脆く儚く美しき者たちへ――5

「ゆり、という女は夫と別れたそうだ」


 私は翌朝青年にそう報告をしました。


「え……、それは本当――いえそれより、なぜあなたがそんなことを知っているんですか?」

「あの女と、先日来た男の夢の中に入って知った」


 正確には、夢の中で二人と話したのです。

 夢の中でバクを認識しない人も多いなかうまくいくとは思いませんでしたが、村に蔓延る恐怖が人間の心に歪みを作っていたせいか、私の問いかけに夢の中の二人は素直に答えてくれました。


「ゆりという女の父親が男の暴力を見かねて離縁を許可したそうだ」


 夢の中を探った限り、元々二人の結婚にゆりさんの意志はほとんどありませんでした。

 当然簡単に離縁することは許されなかったものの、この蔵に来て以来ますます暴力が酷くなり、ゆりさんの父親がついに黙ってはいられなくなったようです。


「そうでしたか……」


 青年はほっとしたように息を吐きました。

 安堵の中に少しだけ苦い感情が混ざっていたのは、おそらく今頃ゆりさんがどんな気持ちでいるのか思いを馳せてしまったからなのでしょう。


「ひとつ不思議に思うことがある」


 私は夢で見聞きしたことを思い出しながら、青年に問いかけました。


「夢は本心を隠せない場所だ。特にバクには嘘を付くことはできない。だが……あの男は、うわべだけでなく本当にゆりを愛しているようだった」


 殴っていたにもかかわらず、男は悪夢の中で延々とゆりに許しを請うていました。

 それは私にとってとても不可解なことでした。


「人間の心は複雑なんです。愛にもきっと種類は色々ですし、本人にとっては真実の愛だったとしても、愛のふりをした他の感情だという場合もあるでしょうね」


 青年の答えもまた、当時の私には不可解なものでした。

 恐怖といえば。私はもうひとつ青年に伝えるべきことがあることを思い出しました。


「女が言っていた伝染病についてだが、この村でも蔓延し始めている。村人たちの不安が高じて、お前の存在へと向かっている面もあるようだ」


 当時、病はまだ得たいの知れない存在でした。

 それこそ、神やあやかしが支配する領域だと思われるほどに。

 そして青年は、この村においてその境界に位置する存在でした。


「……だから、あの男性はあんなに怒っていたのかもしれませんね」


 青年は少し考えるような間の後、私を見据えました。


「あなたはどんな人の夢の中にも入ることが出来るんですか?」

「ああ」

「では……あなたに、お願いがあるんですが」


 青年は私に、人の夢を通じて病について調べることを望みました。

 どうにかして、病を止める方法を探したいと。


「なぜお前がそんなことを気にする」

「私はこの村の神の化身ですから。……と言いたいところですが、もっと身勝手な理由です。間違ってもゆりさんを失くしたくないんです。たとえ私の手の届かない人であっても」


 青年はそう言ってどこか儚い笑みを浮かべます。

 男の愛と、青年がゆりさんに向ける気持ちの違いが、少し理解できたような気がしました。



 私はすでに伝染病が流行り、過ぎ去った地域の人間の夢を見てみることにしました。

 青年の住む村はそこから離れていましたが、夢の中では物理的な距離などあってないようなものです。

 目的地さえはっきりしていれば、私はだいたいの検討を付けてそこの人間の夢に潜り込むことが出来ました。


 いくつもの夢を渡るうちに、私はついに病の原因を突き止めた学者に出会いました。

 学者は国に広くその情報を広める方法を探していましたが、いまだうまくいっていないようでした。

 私はさっそく夢を通じてその学者から病の原因となっているものを聞き出すと、青年のいる座敷牢へと帰ってきました。


「川の水を使用しないように、ですか……」


 私の話を聞いて、青年は難しい顔で相槌を打ちます。


「ああ。寄生虫が原因だそうだ」


 その日、青年は食事を持ってきた老婆に重々しい様子で『神からの言付けを預かりました』と告げました。


 老婆は最初戸惑った様子で青年の話を聞いていましたが、次第にその瞳が思わぬ希望を見つけたように輝き始めました。

 きっと神の言付けなどという言葉に縋りたくなるほど、その病魔は村で猛威を振るっていたのでしょう。


 やがて青年の助言の通りに対策が進められました。

 今のようにスマートフォンのようなものがありませんから、村の隅から隅まで情報を伝達するまでに時差がありますし、もちろん信じない人もいます。


 情報は錯綜し、人々は混乱しました。


 病による死者はすぐにぴたりと止まるわけではありません。

 医療が発達した今日では当たり前の話ですが、当時は病と呪いの境も曖昧でした。

 その上、神からの言付けという青年の発言も相まって、次第になぜすぐに病が根絶されないのかという疑問が、不安と恐怖を伴って青年へと向けられるようになりました。

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