一年生 十二月 [クリスマス編]
第31話 すやすや朝学習
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区切りのいいところで手を止めて、腕を伸ばして強ばっていた身体をほぐしていく。机の上に広げていた教科書などをまとめながら、そのまま明日の時間割を確認して、カバンに入っているノートなどを入れ替えていった。
明日の準備を整えて、机の引きだしにしまっていたスマホの電源を入れる。画面に表示された時計を見ると、まもなく零時になろうとしていて、もうすぐ日付が変わるのだと思ったら、なぜか胸中がざわざわとしていった。
一年の終わりが、近づいているからかもしれない。
今年も残りあと一ヶ月。そんな師走の初旬、期末テストが迫ってきていた。十一月は文化祭などイベントがいろいろあって、その存在をすっかり忘れてしまっており、今回は中間のときと比べて、試験勉強をしはじめるのが遅れてしまっている。
『勉強終わったよ』
満水さんにラインを送り、部屋をでて洗面所へ向かおうとしたら、リビングからテレビの音が漏れ聞こえてくる。
たまにお父さんがお酒を飲みながらテレビをつけっぱなしで寝ていることがあるので、僕は念のためそちらへ足を向けた。ドアを開けて確認すると、ソファの背もたれにお父さんとお母さんの頭が並んでいるのが見える。お母さんもいるならだいじょうぶだと思うけど、一応声をかけておくことにした。
「起きてる?」
「んー?」とお母さんが眠そうな顔をしながら振り返った。「起きてるよ。ありがと」
「ん。じゃあお先に」
「はいおやすみ。あ、ケイ待って。年始の温泉、今年は行くでしょ?」とお母さんがソファの背もたれに肘をおきながら云った。
「あーどうしよ」と僕は云った。「まだ、わかんない」
「え。なんで。この前は受験で行けなかったんだから、今年は行こうよ」
「えー……」
僕の家は毎年年始になると温泉旅行へ行っている。その理由を訊いたことはないけれど、普段から外食もほとんどせず、連休に遠出もしないので、それが一年のうちで唯一の贅沢なのかもしれない、と僕は勝手に考えていた。
小学生、中学生と、当たり前のようにくっついていったけれど、高校生にもなれば言葉にしにくい抵抗があって。でもストレートに「行きたくない」とはなんとなく云いにくいものがあり、僕は返事を渋ってしまう。
「別に決めるのいまじゃなくていいだろ。ケイも高校生になったんだし、選ばせてやれよ」とお父さんが云った。「行くならはやめに云ってくれな。そろそろ予約しないと部屋埋まるから」
「ん、わかった。じゃ」
逃げるようにリビングのドアを閉め、洗面所で歯を磨いてから自分の部屋へ。スマホを確認すると、画面に満水さんから『おつかれさま』と返事が届いていた。僕は部屋の明かりを消し、スマホを持ちながら布団にもぞもぞと足を入れる。
『まだ勉強してる?』
つめたい毛布に包まれながら画面を見つめていると『寝るとこー』と返事がきて『明日、寝坊したらごめんね』とつづけてメッセージが送られてきた。
『起きたらラインするよ』
『うんよろしくー』と満水さんが絵文字をつけて送ってきた。『恵大って朝強いほう?』
『あんまりかな』と僕はつづけて送った。『寒いと布団からでられないんだよね』
『わかるー。最近朝きついよね』
足を擦り合わせて、なんて返そうか考えていると、急に画面が音声通話に切り替わった。僕はアイコンをタップしようとしたら、すぐに通話が切れてしまう。かけなおそうかと思ったけれど、部屋にマチさんがいると電話はできないはずなので『電話かけなおそうか?』と念のために訊いてみることにした。
『ごめん、間違って押しちゃった』
「わざとでしょ絶対……」と僕は口にしながら指を動かした。『真癒子の声聞きたいなー』
『あああああああああ』
『聞こえない聞こえない』と僕は笑うのを堪えながら送った。
『えー叫んだのにー』と満水さんがにやりとした顔文字をつけて返事をしてきた。『なんか眠くなくなってきた』
『まぶた閉じて』
『はい』
『スマホを枕の下に入れて』
『入れました』
『ふしぎだなー。返信がくる』
『なんでだろうねー』と満水さんがにこにことした顔文字をつけて送ってきた。
毛布があたたかくなってきて、急に眠気が襲ってくる。画面上の時計を見ると、そこそこいい時間になっていた。そろそろ寝ないと明日起きられないと感じたので、僕は申し訳なく思いつつもスマホの画面を消して、枕に顔を埋める。
「……んー?」
うっすらと明かりを感じて軽くまぶたを開ける。スマホの画面が光っていて、ふたたび満水さんからメッセージが届いていた。
『ひらめきました』
メッセージをスワイプして『なにを?』と返事を送ったら『電話で恵大がひとりで話してくれたらわたし声聞きながら寝れるね?』と息継ぎのない長文を送ってきたので『それ真癒子の声聞きたくなるやつ』と送り返した。
「もー……しょうがないな」
普段は寝る前のやりとりはさらっとしているのに、きょうはいつもと比べてかまってほしそうにしている気がする。だけど自分もそういう気分の日もあるし、満水さんもたまにそうなるのかもしれないな、と僕は眠たい頭で考えながら画面を操作してスマホを耳に当てた。
「もしもし?」
つながっても返事はなかったけれど、息づかいが聞こえてきて、ここにはいないのに、まるで満水さんがとなりにいるような錯覚をしてしまいそうになった。
「眠れないの?」
訊ねてみても無言がつづく。僕はスマホを枕と耳のあいだに挟んで「ひつじでも数えようか?」と云ってみたら、電話越しに満水さんの抑えた笑い声が聞こえてきた。
「このまま、いっしょに寝ようか」
ひとりで話していられるほど、僕は口がまわるわけじゃない。だけど電話を切ったら、ふたたびラインのやりとりがつづいてしまう気がした。それならもういっそのこと、電話をつなげたまま眠ってしまえばいいわけで。
『うん』
電話越しに、ほんとうに小さくささやいた声が聞こえてくる。まさか返事がくると思っていなかったので、それだけで十分満足してしまった僕は小さな声で「おやすみ」と告げた。
『おやすみ』
まぶたを閉じ、ゆっくりと鼻で息を繰り返していくうちに意識が遠のいてくると、電話の向こうから小さな息づかいが聞こえてくる。そのこそばゆい、ちょっとかすれた呼吸音を聞いていたら、落ち着くと同時になんだかむらむらしてしまう自分がいて――煩悩を断ち切るために、頃合いを見計らって、僕は電話を切ることにした。
普段なら混み合っている駅のホームは清々しいくらい人がいなかった。つめたく澄んだ空気が肌を引き締め、僕はブレザーのポケットに手を入れながら階段を下りていく。
改札へ進んでいくと、制服姿の満水さんがこちらを向きながら改札の向こう側に立っていた。軽く手を上げると、ほほえみながら手を振り返してくれて、足取りが自然と早歩きに変わってしまう。
「おはよ」
「おはよー」と満水さんが云った。「きょう寒いねー」
「ほんとにね。そろそろマフラーしようかな」
「わたしもそうしようかな。でもみんながしてこないと、なんとなくしにくいよねー」
満水さんがとなりに並ぶ。ブレザーの袖からセーターと指がちょろっと見えていて、僕はセーターごと手を握ったら、満水さんがきょろきょろと顔を動かした。
「だいじょうぶ。だれもいないよ」
「うん。でもドキドキするー」と満水さんがもう片方の手で口元を隠した。
目元をゆるませながらの萌え袖に、心臓がきゅっと縮こまる。頬が自然とゆるんでしまい「だねー」とのんびり話しながら手をつないで通学路を歩いていった。いつも来ている時間なら同じ制服を着ている生徒でにぎわう通学路も、まったくといっていいほど人がおらず、堂々と手をつないでいられる。
学校が見えてくると、自然に手を離し、下駄箱で靴を履き替えてから図書室へ。だれもいない校内は夜と違う妙な不気味さがあって、廊下は反響する乾いた足音が聞こえるくらい静かだった。
「先生いないけど、入っていいのかな?」
「いいんじゃない? 本借りるわけじゃないから」
図書室のドアを開けると、隙間のあいたブラインドカーテンから朝日が差しこみ、照らされた埃がきらきらと舞っていた。新着コーナーを横切って奥へ進んでいくと、整然と並んだ長机が見える。僕らはとなり合って腰を下ろし、カバンからそれぞれ勉強する教科の教科書などを取りだした。
筆箱をだして、英語の教科書に折り目をつけていると、満水さんが僕の筆箱を手に取った。
「この筆箱、いつから使ってるの?」
「え。いつだろう」
しろいキャンパス地の筒状の筆箱は、表面に煤がついたような黒ずみがあって、所々に蛍光ペンや赤ペンのインクがついている。
「正確に覚えてないけど……中一からだったかな。なんで?」
「年季入ってるなーと思って。変えないの?」
僕はうなずいた。「まだ使えるからね。けっこう汚れちゃってるけど、破れたりしてないから」
「もらいもの、とかじゃないよね?」
「違う違う。自分で買ってきたやつ」
「ふーん。そっか。物持ちいいね」
満水さんが筆箱をおき、持っていたシャーペンのお尻をノックして、数学の問題集を広げる。物持ちがいいとは云ってくれたけれど、もしかして汚いから変えてほしい、と暗に伝えているのだろうか。でもまだ使えるから、もしもそうなら、今度洗ってみることにしよう。
僕らはその後、会話を交わさずに勉強を進めていった。
きょうからテストまで、僕らはいつもよりはやめに登校して、図書室で勉強することにしていた。満水さんも期末の対策があまりできておらず、僕も遅れを取り戻すため、放課後はいっしょに帰りはするものの、寄り道せずに帰るようにしている。成績が決まる大事な時期なので遊んでもいられず、でもふたりの時間も減らしたくないということで、相談した結果、そうすることにしたのだ。
「ぁ……ふ」
だけど、やっぱり早起きはつらいもので。昨日の夜、寝るのが遅くなったせいもあるのか、すこし時間が経って気がゆるんだ途端、ついついあくびが漏れてしまった。
涙を指で拭き取っていると、視界の端に満水さんの頭が映りこむ。ゆっくりと顔を動かしたら、満水さんがシャーペンを持ったまま、かくかくと頭を揺らしていた。そのようすがかわいくて、僕は頬杖をつきながら、眠気に耐えているようすをついつい眺めてしまう。
「……ん。……んーっ」と満水さんが両手で顔を隠した。「見られてたー」
僕は笑いながら云った。「授業中も、たまになってるよね」
「今度なってたら、背中つついて」と満水さんが目を擦りながら云った。「……ごめん、五分だけ寝てもいい?」
「うん。いいよ」
「ありがと」
満水さんが両腕を組んで机に伏せた。サイドの髪が頬にかかり、丸まった背中が規則的に上下する。その油断している姿を見れて、幸せだなと思うと同時に、それでいいのかと考えてしまう自分がいた。
付き合いを重ねて、想いがどんどん強くなって――付き合いはじめの僕なら考えられないくらい、欲張りになってきていた。
そうなったきっかけは、ふたりで紅葉を見に行ってからだと思う。
「ぁー……」と僕は両手で顔を覆った。
感情が高ぶって、人前なのに満水さんを抱きしめてしまったときのことを思いだし、顔が熱くなってくる。そのことに後悔はしていないけれど、今後は自分の身勝手な行動で、ふたりでいるときの心地よさが壊れないように、自分を抑えるようになった。
「ほんとに、もう」
そんな僕の苦悩なんて露知らず、満水さんはすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。きょうは初日だし、もういいかなと思いながら、同じように机に突っ伏して、瞳を閉じる。
でも、僕の理性がいつまでもつかは正直時間の問題で。もしも明日、きょうみたいに寝てしまうようだったら、その横顔にキスでもして、眠気を吹っ飛ばしてやろう。
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