佐切彩夏/懐古に吞まれて

 久しく真面目にやっていなかった化粧をして、ルージュを引いて。

 久々にスカートなんて履いてみようかとして結局止め、ありあわせの中からどうにか見栄えのする服を選び――そうして彩夏が向かったのは色気も何もない街の居酒屋だった。


 久しぶりに連絡が来て、呑みに誘われた。雄一はもう少し高級な店を指定してきたが息が詰まるからと彩夏は辞退して、だから場所は居酒屋になった。


 雄一の良く来る店らしく、店構えはどこか古ぼけていて、頭に手ぬぐいを巻いたようなおじさんがアンドロイドの手を借りず自身の手で接客や調理をしている小さな店。


 だが、そう言う店は彩夏も嫌いでは無く、この店に入り、先に来てカウンターに座っていた雄一の記憶とあまり変わらない姿を見た時までは彩夏もちょっぴり、わずかばかり、ほんの少しの期待を抱いていたりもしたのだが――。


 ゴトン、と音を鳴らしてコップを置くと、彩夏は緩んでいるが険のある眼付きで店の親父に言った。


「おやじ。おかわり」


 へいと威勢よく答えて、店主は彩夏の前に新たなビール瓶を置いた。


「なんだ、荒れてるな彩夏。ゲームに戻ってきたことといい、何かあったのか?」


 その荒れている元凶である雄一は、気付いているのかいないのかそんな事を言って、彩夏のグラスにビールを注いだ。茶色い瓶を握る手――その薬指には指輪がついている。その指輪が何よりも問題で、彩夏はどことなく惨めな気分だった。


「別に」


 そう、そっけなく答える。別に――その後に続くのは何か。別に、期待してなかった。別に、こんなことだろうと思ってた。別に、よりを戻そうといわれてもフってやるつもりだったし……そんな事を考える自分がなんとも惨めで、だから彩夏は惨めさごと酒を呑み下す。


 そんな彩夏を横目に、やがて雄一は切り出した。


「道上さんに聞いたよ。謹慎だって?」


 彩夏はここぞとばかりに敵意を込めて雄一を睨む。


「あんた、まだおじさんと連絡とってるわけ?」

「仕事上の付き合いもあるし……あっちは今でも、俺と君が友人だと思ってる。そもそも頑なに友人としか紹介しなかったのは君だろう」


 雄一は彩夏より二つ年上で、社名は忘れたがアンドロイドの製造メーカーに勤めている。その関係で彩夏の叔父――道上明人と親交があるのだ。もっとも、学生の頃から一応知った中ではあるのだが。


「友人だったでしょ、あれ」

「お互いに恋人だと思い込んでいただけ、か。そうかもな。結局、卒業したら自然消滅だ」

「連絡しても返事よこさなかったのはそっちじゃない」

「あの頃は忙しくてね。けど、時間がとれるようになってこちらから連絡をしたら、君は番号を変えていたじゃないか」

「忙しかったの」


 答えになっていない言葉――そう自覚しながら当てつけに様にそう言って、それから彩夏はまたグラスを空にした。いくら飲んでも完全に酔うことはない。どうも彩夏はそう言う体質の様で、ほろ酔いまではいくがその先、理性が無くなることはない。


 いっそ酔い潰れた方が楽――そんな風に考えたが故のハイペースでも、結局ほろ酔いどまりだった。


「君が道上さんの部下になって、また会った時、俺は正直嬉しかった」

「私は悪夢だと思ったわ」

「だからそっけなかったのか」

「それは私の元々の性格でしょう」

「そうかもな。あんなにずっといたのに……思い返すと俺は君のことを何も知らなかった気がする」


 彩夏はその臭いセリフには何も応えなかった。学生時代、張り付くように行動を共にしていたわけではなかったが、それでもほかの誰よりも一緒にいた相手ではあった。


 同じものを見て笑い、泣き、だが結局上辺で付き合っていただけ。思い返せばそんな風に思えるのは、彩夏も同じだった。きっと誰しもそう思うものだろう。


 雄一が再びビールをつぐ。薬指の指輪が見えて――だから彩夏は言った。


「良いの、私とこんなところにいて」

「友人と話してるだけだろう。何にも問題はない」


 確かにそうだが……その先を考え始めて、彩夏はすぐにその思考を止めた。それは雄一とその奥さんが頭を悩ます話で、彩夏には関係ない。


「お相手は?」


 皮肉っぽく尋ねた彩夏に、雄一は笑って答えた。


「会社の同僚だよ」

「そう。いつ結婚したの?」

「一昨年だ。式も挙げた」

「……友人なら、呼んでくれても良かったんじゃない」

「そうだな。……君の方はどうだ」


 彩夏の皮肉をあっさりと流して、雄一は逆に問いかけてくる。


「ご無沙汰よ。仕事が忙しいの。アンドロイド関連の犯罪者が多すぎるから、完全に人手不足」

「わかってその仕事に就いたんじゃないのか」


 そう言われて、彩夏はなぜ自分がこの職に就いたのかを考えて……明確な理由がないことに気付いた。ゲームをしていたら声が掛かった――完全に現実と同質の動きをするVRダイブゲームでのヘッドハンティングはたまにあるのだ。


 最初から銃の知識があって、最低限の立ち回りは出来る――そう言う理由で。


 彩夏はそれに乗っただけで、アンドロイドを相手にしているのはそう言う適性が出て配属されたから。それだけの話で、自発的な理由は見つけられなかった。


「どうだか。……何にも考えず、勧められるままに歩いてるだけの気がする」

「テンプレートな葛藤だな」


 容赦の無い言葉に苛立って、彩夏は雄一をまっすぐにらみつける。


「喧嘩売ってるの?」

「俺にも覚えがあるって話だよ」


 その答え方――形ばかりの同意は昔のままだった。上辺だけわかりあっているようなふりをして、互いに理解をしているようで、本当は何もわかりあってはいなかった。


 ただ、お互いにお互いを型にはめてみていただけ。


「――ねえ。……愛ってなに」

「なんだ、急に。酔ってるのか?」

「別に。……既婚者なら答えを持ってるでしょ」


 あの少女――愛を知りたいと言ったアンドロイド。彼女の言葉を思い出して、尋ねてみたい気になったのだ。


 雄一はしばし真剣な表情で考えて――やがてこう答える。


「生物的な種の生存本能に、社会性と個別意識が絡んで生まれた生理的な欲求の亜種、かな」


 それは言葉の意味だ。彩夏にも答えられるもので、多分、この言葉をあの少女にぶつけたらはぐらかしていると答えるだろう。


「そういうことを聞いてるんじゃないの」

「じゃあなんだ?」


 なんだと問われて、彩夏はこう言い換えた。


「あなたにとって、愛とは何か」


 自分で言っていて笑えるセリフだ。実際、途中で笑ってしまったが、あの少女はこれを聞きたいのだろう。


 冗談とも本気ともつかない彩夏に、雄一は肩をすくめて、やがてこう答える。


「……守ること、かな」

「なにそれ。臭いセリフ」

「けど、君が聞きたかったのはそういうことだろう。今の俺にとって、愛とは守ることだ。別に暴力的な意味合いじゃない。家庭を維持し、生活を維持し、平穏を維持する。それだけの話だよ」


 それは停滞しているということでは無いか。そんな風に考えてしまった自分に彩夏は気付いた。結局、人から聞いても理解できない。


 釈然としない表情の彩夏を笑って、雄一は懐から財布を取り出した。そしてそれを開き、中の写真を見せてくる。


「まあ、そう思うようになった要因はあるな」


 それは、赤ん坊を抱いた女性の写真で、眩しいような幸せが写り込んでいた。目が眩むほどに。


「子供も出来たの?」

「ああ。ついこないだ生まれたんだ。かわいいだろう?」

「親ばかね」


 そんな月並みな事しか言えず、グラスを傾けた彩夏は、静かにそれを置く。


「……なんか、一気に年取った気分」


 自分はおいて行かれて、知らない所で世界は回っている。そんな気分だ。


「君は俺より年下だろ」

「だとしても、よ」


 彩夏は肩をすくめると、テーブルの上の灰皿を引き寄せて、それから煙草を取り出した。


 すると意外そうに雄一は尋ねる。


「煙草を吸うのか?」

「嫌ならやめるけど」

「いや、別に構わないが……意外だな。嫌ってなかったか?」

「どうかしらね」


 嫌っていたのか――そんな事すら自分ではわからず、ただ彩夏は煙草に火をつけた。


「何時から吸ってるんだ?」

「成人した誕生日、の翌日」


 もう家を――叔父の元を出た後で、仕事に追われて疲れ切ったその日は眠ってしまい、翌日目が覚めたら成人していた。せっかくだから何かをしよう――そんな碌な思慮の無い思考で翌朝に煙草を買い、盛大にむせた事を覚えている。


「……背伸びしているようにしか見えないな」

 ――無理すんなよ、嬢ちゃん。笑いながら橋場にそんな事を言われた――その記憶もある。


 要はみんな、子供扱いだ。


「やめろっていうの?」

 強く睨んだ――それも子供っぽい反応だとでも言いたげに、雄一は肩をすくめた。


「そうは言わないさ。ただ……」


 けれど雄一はその先を口に出そうとしない。


「なに?言いなさいよ」


 促した彩夏を一瞥して、意を決したのか雄一は言った。


「……煙草も、酒もだ。依存の根源は幼少期の体験にある」

「咥える行為に依存してるんでしょ。知ってるわ。幼少期に十分な愛情を受けなかったコンプレックスのせい。自覚してる。自覚して……どうすれば良いわけ?時間は戻らない。根本的な原因を取り除けるわけじゃない」


 雄一がその指摘をためらった理由――それは彩夏の境遇を知っているからだ。


 彩夏は叔父夫婦に引き取られた。父が安息区に入ったからだ。幸せの絶頂で母が事故にあい、父は狂ってしまった。到底子育てを出来るような状況ではなく、どころか普通の生活もままならず、覚めない幸福な夢の中に逃げ込んでしまったのだ。彩夏を置いて。


 だから、安息区に立ち寄り、父の夢の中を見て、けれどそこにはすでに彩夏がいて――蝉の声を聞いたのだ。寂しく儚い蝉の声を。


「君は、まだ子供だ」


 雄一はそう断言する。私の何を知ってるんだ――唐突に沸き上がったそんな激情を紫煙とともに吐き出して、彩夏は平静を装って答えた。


「それも言われたわ。そんなに子供に見える?」

「見た目の問題じゃない。情緒の話だよ。知性は発達したが、情緒は止まったままじゃないか」


 その指摘は多分正しい。だから、否定したくなった。


「医者にかかれとかいうわけ?で、幼少期の愛情不足っていうテンプレートを永遠聞かされるのね。それはきっと良い気分ね。胸がすくわ」

「……この話はやめよう。せっかく久しぶりに会ったんだ。怒らせたくない」


 彩夏の感情の一部を感じ取って、雄一はそう告げた。


「賢明ね」


 彩夏はただそれだけを答えて、煙草の灰を落とす。

 無言のまま、周囲の賑わいを僅かに聞いて、やがて彩夏は別の話を切り出した。


「アンドロイドが主体的に欲求を持つことはありえる?」


 仕事の話だ。思えば愛云々も元は仕事の話だ。……今の彩夏にはそれしか無いのかもしれない。そんな感傷が心の側面を撫でた。


「ない。……とは言い切れないかもしれない」

「どうして?」

「チューリングテストにパスしたAI……今のすべてのアンドロイドの原型になるAIには、概念的な学習機能が実装されている。知らない言語を覚えるだけでなく、所有者や周囲の人間の癖や行動を記憶してそこから自己修正していくプロトコルだ」

「それで?」

「ある特定以上の情報を蓄積したA.Iは自意識に近い物を持つ―そんな予想がある。意識面でのシンギュラリティだな」


 シンギュラリティ――技術的特異点。AIの計算能力――知性が人間を超えるという計算予想で、過去にもう通過された点である。


「それは、結局何もおこらなかったんでしょう?」


 計算容量は増えたが、それだけ。チューリングテストにパスしたAIが生まれたのも、それからずっと後の話だ。


「丁度同じ時期に戦争があったから、兵器の分野に特化してしまった。生み出す側の人間がね。あれは電子的な情報戦だったらしい。ソフト面で才能のある人間は創造よりもクラッキングに寄って完成してしまった。だが、ハード面の受け皿はもう完成している。計算能力ももちろん、情報の許容量で言えば彼らはもう人の脳を超えているだろう。後は、時間の蓄積だ。学習し続ければ、いずれ彼らもまた意識に近い物を持つだろう。現状の理論だと、百年以上必要らしい。まあ、俺達がそんなものに会うはずがない。だから、非公式の集会を開いていたのは、人間に集められたアンドロイドだけだ」


 非公式の集会――彩夏の仕事の根幹の話であり、けれど雄一には告げていないはずの言葉だ。


「おじさんに聞いたの?」


 鋭く問う彩夏に、雄一は観念したように頷いた。


「AIが主体的に犯罪を起こすなど、あり得ない。現時点ではね。……仮に獲得したとしても悪意ではないようだしね」


 彩夏が休暇であることを知っていて、何に頭を悩ませているかを知った上で、叔父――道上に頼まれてこの場に来た。


 彩夏に頭の中にはその筋書きが出来上がってしまい、だからこの食事で心の底から落胆したのは、今この瞬間だった。


「……それを言うために誘ったのね」

「違う。この話を聞いたのは君に会う約束を取り付けてからだ。君に会おうと思ったのはゲームに戻って来ていたからだよ。何かがあったのかと思ってね」


 それが本当の事であろうと――取って付けたように聞こえてしまう。


「その割にはタイミング良いじゃない」

「スレッドをチェックして見ると良い。夏が帰って来たと大騒ぎだ。あの曲芸が出来るのは君くらいだろう?」


“サマーソルトショット”……あのゲームを彩夏が始めたきっかけは雄一に勧められたからだった。続けていても不思議はない。


「奥さんがいるのにまだゲームしてるの?」

「たまにな。息抜きには良い」


 なら、またしばらくは、あのゲームはやりたくなくなった。


「今の忠告は、ただの話の流れだ。考えすぎない方が良い。……さて、こんな時間だ。俺はもう行くよ。妻が待ってるからね」


 嫌みの響きはなく、だが紛れもない嫌味に聞こえて自己嫌悪に陥る彩夏を置いて、雄一は立ち去って行く。


 頬杖をついた彩夏は、煙草のフィルターにこびりついたルージュを眺めた。


 と、そんな彩夏の目の前に、どんとビールの瓶が置かれた。彩夏は頼んでいない―そう思って視線を上げると、店主は照れ臭そうに鼻をこすって、言った。


「店からおごりだ。呑んで忘れちまいな」

「……ありがとう」


 彩夏は珍しく、やわらかな笑みを浮べた。

 やはり、かなり、酔っているのかもしれない。

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