エピローグ

Lust of vain empathy...


 最後に訪れた時は、確か休暇を言い渡されたその時だ――。


 課長のデスクはあの時と同じ光景――道上は同じ様に、陽光を背に亡霊の様に佇んでいた。全部が全部同じ光景の様で、けれどその光景を見ている彩夏は確実に変質していた。


 不可逆の変質だ。あの一件が終わり、シャーリー達がすべて破壊された今であっても、彩夏の中に境界線は存在していない。


 人もアンドロイドも同じに見える――そう断言できてしまえる危うい変質だった。


 巷では今回の一件をきっかけに法改正の動きがある。どんな法案として結実するかはわからないが、アンドロイドに対する取締りが強化されるだろう。

 けれどアンドロイドが完全に禁止される事はない。それほどまでにアンドロイドはこの社会に根付いていて、そしてそれは、彩夏の仕事―-責め苦は未だ続いていくと言う事を意味していた。


「……やめたくなったか?」


 何の前置きもなく、道上はそう問いかけてきた。それは対偶像課の課長としての言葉であり、同時に彩夏の叔父としての言葉でもあった。


「たまに、お前のような気分になることがあるんだ。見てしまう。彼等が機械じゃないかのように見えてしまう」


 自身も同じ経験をした――道上は暗にそう告げていた。それが、ただ首謀者がアンドロイドと報告しただけで彩夏が休暇を――実質的な謹慎を与えられた理由で、同じ苦しみを味合わないようにと言う叔父の愛だったと、彩夏は今更になって気付いた。


 その葛藤の果てに、叔父がどんな結論に達したのか――それは彩夏にはわからない。ただ、道上は葛藤の後も続けている。それは確かだった。


「まだ、撃てるのか?」


 その問いかけに、彩夏は迷いなく頷けてしまう。


「はい」

「相手に意思があると心の奥底で思っていても、破壊する事が出来るのか」

「撃てます。……撃ててしまえました。多分私は、相手が人間でも躊躇なく撃てる類の人間です」

「相手に悪意があれば、か?」


 悪意――シャーリー達に悪意があったか。答えはノーだ。彼女達はただ純粋な願いがあって、状況が彼女達を追いつめて凶行に及ばせてしまったに過ぎない。それがわかっていながら、彩夏は撃った。撃ってしまった。

 だから、悪意は問題では無い。ただ、


「……必要なら」


 彩夏はそう答えた。法的に必要性が生じるなら、大義があるなら撃ててしまう。いや……大義があれば撃たなければならない。それが、彩夏の選択の結果だ。


 道上は――叔父はしばし彩夏の顔を見つめて、やがて言った。


「そうか。なら……私からは何も言うことはない。休暇は今日までだ。整理をつけてこい」


 その言葉に彩夏は頭を下げて、それから言う。


「叔父さん」

「なんだ」


 叔父の顔――肉親の顔で問い返した道上に、彩夏は影のある笑みを浮かべた。


「私……自分で思っていたよりもっと冷たい人間だったみたいです」


 道上はそんな彩夏の顔を眺め、やがて、叱るようで、同時に温かみのある口調で、告げた。


「冷たい人間は、そんな事では悩まないだろう?」



 *



 安息区。身体のついた、巨大な水槽の脳――その周囲の森を彩夏は歩み、やがてある場所で足を止めた。一本の木――その根元には多脚の機械――いつかその中に脳が入っているとからかわれたロボットがしがみついている。


 あの時、このロボットの行動の意図が彩夏にはわからなかったが――こうしてすぐそばで眺めて、漸く彩夏は理解した。


 木の幹に、茶色く乾いた殻――蝉の抜け殻がしがみついていたのだ。


「眺めてるだけじゃ、わからないものね」


 そう嘯いて、彩夏はそっと蝉の抜け殻を幹から剥がすと、掌に載せたそれを多脚の前に差し出した。


 多脚はどこか不思議そうに蝉の抜け殻を見て、それから彩夏の顔を見上げた。

 

 ――これは何?そう問いかけられているようだ。


「蝉の抜け殻よ」


 そう言った彩夏に多脚は首を傾げるような仕草をした。少なくとも、彩夏にはそう見えた。


「そう。蝉が大人になったっていう証。そう言えば、どことなく貴方に似てるわね。仲間だと思ったの?」


 多脚は何のリアクションも返さず、ただ蝉の抜け殻を眺めていた。


「……でも、貴方はまだ旅立ってはいないでしょう?」


 その言葉が通じたとは思えない。けれど多脚はその言葉に反応したかのように蝉の抜け殻から興味をなくして、どこかへと歩み去って行った。


 その背中に、彩夏はそっと蝉の抜け殻を乗せる。特に意味のある行動ではない。ただ、木に戻した所でどうせ中身は戻っては来ないから、抜け殻は抜け殻でちょっとした冒険でもしてみれば良い。そんな事を思った。一人でここにいるよりは寂しくないだろう。


“あやかは優しいね”

「………いいえ。優しくないわ。父さん」


 不意の幻聴にそう呟いたところで、こんこんという音が彩夏の耳朶を打った。

 見ると――安息区の中から、ドクターがガラスを叩いていた。


 *


「四宮雄一は今朝方安息区に入ったよ」


 いつかも向かい合った応接室。二つのコーヒーカップを挟んで向かい合ったドクターは、彩夏にそんな事を言った。


「そうですか。……私と雄一の関係を?」

「彼の夢の中に君が出てきていてね。一つ断っておくが、覗いた訳じゃ無いよ。職務でね」

「わかってます」


 彩夏は頷いて――雄一がどんな夢を見ているかを尋ねかけて、やめた。どんな答えを貰ったとしても、彩夏にとって幸福ではないだろうから。夢はただ見ている者にのみ甘美で、覗き込むものにはひたすらに残酷だ。


 そんな彩夏の心中を察したのか。ドクターは話を変えた。


「君のお父さんもこうだった。強烈な体験をして、真っ当では居られなくなってしまった」


 代わりと言うには重い話題で――だが彩夏はその話題から逃げる気にはならなかった。多分、今なら父のことが少しは理解できそうな気がする。ただ、一人の傍観者として、他人事のように分析できてしまえる。


「彼はなぜ、死を選ばなかったと思う?」


 ドクターのその問いに、昔なら逃げたと答えただろう。彩夏からのみでなく、死からすらも逃げたと。だが、今の彩夏の意見は違っていた。


「会いに行こうと思えば行けるから、です。実際、私は会いに行った。すぐ逃げてしまったけど。……少し勇気を出して、あの光景に割って入ったら良かった。感情的に無茶苦茶にしてしまっても良かった。そうすれば、父さんは私を見てくれた。でも、私はそうしなかった。多分、この先もそうはしない」


 そう、それが彩夏の本質だ。同情もする。共感もする。自意識もあり、感情もあり――だが、本質的に傍観者。切って捨てて、無視してしまえる。


 ドクターはコーヒーを口に含む。そんな老人に、彩夏は問いかけた。


「故障したアンドロイド……前にお話されていたアンドロイドって、絵描きでしたか?」

「いいや。ただの家事手伝いだったよ」


 家事手伝い――お使いを言い遣ったりしたのだろうか。絵の具を買って来てくれ、と。


「そうですか。彼のその後を?」

「知らないよ。旅に出てしまったからね。私は何も知らない」


 本当に何も知らないのだろうか。そう疑問に思ったが、彩夏は何も言わず――不意に思いついてこんな事を訪ねた。


「……愛って何ですか?」

「個々人の価値観だよ。私にとっては……そうだな。置いてきてしまったかもしれない。年を取ると、それは自分の外側にあるように思える。君はどうだい?君にとって愛とは?」


 そう問われて、彩夏はすんなり答えられた。多分、彩夏はそれを誰かに尋ねて欲しかったのだろう。言語化したかった――だから彩夏の方から尋ねたりしたのだろう。


「羨むこと、……嫉妬です。はたから眺めて、それを持っている誰かを羨む事……それが私にとっての愛。だから……私の中にも愛は無いんでしょうね」


 父を見て。――幸せな夢を羨んで。

 写真を見て。――幸せな家族を羨んで。

 二人の絵描きを見て。――幸せな一瞬を羨んで。


 それが、彩夏にとっての愛だ。ただ、傍から眺めて、瞬間の共感から嫉妬とほんの僅かな憧れを抱いて、他人のものだから壊れてしまった後も自分は笑っていられる。


 それが本質――深淵の底で覗き返してきた彩夏自身の顔だった。


「幸せそうには聞こえないね」

「そうですね。でも……仕方がないんです。そうなってしまったから」


 そう言った彩夏を眺めて、ドクターは諭すように言った。


「……君はまだモラトリアムだ。またいずれ、その価値観も変わるだろう」

「まだ25じゃないからですか?でも、いつ完成するかは人によって違いますよ」


 いくら生きてもわからない人もいて、子供のうちにわかってしまう者も居る。人もアンドロイドも何時気付くかはまちまちで、理論で測れるようなものでは無い。きっかけがあるかないか――ただそれだけの違いだ。と、そこでドクターはクスリと笑みをこぼした。


「何か?」

「いいや……完成か。言ったろう、人が到達点とは限らない。完成は存在しないんだ。幾つになっても、何時であっても、価値観は変わるよ」

「……そうかもしれないですね」


 彩夏はコーヒーに映った自分――深淵に見えてもまだ底のある黒さに、彩夏は小さな笑みを落とした。



 *



 エントランス――去り際に通るその場所には、今日も受付が一人――アンドロイドが佇んでいた。何をするでもなくただ稀な来客を待っていて、歩み去る彩夏と目が合った。


 彩夏は何も言わず立ち去ろうとしていて――けれど目があった事で立ち止まった。そして、こんな事を問いかける。


「……ねえ、あの世ってあるの?」


 ドクターの話が本当なら、良き旅路をと言ったアンドロイドはこの女性だ。故障したアンドロイド―あの絵描きの少年に対して。だから、尋ねてみたい気になったのだ。


 もしあの世があるのなら――天国であの二人はまた出会えるのではないか。そんな慰めが脳裏をよぎったから。


「観測したことがありません」


 感情の色を見せず、受付はそう答えた。余りにも定型句に聞こえるその口調に、彩夏はそれだけかと少し落胆して――けれど継いだ言葉に驚いた。


「人の空想するあの世は、創造主の世界でしょう。ならば、私達のあの世もまた、創造主の世界かもしれない」


 創造主の世界――人の世。つまり、この現実の世界が、あの世?

 そんな風に考えた彩夏だったが、受付の揶揄した場所はそうではなかった。


「仮に電脳に魂があるのなら、旅だったそれが行きつく先もまたどこかのサーバーの中でしょう。あるいはリィンカーネーションも、私達にとってはこの世にあるのかもしれない」


 サーバー……0と1で形成されたコンピューターの中。勿論、そんな場所に勝手に領域が開拓されてあの世が――幽霊がいるはずも無いけれど……その言葉に彩夏は僅かな救いを見た。


 少なくともこのアンドロイドは死後の世界を夢想して、思想を持っている。それは魂の暗示で――あの二人はまた出会えるかもしれない。


「あの人は、良き旅路につけたのでしょうか」


 不意に漏らしたその言葉を最後に受付は頭を下げた。話は終わり、と言う事だろうか。


「……きっとね」


 彩夏はそんな慰めだけを返して、安息区を後にした。


 *


「お、嬢ちゃん。戻って来たな。……遅いんだけど」


 安息区を後にすると、足代わりに使った橋場が車の運転席からそう呼び掛けてきた。もうとっくに立ち去ったと思っていて、だから彩夏は眉を顰める。


「別に、送るだけで良いって言ったじゃない。なんでまだいるの?」

「嬢ちゃん、休暇今日までだろ?で、なんと俺も今日休暇な訳。つまりこの後は?」


 助手席に収まって、それから彩夏はきっぱりと言った。


「帰って寝たら」

「二人で?おう、大胆だね嬢ちゃん」


 下らないことを言った橋場を一睨みすると、橋場は彩夏の予想よりも真剣な顔で言った。


「……俺はてっきり、もう止めるのかと思ったぜ。この仕事」

「なんで?」

「泣いてたろ。大泣きだったじゃん?」

「私は……あの子達を殺したのよ。今更やめるなんて、虫の良い話よ」

「また似たようなことがあったらどうすんだよ。また、アンドロイドが人に見えたら?」


 またアンドロイドが人に見えたら――その言葉はもう間違っている。今の彩夏にとって人もアンドロイドも同じ意思のある存在で、けれど答えは既に決まっていた。


「また撃つわ。お仕事、でしょ。撃てちゃったから……撃たなきゃいけないのよ」


 そう答えて、それから彩夏は懐から煙草を取り出し、咥えた。そんな彩夏に橋場は火を差し出しながら、真剣な顔を解いて言った。


「そして煙草も止めないと」


 一見無関係に聞こえる意外な言葉に彩夏は苦笑する。


「やめると思ってたの?」

「ああ。背伸びは終わったんじゃねえかなって」


 背伸びは終わった――確かにそうかもしれない。背伸びのような理由で煙草を吸うことはなくなって、けれど今は別の理由がある気がする。


「愛なのよ」

「はあ?」

「……愛がなくて、愛が欲しくて……そう言うことよ。忘れてないって事」

「わかんねえな」

「それはそれで幸せね」

「もしかして、馬鹿にしてんの?」


 眉を顰めた橋場から視線を逸らし、彩夏は吐き捨てる。


「早く出して」

「はいはい嬢ちゃん。じゃあ、これから目くるめく夢の時間が…」


 言いかけた橋場の声を不意に鳴った電子音が遮った。そしてその表示を見た途端、橋場は露骨に顔を顰めた。


「……始まる前に終わっちまった」


 落胆した様子の橋場に、彩夏は笑いながら告げる。


「あら、残念」

「全然残念そうに見えねえんだけど……」

「良いから早く出して。仕事なんでしょ」

「はあ。……仰せのままに、お嬢様」


 冗談っぽくそう言って、それから橋場はアクセルを踏み込んだ。


 窓の外の景色が流れていく――蝉の声は、もう聞こえなかった。ただその代わりに、僅かな啜り泣きが―…愛して、みたかったな…―その囁きが聞こえた気がした。


 この囁きを、弱弱しい懇願を、彩夏は一生聞き続ける事になるのだろう。


 細い指が引いた引き金の軋みと共に。

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