだったから、『愛沢マイ』っていう役をもらった気分だった」
「……アイドル志望じゃなかったのか?」
「本当はね。バラエティでの露出増やしていって、ドラマや舞台の方に行ければいいなって思ってたんだけど、アイドルとしてCDデビューしないかっていう話の方が先に来ちゃって。アイドルもやってるうちに楽しくなってきたから、いいんだけど……」
それきり、マイは黙ってしまった。
信号が赤になり、ゆっくりとブレーキを踏む。
バックミラー越しに見たマイの表情は、いつのまにか翳りを帯びていた。
「……どうかしたのか?」
「……ねえ。今から話すこと、絶対に誰にも言わないでくれる? ここだけの話にしといて」
「お、おう」
声音からなんとなく不穏な気配を感じながら、俺は頷く。
けれどマイは湿っぽい空気を吹き飛ばすように明るい声を出した。
「あたし、あのキャラもう嫌なんだよねー!」
……来た。やっぱりそうなのか。
「年齢ももう今年で20になるし、色々キツいっていうか。それにさ、あたしこの通り素は全然違うから、お客さん騙してるみたいな気分になっちゃって」
さっぱりとした、明るい口調。けれどその分だけ、問題の根深さが伺えた。
「……客を騙してる気分になるってのは、ちょっとわかるな。仕事柄」
「あ、やっぱ営業ってそういう面あるんだ」
「人によるけどな。俺は、正直自社製品をあんまり良いと思ってないから」
ぶっちゃけてもらったぶん、俺も少しだけぶっちゃけてみる。
「ふーん。たしかに、あんた意外と裏表なさそうだし、営業向いてなさそう」
マイはそう言って楽しそうに笑った。意外とよく笑うタイプらしい。
「とにかく、あたしはそろそろあのキャラ付け止めたいんだけど……この知名度じゃそうもいかなくて。
一度だけキャラを忘れて、本当にしたいと思える仕事が出来たことがあったんだけど、それ以来めっきり」
……ん?
「それって……あの、商店街のドラマか? 愛沢さ……えっと、マイは本屋の娘役だったよな」
「そう! あのお仕事、すっごく楽しかったの! 原作の小説も大好きで」
マイの声がぱっと華やぐ。
信号が青に変わり、走り出した車の中で、マイの口調も楽しそうに加速した。
「実はね、本当は違う役でゲスト出演する予定だったんだ。商店街をアピールする、地元の無名アイドルって役で。
でも、メインキャストの子……本屋の娘役の子が病気で降板しちゃって。それを知って、代わりを探すなら私にやらせてくださいって、監督に直接頼み込んだ結果なんだ」
「へえ、そんなこともあるのか……」
「普通はないよ! でも監督が面白がってくれて。毎日毎日台本読んで、遅くまで練習して……すごく、楽しかった」
声音から、マイがどれほどその仕事を望んでいたのかが如実に伝わってきた。
「それじゃあ、その後もそういう仕事続ければよかったんじゃないのか?」
純粋な疑問を口にしてみると、後部座席からふっと小さく笑う吐息が聞こえた。
今まで時折聞こえてきた屈託のない笑い声ではない。まるで、自嘲するような笑みだった。
「次のオファーには繋がらなかったの。やっぱり、あたしに似合ってない役だったってさ。ファンの人たちからの、『役が地味すぎ、マイマイの魅力を引き出せてない』なんていうメールがドラマの公式ホームページからいっぱい届いちゃって。
やっぱり、アイドルはイメージ商売だから。合わないって判断されたら駄目なんだよね。
……まあ、『意外な一面』っていう風に演出できなかったあたしにも問題があるんだけど」
全然違う役が演じられるから楽しいのであって、『愛沢マイ』のままドラマに出ることを要求されるのは違うでしょ、とマイが続ける。
「だからいつの間にか、あたしはあの『愛沢マイ』を憎むようになってた。自分が出た番組の録画したやつとか見てるとさ、馬鹿なこと言って能天気に笑う『愛沢マイ』にイライラするの。変だよね。自分自身なのに」
「そうなのか……」
おそらくその結果が、あの急所を刺されたマネキンの山だったのだろう。
「そんなことばっか考えてたら、自己嫌悪ですごく辛くなっちゃって。でもこんなこと誰にも相談できないし、寂しくて、悲しかった」
『この世に嫌な人なんていない。いるのは寂しい人と、悲しい人だけ』
……俺が悪夢の中でとっさに口にしたあのセリフは、マイのドラマへの思い入れと、孤独な悩みを同時に刺激するものだったのだと、この時やっとわかった。
「ずーっとそんな気持ち抱えながら仕事してたからか、2か月くらい前からずっと体調悪くてさ。病院に行ってもなんともないし、マネージャーはピリピリし始めるし、仕事にまで影響出ちゃうし……
そんなこんなでもう全部嫌になってたんだけど、さっき目が覚めたら、なんだかすごくすっきりしてたんだよね。なんでだろ?」
「さ、さあ……? なんでだろうな。ウォーターベッド様様なんじゃね?」
警戒心の強いこの子に悪夢がどうたらという怪しいことを教えてしまったら、おそらくもう二度と心を開いてくれないだろう。そんな予感がした。
「そっかー! ウォーターベッドってすごいね。あたしやっぱちゃんと眠れてなかったのかな。店長さんに勧められた通り、しばらく通って、体調整えよう」
マイは思いのほか素直に納得してくれた。精神構造が複雑なのか単純なのかわからない子だった。
「えーと……じゃあ、これからもあのキャラでやってくのか?」
「……ううん。あたし決めたの。あの『愛沢マイ』とはちゃんとお別れするって」
「お別れ?」
「うん。やっぱり、ずっとあのキャラを通すのは辛いから。……でも、憎むのは止めにした。あたし、あのキャラにすごく助けてもらったから。裕美さんと一生懸命考えたものだし、あの『愛沢マイ』だからこそ愛してくれた人もたくさんいる。だから、きちんと感謝を込めて、いい形でさよなら出来たらいいなって思ったの」
「……そっか」
吹っ切れたようなその様子に、俺は安堵してうなずいた。
第三者として無責任に願うなら、ナイフを振りかぶるような形じゃなくて、頑張ってきた自分の過去を認めてやってほしい。
マイは変わろうとしている。こうして先のことを語る姿には、希望しか見えない。
――だが、夢見はまだ終わっていないと言っていた。
マイは今も何かに絶望し、それを養分として膨れ上がった『傷んだ悪夢』に、現在進行形で食われているということだ。
……やっぱり、人の心なんてわかんねぇな。
信号を曲がり、駅前広場の近くに到着する。遠目にもスタッフが集まっているのが分かった。通行規制をされているのか、人通りはあまりない。
「ここでいいよ。あんまり近づくと気づかれちゃうから。……助けてくれた上に、あたしの決意表明まで聞いてくれてありがと。あんた、いい人だね」
「あ……いや、別に」
こんなに真っすぐに礼を言われるとは思っていなかった。
まぶしい笑顔に、俺は思わずぎこちなく応えた。
「ねえ、さっきのあの店で副業でもしてるの? 店員さんと親しいみたいだったけど」
「はあ!? そういうわけじゃない。その……成り行きで、ちょっと手伝うことになっただけだ」
「ふーん。でも、それじゃ、また会えるね」
少し照れたように笑って、マイが車を降りる。
そして運転席を覗き込み、『じゃあね!』と口を動かして手を振った。
いったん『傷んだ悪夢』を退けることが出来たせいだろうか。マイの印象が、たった1時間でだいぶ変わったような気がする。
俺は車の窓を少し開けて、元気な足取りで現場へと入っていくマイを見送った。
すると、マイを迎えるようにして、ひとりの女性が歩み出た。
背が高く、黒髪をショートボブにしている。年のころは30代半ばくらいだろうか。
きっちりと化粧をしたその様子は、いかにもやり手のキャリアウーマンといった感じだ。
「マイ! どこに行ってたの!?」
いかにも厳しそうな声が、風に乗ってここまで届いてくる。
「ごめんなさい裕美さん! でもギリギリ間に合ったでしょ?」
マイは悪びれもせず、笑顔で小首を傾げる。そのさまはさっきまでの素顔とはまた違って、子猫のような魅力があった。
撮影現場のスタッフたちも、その笑顔にほだされたように表情を緩めた。
まさにカワイイは正義。俺も今月の成績不振は笑って許されてえな。
それにしても、あれが例のマネージャー、『裕美さん』か。
のんびりとやりとりを見守っていた、次の瞬間――パン、と乾いた音が響く。
裕美さんが、マイの頬を平手でぶった音だった。
茫然とする俺の耳に、険のある声が届く。
「いつまでもお子様気分じゃ困るのよ。何年この業界にいるの?」
「……ごめんなさい」
その言葉を発したマイが、泣きそうだったり、悔しそうにしていたりすれば、俺はまだ『芸能界は厳しいんだな』という感想を抱くだけで済んだだろう。
それなのに――マイは頬を押さえながら、何でもないことのように笑っていたのだ。
「ねーメイクさん、化粧直して? ほっぺたちょっと赤くなっちゃったかも」
「は、はい!」
にわかに緊張感を帯びる現場の中で、マイだけが笑顔を振りまいていた。
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