岬京吾/悪意の果てに悪意無く
三葉エレクトロニクスの最上階――理事会が開かれているその場所へとエレベーターが開き、シャーリーに車椅子を押されて、岬京吾はその階へと降り立った。
嫌な予感。最悪な予想に、浮かない顔をしながら。
問題はタイミングだ。京吾の所に司法局が訪れてすぐの呼び出し……シャーリーに関連する事柄であることは明白だ。
どんな処分を受けるか――それを思うと京吾の胸は張り裂けんばかりだった。シャーリー達は京吾の生涯を掛けた作品であり、本当の娘であり――京吾の人生そのものだった。それを奪われるかもしれない。そんな時に笑顔を浮かべられるだけの胆力は京吾には無かった。
「お父様。あの方達は指輪をしていたわ。結婚しているのかしら」
車椅子を押しながら、シャーリーはそう尋ねてくる。エレベーターで一緒になった同僚夫婦――幸せな雰囲気を放っていた二人の事を、シャーリーは純真に尋ねているのだ。自分がこの先どんな運命を辿るか予想もせずに。
「そうだね」
嘘をついているような気分で、京吾は答えた。
「なら、愛を教えてくれるかしら」
「きっと教えてくれるよ」
その京吾の声にシャーリーは微笑んだ。疑いの色のまるで無いその笑顔を、京吾は直視出来なかった。
会議室――実務的にテーブルと椅子とディスプレイだけがあるその部屋には、社長の他役員の面々――この会社で絶対の権力を持つ人々が勢ぞろいしていた。
そして中心にいる社長は、京吾の車椅子を押すシャーリーの姿に僅かに眉を顰める。その表情の変化で用事が何か確信して、けれど努めて気付かない振りをして、京吾は口を開いた。
「こんにちは。御用という事ですが」
「岬君。君にとって辛い知らせだ」
一切猶予のない硬い声で、社長は切り出す。
「はい」
予算の削減か。それならばまだ良い。シャーリー達を完成させた後、京吾は碌な成果を上げず、研究も余りせずただシャーリー達を観察していたのだ。だから予算の削減の根拠はあるし、それならば甘んじてうけ入れよう。どうかそれであって欲しい―そんな京吾の期待は一瞬で奪い去られた。
「シャーリー型の回収と廃棄が先ほど決定した」
予想していた事だ。予想の通りの内容で、けれど京吾はしばらく何も言うことが出来なかった。地面に叩き落されたような気分――京吾は場違いにも、昔見た映画のワンシーンを思い出していた。
「しかし、シャーリーは……」
辛うじて言ったその言葉も、意味を成さない。
社長は変わらぬ口調で、感情の色を見せずに続ける。
「非公式の集会を開いていた。利用されていただけにせよ、自分の意思であるにせよ……事態が発展すれば我が社のイメージに関わる」
「そんな!」
京吾は感情的に反論しようとするが、社長の判断が経営者として正しい事も知っていた。いわば、損切だ。傷が浅い内に見切って、ダメージを最小限に抑える。
「明日、一斉に回収され廃棄される。これは決定事項だ。わが社は君の変わらぬ貢献を求めている。わかってくれ」
「しかし、」
その先の言葉は京吾にはなかった。もう、どうしようもないのだ。足の悪い一介の研究者が覆せる状況では無い。その諦観の中、京吾はシャーリーの声を聞いた。
「ねえ、お父様。回収と廃棄、ってどういう事?」
京吾は振り向くことも出来ず、答えることも出来なかった。どうして愛する愛娘に死刑宣告など出来ようか。まして彼女達は何も悪くない――ただ愛を知ろうとアンドロイドを集めただけだ。どこにも、誰にも迷惑は掛けていない。
黙り込む京吾の代わりに、社長はシャーリーに告げる。
「君と同じ型のアンドロイドを全て集めて、機能を停止するということだ」
「機能を、停止?みんな?……私達を、みんな殺すの?私達は、動かなくなっちゃうの?」
「意味としては、そうだ」
「でも、殺すのはいけないことでしょう?」
「仕方のない場合もある」
「……殺しても良いんだ」
感情の色を見せずにそう呟いたシャーリーに、京吾は初めて僅かな恐怖を感じていた。末路を理解して、―――その上でまだ冷静であり続けるシャーリーに。
同じ感触を抱いたのか、社長は告げる。
「以上だ。退室してくれ」
「……シャーリー」
「はい、お父様」
京吾の呼び掛けに答え、シャーリーは普段と変わらぬ愛らしさでそう答える。けれど京吾は、その愛らしさにすらも恐怖を抱く。
何かが違う――どこかが変だ。普段と変わらぬシャーリーに今更になってそんな感情を抱き、京吾はこれまで自分の見ていたシャーリーが急に上辺だけのものに思えてきた。
何も見ては居なかった。自分は気付かないうちに、何かいけないものを創り出してしまったのではないか――その恐怖にこわばり、京吾はただシャーリーに押され、けれど部屋に戻った途端にその恐怖は吹き飛んだ。
ぬいぐるみ、おもちゃ――シャーリーにねだられるままに与えた物。いつの間にか覚えて、淹れてくれるようになった紅茶……その部屋にはシャーリーと過ごした日々が詰まっていて、それを見た瞬間京吾は確信した。
自分はただ、ショックをシャーリーに投影して、傷つかないように恐怖を覚えただけだ。予防線を張ってしまっただけで、私は今でもシャーリーを愛している――。
「シャーリー。紅茶を淹れてくれないか」
社長に頼んでみよう。世に出ているものは仕方がないとしても、京吾の手元に一人残す事は許してくれるかもしれない。そこに淡い期待を抱いて、京吾は微笑んだ。
「はい。……ねえ、お父様」
甘い声を出しながら、シャーリーは京吾の首に腕を回して耳元で囁きかける。
「なんだい?」
「お父様は、私達を愛しているの?」
慈愛に満ちた手付きで京吾の頭を撫でながら、シャーリーはそう囁く。
「ああ。愛してるさ。……愛しているとも」
「そっか。……じゃあ、」
偽りのない自分の言葉に京吾は安心して――直後、部屋が真横に転んだ。
車椅子から落ちた――そんな予想が京吾の最後の思考だった。
まっすぐ立った車椅子。その上に腰を下ろした京吾。けれどその首は、真横に曲がっていた。目を剥き、息絶え、絶命した京吾にシャーリーは囁く。
「私達も、お父様を愛したいの。もう終わってしまうなら……せめて愛せるようにしていただきたいの」
そしてシャーリーはそっと京吾の首を元の位置に戻した。
「これで痛くはないわ、お父様。少しの間待っていてね」
変わらぬ調子――京吾が生きている時と何ら変わりのない様子でそう言って、シャーリーは部屋を出て行く。
戻ってきた時、シャーリーの手にあったのは工具箱―京吾の使っていた道具だ。シャーリーはその中からノミとハンマーを取り出して、京吾の背後に立つ。
そして迷いなく、京吾の頭に当てたのみをハンマーで叩いていく。
硬い感触――ほんの少しの返り血を浴びながら、シャーリーは京吾の周りを回って正確にノミで京吾の頭蓋骨を開けていき、やがて一周して背後に戻ると、その頭蓋骨を持ち上げた。
てらてらと輝く灰色の脳――頭蓋骨を丁寧にテーブルに置いたシャーリーは、そこに両手を突っ込んだ。
「……これが、大脳。右脳で、前頭葉で……」
外科医のように繊細かつ容赦のない手つきで、シャーリーは脳をいじり、ほぐし、分解し分類していく。不快な音が鳴り続けても、眉一つ動かさずに。
やがて細部まで脳を解体した少女は眉を顰めて――それは捕まえた蝶がいつの間にやら逃げ去ってしまったような子供っぽく残念そうな表情で――脳を頭の中に戻した。
「……愛は、頭の中にあるのよね。けど、見つからないわ……。お父様は私たちを愛していなかったのかしら。……ああ、そうよ。私達は女だもの。きっと、男の人じゃ駄目なんだわ」
脳を元通りに収め終えたシャーリーは、自身の気付きに微笑みを浮かべて、剥き出しの脳の上に、丁寧な仕草で切り取った頭蓋をかぶせる。
そしてのみとハンマーを手に、その部屋を後にした。
「待っていてね、お父様。戻ってきたらお茶を淹れますから」
普段と変わらぬ、愛らしく完璧な偶像の笑顔で――そんな言葉を残して。
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