佐切彩夏/ショーウィンドウに心惹かれて 下
「うちのお得意様の一人でな、毎週のように画材を買いに来る奴がいたんだよ。……アンドロイドが」
店主は、続ける。
「最初はただ淡々とお使いをこなしてるだけだったんだろうが、ある日俺は気付いた。そいつが毎日、外の絵をじっと眺めてることにな」
「外の絵?」
「あんたも見てたろ」
その言葉で彩夏も理解する。二人の人物の描かれた精緻でどこか乱雑な風景画を。
「あの頃はフロートディスプレイの画像データだったんだが、毎日飽きもせずに見てたからな。俺はつい尋ねたんだ。気に入ったのか、ってよ」
「アンドロイドに?」
混ぜ返した彩夏に店主は肩を竦めた。
「ああ。可笑しいだろ。だがまあ、そうとしか見えなくてな。けど相手はアンドロイドだ。当然返事はよくわからない、だ。まあ、そんなもんかって俺もそん時は落胆したが、次にそいつが来た時に言ったんだ。自分は気に入っているのかもしれないって」
曖昧な言い方だ。プログラムで行動しているアンドロイドらしくない――そもそもそれは、感情の一端を口にしているような台詞だ。
「で、俺は言ってみた。描いてみたいかって。で、そいつは頷いたのさ。今度はすぐにな。それがここの始まりだな」
描きたいと言ったアンドロイド。自分の意思で、絵を描くことを望んだ存在――。
「つっても、なに描きたいか、なんて聞いてもしょうがねえだろ。わからないしか返ってこないしよ。だから模写させてみたんだ。そしたら超うまいんだよ。店の外のあの絵、あれ一枚目だぜ。最初っからあの出来栄えだろ?つい飾っちまったのさ。あいつはなんか納得してないみたいな感じだったけどよ。でまあ、その後も何枚か模写して、全部うまいから下に飾ってある。で、そんなにかけるなら模写じゃなくて良いんじゃねえかって思ってよ。実物を描かせてみた」
「実物?」
「リンゴだよ、リンゴ。学校で描かなかったか?」
「……潰れたトマトが出来上がりました」
写実を飛ばした抽象画家ね――その苦い記憶を苦笑とともに吐き出すと、店主は笑みをこぼした。
「まあ、そいつも似たようなもんだったよ。模写はめちゃめちゃうまいのに、実物を描かせるとてんで駄目なんだ。なんでだか俺には良くわかんねえけどよ……すげえ下手でさ。俺は落胆したし、あいつも多分ガッカリしたんだろうな。で、しょうがねえから教えてやることにした」
「絵の描き方を?」
「そうだ。最初は苦労してたみたいだが、途中から一気にうまくなってな。描き方がわかんなかっただけだろうよ。で、最後に出来上がったリンゴがあれだ」
店主が指差した先――壁に一枚の絵が飾られていた。下の絵画とはまるで違うただただシンプルで、リアリティのある瑞々しいリンゴの絵が。
あれをアンドロイドが描いたのか―。
「で、そうこうしてる内に他のアンドロイドも来るようになった。絵を描いてみたいって。みんな絵の具を買いに来る奴らで、主人が絵を描いてたから興味がわいたのかもな。俺はそいつらに場所を貸してやって、結果的にここが出来上がった」
「彼らは、命令されて描いてるんじゃないんですか?」
もし店主の話が本当なら、ここにいるアンドロイド達も意思を持っていることになる。そして――。
「自分の意思で描いてるのさ。勝手にやって来てな」
「……これ、犯罪ですよ」
気付くと、彩夏はそう指摘していた。
「犯罪?アンドロイドが絵を描いちゃいけねえのか?」
「非公式集会」
彩夏の職務――対偶像課の介入対象だ。どこに申請を出すでもなく、また所有者の許可もなく定点に連続して集合する。それは、紛れもない犯罪だ。
「ああ。アンドロイドは勝手に集まるなって奴か。確かにばれたらひどい目に合うんだろうな、あいつら。でもまあ、旨い事ごまかしてるみたいだからよ。今のところばれてねえし大丈夫だろ。ばれたとして……悪いことしてるわけじゃねえしな」
非公式集会は、情報があって初めて介入に移る。どこかで誰かが目撃して情報を漏らさなければ介入する権限は得られないが、この場合は彩夏自身が目撃している。
現行犯として破壊してしまう権限はある。あるいは、そうしなければならないのかもしれない。
だが、彩夏はそんな気分にならなかった。何より今は休暇中で、それに店主のいうごまかすという言葉に納得してしまったのだ。
この間会ったアルビノの少女を思い出した。彩夏に愛を尋ねた少女。彼が帰ってくると笑った少女を。ここのアンドロイド達も、似たように所有者の目を盗んで過ごしているのだろう。この場所で、絵を描いて。
ごまかす。先日その言葉を聞いた彩夏は、強い嫌悪を抱いたものだが、今はむしろ見守るような心地になっている。前と何が違うか――引き金を引いた相手ではないからか。それとも、似顔絵を描かせたあの個体を重なっているのか。
彩夏には自身の心境の変化の理由がわからず、だが攻撃的な感情も思考もまるで沸いては来なかった。
「もし、私がばらしたら?」
その気のない言葉を彩夏は嘯く。すると店主は呆れたように言った。
「ばらさないと思ったから見せたんだよ。……こいつらが犯罪してるように見えるか?」
「見えないです」
即座に彩夏は断言する――断言出来てしまった。そう、犯罪などではない。
ただ、絵を描いているだけだ。
「そう。別に良いじゃねえか、絵を描いても。あんたもそう言ってたろ」
確かに彩夏はそう言った。あれは似顔絵を描いた個体を思い出しての言葉だったが、けれどそう思ったことは確かだ。今目の前の光景を眺めてもそれは変わらない。
……彩夏は、アンドロイドに意思が存在するということを認めかけているのかもしれない。
「……そうですね。あの、最初のアンドロイドはまだ来てるんですか?」
そう尋ねると、店主は表情を曇らせた。
「いいや。来てねえよ。もう教えることはない、後は好きに描けっつったら、来なくなっちまった。どっかで元気にやってんなら良いんだが……絵の具も買いに来なくなったし。もしかしたら……」
廃棄されたか。もしこの聖域以外の場所で絵を描こうとしたのなら――所有者がその行動を見たのなら、強い嫌悪を抱いても不思議はない。捨てようと思ったとしても。
「わかんなくもねえよ。なんか気持ち悪いってのは。昔俺もそんな感じだったしよ。けど、釈然としねえよな……」
この男は自分と同じ――境界線がわからなくなっている。アンドロイドと人との境界が揺らいでいるのだ。
彩夏が引き金を引き続けた末にそう感じたのと同じように、絵を介してアンドロイドと触れ合う内に店主はそこに意思を見てしまったのだろう。
「そうだ、あんたも描いてくか?場所は貸すぜ?画材は買ってもらうけどな。こっちも商売だ。ここはそう言うルールなんだよ」
暗い話を打ち消すようにそんな事を言った店主に、彩夏は肩をすくめた。
「やめときます。笑われそうだし」
どう背伸びしても、彩夏はここにいるアンドロイドほどうまく絵を描くことはできない、そんな彩夏を店主は笑った。
「そうかい。まあ、気が向いたら描きな」
彩夏はその言葉に頷き、それから最後に一つ問いかけた。
「……店番、なんで自分でやってるんですか?」
「昔、嫌いだったんだよ。アンドロイドが。絵に関わってほしくなかった」
感情のない機械が筆に触れる事すら嫌う――わからないわけでもなかった。
「今は?」
「……さあな。なんか、今のままが良いんだよ」
何の説明にもなっていない返事――だが絵を描くアンドロイドたちを眺める店主の視線に、彩夏はその感情がわかるような気がした。
*
結局何も買いはせず画材店を後にして――入れ替わるように店に入って行ったアンドロイドにこの個体も絵を描くのか、などと空想しながら雑踏を歩み、やがて彩夏はある喫茶店のテラスに腰を下ろした。
ガラスの灰皿――そこに灰を落とす。
この前アルビノの少女と出会った場所。彼女に会おうと思ってやってきたわけではない。ただ、会いたくない訳でもなかった。
聞いてみたかったのだ。絵の描ける画材店を知っているのか。あるいは、同じタイプのアンドロイドで絵を描いている個体がいると知っているか、と。
きっと、前ほど感情的に嫌悪する事はないだろう――愛を問われたとしても嫌がりはしない。依然彩夏の中にその答えはないが、もしかしたらアルビノの少女の方は答を見つけているかもしれない。あの絵を描いていた個体を介して。
「ご注文は何でしょうか?」
アンドロイドが注文をとりに来る――前と同じアンドロイドだ。
「……この前と同じ物を」
彩夏はそんな事を言った。アンドロイドならきっと覚えているだろうし、前に出されたメニューはろくに味わいもせずに飲み下してしまった。
せっかく選んでくれたものだ。今日はちゃんと感想を言おう。あるいは、感謝の言葉をも。
そんな彩夏にアンドロイドは笑いかけ、かしこまりましたと頭を下げて店内へと下がっていく。
その背中を眺めて、彩夏は僅かに微笑んだ。
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