窓に映る怪物の顔/歯車は狂いながら回り

 三葉エレクトロニクス地下駐車場――表の喧騒とは無縁であるかのように空虚で静かなその場所で、どこか抜けた顔の青年――矢谷創は車のボンネットの上に腰を下して呆けていた。


 司法局対偶像課――荒事の多いその課に配属された当所は八面六臂の大活躍を見せてやる――そんな決意と期待に燃えていた矢谷だったが、配属されて四か月余り、与えられる仕事は訓練訓練の連続で、たまにこうしてスーツを着こむことがあっても用向きはいつも課長の専属運転手、何時になっても現場で44口径をぶっ放す事は出来ずにいた。


 今日も今日とてそれは同じ事――街中では今も暴走したアンドロイドが凶行に及んでいるというのに、矢谷は現場ではなく誰も居ない駐車場で課長の戻りを待っている。


 三葉エレクトロニクスとの協議――会社側が隠匿している情報がないかの確認と事が終わらないうちから始まっている事後処理に課長は上で奔走しているのだ。


 ついて行けば役に立てる――とまでは言わないが流石に邪魔をするはずも無く、だからせめて協議の場に連れて行ってくれればまだ納得も出来るのだが、現実は車でお留守番だ。


 車の中に銃器――44口径の入ったスーツケースがあるとは言え、まさか司法局の車から盗みを働こうという不埒者がいるはずも無く、だからこの留守番はただただ無意味で退屈な仕事だった。


 車の中に戻ってラジオでも聞くか――そんな事を考えて立ち上がった矢谷は、そこで足音を聞いた。


 閉鎖された駐車場だ――ほんの些細な足音でも大きく反響する。

 足音へと視線を向けた矢谷は、男を見た。こちらへとどこかふらついた足取りで進んでくるその男は、疲労と心労に苛まれた様なやつれた風貌をしている。


 対応に奔走した社員だろうか――そんな事を思った矢谷へとその男は近づいて来た。そして、問いかけてくる。


「対偶像課の人ですか」


 そう問いかけられる――声の響きは冷静そのもので、けれどだからこそその瞳――落ちくぼんだ瞳に浮かんだ淀みが目についた。


「そうだけど、そっちは?」


 警戒しながら、矢谷は問い返す。すると、男は引きつった笑みをこぼして、行った。


「三葉エレクトロニクスの四宮と言う者です。課長さんから伝言です。例の物を持ってきて欲しいと」


 例の物?そう言われても矢谷には何も思いつかなかった。そもそも社内にあるのはスーツケースぐらいの物で……。

 そこで、矢谷は気付いた。そう、スーツケース――44口径だ。上で何かしらの問題が起こって、44口径が必要になったのだろう。もしかしたら矢谷もついに荒事に参加する日が来たのかもしれない。


 そんな僅かな期待を胸に、車の後部座席を覗き込んだ所で矢谷は疑問を持った。

 荒事が起こるとして――なぜ通信を使わず伝令を出したのだろうか。


 ガラスに映った矢谷――その背後の四宮は、理性のタガの外れた笑みを浮かべて、拳を振り上げていた。



 *



 助手席には対偶像課の男から奪った自動拳銃――そして44口径の入ったスーツケース。

 それを横目に、四宮雄一は笑みを浮かべた。


 仇だ。仇を取ろう――病院へと搬送される途中で抜け出し、司法局の車と銃を奪うという犯罪を実行した雄一の頭にあるのはその一念だけだった。


 理性はもうあってないような物で、ただただ破壊的な衝動がアクセルを踏み込む。


 法定速度をオーバーしていても、雄一はもはや気にはしなかった。

 仇だ。仇を取ろう。頭の中身をぶちまけてやる――。


「はは、ははははははははは、」


 それが――唯一の慰めだった。



 *



 助手席から眺める窓の外――冷夏の月夜は冷たく、彩夏は凍える様に自身の身を抱いた。

 事態はまだ収束しきってはおらず、未だ町中にシャーリー達は生きて、動いている。ただ、もう凶行を重ねてはいない。

 彩夏との対話の結果か、それとも幾ら人の脳を暴いても答えはないと悟ったのか―彼女達はただ何もせず佇むようになった。

 銃声を聞いた気がした。それは紛れもない幻聴で、けれど今この瞬間もどこかで鳴り響いている音だ。銃声がなるたびに、彼女達は物体になっていく――。


「銃と車取られた?馬鹿じゃねえの?」


 不意に、運転席の橋場が毒づいた。誰かと通信しているらしい――そう踏んだ途端、彩夏は問いかけた。


「どうしたの?」

「矢谷の馬鹿が車と44口径盗まれたんだってよ」

「あの子達に?」


 仮にそうなら、彼女達の総意に逆らう個体――また、共有を蹴った個体がいることになる。確固たる個を獲得したアンドロイド――更に人に近くなった機械。けれどやはり、彩夏は撃ててしまうだろう――撃たなければならない。


 そう覚悟した彩夏だったが、しかし橋場はまったく予期していなかった言葉を口にした。


「いや。人間らしいぜ。三葉エレクトロニクスの地下駐車場――四宮って名乗ったそうだ」


 四宮――その名前から思い浮かぶ顔は一つだ。四宮雄一。錯乱が見られた雄一は病院へと運ばれたと聞いていたが、彩夏が連れて行った訳ではない。途中で抜け出して、車を盗んだ。


 なぜ――その疑問に答えたのは脳裏に浮かぶあの理性を失った瞳だった。


 暴力的な何かをしようとしている。車だけでなく銃をも目当てに対偶像課の車を奪ったとしたら?


 仮にこの勘が外れていたとしても、放っておくわけにはいかない。


「行くわ。うちの車なら追跡出来るでしょ?」


 そう言った彩夏を一瞥して、橋場は余計なことは聞かずに頷いた。


「お気の召すままに」


 ルートが変更され、社外の景色が変わり――けれど凍える気分は変わらない。

 もしも雄一が凶行に及んだら?あの子達と同じように、社会的な害悪をなしていたとしたら?


 その想定に彩夏はすぐに引き金を引く事を思い浮かべて――撃ててしまえると考えている自分に戦慄した。


 だが、彩夏はもう選択してしまっていた。激情に押されるでもなく、身の危険にさいなまれるでもなく、自分の意思で引いた引き金――それに背くことはできない。

 ………愛を問われて、答えられないはずだ。彩夏の中にそれは存在しない。


 窓に映る自分が、彩夏には正真正銘の怪物に見えた。

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