第38話 にやにや真夜中大晦日
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紅白歌合戦も終盤へ突入し、大物歌手が続々と登場しはじめている。僕はテレビを眺めながらダイニングテーブルで年越しそばをすすり上げていると、テーブルにおいていたスマホが震えた。
『タマトウまだでないね』
画面には満水さんのメッセージが表示されている。タマトウとは玉木灯志のことで、数々の芸能人が全力疾走する清涼飲料水のCMがSNSで話題となり、そこで使われていた『疾走』という曲で知名度がぐっと上がり、今年めでたく紅白初出場をすることになった。
はやめに返信したいところだけど、前にお父さんとお母さんが坐っているためスマホをいじれない。僕はスマホをフリースのポケットにしまい、勢いよく麺をすすり上げていく。
「ごちそうさま」
汁をすこしだけ飲んで、僕は軽く手を合わせてからキッチンへ。器をシンクにおいてから水に浸し、苦しくなったお腹をさすりながら、ポケットからスマホを取りだす。
『もうすぐじゃない?』
すこし返事が遅れたせいか、すぐに返信はこなかった。僕はそのあいだに冷蔵庫から緑茶を取りだし、コップに注いでいると、キッチンにおいていたスマホがふたたび震えた。内容を確認すると、じぃーっとキャラクターが待機しているスタンプのあとに『きたよ!』とメッセージが送られてくる。
僕はテレビへ目を移したら、司会者の人たちと玉木灯志が今年の活躍について話していた。本人のこだわりなのか真冬なのにしろい短パン姿で、上はペンキが飛び散ったような柄の、大きなしろいシャツを第一ボタンまで締めて着ている。地声は低く、頬がくぼんだほっそりとした顔で、丸刈りに髭を生やして黒縁メガネをかけていた。全体的にほっそりとしていて、背は司会者の人と比べて頭ひとつぶんくらいでているから、そこそこ高いほうなのだろう。
『タマトウ汗やばいね』
『緊張してそー』
コップを持ちながらソファまで移動していると、画面が切り替わって、タマトウがギター片手にどこの家庭にもあるしろいタオルを頭に巻いて歌いはじめた。
「あー。あのCMの曲歌ってる人かこれ」
「ねえ。はやく食べて。食器洗いたいんだけど」
歌っている途中で、うしろからお母さんとお父さんの声が入ってきた。ふたりとも年越しそばを食べ終えたようで、がちゃがちゃと食器を片づける音がする。
『みんなめっちゃ走ってる』
『ほんとだ』と満水さんが笑顔の絵文字をつけて送ってきた。『タマトウ笑ってる』
曲のサビになると、タマトウの前とうしろを紅白出場歌手が続々と駆け抜けていく。一瞬しか映らないのだけど、歌っている本人がにやにやしてしまうほどの豪華な演出で、最後はオチをつけるように大御所演歌歌手が手を振りながらゆっくりとタマトウのうしろを通り過ぎていった。
テレビ越しでもわかるほど、会場がどよめいているなかで、タマトウの演奏が終わってお辞儀をする。画面が切り替わると「いやー。久々に、全力で走りました」と司会者の人が笑いながら云った。
『今年は白組かなー』
『わたしもそんな気がする』と満水さんが残念そうな顔の絵文字をつけて送ってきた。『年越しそば食べた?』
『さっき食べたよ。真癒子は?』
『いまからー。でもこの時間に食べると太りそう』と満水さんが目をつぶった顔文字つきで送ってきた。『食べたあと、全力疾走してきます』
「いやいや風邪引くでしょ」と僕は云いながら指を動かした。『だいじょうぶ。太っても好きだよ』
『ねーやめてー』と満水さんからすぐに返事がきた。『そば噴いた』
僕は下唇を噛んで、にやけそうになるのを堪えながらソファにもたれる。テレビを流し見ながら満水さんとラインのやりとりを繰り返していると、紅白歌手が一同に介して蛍の光を歌いはじめ、大晦日の風物詩がフィナーレを迎えようとしていた。
『あとちょっとー』
『ですね』と僕は息をつきながら送った。『今年、まさかカノジョができると思わなかった』
『わたしも』と満水さんが照れたような顔文字をつけて送ってきた。『初カレが、恵大でよかった』
思わぬ不意打ちに、僕は手で目を覆った。これは、うれしすぎる。頬の熱を逃がすように、ふぅーっと大きく息を吐きながら返信の内容を考えているあいだも、にやけが止まらない。
「見てないならチャンネル変えるよ」
「あ、うん。いいよ」
僕はお母さんのほうを向かずに答えてソファへ横になった。頭に浮かんだ返事の数々を入力しては消していく。なんだかどれもクサくなってしまう台詞ばかりで、変に着飾って格好つけようとしている自分がいた。
『ありがとう』
いくら考えても、これ以上の言葉が思い浮かばない。ラインのやりとりは顔が見えないから、言葉遣いに気を使うところもあるけれど、普段は口にしにくいことが伝えられるところが便利だなと思う。
『来年もよろしく!』
だけど、いくら顔が見えないとわかっていても、やっぱり恥ずかしさは消えなくて。僕は照れ隠しにつけ加えて送ったら、満水さんから『はい』とハートのついた返事が送られてきた。
「さぁて、今年もあと残りあとわずかになってきましたぁ! みなさん準備はよろしいですかぁ!」
そんなやりとりをしているあいだに、新年の足音が近づいてくる。テレビから女性の黄色い歓声が聞こえ、そちらへ目を移すと、テレビにはお母さんがなぜか毎年見ている男性アイドルグループのカウントダウンライブが映っていた。右上に来年まであと何秒と表示されていて、残り十秒になると、観客といっしょにカウントダウンがはじまる。
『あけましておめでとう』
あたらしい年がはじまって、お互いに挨拶を送り合ってから『今年もよろしくお願いします』と添える。お母さんとお父さんにも同じように言葉を交わした。毎年このやりとりをすると、小学生の頃にはじめて日をまたいで新年を迎えたときのことを思いだしてしまう。以前はこの時間まで起きていることがひとつの挑戦だったけれど、いまでは余裕で起きていられるところに、自分の成長を感じて。
まったく興味のわかない男性アイドルのライブ中継を見ながらラインの往復をしていると、間もなくしてお父さんが「先に寝るぞー」とリビングを去っていく。僕はまだそこまで眠くはなかったけれど、そろそろスマホの電池が切れそうだったので、自分の部屋へ行くことにした。
「おやすみ」
「はいおやすみー」とお母さんがテレビを見ながら答えた。「あまり夜更かしするんじゃないよー」
「はいはい。わかった」
コップを洗ってから、パタンとリビングのドアを閉じると、ぶるっと軽く身体が震えた。洗面所で歯を磨き、腕を軽くさすりながら自分の部屋に入って明かりとエアコンを点ける。ベッドへ倒れるように横になって、コンセントから延びていた充電コードをスマホに挿しこんでから、満水さんへ『まだ、テレビ見てる?』と送信した。
『うん見てる』と満水さんからすこし遅れて返事がきた。『でもあんまり面白いのやってないよねー』
『ごめん僕もう見てない。そろそろ寝ます』
『えー寝るのー?』
『じゃあ寝ない』と僕は送った。『真癒子が寝るまで』
『ほんとにー?』と満水さんがジト目の絵文字をつけて送ってきた。『わたしきょう寝ないよ?』
『ほんとだね?』と僕はすぐに送り返した。『じゃあ先に寝たらどうする?』
『自撮りしてあげるー』と満水さんがにやっとした顔文字をつけて送ってきた。『恵大はなにしてくれる?』
すこしだけ考えてから『なんでもするよ』と送ったら『ほんとになんでも?』と満水さんから即返事がきた。僕はためらうことなく指を動かして『自撮り送ってくれるんだから、それくらいしないと釣り合わなくない?』と送り返すと、ちょっとの間ができる。
『してほしいこと伝えるの恥ずかしい……』と満水さんがたくさんスラッシュのついた顔文字をつけて送ってきた。
『えなんで? 教えてよ』
『やだー。絶対、恵大引いちゃう』
「なにをさせようとしてるんだろ……」と僕はつぶやいた。『なら、別の考えておいて』
僕は身体の位置を変え、枕に頭をおいて天井を見上げながら返事を待っていたら『あ』とだけ送られてくる。そのあとすぐに『い』とつづけて送られてきたので、なんとなく内容を察して『た』と返したら、やっぱり最後に『い』と返事がきた。
『ごめん嘘ついた』と僕は指を動かした。『それ以外でお願い』
『うん。ごめん』
『いいよ』
『はやく帰りたい』
急に胸が切なくなって、指が動かなくなった。そんなこと云わないでなんて、満水さんの気持ちに蓋をするようなことを送れなくて。帰ってきてなんて、できるはずもない願望を伝えることもできなくて。家族団欒の休暇をぶち壊すような失礼な発言を避けるように内容を考えていると、なんと送ったらいいのか迷ってしまい、僕はまぶたを閉じながら、真剣にどう返そうか思い悩んだ。
既読スルーで、逃げることだってできる。でもそれは実質『寝た』と認識されるわけで。そう思われることは別にいいし、約束通りなんでもしてあげるつもりだけど、ここで返事をしなかったら、きっと満水さんはこのメッセージを送ったことにもやもやしてしまうかもしれない。新年早々、そんな気持ちにさせたくはない。だから。
『いつか』と僕はゆっくりと指を動かした。『いっしょに、そっち行けたらいいね』
送ったあとに、胸が急速に高鳴って顔が熱くなる。僕はスマホを放り投げてから枕に顔を埋めて「ぅぁあぁぁあ……」とうめいた。彼女の親の実家に行くということは、よほど関係が進まないとありえないことだから。
さすがに重い。気がはやすぎる。バカなことをしてしまった。引かれたかもしれない。と自責の念に駆られる。いままでそういうことを思うことはあっても、胸に留めておくだけにしておいたのに、でもこれ以外に言葉が思い浮かばなかった。
スマホが震えて、おそるおそる画面を確認したら『にやけるー』と満水さんが明るい表情の顔文字をつけて送ってくる。そのあとつづけて『スクショしました』と敬礼をした顔文字をつけて送ってきたので、僕は『いますぐ消して』と寝ころびながら送信すると『やだー。喧嘩したとき見せる用』と返してきたので『やめてくれー』と即行で送りつけた。
そんなやりとりをしているあいだ、なんだかちょっとだけ、ほっとした自分がいた。顔は見えなかったけれど、画面の向こうで満水さんが笑ってくれているような気がして。ずいぶん恥ずかしいことをしてしまったけれど、満水さんの寂しさを幾分かでも埋められたのなら、よしとしよう。
そしてそのまま、とりとめのない話をつづけて、朝を迎えた。
カーテンの隙間がほんのりと明るくなっていて、僕はうつらうつらした意識のなかで『朝、きちゃいましたよ。真癒子さん』と送ったら『きちゃいましたね。恵大さん』とふたりして謎のテンションでやりとりを交わす。
『やークマできたー』
『ほんと? 見せて?』
『待ってね』
「え?」と僕は身体を起こした。「絶対送ってくれないと思ったのに……」
一気に眠気が吹っ飛んで、わくわくしながら待っていると、トーク画面に一枚の写真が届いた。
「か、わいすぎる……」
写真には、きれいなしろい毛の柴犬が、かけ布団の上にちょこんとお坐りをしている姿が映っていた。以前、夏に写真を見せてもらったときと比べて、毛並みがもさもさしているような気がする。
『わたし、体毛濃いよね……』
『いや違うでしょ』と僕は笑うのを堪えながら送った。『チロ久しぶりに見たなー』
『さっき布団のなか入ってきて』
『めちゃくちゃ、あったかそうだね』
返事を送ったのち、大きなあくびがでてしまった。期待してしまったせいか、なにかがふっつりと切れて、急に眠気が襲ってくる。僕はスマホの画面を消してから涙が染みる目をこすり、かけ布団を首のあたりまで引っ張り上げると、そのあまりの気持ちよさで、一気に眠りに落ちてしまった。
お昼ごろに目覚めてスマホを確認すると、一枚の写真が届いていた。
『わたしもう無理ー』と写真のあとに一言添えられていて。水色のパジャマに半纏を重ね着し、眠そうな顔の満水さんがチロを抱きしめながらいっしょに写っている画像を見て、ああまだ夢のなかにいるんだと、本気で疑ってしまった。
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