佐切彩夏/ショーウィンドウに心惹かれて 上
色彩豊かな景色に二人の人物――本を読む女性と景色を眺める子供が描かれている。風に倒れんばかりの木に、逆さまになった傘、そして彼方に霞む山も。
彩夏がその場所――休暇も続きすることも当てもなくふらついた末に見つけた画材用具店の店先で立ち止まった理由は、それが本物の絵だったからだ。
紙の上に絵の具で描かれた、触れれば汚れ両の手で引き裂き燃やしてしまう事も出来る実物の絵。フロートディスプレイに表示された画像データではない、実体のある芸術品。
今時美術館にすらも置かれていないような代物で、けれどそんなものが店先に飾られていた。
それは彩夏の興味を引いて足を止めさせるには十分な効果を持っていた。
あるいは職務に追われる普段なら――ついさっき、自然公園で似顔絵を描かれたりしなければ、この雑踏を行く他の人々のように彩夏もこの絵に気付きもせずに素通りしていたかもしれない。
けれど今の彩夏には時間は腐るほどあって…ほんの少し絵に興味が出ていた。
写実を飛ばした抽象画家。そう呼ばれたのはほんの幼い時分の事で、成長した今ならまだましな絵を描く事が出来るかもしれない。この際そう言う趣味を持ってしまっても良いか――彩夏はそんな事を思って、その画材店に入っていった。
店内には画材――絵の具、筆、その他彩夏には呼び名のわからない専門的だろう道具――の並べられた棚が乱立している。
そして壁には幾つもの絵――実物の絵が並べられていた。
しだれ柳、小川と橋、睡蓮――有名な絵だろうか。彩夏の拙い知識ではそれを判断する事も出来ず、ただ彩夏はそんな絵画を眺めながらゆっくりと店内を歩んだ。
「いらっしゃい」
不意にそう声を掛けられて、彩夏は声の方向に視線を向けた。
レジカウンターの向こう――その場所にいたのは一人の男だった。絵の具のついたエプロンをつけた壮年の男。あまり身なりに気を使っている雰囲気は無かった。
癖で彩夏は右目を閉じて、左目で相手を確認する――”A.I”の表示は無い。人間の男だ。アンドロイドに任せるでもなく、自分で店番をしているらしい。
「何が必要なんだ?」
店主にそう問われ、だが彩夏は暇すぎて絵を描いて見たくなったと口にするのが少し気恥ずかしく、だから別の事を言った。
「この絵、実物ですよね」
「ああ。モネの絵だ」
モネ――その名前から明確な誰かを思い出したわけでもないが、僅かに聞いた覚えがある気がして、きっと有名な画家だろうと彩夏は推察した。
「本物の?」
「いいや。模写だ。全部」
模写――オンラインの画像データを見ながら描かれた絵という事だろうか。だが模写にも相当な技術は必要だろう。素人目にそう思わせるほどその絵は素晴らしい出来栄えをしていた。
「貴方が描いたんですか?」
「いいや。俺じゃない」
では誰が描いたのか。そう問い掛けようとしたところで店の戸が開き、客が入って来た。
いらっしゃい――そんな店主の声を背に、彩夏は入って来た客、女性へと振り向いて、また片目を閉じる。
“A.I”の表示がある。入って来た客はアンドロイドだ。
アンドロイドが画材を買うのか?そんな疑念が彩夏の脳裏を一瞬だけよぎったが、考えてみれば話は単純だ。主人に言いつけられて画材を買いに来たのだろう。ただ命令された行動をしているだけ、プログラム通りの動きだ。
彩夏はしばしアンドロイドを観察する。アンドロイドはゆっくりとした足取りで棚を見回し、てきぱきと画材を手に取っていった。
「アンドロイドが絵の具を買うのが可笑しいか?」
彩夏がアンドロイドを眺めている事に気付いたのか、店主はそんな事を尋ねてきた。
「いいえ。命令されただけでしょうし……別に自分の意思で絵を描いても良いんじゃないですか」
彩夏の脳裏には似顔絵が、自然公園で描かれたあの絵が思い浮かんでいた。もし機械が絵を描くことに嫌悪を抱いているのなら、そもそもモデルになどならない。
……これは、彩夏の元々の価値観だったか。それとも、この数日で揺らいだ結果の?
店主は彩夏の答えに少し驚いた様子で、それから微笑みを浮かべた。
「そうだな」
やがて女性のアンドロイドはレジ――店主の元へと歩み寄り、会計を進める。そして会計を終えると共に、アンドロイドは口を開いた。
「いつもの場所は」
「ああ。好きに使いな」
その店主の言葉に頷いて、アンドロイドは店の奥へと歩み去って行った。店を出るではなく、その奥へと。
「いつもの場所って?」
興味を惹かれてそう問いかけた彩夏に、店主は値踏みするような視線を向けて、それから行った。
「来るか?……ここの絵、誰が描いてるのかわかる」
実物の絵、の話だろうか。
興味がない。……とは、今の彩夏には言えなかった。
*
店の奥――二階にあるその部屋には描きかけの絵がたくさん並べられていた。
模写もあればほんの些細な物を描いた写実もある。そして先程の女性はそんな絵のうちの一つを前に腰を下ろして、パレットと絵の具を手の用意をしていた。
見るとその部屋には他にも数人が絵を前に筆を持っていて、――全員に”A.I”の表示がある。
何人ものアンドロイドが絵を描いている。そんな、見る人がみれば感情的に暴れまわりでもしそうな光景を前に、彩夏は別に嫌悪を抱くでもなくただこう尋ねた。
「これ……彼等がここの絵を?」
「そうだ。うまいもんだろ。模写は得意らしいんだ」
どこか自分のことのように誇らしげに店主はそう答えた。
模写は得意――その通りだ。下の絵と同じように精巧な色彩を帯びた絵画が幾つか飾られている。対照的に写実は抽象的で、彩夏は美術の授業で教師が漏らした言葉を思い出した。
「貴方が描くように言ったんですか?」
「いいや。……確かに最初の奴には言ったがな。絵を描いてみるかって。だが……それ以降は勝手に集まってくるようになったよ。噂でも回ってるんだろ」
アンドロイドの間で噂。
ありえない話ではないと彩夏は知っていた。だからこそあのアルビノの少女達は非公式集会を開いたり出来たのだろう。
「最初の奴?」
興味を惹かれてそう問いかけた彩夏に、店主は語りだした。
「うちのお得意様の一人でな、毎週のように画材を買いに来る奴がいたんだよ。………アンドロイドが」
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