第3話 もやもや映画館


      3


 電車を降りると、生ぬるい空気と湿気が肌にまとわりついてくる。午前中のせいか、人はそこまで多くなく、僕はイヤホンを耳に入れながら改札を抜け、隣接しているショッピングセンターへ歩いていった。


 一階の食料品フロアでお茶を買ってから、エスカレーターで上へ。四階にある映画館に到着すると、僕は券売機で見たい映画の券を購入する。上映時間までまだ余裕があったので、パンフレットなどがおいてある売店コーナーで時間を潰すことにした。


 趣味という趣味がむかしからなくて、唯一それらしいことをあげるとすれば、小さな頃から見つづけている映画だった。


 なにがきっかけでそうなったのかとかは特になくて、ただ近くに映画館があったから通いやすく、気づけば定期的に見るようになっていた。スポーツなどと違って人数をそろえる手間も、道具をそろえる必要もなく、ひとりで愉しめるというのも関係していたと思う。


 見るのは、最終公開日が多かった。これには理由があって、一度だけ、中学一年生のときに、入場者が自分ひとりだけだったことがあったのだ。だれもいないフロアの中央に坐り、映画を独り占めしている贅沢さがくせになったのと、大勢で見ているときの没入感がまるで違い、その快感が忘れられずにいる。


 僕はパンフレットを一部購入して売店をでた。出入り口の付近で待っているとアナウンスが流れ、スタッフにチケットを渡し、長く伸びた通路を歩いていく。


 まだほのかに明るい場内に入ると、僕は選んだ座席に腰を下ろした。ゆったりとしたBGMが流れ、画面にはマナーなどを促す映像が途切れなく流れている。


 パンフレットを読みながらしばらく待っても、だれもやってこなかった。


 もしかすると、きょうはひとりかもしれない。


 そんな期待を抱きながら待機していると、満水さんがやってきた。


 階段を上がっていた満水さんが、すこし驚いた顔をして立ち止まる。しろい水玉模様のブルーのワンピースに、ハイカットの赤いコンバースのスニーカーと、同色のトートバッグ、髪はゴムで縛ってポニーテールにしていた。手には映画館で売られているジュースのカップを持っている。


 こちらへ近づいてくると、僕の席のとなりのとなりの席に坐った。


「また、ここで会ったね」

「そう、だね」


 そのときのことがよみがえってくる。はじめて彼女と会ったのは、高校入学前の中学三年生の春休み。あまり人気のない映画だったのか、入場者が僕を含めて四、五人くらいだった。同じくらいの歳で、同じくひとりで映画を見に来ていたのが目にとまり、僕は彼女に勝手に仲間意識を抱いていた。


 そのときは、高校が同じになるなんて思っていなかった。


 入学して、教室で満水さんと再会したとき「どこかで見たことあるな」と思っていたら、満水さんも覚えていたらしく「映画館にいたよね?」と話しかけられ、それをきっかけに話すようになった。


 ところどころ席が埋まっていき、場内の明かりがゆっくりと落ちて映像が切り替わると、いろいろな映画の予告編が流れていく。


「あ、――れ」と満水さんの声がした。「す――判、――――い――ん――」


 大音量のせいか、なにを云っているのか聞き取れない。適当に返事をするわけにもいかず、かといって「もう一度云って?」と聞くのもなんだか悪くて、僕は聞こえなかったふりをしてしまった。


 上映時間がやってきて、真っ暗に近いくらいに照明が落ちる。


 座席一個分の距離が、もどかしい。

 


 エンドロールが流れ終わると、場内がゆるやかに明るくなり、僕は小さく息を吐いた。


 結論から云えば、面白いのか面白くないか、よくわからない映画だった。


 あらすじは、僕と同じ高校一年の主人公の女の子が、夏休みのある日、自分自身の影が突然消え、一カ月以内に取り戻さないと死ぬと死神に告げられる。生きるために、主人公は自分自身の影を探す旅にでる。主人公は影を無くしたことで存在感がうすくなり、日に日に周囲から見えなくなっていく。影を探し求めるうちに、なぜ生きたいのか、生きる理由を探す。そんな物語だった。


 最後、主人公の女の子は、期限内に影を取り戻せずに死んでしまう。なんの解決もない、救いのない終わり方だった。云い方を悪くすれば丸投げ。しかし見方を変えれば視聴者それぞれに好きなように解釈すればいいと訴えているようでもあった。


 素直に薦めることができないような、ちょっとむずかしい話、というのが僕の感想だった。


 そんな僕とは対照的に、満水さんは涙を流していた。彼女を残して立ち去ることもできたけれど、余韻を壊してしまうかと思い、僕はその場を動かなかった。


 僕は泣けなかったけれど、満水さんにはかなり響いたらしい。同じものを見ているはずなのに、同じように感動できなかったことが、なぜか、ものすごく悔しかった。ネットにある映画のレビューを読んで、自分だけ感想が異なっていたとき、いつもは考え方や感じ方は違って当たり前だからと、割り切れるのに。


 主人公が女の子だったせいかもしれない、理解力が足りなかったせいかもしれない、といろいろな云い訳を考えて、僕は胸に宿るもやもやとした気持ちの正体を探った。


 たぶん、僕は満水さんに価値観が合うと思われたかったんだと思う。

 だから、彼女と同じように泣けなかった自分に苛立っていた。


 満水さんがある程度落ち着いたところで立ち上がり、ふたりで並んでスロープを下っていく。ゴミを捨ててから場内をでると、まぶしさで目がくらんだ。人の数も来たときより増えていて、がやがやと混み合っている。


 満水さんは、どこかさっぱりとした表情をしていた。場内では暗くてよくわからなかったけれど、化粧をしているようで、学校での満水さんと比べてすこしだけ大人びて見える。


「お昼、食べてくの?」

「うん、まあ」

「上に、ハンバーグ屋さんがあるの知ってる?」

 僕は首を振った。「いや、知らない」

「先週くらいに、あたらしくできたんだって」と満水さんがスマホを操作しながら云った。「見てこれ」

 

 画面を見せてきたのでのぞいてみると、鉄板の上に岩のような大きいハンバーグがのっている写真が映っていた。


 僕はどう答えるべきなのか迷った。この暑い時期にハンバーグを食べたいと素直に思えない。でもこれを見せてきたということは、満水さんは食べたいと思っているのかもしれない。自分の本音を隠して、じゃあそれ食べに行く? と流されてしまえばいいのだろうか。


 こんな小さなことで悩んでしまうのは、さっきのことが尾を引いているからだろう。満水さんに気に入られようと、好かれようとしている自分がいる。


 そんな風に考えてしまう自分を、気持ち悪いと感じた。


「僕は、そばを食べるよ。よく行くお店があるから」


 満水さんと付き合っているわけでもなければ、待ち合わせをしてここに来たわけじゃない。たまたま偶然会ったわけで、お昼をいっしょのお店にする必要はない。


「そこ、美味しいの?」

 僕はうなずいた。「美味しいと思う。この上に、むかしからあるお店なんだけど」

「あ、わかるかも、そのお店。でも、ちょっと入りにくそうだから、行ったことないけど」

「いっしょに行く?」


 本音と、すこし試すような気持ちが、入り混じる。


「うん。行ってみたい」

「ハンバーグは、いいの?」

「え、うん。高いから、これ」と満水さんがカバンに携帯をしまいながら云った。「一キロ、あるらしいから」


 じゃあ、どうして写真を見せてきたの、と聞くことはできなかった。


「行こ」


 満水さんが歩きだすと、僕はうしろをついていった。エスカレーターで上のフロアに着くと、いろいろな飲食店が並んでいて、僕らはそのなかにあるそば屋さんの暖簾をくぐった。


 お昼どきと、休日というせいもあり、店内はそこそこ席が埋まっていた。テーブル席には子ども連れや老夫婦などが坐っていて、全体的に年齢層は高く、僕らのような高校生くらいの人はいなかった。


 店員さんがやってきてテーブル席へ案内される。テーブルの端にあったメニューを広げると、満水さんが肘をおいて身を乗りだしてきた。


「いつもなに食べてるの?」

「ざるそば、かな」

「わたしもそれにしよ。あ、天ぷらも気になる、かな」

「じゃあ、これ頼む? 僕も食べたいから」


 僕は天ぷらの盛り合わせを指さした。定番のものと、あとは季節の野菜が使われているようで、値段もそこまで高いわけじゃない。


「うん。これにする」

「他にはある?」

「ない、かな」と満水さんが顔を上げた。「あ。すみません。注文――」


 近くを通り過ぎた店員さんに声をかけたものの、そこそこ混んでいるせいか、満水さんの声は届いていないようだった。


「すみませーん」


 僕はすこし声を張って呼びかけると、片手に注文用紙を持った年輩の女性が来てくれた。僕はざるそばをふたつ、天ぷらの盛り合わせを注文すると、広げていたメニューを元の位置に戻す。


 注文した品を待っているあいだ、特に話すこともなく、僕は水を何度も飲んだ。頭が必死に会話の糸口を探している。さっき見た映画の話、学校でのこと、休日はなにをして過ごしているのかなど、思いついたことは何個もあった。


 なのに、僕は話しかけられなかった。慣れないことをして、失敗して、気まずい思いをしたくなかったから。


 僕はちらりと満水さんを見ると、視線に気づかれて、こちらを見てきた。目をそらすタイミングを失って、黙ったまま見つめ合っていると、心臓が何度も大きく跳ねる。


「お待たせしました。お先に盛り合わせから失礼します」


 僕らのあいだに、店員さんの手が入りこむ。目線を下へ向けると、お皿には黄金の衣を身にまとった茄子やかぼちゃ、ししとうなどの野菜、あとは大きなエビがあった。漂ってくる香りを嗅いだら、口から唾液があふれて、無意識にごくりと唾をのみこんでしまう。


 互いに、手前におかれた箸を手に取る。


「いただきます」


 両手を合わせると、軽く塩をつけてから、口に入れた。


 僕らは同時に目を合わせて、ほほえみ合った。

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