一年生 一月 [お正月編]
第37話 こそこそ冬中逢引
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夕食を食べ終え、リビングのソファに寝転がりながら満水さんにメッセージを送り返す。横にあるテレビからはバラエティ番組が垂れ流しになっていて、キッチンのほうからはお父さんとお母さんの話し声が聞こえていた。
スマホをお腹のあたりにおきながらテレビを眺めていると、ブブッとスマホが震える。画面には『きょう夕飯遅いねー』と表示されていた。画面の上にある時計を見るとちょうど八時をまわったところで、僕は『めずらしく外食だったからね』と返信する。
『あんまり外食しないの?』
『うん。ほとんど行かない』と僕はつづけて送った。『きょうから、お父さんが仕事休みらしくて。それで久しぶりに食べに行くかーってなって』
『なに食べた?』
『モツ鍋』
『いいなー。肌の調子よくなりそう』と満水さんが絵文字をつけて送ってきた。『わたし、最近肌荒れてて』
『そうなの?』
『すっぴん見せるの怖い』
『ちょっと確認したいから自撮り送って?』
『やだー』と満水さんがぷんぷんした顔文字つきで送ってきた。
『じゃあ、見に行ってもいい?』と僕は送った。『しばらく、会えなくなるから。真癒子の顔、見ておきたくて』
冬休みになっても、満水さんとはちょくちょく会っている。だけど年末は夏休みと同様におじいちゃんの家へ行ってしまうので、大晦日はもちろんのこと、元旦も会うことができない。
返事を待つあいだ、僕は身体を起こし、お父さんとお母さんのようすを確認すると、キッチンで話しながら晩酌の用意をはじめていた。たぶん、お母さんが飲みたいのだろう。外食先でお父さんは飲んでいたけれど、お母さんは代わりに運転しなければいけないので飲んでいなかったから。
『わたしも、会いたい』
『ほんとに、会いに行ってもいい?』
『うん』
返信がくると、僕はソファから跳ね起きて「コンビニ、行ってくる」と告げた。そしたら適当な感じでお父さんが「おー。寒いからあったかくして行けよー」と云ってくる。たぶん近所のコンビニへ行くと思っているのだろう、まさか満水さんに会いに行くとは思っていない口振りだった。
自分の部屋へ戻ってダウンを羽織り、マフラーを巻いて財布をポケットに入れる。十二月下旬の夜風はありえないくらい冷たくて、身を縮めながらマンションの共有通路を歩いていった。
『待ち合わせ、どこにする?』
『ちょうど中間くらいの場所がいいよねー』
『夏に行った図書館は? そこなら自転車でいけるし』
『いいよー。わたしも自転車で行きます』と満水さんが敬礼をした顔文字つきで送ってきた。
『事故にあわないように気をつけて』
『はーい。ありがと』と満水さんがにこにこした顔文字をつけて送ってきた。
スマホで合流場所を相談しながらエレベーターで一階へ。この前はゆっくり行って二十分くらいだったので、飛ばせばそこまで時間はかからないだろう。僕は駐輪場から自転車を引っ張りだしてサドルにまたがると、思いっきりペダルを踏みこんだ。
月が、きれいな夜だった。
澄み切った夜空に、ビーズを散りばめたような星々が浮かんでいる。
街灯がぽつぽつと道路を照らし、そのなかを立ちこぎで進んでいくと、肌を射るような冷気が頬を刺してきた。ハンドルを握る指が痛い。飛ばし過ぎて息が苦しくなってきたので、すぅーっと空気を吸いこんだら、胸のあたりが洗われるように心地よくなっていく。
「はぁー。気持ちいい」
しろい息が、ぼわっと広がる。思わず独り言がでてしまうほど、冬の夜にひとりで自転車をこぐのは爽快だった。
数分ほどペダルをまわしていると、しっかりと着こんできたせいもあって、身体がほどほどにあたたかくなっていく。信号につかまりながら道なりに進んでいき、数十分後に図書館へ到着した。もちろん閉館していて、なかは真っ暗だった。
僕は息を整えながら自転車を押していき、入り口近くの照明のあたりでスマホを取りだす。
『着いたよ』
メッセージを送り、自転車のスタンドを立てて、ダウンのポケットに手を入れながら待機すること数分。グリーンの自転車に乗った満水さんがやってきた。
満水さんが目の前に自転車を止めた。「はやいねー」
「こんなに全力で自転車こいだのはじめてかも」と僕は云った。「あ、この近くにコンビニある? 親にコンビニ行くって云ってでてきたから、なにか買っておかないとまずくて」
「あるよー。すぐそこに」と満水さんが云った。「行こ」
満水さんに促されて、並びながら自転車を押していく。顔を隠すようにマスクをしていて、声がいつもよりこもって聞こえた。しろいニット帽からでた前髪と横髪が風でなびき、肩の部分が黒になっているロゴの入った赤いダウンと、細身のデニムにしろいコンバースで、僕と同じで防寒を第一に考えたような服装だった。
「風邪引いたの?」
「んーん。すっぴんだから」と満水さんが目元をたるませながら云った。「あと、ニキビできてて」
「ケーキとか、油物食べ過ぎるとできるよね」
「最近よく食べてたからかも……。というか恵大の肌、いつもよりプルプルだね?」
「気のせいじゃない?」
「えーほんとだってばー。いいなーモツ鍋。わたしも食べたい」
「写真あるけど見る?」
「やー。見ると絶対食べたくなるやつそれー」
話しながらコンビニまで自転車を押していく。常に連絡は取りつづけていたけれど、ラインのやりとりではなく直接会って話ができるのはやっぱり愉しいもので。何気ない会話をしているだけなのに心が弾み、ついつい笑顔がこぼれてしまった。
駐車場のあるコンビニが見えてくると、空いているところに自転車をおいてから店内へ。ゆっくりと商品を見ながら歩いていくと、人がほとんどいないので暇なのか、レジのなかで店員さん同士が仲良さげになにかを話していた。
「真癒子はなんて云ってでてきたの?」
「DVD借りてくるってことにした」
「その手があったね……僕もそうすればよかった。あ、ほしいのある? 誘ったの僕だし、ついでに買うよ?」
「ほんと? じゃあわたしあったかい飲み物がいい」
「外やばいよね。ダウン着てきてよかった」
「ねー。わたしもお父さんからダウン借りてきてよかったー」
「あ、それお父さんのやつなの?」
「そうそう。でかけてくるって云ったら貸してくれて。すこし大きいけど、楽であったかいんだよねこれー」と満水さんが云った。「この下部屋着だけどぜんぜん平気」
「部屋着なの? え、見たい」
「ふつうのスウェットだよ?」と満水さんがジップを開けた。「ほら」
肉厚なグレーのスウェットは胸のあたりがわずかに盛り上がり、紅茶のティーカップのイラストが書かれていた。デートのときはきれいめというか、きちんとした服装で会うことがほとんどなので、その洗練されていない生活感のある感じが、妙にぐっときて胸がときめく。
「寒いから、あとで閉めてね」
「なにー見たいって云っておいてもー」と満水さんがジップを合わせながら云った。
「ほんとに風邪引かれちゃったら困るから」
ジャストサイズで着ているせいか、胸の膨らみがつい気になってしまう。僕以外の人にだれにも見せたくなくて、ついそんなことを云ってしまった。プールのときもそうだったけれど、もしかすると僕は、まあまあ独占欲が強いタイプなのかもしれない。
あたたかい飲み物と、あとはグミなどの小物のお菓子を買ってコンビニをでる。坐って話せるところがあればよかったのだけど、満水さんに訊いても思い浮かぶところがないらしく、僕らは自転車を止めていたところにあったコの字の鉄の棒に腰を下ろした。
「はい」
「ありがと」
満水さんが片側のひもを耳にかけたままマスクをはずした。宙ぶらりんになっている状態で、レモンティーのキャップをひねると、しろい飲み口からゆるやかに湯気が立ちのぼる。
「はぁ……あったかい。飲む?」
「うん、もらう」
ペットボトルを受け取り、ゆっくり口に含むと、思わず溜息が漏れた。お腹がじんわりとあたたかくなり、吐きだした息が大きく広がる。
「ん。ありがとう」
満水さんが容器を受け取った。一口、二口と含んでからキャップを閉じ、マスクの紐をふたたび耳にかけなおすと、ペットボトルを両手で包む。
「ごめんね。初詣。すぐ行けなくて」
「いやいや、ぜんぜん。気にしないで。おじいちゃんの家でゆっくりしてきてよ」
「なんか、そう云われると、ちょっと寂しい」
「んー……本音を云えば、年越し、いっしょにいたかったなーって思い、ます。はい」と僕は照れながら告げた。「……ぁー」
急に頬が熱を帯びてきて、僕はぺちぺちとたたく。恥ずかしいけれど、自分の気持ちを隠さずに素直に云えるようになったのは、きっとキスをしたからで。無遠慮になんでも云うわけではないけれど、あれからある程度、自分の気持ちを抑えないようになっていた。
「……年明け、お泊まりするから、ね?」
それでゆるして、とニュアンスを含んだ云い方をすると、満水さんが近づいてきて腕を絡めてくる。自分で云って恥ずかしくなったのだろう、下を向きながらマスクの位置を何度も整えていた。
「そういえば、泊まる日、どうすることにした?」
ラインで冬休みの予定を決めていたけれど、お泊まりのことについてはまだはっきりと決まっていなかった。何度か確認してみようと思ったけれど、なんかガツガツしているようで、その話題をこちらから振ることができなかったのだ。
絶対に反対されるとわかっているので、僕は両親に彼女が泊まりにくることは話していない。そのことに罪悪感はあったけれど――心の天秤は、満水さんとお泊まりをするほうへ傾いていた。
「ユコの家にお泊まりすることにしてて」と満水さんが小さな声で答えた。「はやめに教えちゃうと、お母さんに勘づかれてバレちゃうかもしれないから、急に決まって行くことにした」
「そっか。弓峰さんに、お礼しないとね」
「うん。そうだね」と満水さんの目尻がたるんだ。「愉しみ」
「僕も」
向き合いながら笑い返すと、きゅぅっと胸が切なく鳴る。僕は耐え切れずにマスク越しにキスをすると、不意打ちだったせいもあって、満水さんが「んっ」と小さく声をだした。
マスクの紙のような布のような独特な感触の奥に満水さんの唇がある。ゆっくり顔を離すと、満水さんが前髪をいじりながら「ねー……」と困っているようでもありよろこんでもいるような反応が返ってきた。
「えーっと。ですね」と僕はお腹をさすりながら云った。「耐えられ、ませんでした」
「……学校で、いまみたいに突然したらほんとに怒るよ?」
「はい。努力します」
「約束して」
「はい。約束します」
「ん」と満水さんがマスクをはずした。「約束」
満水さんがまぶたを閉じて唇を引き結ぶ。約束のキス、ということだろうか。つまりここでキスをしなかったら約束を守りませんよ、と云っているようなもので。僕はずるいなあと思いながらも、誓いを示すように頬に手を添えながら唇を合わせた。
触れ合っているあいだ、ふわっと、頭の奥が軽くなる。顔を離して、軽く息を吸いこむと、ほんのりとレモンティーの甘酸っぱい香りがした。
「ニキビ、これ?」
つめたいほっぺたをあたためるように触りながら見つめ合っていると、満水さんの顎に、ぽつんとひとつ大きなニキビがあるのを見つけた。
「うんそれー」
「えーっと、これさ」と僕は口をつぐんだ。「……潰すと、跡残りそうだから、気をつけてね」
「ねえ。いまなにか云いかけなかった?」
「あ、いや、別に?」
「云って」と満水さんが耳を近づけた。
僕はどうしようか迷ったけれど、話を逸らすことができず、こそこそ話をするようにそっと耳元に顔を近づけた。小さな声で考えていたことを伝えると、満水さんが照れたように笑いながら「恋人同士だから違うよそれー」と云ってくる。
顎にできるニキビは思われニキビ。まさか満水さんへの想いが強すぎて、できちゃったかもなんて、いくらなんでもそんなことあるわけないよね。
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