Lust of vain empathy―アンドロイドは空蝉に愛を視るか―

蔵沢・リビングデッド・秋

プロローグ/Love dollは寵愛を受け……

 油、酒、ets、ets…――混じりすぎてもはや元が何かすら区別が付かない刺激臭を放つぬめりに覆われた床の上を、黒いシミが蠢いていた。ただ眺めているだけで肌が総毛立ち吐き気にも似た生理的な嫌悪感を抱くそれ――繁殖力と生命力の高さが売りの昆虫。


 万丈銀二はそれが嫌いだった。大嫌いだった。俺が神様だったらその生命体を一匹残らずインポにしてやる――神様ではない銀二はそれを見るたびにそんな事を思っていた。


 けれど、銀二は同時にこうも思う。これだけ嫌われて、見つかるたびに叩き潰されて……けれどこの生命体は未だ滅ぶ気配も無く生き抜いている。持ち前の生命力が故か、反射的な性欲――繁殖力が故か。

 違う。何より重要な点は、運だ。これまで見つからなかった運。えり好みせず食糧にありつき、成虫に至った運。そもそも、生まれ落ちた運――それがどんな生命だろうと、運があるから生きているのだ。


 故に、神様ではなくその嫌われ者と同質の一個の生命である銀二が命を奪う時には、そこに神の意思――が介在しなければならない。


 だから銀二は、回転式拳銃リボルバーの撃鉄を下し、銃口をその蠢く染みに向けた。薬室は六つ、弾は一発だけ込められている。シリンダーは既に回転させてあり一体何発目に弾丸が吐き出されるのか、銀二にもわからない。知るのは神のみ―蠢くシミを生かすも殺すも神次第だ。

 シミは動きを止めた。それが視線に対する反射行動であると銀二は知っているが、けれどその潔さに笑みを浮かべる。


 ゲームは成立だ。生命与奪は神次第。

 だから銀二は、無責任に引き金を引いた。


 カチリ――鳴ったのは金属音だけ。射撃の反動で手がしびれる事も無く、火薬が炸裂し収束した爆炎が鉛玉を吐き出す事も無く、――だから神は、そのシミを生かしたのだ。


 シミはまた蠢き、生理的な嫌悪感を銀二に与えながら、汚い床を横切っている。

 死ねば良い、一匹残らず。その思いは今も変わらない。だが神はそれを生かした。ならば銀二は寵愛を受けたそれを、ただ賞賛の視線で持って見送るのみだ。


 ダブルアクションの回転式拳銃の撃鉄は、再び下りている。引き金を引けば、再び弾丸が吐き出される。

 安全装置が外れた状態――その銃口を自身に向けるか。その方がフェアではないか。そんなまるでその気も無い思考を楽しんでいるそんな時、不意に部屋の戸が開き、一人の少女が汚い床を裸足で踏み締めた。


 色の無い少女だ。肩に雪崩かかる白く透明な髪はさながら真冬に凍り付いた滝の様であり、シミも穢れもない透き通った肌は何に隠されるでもなく晒されている。細く発展途上であるが故に特有の脆さと美しさを持つ体躯は、計算し尽くされた均整を保ち、もはや一個の芸術、ある種の神々しさまでも宿っている。


 そんな色の無い少女は、しかしただ一点にのみ鮮烈な色を備えていた。

 瞳だ。幼さと妖艶さが奇妙に同居したどこか冷たさのある相貌――その中心にある二つの眼。ただその場所だけが色を持ち、滴る血よりもなお赤いルビーの色に輝いている。


 完璧な美貌――理想的な偶像。色素欠乏症の体色をした”それ”は、銀に媚びるようでいて、そして同時に無邪気さも同居する微笑みを見せると、小振りな唇を繊細に震わせ、淀んだ空気を震わせた。


「ねえ。愛ってなに?」


 その言葉――ここ数日幾度となく繰り返され、耳朶にこびり付いた甘い問いかけに、銀二は強い嫌悪感を抱いた。


 蠢く染みを見た時よりも尚強い嫌悪は、銀二の手の中にある凶器を持ち上げた。

 撃鉄は下りている。引き金を軽く引けば……選択は神に委ねられる。


「愛を知りたいの」


 銃口を向けられながら尚も揺らぐことの無いその完璧な表情に、銀二は迷いなく引き金を引いた。

 カチリ――鳴ったのはただのそれだけ。神は選択した。


「愛がなにかを知りたいの」


 カチリ――神は選択する。


「愛するってどういうことか知りたいの」


 カチリ――神は選ぶ。


「愛を理解したいの」


 カチリ――神は、余程目の前の少女を愛しているらしい。

 最初に撃鉄を下ろしてから、次で六発。次は確実に弾丸が吐き出される。


「―――愛してみたいの」

 だから――選択したのは銀二だ。


 爆音が轟く。炸裂した火薬が爆風を収束し、薬室で指向性を与えられ、弾丸を吐き出す。

 弾丸は到底目で終える速度ではない。だから、銀二はその発砲音を聞いて、かち上げられる腕に反動を覚え――そして顔面を欠損させた少女は吹き飛び、倒れこんだ。


 何かに縋るようにその腕は空を掴みかけ、けれど何をも持たずにただパタリと落ちる。

 生命与奪の選択は運――神に委ねられる。なぜなら神は創造主であり、あらゆる生命を生み出した存在であり、万象一切の所有権を持つ者だからだ。


 生命与奪は創造主の特権であり、だから、銀二にも破棄を選択する権利がある。

 その少女の創造主は―――他ならぬ人間であるのだから。


 騒がしい足音が廊下から響き、一人の男が踏み込んできた。


「兄貴!今の音…」


 銀二よりもなお若い男――銀二を慕い銅三どうぞうなどと本気で名乗っているその青年は、倒れ伏せた少女を見て、困ったように頭を掻いた。


「あーあ。兄貴、撃っちゃったんすか?」

「気味悪イこと言うからだ」

「だからって…高かったんすよ、これ。稼ぎも良かったじゃないっすか」


 そう言って、銅三は倒れ伏した少女を持ち上げた。

 糸の切れた人形――そうとしか言いようのない有様の少女の身が起こされ、破壊された顔面が銀二の目にも露になる。


 完璧な美貌、完璧な相貌。けれど、化けの皮が剥がれたその顔面の風穴からは、少女の中身――焦げ、砕けた機械部品が顔を覗かせていた。


 それが、その少女の正体だ。機械――人の手で作られた、人に似た姿をした機械。


 アンドロイドだ。本来は男性の機械人形に関される名詞であり、女性の場合はガイノイドと呼ばれるのが正しいらしいが、もはやその区別を口にする者も居らず、ただその機械人形は性別問わずアンドロイドと表される。


 そもそも、機械に性別を問う事が間違っているのだ。所詮機械は機械。どれだけ人に似た姿をして居たとしても、人の手で作られた無機物に過ぎない。

 それが、愛を語る?ナンセンスだ。例え愛玩用ラブドール――寂しい男を慰める為に生まれた存在であろうとも、その行為は性交ではなく器具を使った自慰行為に過ぎない。


 だから、銀二はその愛玩用アンドロイドの具合を試したことはなかった。銅三の方はそのアンドロイドの具合を大層褒めていたが、それを聞いても試す気にはならない。


 大枚をはたいて数体買い付けたのは商売の為であり、銀二自身はその金で人間の女を買う。


 そうして銀二はこの小汚いビルで非公式の娼館を営み、従順なアンドロイドを抱きに来る寂しい男達から金を巻き上げて過ごしてきた。


 商売自体はうまく回っていたが、バグだかなんだか知らないが、近頃そのアンドロイドは”愛とは何か”と良く尋ねるようになった。


 その光景は銀には気味の悪いものにしか見えず、だから破壊した。

 商売的には大損だが、同じ型のアンドロイドはまだ何体か所有している。致命的な損失にはならない。


「どうするんすか、これ。メーカーに出します?」

「銃痕をどう説明する気だ。どっか適当なとこに捨ててこい」

「ゴミ捨て場っすか?」

「真っ当に捨ててどうする。金がかかるだろ。その足りない頭をちょっとは使ったらどうだ」

「へい」


 返事だけは良く、銅三はアンドロイドを抱えて部屋を出て行こうとした。その背に銀二は言う。


「おい。捨てる前に他のアンドロイドにそれ見せて言え。二度と俺に、愛なんざ尋ねるなってな」


 またも威勢の良い返事を残し、銅三はその場を去って行く。


 一人その場にとどまった銀二は、舌打ちを一つしてシリンダーから空薬莢を落とし、また一発だけ弾を込めた。

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