佐切彩夏/休暇命令
司法局対偶像課――官営の組織にありがちなただただ無機的で合理性ばかりの詰
め込まれたそのビルの一角――積み重なった書類が激務を連想させる課長のデスク。
整理用にアンドロイドでも使えば良いのに………そんな事を考えながら、呼び出しに応じた彩夏は直属の上司である司法局対偶像課課長――道上明人の前で、直立不動の姿勢を取った。
道上は元々幽霊のような風貌の男だ。痩せていて、知性の宿る目つきをしていて、けれどどこか存在感が希薄。その得体のしれない薄さは激務故か歳を負うごとに増していて、40代後半の今となってはもはや死人が歩いているかのようだ。
真昼の日差しを背に浴びて体全体が影に落ちているとなれば、その朧さはなお磨きがかかっている。
「ご苦労だった、佐切」
「はい」
何を指しているのかいまいち判然としない定型句の労いに、彩夏は深く考えず答えた。
この男は、良くやっていれば何も言わない男だった。褒めることはせず、呼び出される時はいつも注意か叱責がある。だから、彩夏はこの男の事が苦手だった。定型句のねぎらいにさえ警戒してしまう程に。
「君を呼んだのは他でもない。この報告について尋ねたい事があったからだ」
ねぎらいの余韻すら残さず硬い声でそう告げた道上の手には、紙の報告書があった。
今の時代、あらゆる情報は電子的なデータでやり取りされるもので、学校のレポートですら電子上で提出するというのに、この男は未だに報告は紙で出すように求めてくる。曰くその方が改ざんされる可能性が低いという事で、それは確かに間違ってはいないのだが、いささか神経質の度が過ぎると彩夏は常々思っていた。
「何でしょうか」
「首謀者についてだ」
道上の手にあるのは、昨夜の件――今月4件目の非公式集会の件の報告書だだ。書いたのは昨夜――もっと言えばつい数時間前で、だから何を書いたのかはよく覚えている。
「アンドロイドが首謀者、とはどういうつもりだ」
予想通りの指摘に、彩夏は開き直った。
「そのままの意味です」
そもそも、報告書に書こうと決めた時点でこうなると分かっていたのだ。けれど書いてしまったのは、本当にそうとしか思えなかったからだ。少なくとも現場で向かい合い、アンドロイドと対話した彩夏からすれば。
「自発的に集会を開いたと?」
道上はただでさえ細い目をより細める。機嫌の悪い証拠であり、普段は存在感の希薄な道上でも、その表情の時だけは明白な存在感と威圧感を放つ。
つい萎縮しかけた彩夏だったが、しかしどうにかその内心を漏らすことはこらえ、堂々と答えた。
「今回含めた直近4件。アンドロイドからは全てそう答えられています。また残骸に残されたログからも、首謀者の痕跡は認められません」
「それは君が破壊した結果欠損したのではないか?それとも巧妙に隠匿しているか、だ」
「しかし、」
「……ロボットの語源を知っているか?」
尚も反論しようとした彩夏の言葉を遮って、道上はそう問いかけてきた。
「奴隷です」
「そうだ。道具だ。動機を持つことはありえない。首謀者は人間だ」
道上はそう断言した。それは道上の個人的な意見であり――同時に命令の色を含んだ言葉だ。
首謀者は人間だ。世迷言を言っていないで人間の犯罪者を探せ、と。
「…中心に位置していたアンドロイドは4件とも同じタイプのものでした。製作者なら何かわかるかと」
「そうだな。だが、君が調べる必要はない」
「なぜですか」
思わず問い返した彩夏に件の威圧的な視線を向けて、道上は告げる。
「……君は今日から休暇だからだ。一月休め」
休暇というのは言葉の綾だ。実際、その言葉が意味しているのは謹慎である。一端この捜査から下りろ――そう言われているのだ。
しかも、謹慎を言い渡さず、休暇と言った。それは経歴上汚点にならない様にという気遣いであり、その事が余計に彩夏を苛立たせる。
「しかし、私は…」
「彩夏。君には期待している。これまで十全に期待に応えてくれたが、碌に休息もとっていないのだろう。だから、こういう妄言を言い出す」
佐切ではなく、ファーストネームで彩夏を呼んだ。子供の頃のように。それは、上司としての言葉ではなく、身内、保護者としての言葉である事を暗に示している。
――いつまでも、保護者のつもりだ。私を認めないんだ。
彩夏はその事に苛立ち、けれどこの人の言葉は彩夏にとって昔から絶対だった。上司となった今となれば尚更である。
「……わかりました。お気遣い、感謝します。おじさま」
彩夏にできる唯一の反抗は、そんな些細な皮肉でしかなかった。
*
書類やパソコンが乗っていることもかまわずデスクの上に足をのせ、これでもかとばかりに眉間に皴をよせ、ニコチンが酸素の代わりかのような勢いで紫煙を吸い込み、吐き出す。
そんなわかり易すぎる不機嫌さを見せる彩夏に、触らぬ神に祟りなしとばかりに同僚達は近寄って来なかった。もっとも、そうでなくても彩夏は同僚達に腫物のように扱われている節がある。理由は対偶像課課長――道上明人にあった。
彼は彩夏の親戚――叔父にあたり、同時に育ての親でもある男だった。父親の代わりであり、紛れもない恩人であり、それが未だに頭が上がらない要因でもある。
同じ職場にいるのは、ただの偶然だった。ただ適性を見込まれて司法局にスカウトされた。早く自立したかった彩夏は高校卒業と同時にこの場所の門戸を叩き、訓練と仕事に励み日夜努力を続けた結果、どんな因果かこの場所の適性が出てしまったのだ。
人事に道上が関与したとは思えない。そんな事をする人だとは思えないし、何よりこの職に彩夏が付いたことを嫌っている節もあった。表立って何かを言ってくることもなければ嫌がらせを受けることもなく、寧ろ期待を掛けられているからこそ謹慎ではなく休暇になったのだろうが、しかし理性とは別の心情の面で嫌がっているようだ。身内故の直観――幼少期見続けた背中からは確かにその感触があった。
とにかく彩夏は育ての親と同じ職場に居て、そして同僚達はその事を邪推しているらしい。最もそれは、彩夏の方が積極的に関わろうとしていない事が原因の一つでもあるのだが。
とりわけまずい煙――火がフィルターに達したことに気付くと、彩夏は咥えていた煙草を灰皿で揉み消して、そして新たな煙草を咥える。
と、そんな彩夏の目の前で、安物のライターが点る。この場所で唯一彩夏に気軽に話しかけてくる存在――橋場玄介だ。彼は彩夏に火を与えながら、話しかけてきた。
「荒んでるね、嬢ちゃん。課長に何言われたんだ?」
嬢ちゃん。その言葉も、道上が念頭にある言葉だろう。
だから彩夏はその呼ばれ方が嫌いだった。大嫌いだった。そもそも橋場だって26だ。嬢ちゃんと呼ばれる程年が離れているわけではない。
「休暇」
紫煙とともに漏らした言葉に、橋場は肩をすくめる。
「羨ましいね」
「代わって上げたいくらいよ」
隠そうともせず不満を見せびらかす彩夏に、橋場は内緒話でもするように顔を近づける。
「……だから、あの報告書はやめろって言ったじゃん?課長、筋金入りだろ?アンドロイドは人じゃない、意思などないってな」
「私は、思った通りに書いただけよ」
「ま、良いじゃん。休暇だよ休暇。カレシと旅行でも行けば?あ、今いないんだっけ?」
キッと鋭く睨みをいれた彩夏だったが、しかし橋場はどこか楽しげだった。
「まあそう睨むなって。良い男はどこにでもいるさ。ほら、目の前とか?」
橋場は良くこういうことを言う。隙があれば口説こうとしてくるのだが、その口調が余りにも冗談めいていて、彩夏としてはからかわれているようにしか感じなかった。
「振られたくて口説いてるの?」
「まさか、俺はいつでも本気だ」
「じゃあ、知性を疑うわ」
そう吐き捨てると、彩夏は橋場から火を与えられた煙草をまだ火も半ばでありながら灰皿に押し付けもみ消すと、立ち上がった。
「で、マジでどうすんだよ。またゲームのトップランカーになるとか?あ、それとも親御さんの顔でも見に行くとか?」
「行くわけないでしょ」
再び鋭く橋場を睨み、彩夏はそう吐き捨ててその場に背を向けた。
「まあ、とにかくゆっくりしろよ。事件はこっちで洗うからさ」
背中にかけられたその言葉にも、全くリアクションを返さないまま。
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