佐切彩夏/円月刀と機械仕掛けの天使

 密集するビル群――そのうちの一つ、朽ちてでもいるような茶色く背の低いビルが、彩夏達の向かった場所だった。


 左目――投影レンズに映りこむマップデータには、ターゲット――シャーリー達を示す光点が表示されている。


 このビルには三つ――三体のシャーリーが居るらしい。愛玩用のアンドロイドが集中している、この場所がだという事だろう。

 法務局に提出された書類では非営利目的の個人所有5体となっていて、実態として娼館であったとしてもそのタレこみでもなければ捜査は行われない。


 5体――2人足りない。逃げだしたのか、壊してしまったのか――顔面に包帯を巻いたあの個体の事が脳裏をよぎった。

 場所もさほど離れてはいない。あの個体もまた、ここで客を取らされていたのだろうか。


 アンドロイド達に身体を売らせて金を稼ぐ――その行為事態に現行で法律上の問題は存在しない。例え見た目が少女であろうとも、アンドロイドに人権は存在しないのだ。ただ、そう言う場所は例外なく別の犯罪――例えば薬物や銃器の密売の温床になる為に、正直に届出を出して商売するような者は稀だ。


 叩けば幾らでも埃が出る。そういう輩が手っ取り早く安定収入を得ようとする手段がそれで、彼女達はあくまで道具――その思考に彩夏は自身が嫌悪感を抱いている事に気付いた。


 私はこの期に及んで、心の片隅で彼女達に同情しているのかもしれない。あんな光景を見せられたというのに、彩夏の中の境界線は未だ揺らいでいる。明確な脅威、恐怖の対象としてアンドロイドを認識しながらも、――一度手に入れてしまった共感は色褪せない。


 自身の矛盾した心象に彩夏は混乱し、そこで聞こえてきた橋場の舌打ちに感謝した。


 余計な事は考えず、現状に集中する。仕事と割り切って無駄な思考をやめ、彩夏は問いかける。


「どうしたの?」


 両目を閉じた橋場――投影レンズでドローンの視野を得て、先行して屋内の偵察を行っている多脚のそれを操作していた橋場は、目を開けないままに答える。


「銃がある。水平二連……12番か?それと、リボルバー。あいつらせっせと装填してるぜ」


 銃――この娼館の主が持っていたものだろうか。それをシャーリー達が持っているとなれば、娼館の主はもう死んでいるのかもしれない。


「数は?」

「一丁ずつ。それぞれ持ってて……二階の事務所に二体か。一体足りねえな。上か?…う、」


 橋場はそこで露骨に顔をしかめた。見たのかもしれない。……彩夏が三葉エレクトロニクスで見た物と似た光景を。

「……悪夢だな。三体目は一つ上の階で作業中だ。武装はない。いや、鋸があるな。リボルバーも落ちてるけど拾ってねえ。奴さん作業に夢中だ。……詳細に聞く?」


 そこで、橋場は瞼を持ち上げて彩夏へとそう問いかけてきた。


「言わないで良い。……知ってるから」

 そう答えると、彩夏は車を降りた。そしてホルダーから回転式拳銃――44口径を取り出す。

 後から車外に出た橋場は自身の銃――やはり44口径の回転式拳銃をチェックして、彩夏へと言う。


「あれ生で見たのか。気色悪いじゃ済まねえだろ」


 彩夏は余計なことは答えず、端的に問う。


「来るの?」

「行くさ。銃があるんじゃな。行かなきゃまずいだろ」


 肩をすくめてそう言った橋場の言葉には、純粋に彩夏の身を案ずる響きがあった。到底ベストとは呼べない精神状態――彩夏の心情を慮っているのだ。


「そう。……先行するわ」


 余計な感傷を努めて無視して、彩夏はビルへと進んでいく。その背後を、橋場もついて来た。

 ドローンで状況は確認してある。橋場は未だドローンの視野を得ているから、異常があれば何か言ってくるはずだ。


 両手で握った44口径――その重さを何時になく感じながら、彩夏は足音を忍ばせてビルの内部へと踏み込んだ。


 埃っぽい屋内――一階は無人のようだ。明かりがついておらず、舞う埃が街頭を反射して雪のように輝く。踏み込んですぐにある階段をほんの僅かにきしませながら、彩夏は橋場を引き連れて二階へと歩んで行った。


 二階は明るい。階段を登ってすぐにある開かれた事務所の戸から灯りが漏れている。


 彩夏は気配を殺しながらその戸の脇に隠れ、物音に耳を済ませた。この事務所の中に少女達が居るはずだ。何の物音も聞こえない中、彩夏は確認しようと首をのばしかけて――そこで開かれた戸を挟んだ向かい側に多脚の機械――ドローンがいることに気付いた。

 彩夏が橋場へと振り返ると、その視線に橋場は一つ頷き、目を指差すジェスチャーを返す。


 視覚の同調――ドローンの視野と投影レンズをリンクさせろと言う意味だ。言われた通りに彩夏は端末を操作し、それから両目を閉じる。


 ドローンとリンクした視野――彩夏の左目には自身の姿が映りこんでいた。幾つになっても似合わないスーツを着て、手には不相応な大きさの銃を抱えて――祈る様に瞼を閉じる自分の姿がひどく滑稽に見えて――右目を開けると、自分自身と目が合った。


 その瞳は、……どこか淀んで見えた。

 片方ずつまるで別の景色を眺める。ひどく気色の悪いその感覚に僅かに酔いながら、これは橋場も見ている景色だと思い出して表情は変えず、彩夏はドローンに一つ頷いて見せる。


 すると、ドローンは橋場に操作され動き出す。影から一歩踏み出し、明りの漏れる事務所の中へと入り込んでいった。

 少女――赤い瞳と目が合う。その瞬間に彩夏はすくみ、けれどドローンの視野であると思い出して、ただただ強く拳銃にグリップを握った。


 電球に蛾が舞っている――冷汗が滴り落ちる。

 事務所の中――ドローンの視野に居たのは少女が一人だけだった。回転式拳銃を握っていて、その姿は彩夏よりも遥かに不相応でいびつに見える。


 天使が円月刀を握っている――そんな違和感。そんな中で、少女はなおも子供のような表情で――ドローンを不思議そうに眺め、小首を傾げた。


 もう一人はどこだ。そう彩夏が疑問に思った瞬間、カシャンと言う金属音が壁の向こうから聞こえる。


 彩夏が潜んでいる入口の影の丁度反対側――ドローンの死角になる絶好の奇襲ポイント。


 そこにもう一人がいる――そう思った瞬間、彩夏は前方へと飛びのいた。

 直後、さっきまで彩夏が身を預けていた壁が吹き飛び、その奥からダブルバレルのショットガンを担いだ少女の、完成された美貌が覗いた。

 転倒する右の視界と、なお直立するドローンの視野――混乱しかける頭を律し、左目も開けてドローンの視野をキャンセルすると、再び舞い戻った平衡感覚と距離感の中、彩夏は倒れこんだままにショットガンを小脇に抱えた少女へと振り返り、同時に44口径の引き金を引いた。


 彼我距離は2メートルもない。この至近距離なら彩夏が狙いを外すはずがない。

 銃口は覗いた少女の顔へとまっすぐ向けられていて、……だが引き金を引いた瞬間に僅かにぶれた。


 少女の肩に命中した弾丸は、その細い腕をまるまる一本吹き飛ばすが、少女はその事に顔色を変えることすらなく無事な腕でショットガンを構える。


 外した――その思考が銃口の位置を修正し、今度こそ少女の顔面を吹き飛ばさんと引き金を引くが、轟音とともに吐き出された弾丸は少女の顔面の真上へとそれて行った。


 また、外した。技量からしてあり得ない失態だ。目の前のショットガンの銃口に背筋を凍らせた彩夏の前で、三度轟音が響く。


 吹き飛んだのは、――少女の頭だった。

 脳漿――砕け散った機械部品が彩夏へと降りかかる。彩夏は自身が灰色の脳をかぶった――そんな光景を幻視した。


 少女の背後から橋場が弾丸を撃ち込んだのだ。基幹部位を失い、少女は力なく倒れこむ。

 救われた――その意識に彩夏は自戒するように――幻視を振り払うように目を閉じ―途端ドローンの視野が再び映り込む。


 銃声に何らリアクションを返すことなく定位置に居続けたドローン――そこに映りこんでいた少女は、手に持った回転式拳銃を重そうに持ち上げて、壁の向こうの橋場を狙っていた。


「しゃがんで!」


 彩夏の声に、橋場は即座に床へと寝転び――直後その頭上を少女の放った弾丸が通過する。

 橋場の身を掠めたか……だが致命傷はない。


 それ見て取ったと同時に彩夏は両目を閉じて、ドローンの視野を得ながらあてずっぽうで続けて二発、弾丸を放った。


 壁越しに少女を狙う――ドローンの低く、しかも彩夏の物とは違う視点から狙ってはその弾丸が少女に命中するはずがなく、壁をぶち抜いて少女へと突撃した44口径の弾丸は少女の周囲の酒瓶を砕き、ガラスを砕いた。


 だがその二発は布石で、狙うのはこの三発目。

 二つの着弾位置からどこを狙えば少女へと弾丸が向かうかを観測し、微調整の末に当たる位置へと銃口を構える。


 引き金を引く――三発目は壁越しで相手の姿が見えないながら、少女の脇腹へと命中した。粉砕された腹部から機械部品が顔をのぞかせ、だが少女は止まらず両手で構えた回転式拳銃を今度は彩夏へと向ける。


 撃たれる――その直感から彩夏は両目を見開き、横っ跳びに明りの中――事務所へと飛び込んでいく。


 銃声が轟く。

 不意に、ゲームをしているような気分になった。余計な雑念が飛んだ一瞬。ぎりぎりで弾丸をよけ、反撃に打って出る一瞬。それはほんの刹那の事で、けれど彩夏には永遠のように引き延ばされる。


 明りの中、横っ跳びに飛んだ空中で――彩夏は44口径の銃口を少女に向ける。

 少女はすでに弾丸を放ち、その弾丸は壁を貫くが彩夏には当たらない。少女の放った弾丸すら目で追えるような――そんな超常的な錯覚の中、彩夏は狙いをつけた。


 これは生身だ。ゲームの中のように超人じゃない。44口径の反動は空中で流せるようなものでも無い。狙うなんてもってのほかだ。当たるわけがない――浮かんでは消える雑音は、やがて静寂に塗りつぶされていく。永遠の刹那の中で、彩夏は一見でたらめな方向へ――けれど確かに少女の顔面を弾丸が通過する位置に銃口を置いて――引き金を引いた。


 瞬間――少女と目が合う。真っ赤な瞳はこれまで合わせてきた瞳と同じく、無垢で、幼稚で、妖艶で、人の浮かべる表情をしていた。


 引き金を引く。身体を回転させんばかりの反動に彩夏はバランスを崩し、受け身を取る余裕もなく床へと転がった。ほこりまみれで脂ぎった汚い床――そこから起き上がりながら、彩夏は自身の放った弾丸の行方を見る。


 弾丸は命中していた――少女の顔面の横、その肩に。44口径の威力で片腕は吹き飛び、だが依然、少女は立っている。その手には未だ回転式拳銃があり、――銃口は上がる。

 身を起こし、シリンダーを開けスピードローダーで弾を込めながら、彩夏は間に合わないことを悟った。こちらが弾を込めるより、少女が狙って放つ方が速い。


 そもそも、仕留められなかった時点で負けているのだ。壁越しもそう。横っ跳びもそうだ。確かに高度な技だが、出来なければ彩夏はやらない。出来るはずの技術で、どちらも正確に顔面を狙っていたはずで――けれど寸での所で外してしまった。


 偶然外したんじゃない。無意識のうちに彩夏が外したのだ。少女を破壊したくなかった――殺したくなかった。


 彩夏の中に境界線はもう存在しないのだ。人を殺し、その脳を弄繰り回した天使の顔をした怪物―それを撃ち殺した直後に、罪悪感に囚われた自身を自覚した時点で――。


 赤い瞳と同期した銃口は彩夏の顔を捉え、引き金に掛かった白く細い指が曲がって行き――けれど曲がり切る前にその指が緩んだ。


「あれ?お姉ちゃ――」


 銃声がその声を遮った。吐き出された弾丸は少女の顔面を欠片すら残らず吹き飛ばし――硝煙を放つ銃口は彩夏の背後―事務所へと踏み込んできた橋場の手にあった。


 九死に一生――救われた。その感慨に喜びが混じっていないことを彩夏は自覚した。諦観の果ての覚悟――彩夏はあの一瞬、殉ずることに救いを見出していたのだ。罪多きわが身に断罪を――と。


「あと一体か。怪我は?」


 その言葉とともに差し出される橋場の手を借りて、彩夏は立ち上がる。


「ないわ」


 平静を装ってそう答えた彩夏だったが、しかし橋場は咎めるような視線を彩夏へと向けてくる。


「なに?」

「別に。……上、俺一人で行こうか?」

「どうして?」


 橋場の言葉の意図――彩夏自身の極めて不安定な状況を自覚しながらも、彩夏はそう問い返した。


 何の問題もない、そう暗示するように。橋場に、――そして自分自身に。


「撃てないんだろ?」


 直球の言葉を、彩夏は努めて真っ向から否定する。


「……撃てるわ。先行する」


 そしてそれ以上の問答を嫌うように、事務所を後にして三階へと続く階段へと向かった。


「泣きそうな顔でよく言うよ」


 橋場の独り言――彩夏に聞こえるように吐かれたその台詞を無視して。

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