佐切彩夏/空蝉の唄声

「あは、は、ははは、はははは、は、はは、……」


 渇いた、狂った様な笑い声――彩夏がその場にたどり着いた時、その場で聞こえた音はただのそれだけだった。

 そして同時に遅かった事を痛感する。全て、終わってしまっていることを。


「これは……」


 隣で佇む橋場は、その光景を前にただそれだけを呟いた。状況が掴めていないのだろう。橋場にしてみればただ銃を盗まれた後始末をするつもりで来ただけであり、この場にいる誰とも直接見知っていたわけでは無いのだ。

 それで理解しろと言う方が間違っている。


 だが、彩夏には――この場所にいる全員と見知っていた彩夏には、悲しいほど状況が理解できた。


 雄一は地面にしゃがみ込んで、その手には44口径を握っていて、ただ狂ったように笑っていた。

 周囲には二つの死体――が残骸となって倒れている。少年と少女――44口径の威力でそのパーツが吹き飛んでいて、もはや判別できない。

 ただ、見覚えのある服や包帯の残骸が見えて、不意に彩夏は我が家に飾られた二枚の肖像画を思い出していた。


 二人が――仲の良さそうな二体のアンドロイドが彩夏にモデルになるよう頼んで、描いた絵。


 手を繋いで静かに眠る二人。彩夏はそんな光景を一瞬だけ幻視して、けれど現実の二人の手は44口径で吹き飛ばされていた。そのどちらからも、焦げた金属部品を覗かせて。


 無残な残骸――不可逆の変質だ。あの二人は二度と手を繋ぐことはない。


 どうして雄一がこの二人の居場所を知っていたのかは、彩夏にもわからない。ただ、雄一がなぜこんな事をしたのか――銃を奪い取ってまでこの場所にやって来たのかは想像できた。


 復讐だ――ただただむなしく、誰を救うでもない衝動的な復讐。自身の肉親を物に変えたアンドロイド――それと同じデザインをした少女に、同じ苦しみを与えようとした。


 別の個体だ。別の存在が起こした凶行で、限りなく逆恨みで――


「彩夏……」

 雄一の声――狂った男は彩夏を見ていた。もはや理性のかけらもない淀み切った目で。


「仇だよ……」


 空虚な声が彩夏の耳朶を打つ。


「仇をとったんだ……はは、は……。こいつら、アンドロイドの癖に、手なんて繋いでさ気持ち悪いだろ」

「……しゃべらないで」

「里紗を殺したのに……ぐちゃぐちゃにしたんだ。だから俺もぐちゃぐちゃにしてやったんだ。は、は……」

「黙って」

「わかるよな、わかるだろ?こいつら、あそこに住んで、絵描いてたんだぜ機械がさ、お互いを絵に描いたりしてさ、人間みたいでさ……気持ち悪いよ………なあ、わかるだろ、彩夏!」

「黙れ!」


 叫び、彩夏は銃口を上げて――雄一へと向けた。


「おい、嬢ちゃん!」


 彩夏の行動に、橋場は叱責の声をあげる。だが当の雄一は銃を向けられたというのにそれにすら気付かぬ様子でうわ言を続けていた。もはや理性は宿っていないのだろう――それだけの光景を見せられたのだ。


 彩夏はあの光景の嫌悪感を思い出す――アレがもし肉親だったとしたら、どれほどの影を心に落とすのか。


 同情は出来る。同情しか出来ない。雄一にも、絵を描いていた二人にも。心情を理解して、共感して――けれど、他人事に過ぎないから彩夏は冷静でいられる。


 狂った男に銃口を向けて、ただ冷たい理性だけが蠢いている。


 彩夏はもう選択した――罪には罰を与え続けると。人が決めた法に従って、一線を超えた存在を破壊し続けると。


 雄一は――狂ったこの男は二人を殺した。そう、殺したのだ――境界線がなくなった今となっては、あの二人は彩夏から見て人で、意思があって、望みがあって、共感できてしまえる。


 ――だが、あの二人はアンドロイドだ。


 がくりと崩れ落ちる様に、彩夏は銃口を下した。


 ――愛して、見たかったな……。鼓膜に焼きついた囁きが銃を下ろした彩夏を苛み、けれど、彩夏の中でのルールはもう、決まっていた。


 アンドロイドに人権はない。この二人は、彩夏からすればどんなに人間に見えても――所有者の元を離れた野良のアンドロイドであり、破壊した所で法的に大した罪にはならない。


 あの二人には同情している。どこか憧れてすらいたのかもしれない。けれど、――機械だ。


 不可逆の変質を起こしたとしても、雄一を殺す根拠など彩夏には無かった。

 彩夏は選択した――引き金を引き続けると。だが、それはある意味で職務に忠実であり続けることで、法的な根拠のないままに人間もアンドロイドも破壊することは出来ない。


 大きな感情の揺らぎを感じながら、それを完全に無視し理性でのみ生命与奪を選択する事が出来てしまっている自分を知って――彩夏は今ほど自分が冷たいと思ったことはなかった。


「あのアンドロイド……知り合いだったのか」


 銃を下ろした彩夏は橋場にそう問われ、けれど何も応えず、ただ銃を手放した。


 ふいに、蝉の声が聞こえた。――それが幻聴か、それとも本当に蝉がいるのかすら判断出来ず、彩夏は目の前の惨状に背を向けて、廃屋へと歩んで行った。橋場は何も言わず、ただその背中を眺める。


 ドアの前には絵の具がある。あの少女は、プレゼントを渡す事が出来なかったのか。


“絵の具が欲しい”――そんな純粋な願いが胸中を掠めた。深く知っているわけでもなく、長く語らったわけでもなく、けれど彩夏は確かに少女の願いを知っていた。


 感傷を踏み越えて、無人の廃屋――そうは思えない程に掃除の行き届いたその場所へと彩夏は踏み込む。


 ――なぜここに入ろうと思ったのか。


 今更になって浮かんできた冷静な自分の問いに、彩夏は答えを持たなかった。

 ただ、惹かれるように歩み、部屋の戸を開けて――。


 部屋の中心のイーゼルには、描きかけの絵があった。モノクロの草原――ただそれだけが静かに佇んでいる。


 ふいにモノクロの絵に色がついたような気がして、その前では二人が笑っていた。


 少年が絵の具で草原にカラフルな色をつけていて、その隣に腰掛ける少女が嬉しそうに微笑んでいる。


 夢のように朧な、幸福な風景で――ただの幻だ。その場にあるのはモノクロの絵と、無人の画廊だけ。あの少年がこの絵を完成させる事は二度となく、隣で少女が微笑む事もありえない。


 不可逆の変質―――幾ら時が経とうとも、この絵に色がつく事は永遠にありえないのだ。


 ――彩夏は泣き声を聞いた。その声が自分の口から漏れていると気付いた途端、身体中の緊張がとけて、彩夏は壁にもたれて崩れ落ちた。


 涙は止めどなく溢れ、もはや彩夏には止めようが無かった。

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