佐切彩夏/児戯の名残に呼び出され

 実物よりも重く派手な銃声が轟く、薄暗い廊下。その中で、彩夏は小銃アサルトライフルを担いで駆け回っていた。


 反響する足音――うるさいくらいに響き渡るそれが自身の居場所を知らせるものだとわかりながら、あえて大きな音を鳴らして周囲の注意を引き付ける。


 その音に釣られたのか、進行方向、曲がり角から彩夏のものではない足音が聞こえてきた。彩夏はこの先の地形を思い出し――待ち伏せを一瞬だけ検討した末に、そのまま突っ込むことにした。


 全速力で駆け抜け、勢いのままに横っ飛びで曲がり角に出た。


 視界の先には敵――完全防備でフェイスマスクをつけた男の姿があり、現れた彩夏に反応してその銃口が彩夏へと向かうが、横っ跳びの彩夏へと正確に狙いをつけるのは至難の業だった。


 もっとも、その難易度は飛んでいる最中の彩夏にしても同じ事だが、当てる自信がないのならわざわざ体勢の崩れるこんな行動は取らない。


 空中にある内に三点バーストの小銃――その狙いを敵の頭へと正確につけ――引き金を引く。


 同じタイミングで相手も引き金を引きしぼり、双方の銃口が派手に火を噴いた。


 被弾――彩夏の視線が赤く染まる。だが致命的な部位への命中ではないと判断された彩夏のダメージは大したものではなく。

 逆に、顔面に三発全てを叩き込まれた敵は派手に血をまき散らして倒れ込む。そして数秒後に、倒れ伏したその体が消え去った。


 起き上がった彩夏の視界に、今の会敵で獲得したポイントが表示され、ランキング画面で彩夏のアバターが上位につく。


 すぐさま起き上がった彩夏は、再び派手な音を鳴らして走り出した。


“サマーソルトショット”――まったく持ってサマーソルトではなく完全に横っ飛びだが、使い手である彩夏のアバター名に”summer”の文字が入っていたためにいつの間にやらそんな名前を付けられた一種の特技―と言うよりもほとんど曲芸だ。


 ただしその効果は絶大で、曲がり角や遮蔽物越しでの会敵ならほぼ百パーセント彩夏は勝ち切れる。空中でのバランス感覚と異常に早いエイム速度のなせる技で、まともに成功させていたのが彩夏だけの為チートを疑われて運営にクレームが入る程の強さだった。


 これはVRダイブゲーム――現在一般的に浸透しているオンラインゲームで、仮想世界の中に意思の通りに動くアバターを作り、そこで銃撃戦を繰り広げる対人オンラインFPS――。


 学生の頃に暇を持て余して始めた結果熱中してしまい、いつの間にやら必殺技のような代名詞まで出来てしまい、本格的に対策され始めた結果ゲーム自体を止めた――それを彩夏は再びやっている。


 余りにも暇だったからである。ここ数年仕事ばかりだった彩夏は休暇に何をするべきかわからず、散歩やら何やら迷走した結果、最終的にこのゲームに戻って来たのだ。彩夏が離れている間にバージョンが変わっていて仕様は変更されていたが、それにもすぐに慣れ、今こうして再び”サマーソルトショット”を成功させるまでになった。


 未だこの技を使う実力の伴った阿呆は彩夏の他に居ないらしく――そもそも外した時のリスクが大きい割に成功率が高くないのだ――この技は再臨と共に猛威を振るっていた。


 だが、それももう終わりだろう。

 派手に足音を鳴らし敵を呼び寄せ続けるも、反応して近づいて来る者はいない。


 皆、彩夏のいる一角には近づいて来ないのだ。それは昔も実践された”サマーソルトショット”対策―そもそも条件の整う場所では戦わないというものだ。


 卑怯な手だがれっきとした作戦でもあり、ゲームで生計を立てているようなプロも混じっている以上、それを非難する権利は彩夏にはないし、非難する気もない。


 ただ、単純につまらなくなるだけだ。酷いときには彩夏のアバターの名を見た瞬間に全員が退室する事もあった。このつまらなさに耐え切れなくなり、昔の彩夏は止めてしまったわけだが、大人になって、かつ暇を持て余した彩夏はそこで腐らなかった。無敗の強さを誇る屋内を後にして、オープンスペース――駐車場に出る。


 そこで現実ではあり得ない行動――状況確認もせずに勢いのままに飛び込んでいく。三階から飛び降りても無傷――銃痕が時間経過で回復してしまうような世界だ。何ら不思議なことはない。


 駐車場では何人かの兵士達が車を盾にして銃撃戦を繰り広げていた。チームマッチでは無くサバイバル――全員敵のオープンな戦いだ。彩夏は地を蹴って、その火砲のカーテンへと駈け寄って行く。適当に狙いを付けて、銃弾を撃ちだしながら。


“サマーソルトショット”――曲芸は出来る割に普通に撃つと命中率が良くない。それは学生の頃の彩夏の理由の分からない欠点―恐らくぎりぎりの方が集中力が増すのだろう―であり、”サマーソルトショット”をチートと呼ばれた原因であり、オープンスペースで戦うという対策が成立してしまった一因ではあるのだが、しかし今の彩夏は特別介入官。訓練を受けてしまっている。


 適当に撃っても一人に当たり、そのせいでその場にいる全員が彩夏に銃口を向けてきた。


 即座に車の影に身を隠した彩夏は弾丸が車体を殴りつける乱打を聞いた。

 仕様上――車はへこむが壊れない。やがて銃声がぴたりと止み、さっきまでの射撃音が嘘のように静まり返った。


 全員場所を変えたのか――そんな事を思った彩夏だったが、しかし足音は聞こえている。


 全員共謀して彩夏を倒そうというのだろうか。それもまた、過去に取られた対策の一つだ。結局彩夏にしか”サマーソルトショット”が出来ない以上、対策は技ではなく彩夏個人に対するものになる。


 所詮ゲームはゲーム。別に罰則のあるルール違反ではないのだが……釈然とはしない。


 彩夏は手榴弾のピンを抜き、カウントを数え――爆発する寸前に車体の向こうへとそれを放り投げた。


 そして爆発すると同時に車体の影から身を乗り出す。

 適当に放ったのだ。致命的ダメージを受けた者はいないが、彩夏の視界にはダメージボーナス――何人かに手傷を負わせたとの表示が出る。


 そして彩夏は身を乗り出して目視でも倒れている数人を確認し、容赦なく弾丸を撃ち込んでいった。


 そうしている間に、別ルートで近づいてきていた三人の敵が彩夏へと弾丸を放ってきた。とっさの判断で飛びのき、空中の間に一発放ち、どうにか一人は倒す。


 だが、さすがに一回の跳躍の間に二人以上倒すのは不可能であり、撃ち漏らしがいるままに、彩夏は地面へと倒れこみかけた。複数から狙われれば例え一人は倒してももう一人には無防備に倒れこんでいる瞬間をさらすことになるため、結局は敗北してしまう。


 この局面でも敗北は決定的だが――せっかくだからと彩夏は一つ試してみることにした。


 倒れこむ途中で思い切り両足を上げて反動をつけ、同時に片手を地面につける。そして地についた手を支点にもう一回転―側転を試みた。


 生身で出来る技ではない――そもそも現実で”サマーソルトショット”などと言う曲芸をする気などさらさらないが、このゲームの中で身体能力が上がっていて、かつ訓練で体の使い方を覚えた今ならできるかもしれない。


 そして側転自体は成功し、倒れこまないままに彩夏の視界は上下さかさまになった。


 敵は彩夏の動きに驚き、狙いが乱れている。その間に、彩夏は上下が逆さまに回っている状態のまま、狙いを付けて、引き金を引いた。


 三発吐き出される弾丸――その内の一発が敵の頭を捉えた。


 成功した――慣性や反動の影響がほとんどなく、やたらと身体能力の上がったゲームの世界ならではだが、また新たな曲芸が生まれてしまったらしい。


 無事側転を終え再び両足を地につけた彩夏に、残る一人は銃を下した。

 そしてぱちぱちと拍手を始める。チートとののしることもなく、素直に彩夏の動きを称賛しているらしい。


 所詮ゲーム。みんな遊ぶために来ているわけで、よほどパターン化して勝ち過ぎでもしなければ、常軌を逸したスーパープレイは称賛されるのだ。


 ――だから、彩夏も本当に嫌いにはなれなかったのだろう。


「ありがとう」


 チャットはオフにしているからこの呟きが相手に届くことはなく、だから彩夏は去り際の手品師のようなジェスチャーで頭を下げた。


 そしてそのあとで、小銃の銃口を敵に向ける。

 敵は観念したように両手を上げた。無抵抗を表し、それから頷いて見せる。


 そして彩夏が引き金を引くと、その敵を倒したというポイントが眼前に表示された。


 すがすがしく勝った。その感慨にふけりながら、ほかの敵を探して視線を巡らせた彩夏だったが――次の瞬間、彩夏の視界が真っ赤に染まり、やがて暗転する。


 撃たれたらしい。おそらくは、スナイパーに。


 そして彩夏はリスポーンをキャンセルし、リザルトを見ることもなくゲームから退室した。


 *


 ヘッドギア――安息区で被るものにも似たそれを頭からとって、彩夏は煙草の箱に手を伸ばす。


「……私よりイモってる奴の方が絶対卑怯よ……」


 そんな文句を言いながら、彩夏はヘッドギアを脇に置いた。最初にこれを見た時、父に会いに行った時を思い出すようで――蝉の声を聞くようで、彩夏は明確に嫌悪感を持っていた。


 けれどその嫌悪はいつの間にやら薄れて、その内になんの恐怖も感じなくなっていた。記憶が上書きされていったのだろう。結局対策されるという新たなトラウマの元凶になっている気はするが、久しぶりにやれば楽しいものだ。


 頭だけが重苦しいようなアンバランスな疲労――何時間もVRゲームをつづけた時特有の疲労に包まれながら、彩夏は味気ない自室を眺めた。


 マンションの一室――ほとんど寝に帰るだけだったこの部屋には必要最低限の家具のほかにはこのヘッドギアと、それから絵が飾られているだけだ。


 絵に描かれた二人の自分に睨まれ、彩夏は煙草に火をつける。

 と、そこで彩夏はいつの間にやらメールが届いていたことに気付いた。ゲームに夢中で気付かなかったのだ。休暇中とはいえ、仕事の呼び出しだったらまずい。


 そう考えて飛びついた彩夏は、しかしその差出人の名前に眉を顰めた。


「……雄一?」


 それは、学生の頃――彩夏の児戯の相手だった男の名前だった。

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