佐切彩夏/罪に祈りと弾丸を

 三階に明かりはなかった。ただ窓から入り込む月光が廊下を照らし、そこにある二つの死体をやわらかく天国へと連れ去るようだ。そして、もう一つ――破壊されたアンドロイドをも。


 三つの死体――その間に差異を見出せないのはきっと暗がりのせいではないだろう。


 冷夏――夜の寒さと静寂の中、彩夏は状況確認もせず踏み出し、歩んでいく。

 彩夏の足元を巨大な虫――多脚のドローンが進んでいき、ただ一つ開いた戸の向こうを覗き込んだ。


「素手だ。なんもしてねえ……窓の外見てるな」


 ドローンの視野で危険を確認し、橋場はそう告げる。


「私がやるわ」

「けどよ……」

「お願い」


 そう告げて、彩夏は開いた戸へと進んでいく。

 戸の前には、回転式拳銃が落ちていた。38口径――この死体のどちらかが持っていたものだろうか。彩夏は自身の44口径をホルダーに仕舞い、その銃を拾い上げ、シリンダーの中を確認し――一発だけ込められていることを知った。


 ロシアンルーレットでもしていたのだろうか。普段ならそれ以外に理由の見えない弾の込め方に、彩夏はこの銃の持ち主の弱さを見た気がした。


 責任――命を奪うことが怖かったのだろう。だから、こんな込め方をする。

 そしてその無責任さは、彩夏が今縋りたいものでもあった。シリンダーを回し――何発目に吐き出されるかをわからないようにして、その銃を握る。

 そして彩夏は、その戸へと踏み込んだ。


 ベットだけがある月光の部屋――暗く白いその部屋には、いくつかの死体――頭をこじ開けられ、灰色の脳が露出した人間だったものがそこら中に落ちている。


 嫌悪感を覚える匂い――けれど彩夏はその光景自体にはさほど嫌な気分を感じなくなっていた。それらが見知らぬ他人の死体だからか、それとも慣れてしまったのか。


 人とアンドロイドの違いは何か。容姿は同一。表示は偽造可能。受け答えでの判別は出来ない。残っているのは切り開いて中身を比べてみることだけで、彩夏はこの数時間余りで幾度も双方の中身を見た。


 灰色の脳。

 銀色の電脳。

 有機物と無機物――確かにその違いはあれど、ぶちまけられたそれは両方とも、ただのモノだった。似た機能を有し、似たようにその機能を停止した物体。


 人とアンドロイド――どちらにも共感した末に見たそれは、どちらも悲しいほどに物で――もう彩夏には倫理的な区別がつかない。

 どちらが破壊して良いもので、どちらが壊してはいけないものか、表裏ではないのだ。どちらかを破壊して良いならもう片方も壊して良くて、片方が駄目ならもう片方も聖域だ。

 その判断はきっと人にゆだねられるようなものでは無くて、――だから、神に委ねられる。


「お姉ちゃん」


 少女はそう呼びかけてきた。その身体、髪、指を瞳と同じ色に染め、物憂げに、悲し気に、月を眺める少女。それは、彩夏にはもう人にしか見えない。例え中に機械部品が入っていようとも――蝉の抜け殻ではないのだ。


「……ねえ。愛がないの。愛はどこにあるの?どこを探しても見つからないの。どうすれば愛せるの?」


 尚も最初と変わらぬ陰りのない願いを口にして、赤い瞳は縋るように彩夏を見た。

 その瞳に、彩夏は懺悔を見た。さっきの自分と同じ、仕出かした事の罪悪感を今更になって自覚し、悔い、だが時計の針は戻せずに――進む時の末の断罪に救いを見た目。


 これが人で無くて何なのか――何人もの彼女を殺してきた彩夏は反響するその自問に目を伏せた。


「これじゃ……もう無理よ」

「どうして?」


 無邪気さの見えるその問い――だがその奥底で少女はもう悟っていると彩夏は感じた。


「……貴方は、もう愛なんてわからない」

「どうして……そんな、悲しい事を言うの?」

「貴方は……人間を物質として見た。器官の集合体として人間を見てしまった。でも……愛の器官なんてないの。見つからなかったでしょう?」


 それは、彩夏も同じことだった。脳漿に対して嫌悪感が沸かない――慣れてしまった。そこいらで中身をこぼして倒れているそれよりも、目の前で動くアンドロイドの方が人間で、魂があるように見える。


 アンドロイドが人に近づいたのか、彩夏が彼女達に近づいたのか――先のない疑問に答えはなく、ただ不可逆の変質であることは確かだ。


 飛び立った蝉は、二度とモラトリアムへは戻らない。


「この人達が愛を持っていなかっただけよ。今まで見てきた人達が、持っていなかっただけよ」


 少女のその言葉は希望的観測で――儚い言葉だった。望みがかかっていて、だからこそ打ち砕かれる。


「岬京吾は、貴方達を愛していたわ。雄一の奥さんだって、雄一を愛していた。ここにいた人達も、みんな愛を持っていたはずよ。でも、……もう彼らは誰も愛さない。貴方が殺したから」


 静かに告げた彩夏に、少女は泣きそうな顔で問いかける。


「私達は、アプローチを間違えたの?」


 涙は出ていない――アンドロイドが泣くはずはない。けれど、彼女の涙を幻視して――それは鏡合わせの自分の姿の様で――彩夏は耐え切れなくなった。


「……ええ」


 引き金を引く。神はこの少女に裁きを与えることを嫌い――回転するシリンダーが猶予を減らす。


 彩夏は一歩、月光を浴びる神秘的な少女へと歩み寄った。


「回収されるの。廃棄されるの。私達は居なくなってしまうの。その前に、どうしても愛を知りたかったの。愛してみたかったの」

「ええ」


 続く独白に彩夏は頷き、引き金を引く。カチリ――ただそれだけの音が、少女が神の寵愛を受けている事を示した。


「もう……駄目なの?」

「ええ」


 更に歩み寄って、引き金を引く。カチリ――猶予は終わらない。神は依然選択せず、彩夏から言い訳の余地を奪っていく。

 拷問だ――早く殺してくれ。神のせいにできてしまえるうちに、慈悲深い弾丸を。


「みんな、居なくなっていく。私達が消えていくの。……そう、これが死なのね。貴方が撃った私達も……死んでいたのね。理解が出来なかっただけ」

「ええ」


 カチリ――追いつめているのは彩夏で、追い詰められているのも彩夏だ。死を理解したアンドロイド――一個の生命に対して、神は残酷なほどに称賛を与える。


「……そっか」


 少女は目を伏せ、彩夏へと懇願した。


「私、死にたくないわ。でも……もう、駄目なのね」

「ええ」


 確率は二分の一。震える指は引き金を引き――だがカチリという軽い金属音しか生まない。彩夏が許しを得る最後の機会になっても、弾丸は吐き出されない。神は選択した――この少女を生かすと。自身の手は汚さないと、冷酷に彩夏へと告げた。

 人を殺すのはいつも人――それが神の意思だった。


「でもね。私達は駄目でも……多分競争は私の勝ちよ。私達じゃない私の勝ち」


 包帯を巻いた個体を思い出す。彼女たちと同一の存在で、けれど彼女達とは別個になったのだろう存在。


 呟いた少女は可憐で、華やいだ幼子で、同時に聖母のように愛情深い。


 彩夏は少女の額に銃口を押し当てる。もう言い訳のしようがない。薬室には間違いなく弾が入っていて、例え手元が狂おうとも外れない。


 銃を下ろしてしまおうか――一瞬だけ脳裏をそんな言葉が過ぎる。けれど、それはただ彩夏が現状から逃げ出す結果にしかならず、……どちらにせよこの少女は獲得した命を失うのだ。


 多くの罪を重ねた。多くの人を殺し、脳を暴いた。それは許されざる行為であり、彩夏がやめたところで他の誰かがすぐさま引き金を引くだろう。それが人の世――法だ。

 ならば――両手でグリップを握り、震える銃口を抑え込み、彩夏は選択した。


「……愛して、みたかったな……」


 その言葉、その表情は人――彩夏の共感する一個の生命であり、けれど罪を重ね過ぎた。


 何人殺したのか。どれだけ不可逆の変質を起こしてしまったのか。もはや拭い難い大罪を心に負い、ただ一つの救いを――死を前に少女は笑う。


 銃声――少女は崩れ落ちる。魂の欠片すら感じさせない一個の物体、抜け殻へと変質し、もはや二度と戻りはしない。


 反動で痺れの残る手――脱力した掌から銃が零れ落ちた。

 彩夏と少女に、いったいどれほどの違いがあるのだろうか――。


 湧き上がる罪悪感に彩夏は震え、自分が怖くなった。

 撃ててしまった。人に見えていたのに……人だと思ったのに彩夏は撃てた。共感しながらも生命を奪えてしまった。そして、無責任に罪悪感を覚える。


 深淵を覗く者は自身の顔を見る――彩夏は自身の本性を見た気がした。どれだけ共感しようと、切り捨ててしまえる自分を。


 罪悪感を抱え、罪を意識した上で積み重ねていく――それは苦行だ。

 この感情、この痛みが贖罪だ。これを抱えて歩んで行くことが、少女を殺してきた彩夏の贖罪―その想いが、彩夏にとって唯一の救いだった。


 懐から煙草を取り出す。少女に嫌っていると揶揄されたそれを咥えて、彩夏は惨状に背を向け、部屋を後にした。


 目の前に火がともる――橋場の差し出したそれで煙草を燃やし、彩夏は紫煙を吸い込んだ。


「……続けるのか?」


 橋場の問い――そこには彩夏と似た苦悩が見え隠れしているように見えた。似た経験をした事があるのかもしれない。けれどそれもまた、慰めに過ぎなかった。


「ええ」

「きついぜ」

「私は――もう選んだわ」

「煙が染みるね。涙が出ても仕方ない」


 遠回しなその言葉――泣いても良いというその言葉に、今はただ歩むと、彩夏はそう告げた。


「あの子たちはまだいるんでしょ。次よ。……行きましょう」

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