第41話 とろとろ○○○○
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手をつなぎながら見つめ合うと、まるで磁石のように引き寄せられて、僕は満水さんとキスを交わした。握りしめた手のひら、そして唇が微弱に震えていて、彼女の緊張がびりびりと伝わってくる。
顔を離すと、僕はつないでいた手を離して、満水さんの背中に腕をまわした。ぽん、ぽんと、気持ちを落ち着かせるようにゆっくりたたいてあげると、肩が軽く上下して、大きく息を吐く。
「怖い?」
「ぅう、ん」と満水さんがちいさな声で云った。「……だい、じょうぶ」
「いやならやめるから、云ってね」
満水さんが抱きつき返してきて、鼻にかかった声で「うん」と答えた。顎を肩に乗せていると、ふんわりと広がった髪から僕の家のシャンプーの香りがして、彼女自身のやわらかなあまいにおいと混ざり合う。
「髪、さらさら」
「あのシャンプー、わたしもほしくなっちゃった」
「買ってもいいけど、ちょっと恥ずかしいなー」
「なんで?」
「僕らの髪のにおい、同じになるってことだよ? だれかに嗅がれたらお揃いの使ってるってバレない?」
満水さんが肩におでこを当てながらくつくつと笑った。「それ、わたしたち以外でわかる人いたら、絶対変態だよー。やだー」
抱き合ったまま話していると、はやかった鼓動が次第にゆるやかになってくる。すこしだけ心に余裕ができてきて、僕は片手で満水さんの横髪をさらっと指で流すと、もう一度、軽くキスをした。さっきはかたかった唇が、当てただけでふにゅっと潰れるくらいに柔らかくなっていた。
「ふ、ふふっ」
「どうしたの?」
「んーっ」と満水さんがほほえみながら云った。「恥ずかし」
僕は笑い返しながら云った。「かわい」
そう云われたことへの照れ隠しなのか、満水さんがわき腹に手を当てて軽くくすぐってきた。彼女をぎゅっと抱きしめながらくすぐったさに悶え耐えていると「ねぇー苦しいー」と満水さんが茶化すように云って手を止めてくる。
「はぁー……死ぬかと思った」と僕は顔を上げながら云った。「ねえ、真癒子」
「んー? なに?」
「明かり、消してもいい?」
いまので謎のスイッチが入ってしまい、僕は真顔で訊ねると、一瞬だけ、満水さんがためらいの表情を浮かべた。でもすぐにその表情は消えてなくなり、どこか決意を秘めた目でこちらを見ながらうなずいた。
僕は頬に軽くキスをしてから立ち上がり、ドアの近くにあるスイッチを押す。
部屋が、真っ暗になった。
振り返ると、満水さんがベッドの上に移動していた。緊張はしたけれど、部屋へ来るときに比べたらぜんぜんましで、僕は臆することなく進んで膝を乗っけると、ぎしりと、ベッドの軋む音がした。
満水さんが膝歩きで近づいてくる。腰に腕をまわして身体を引き寄せると、満水さんが首に腕を巻きつけてきて、僕らは密着しながら何度もキスをした。唇を重ねるごとに、心のブレーキが徐々に壊れていく。鼻にかかった吐息を聞いていると、勢いに任せて動きたくなってしまったけれど、まだかすかに残っていた理性が、僕を踏みとどまらせていた。
「好き。恵大」
「僕も、好き」
名前を呼んだり、何度も好きと云い合ったりしながら、腰や腕、頬、髪を触り合っていると、気持ちが高ぶってきて、抵抗もためらいもなく自然な流れで深いキスを交わした。満水さんの吐息と、甘美な声が耳に届くたび、頭が働かなくなっていく。ジグソーパズルのピースがこぼれ落ちるように、彼女を不安がらせまいと繕っていた自分が徐々に崩れていって、隠していた自分が表にでてきそうになった。
息が苦しくなってきて、僕はゆっくり顔を離すと、目をたるませてとろんとした彼女の顔を見て、どくんと大きく心臓が跳ねた。
頭のなかが、まっしろになった。
身体が勝手に動いているような、ふしぎな感覚が襲ってきて、僕は満水さんの頭を支えながら寝かせると、両手を彼女の顔の横におき、覆いかぶさりながらじっと見つめる。
満水さんが手で口元を隠しながら、こちらをちらっと見て、ぷいっと素早く顔をそらした。耳元に顔を近づけると、くすぐったそうに身をよじって、こもった吐息といっしょに苦しそうな声をだす。
「枕、取ろうか?」
ささやくと、満水さんが横を向きながらこくこくと何度もうなずいた。腕を伸ばして枕を引き寄せ、満水さんの頭の下に入れると、ほんのすこしだけ距離が近くなる。僕は枕を潰すように腕をおきながら頬にキスをすると、満水さんが顔の向きを変えてこちらを見上げた。
「つらくない?」
「ぅ、ん……」と満水さんが鼻をすすった。「はぁ……あっ、つぅい」
「暖房、消す?」
「んーん。だいじょぶ。でも、恵大が消したいなら、いいよ」
「僕も、いいかな」
このあと脱ぐから、とは恥ずかしいから云えなかった。ちょっと休憩したくて、しばらくそのままの体勢で話していると、ふいに満水さんが腰にそっと手を添えてきて。僕は身体を落とし、再開の合図を送るようにキスをしてから、彼女の首筋に唇をつけると「ふ、ぅ……っ、ん」となにかを堪えきれなかったような切なげな声が聞こえた。
目線を上げると、満水さんが口に手を当てて声を押し殺していた。反応をうかがいながらそのままつづけ、僕はボタンへ手をかける。右合わせだから慣れなくて、すこし手間取ってしまったけれど、すべてをはずし終えたら、はだけたところからキャミソールの肩紐が見えた。
「ちょっ、と。待っ、て」
頭を触られて顔を上げると、満水さんがこちらを見ながら、切実な声で「自分で、脱ぐから。恵大も」と云ってくる。意地悪でも冗談でも「やだ」とは云えない雰囲気で、僕は素直に「うん」と答えて身体を起こした。
お互い相手を見ないように背中を向け合う。僕は着ていたものを脱いでいくと、真っ暗でしずかな部屋に衣のこすれる音と、それをかき消さんばかりの勢いで心臓の音が鳴り響いていた。
「そっち、向いていい?」
満水さんが小さな声で云った。「……うん。いい、よ」
深呼吸をして、荒くなった息を整えてから、ゆっくり振り返ると、満水さんが背中を向けたまま、ぺたっと女の子坐りをしていた。身体に張りつかない程度に余裕のある、装飾のないシンプルなグレーのキャミソールを着ていて、肩胛骨の陰影と、左右にわかれたうしろ髪のあいだから、ぽつぽつと浮かんだ首付近の背骨が見えた。
なにか云ったほうがいいと、頭ではわかっていても、言葉がまったくでてこなかった。
僕はうしろからそっと満水さんを抱きしめて「はぁー……」と首付近に顔を埋めながらため息を漏らした。ダメだ。もう無理だ、これ以上は我慢できそうにない。
「……ちょっと、ごめん、待って」と満水さんが小さな声で云った。「いま、ドキドキ、すごくて……」
「ん。わかった」
全身で彼女の温もりを感じながら、わき上がってくる情動が爆発しないように、暴走しないように抑えこむ。そうしているあいだに、膨らんだり、萎んだりを繰り返していた背中が次第に落ち着いてきて、身体に入っていた力がすこしずつ抜けていった。
お腹にまわしていた手をぽんぽんとたたかれて、僕は腕を解くと、満水さんが膝を中心に足を動かして、ゆっくりとこちらへ振り返った。
「もう、いいの?」
満水さんが小さくうなずいて手を伸ばしてくる。僕はその手を恋人つなぎで握りしめながら、軽くこちらへ引っ張って、何度目かわからないキスを交わした。その状態のまま、ふたたび枕のほうへゆっくりと身体を沈めさせて「好きだよ」とささやいたら「わたしも。大好き」と他のだれかに絶対に見せたくない華やかな笑顔で、満水さんが答えた。
その後も、僕らは手探りでいろいろなことをした。そのときの満水さんの声や、表情、そして交わした言葉の数々が、心と身体に刻みこまれていく。忘れたくても絶対に忘れられないような鮮烈な一夜を、僕は過ごしていた。
『真癒子のこと、よろしくお願いしますね』
そして、いざアレをつけようとしたとき。頭が一瞬だけ冷静になって、満水さんのお父さんにかけられた言葉がぽっと浮かんできた。アレをつけても、百パーセント防げるわけじゃない。その責任を取る覚悟はあるのかと、ここにはいないはずなのに、問いかけられているような気がした。
迷いはなかった。
もちろん、そうならないようにするのは大前提だ。でも、もしも万が一の場合、すべての責任をこの身で受け止める覚悟をした。中途半端な、大人でも子どもでもない高校生という立場で背負える責任なんて、たかがしれていると鼻で笑われるだけかもしれない。でも、それでも、地味な僕でも、だからといって逃げだしてしまうような無責任な男には、絶対になりたくなかった。
そんな風に考えていたら、肩に、死ぬまで永遠に消えなさそうな重さがかかった。大人になんて、まだまだほど遠いけれど、その一片を背負えたような気がして、直前で胸の奥が熱くなる。
覚悟の表れか、あるいは心境の変化なのか、すべてを終えたあと『満水さん』から『真癒子』へ、僕のなかでの呼び方が変わった。
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