第4章

故障した少女/路地裏に引き込まれ

 自分が何をしようとしたか――なぜあんな事をしようと思ったのか。その答えは少女自身にもわからず、ただ深く知りたい、想いたいと感じたが故の行動で……けれど少女は拒絶されてしまった。

 その事が哀しくて、また拒絶されるのが怖くて、七緒のいるあの部屋に少女は近付けなかった。


 一晩ただ俯いて何も出来ずに過ごして、やがて日が昇る。

 陽光が屋内を照らし、暗闇は段々と色彩を取り戻していく。その色彩を見た時に――その光景を奇麗だと思って――少女はまた自身の奥底にある欲求に気付いた。


“私も見たい。見てみたい。貴方の心の中を”


 その言葉は紛れもない真実で、心の中の風景を思う時どこか寂し気な七緒に寄り添いたくて、そう気付いた途端、少女は決めた。


 色をつけてもらおう。七緒に、あの絵に色を付けてもらって、そうして寄り添って二人眺めれば良い。そうすれば七緒は寂しくないし―多分、拒絶もされない。


 幼く、楽観的で、――だからこそ決めてから行動に移すまでは早かった。


 その朝の内に少女は家屋を後にして町へと向かう。見慣れぬ街、見慣れぬ景色、奇異の視線が突き刺さり、けれど咎められることはなく、やがて見つけた小さな画材屋で、少女は店主にこの文字を見せた。


“絵の具を下さい”


 アンドロイドでは無く人間の店主は、少女がアンドロイドだとわかっても優し気な様子で対応してくれて、けれど話をする内に困ったようにこう言った。


「売ってあげたいが…金はあるのか?」


 そう言われても、少女は困惑するほかなかった。お金――そう、何かを買うためにはお金が必要なのだが、当然少女はまったくお金を持っていない。きっと七緒は持っているのだろうが、七緒にお金を貰うのは何かが違う気がした。


 プレゼント……そう、プレゼントだ。今更になって思いついたその言葉に少女は納得して、けれど一文無しの状況は変わらない。


 少女は俯いてその店を後にした。またも見知らぬ街を歩んで、歩みながら考える。

 お金が欲しい。どうすればお金が貰えるのか。周囲を見回すと、働いている人々の姿がある。彼らは仕事をして、報酬としてお金を貰っている。けれど同じように働いていても、アンドロイドは報酬を貰うことはない。


 自分は、アンドロイドだ。働いてもお金は貰えない――そうわかっても何か方法が無いか考えている内に、いつの間にやら少女は日陰にいた。


 路地裏だ。すぐ向こうに大通りが見えて、けれど影になっている場所。その先には、あまりきれいな身なりではない男が三人いて、そして彼らは少女に気付いた。


 この先に行っても何もない。そう思って大通りに戻ろうとした少女を、掠れた声が呼び止める。


「待てよ。何やってんだ?」


 その声に答えず、少女は逃げ出そうとして、けれどその手は男に掴まれる。


 薄暗い路地裏。そこで少女は汚い身なりの男達に囲まれ――遠慮ない視線に晒された。


「ああ?なんだよ、アンドロイドか。何してんだ?」


 そう問われて――少女は意を決して尋ねてみることにした。


“お金が欲しい”

“どうすれば良い?”


「お金?アンドロイドが?知らねえよ、働けば?」

「働いても金もらえないだろ」


 男達は品の無い笑い声を上げる。――と、不意にその内の一人が言い出した。


「あ。思い出した。こいつ愛玩用だぜ。ほら、万丈さんとこの」

「愛玩用って…ヤれんの?」

「ああ。ほとんど人間だって評判だ。よく出来てるってな。ほら」


 そう言って男の内の一人は少女の手首を取って、見せびらかすように仲間たちに見せた。


「ほら、柔らかいし体温もあるぜ?」


 手首を握られている。その事に少女は言い知れぬ嫌悪感を覚えて、その手を振り払った。


 その瞬間――男達の眼付きが変わる。物を見る目から、獲物でも見るかのような色を帯びた視線に。


「……確かに、よく出来てんな。なあ、嬢ちゃん。金はやるよ。代わりに、さ…」


 男達の視線に嫌悪を覚えて、身の危険を感じ、少女はすぐそばの大通りに救いの手を求めた。多くの人が行きかう通り――中には足を止め何事かと少女の方を見る者もいるが、アンドロイドの表示を見た瞬間に興味をなくした様子で歩み去って行ってしまう。


「なあ。こっち見ろよ」


 顎を掴まれ無理矢理に目を合わせられて、少女はただ身を震わせた。


「本当、よく出来てんな」


 そう言って、男は無遠慮に少女の身体をまさぐってくる。その度に身をよじり、けれど逃れられず、むしろその動きは男達を喜ばせるだけだった。


 アンドロイド――機械。その自己認識はたしかにあるが、それとは別の嫌悪感が身体を這い回る。嫌がる内に、やがて男の内の一人がベルトに手を掛けた。その事に声が出ないままに悲鳴を上げそうになった所で――。


「何やってんの?」


 その声に男達は動きを止め、声の主に視線を向けた。

 誰か――いつぞや絵のモデルになってもらった女性がその場所に踏み込んできていた。元々険のある表情だが、それにもまして機嫌の悪そうな様子で、ツカツカと歩み寄ってくる。


 その前に男達の内の一人が立ちはだかった。


「なんだよ、ねえちゃん。今良いとこなんだ。邪魔すんなよ。あ、それともねえちゃんが代わりに――」

 そう言いかけた男は次の瞬間――糸の切れた人形の様にがくりと崩れ落ちた。

 その女性にいきなり殴られたのだ。


 殴った手を痛そうに振り、なおもいら立った様子で足をならす女性は、やがて懐から煙草を取り出す。


「リョウちゃん!な、何しやがんだよ」


 倒れこんだ男――鼻血を流して延びているその男に駆け寄って、もう一人の男がそう叫び、女性を睨み上げる。けれどそれよりも遥かに鋭い眼付きで、女性は男を見下した。


「……二日酔いなのよ。機嫌が悪いの。吐きそうなの。気分悪くなるもの見せないでくれる?聞き分けなさい、ね?」


 紫煙を吐き出しそう告げた女性の迫力に押されたのか、男達は後退る。


「て、てめえ……いきなり殴りやがって……警察呼ぶぞ!」

「私がそれよ。呼べば?刑事は期待しないでね。で、民事で搾り取る?そもそも弁護士雇う金はあるの?」


 警察だと聞いたからか、男達は一斉に怯み、やがて捨て台詞を吐いて立ち去って行った。


 その姿を最後まで睨んだ後――女性は煙草を捨て、踏んでその火を揉み消し、非難の目を今度は少女に向けてきた。


「何でこんな事に?そもそもここで何をしてる訳?」


 機嫌が悪い――それは本当の事だったらしく、威圧的な様子の女性に少女は怯えた。

 その様子に女性は舌打ちして、言う。


「別に、取って食ったりしないわよ。怒ったりもしな……」


 そこで、女性は大きくえずく。胃の中身を吐き出したりはしなかったが、かなり気分が悪そうだった。


「……飲み過ぎた。酔わないのに二日酔いって……不公平よね」


“大丈夫?”

 ノートにそう書いて見せると、女性は少し驚いた様子だった。


「貴方、声が……。まあ良いわ。ええ、私は平気よ。で、あなたは何してるわけ?」


 何をしているか。その答えは一つだった。


“絵の具が欲しい”

「絵の具?」


 眉を顰める女性に、少女は更にノートを見せる。


“お金がない”

「お金?……ああ、それあのチンピラに見せたわけね」


 そんな事を言いながら、女性は財布を取り出して、中身を確かめた。


「絵の具って幾らかしら。……まあ、足りるか。はい、これ」


 そう言って、女性は財布に中からごっそりとお札を取り出して、少女へと差し出す。


“くれるの?”

「ええ」

“なんで?”


 少女はこの女性に何かをしたわけではない。むしろ助けてもらったのは少女の方で、そのお金を受け取る必然性はない。少女はそう考えたのだ。


 すると、女性は笑って――険のとれた魅力的な表情で言う。


「絵を描いて貰ったじゃない。その代金よ」


 絵――確かに少女はこの女性に絵を渡した。けれどあれはモデルになってもらったお礼であり、やっぱりそのことでお金を貰うのは図々しい気がする。

 けれど女性は、いつになってもお金を受け取ろうとしない少女の手に強引に札束を握らせた。


「良いから。あの子にあげるんでしょう?それであげなさい。もう路地裏とか入っちゃだめよ」


 そう言って女性は優しい笑みを残して少女に背を向けた。その背中と、手の中のお金を見比べて、やがて少女は深々と頭を下げた。

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