第21話 うずうず長電話
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二日間、学校を休んだ。
満水さんの体温計はそこそこ正確で、学校から家へ帰って熱を計ってみると三十八度二分もあった。吐き気や頭痛などはなかったけれど、寒気と関節の痛みがひどく、その日の夜は市販の薬でやりすごし、次の日にはお母さんに連れられて病院で薬を処方してもらい、一日中寝て過ごしたら平熱近くまで下がっていった。
そしてきょう、念のため大事をとって学校を休み、体調はほぼ万全まで恢復した。食欲も戻ってきて、いまは夕飯を食べられるくらいにまでなっている。
久々のお風呂にも入ることができて、僕はさっぱりとした気分でベッドの上に坐りながらスマホをいじる。風邪で寝こんでいる最中、若藤と沼、満水さん、さらに弓峰さんからもラインが届いていた。邪魔をされたくなかったので、まずは満水さん以外に返事をすることにし、文章を打ちこんでいく。
『おーっす。もうだいじょうぶか?』
『うん。テスト直前じゃなくてよかったよ』
『たしかに。つかきょうテスト範囲のプリント配られたぞ』
『そうなんだ。あとで撮って送ってくれない?』
『いいけど、たぶん満水がケイの持ってるんじゃね? 席前後だろ?』
『そうかも。あとできいてみる』
若藤と沼はグループトークで、弓峰さんには個人アカウントで返事をしていた。若藤からはすぐに返事がきたけれど、沼と弓峰さんはまだこない。
しばらく若藤とやりとりをしていたら『うす。治ったみたいだな。よかった』と沼から返事がくる。
『ありがとう。久しぶりに風邪引いたよ』
『片割れにそのことを話したら』と沼がつづけて送ってきた。『気合が足らないからだ、といっていた』
『なんでおまえら気合でなんでも解決できると思ってんの?』
僕は笑いそうになりながら指を動かした。『クラス違うからまったく話してないなあ。元気にしてる?』
『庭で素振りしてる』
『元気すぎて引くわ』
『直美さんらしいね』
『復活したみたいだね。マユに連絡した?』
ふたりとトークをつづけていると、途中で画面の上部に弓峰さんからの返信が表示される。僕は画面を切り替えて、そっちを返すことにした。
『まだしてない。あとでするつもり』
『そっか。めっちゃ心配してたよ』と弓峰さんが絵文字をつけながら返事を送ってきた。『お見舞い行きたがってた』
『そっか。はやめにするよ』
『そうしてあげて。それじゃ』
僕はスタンプを送ってから、ふたたびグループトークを開くと『今度片割れ紹介しろよ』『わかった』となぜか直美さんのことで盛り上がっていた。僕はある程度つづけてから『ごめん、満水さんにラインするから、ここで』と送る。
『はよしろ! オレらの相手してる場合じゃねーぞ!』
『はやくしないと寝るぞ』
画面の右上の時計を見た。もうすぐ十時になる頃だったけれど、さすがにまだ寝ていないはず。
僕はキャラクターが頭を下げたスタンプを送ると、若藤からキャラクターの背後に炎が燃え上がっているスタンプ、沼からは『じゃ、また来週』と短く送られてきた。そこではたと気がつく。そうか、明日から休日なので、みんなと会えるのは週明けになるんだ。
やるべきことを終え、僕は満水さんのトーク画面に切り替える。文字を打つたびに、鼓動が大きくなって、お腹の下のあたりがきゅぅっと締めつけられた。何度もラインでやりとりをしているはずなのに、なぜか、緊張してしまっている。
『風邪、なおったよ』
違う。たしかに伝えたいけど、いますぐこれを伝えたいわけじゃない。僕は文章を消し、再度指を動かした。
前置きなんかいらない。
声が、聞きたい。
『電話しても、だいじょうぶ?』
送信ボタンを押し、画面を見ながら待っていると、ちょっと遅れて満水さんから返信がきた。
『ゆっくり話したいから、お風呂、入ってきてもいい?』
『うん。待ってる』
僕はスマホをベッドにおいて部屋をでる。なんだか落ち着かなくて、トイレに寄ってからリビングへ向かった。ドアを開けると、お母さんとお父さんがソファに坐り、テーブルにはチーズなどを並べて、うすく黄ばんだお酒の入ったグラスを傾けながらテレビを見ていた。
「治りかけなんだからはやく寝なさいよー」とお母さんがソファの背もたれに頭をおきながら云った。
「はいはい」
「薬、飲んだの?」
「飲んだじゃん。夕飯食べ終わってすぐ」
「あれーそうだっけ?」
「酔ってるね……」
僕は冷蔵庫からお茶を取りだし、戸棚にあったコップにとくとくと注いでいく。その場で一口飲むと、緊張がほんのちょっとだけ和らいだ。
つぎ足して、コップを持ちながら部屋に戻る。スマホの画面を見てみたけれど、まだ返事はきていなかった。僕はコップを勉強机におき、椅子に坐りながら、ちびちびと何度も口に含む。指が無意識に机を叩いていた。ダメだ、待ちきれない。こっちから電話をかけたくてうずうずしてしまう。
コップの中身が空になり、僕は二杯目を注ぎにふたたびリビングへ。
「どうした」
僕はキャップを開けながら答えた。「なんか、喉乾いちゃって」
「ふーん。そうかー」とお父さんがテレビを見ながら云った。
お茶を注ぎ入れて、そそくさと部屋へ戻る。あまり期待せずにスマホの画面を明るくすると、満水さんから『準備できたよー』と顔文字つきの返信が一分前に届いていた。
それを見て、お茶を一口飲んでからコップを机におき、ベッドに坐った。焦らされたせいなのか、気持ちがやけに高ぶっている。息が荒くならないようにするためと、気持ちを落ち着かせるために、僕は深く息を吸いこんだ。
通話ボタンを押すと、コール音が耳に届く。二回目で『もしもし?』と満水さんの声がして、たった二日休んだだけなのに、なぜだかとても懐かしく感じ、胸がときめいてしまった。
「もしもし?」と僕は云った。「ごめん、連絡するの遅れて」
『体調、だいじょうぶ?』
「うん。もう平熱」
『そっか。よかったね』と満水さんの声が柔らかくなった。『あ、そうそう。テスト範囲、きょうでたよ』
「あーうん、若藤から聞いた。そのプリントって、僕の分も持ってたりする? 写真送ってもらおうとしたんだけど、席前後だから、満水さんが持ってるんじゃないかって」
『机に入れておいた。すぐに確認したいなら送ろうか?』
「お願いしてもいい?」
『いいよー』
「テスト範囲、広かった?」
『んーそんなにかな? でも夏休み終わってテストあって、またすぐに中間あるっておかしくない?』
「二学期って地味に忙しいよね。でも中間終われば、しばらくテストないから」
『わかんないよー。抜き打ちあるかも』
「それがいちばん困るんだよね」
僕は壁に背中を預けながら、満水さんと会話を重ねていく。慣れていないせいもあるのか、顔を合わせているときと微妙に距離感が違くて、文字よりも身近に感じることはできるけど、声だけでは埋められないなにかが溜まっていった。
「そういえば、いまどこで電話してるの?」
『自分の部屋だけど?』
「あれ、マチさんは?」
『お風呂。お願いだから行ってきてって頼んだ』と満水さんが笑いながら云った。『電話、あんまりしないよね』
「そうだね」
『また、したい』
「いいよ。きょうはごめん、急に」
『うん、びっくりした』
「声、聞きたくなっちゃって」
『そうなの?』と満水さんが軽く笑いながら云った。『ちょっと待って。はー、ぁ……ダメ、にやけそう』
たぶんなにかで口をふさいでいて、ちょっとだけこもった声になっていた。いまどんな顔をしているのか想像するしかないのがもどかしく、でも逆にわからないからこそ、余計にドキドキしてしまう。
『わたし、小暮くんの声好きなんだよね』と満水さんがうきうきした声で云った。
「え、そうなの? どんな声?」
『高くも低くもない、ちょうどいい感じ?』
「うん、ぜんぜんわかんない」と僕は笑った。
『なんかね、聞いてて穏やかになるっていうか、やわらかい? ふわっとこう、まろやか? な声なんだよね』と満水さんが笑い混じりに云った。
僕はベッドに倒れた。「待って待ってまったく伝わらない。もうちょっとがんばって」
『わかってよもー』
「いまのでわかるほうがすごいって」
『じゃあいいよーわかんなくてー。あ、今度自分の声録音して聞いてみれば?』
「それ、僕むなしくならない?」
満水さんが吹きだした。『なりそう』
「でしょ」
話していたら口が乾いてきたので、スマホを耳に当てながら立ち上がり、机においてあるお茶を一口飲む。愉しいはずなのに、ほんとちょっと間ができるだけで胸が苦しくなり、乏しくなった心の隙間を埋めるために話題を探してしまった。
「マチさん、まだ戻ってこない?」と僕は椅子に坐った。
『みたい、だね』
「気、使ってくれてるのかな」
『ううん。いつも割と長いから』
「そうなんだ。おふ「おいケイ、まだ起きてるのかー?」
突然、お父さんが部屋のドアを開けてきた。僕は目を見開くと、同じようにお父さんも目を大きくする。『え、なに?』と満水さんの声を聞きながら、僕は口パクで「カノジョ、カノジョ」と訴えると、お父さんがすまなそうな面持ちで手を振り、ドアをしずかに閉めていった。
「あ、えっと、ごめん。いまお父さんが入ってきて」
『電話しててだいじょうぶ?』
「うん。もう戻ったから。まだ起きてるのかって」
『そっか。また具合悪くならないようにあっ! ちょっと待ってて!』
どこかに携帯をおいたらしく、がちゃごちゃとけたたましい音がして、僕はスマホから軽く耳を遠ざけた。
『マチ待って! お願い、あとちょっとだけ!』
遠くでマチさんの小さな声が聞こえた。『えーおねえちゃん、まだ電話してたの……。ドライヤー使いたいんだけど』
『洗面所にあるじゃん。お母さんのやつ』
『やだよあれ安いやつだもん。使うと髪痛みそう。おねえちゃんのがいい』
『はいはいわかった。いま持ってくるから洗面所でしてきて』
『乾かしてるあいだに終わらせてよ』
『はいはい。たぶんね』
待っていると、じゃがごちょと持ち上げたような音が響いてから『もしもし? ごめんね』とふたたび満水さんの声が聞こえてきた。
「マチさん、戻ってきちゃったね」
『うん。小暮くんも、寝ないとだよね』
「うん」
そろそろ切ろうかと、喉までせり上がってきた言葉が、云いだせない。鎖骨のあたりが重くなり、こみ上がってきた気持ちを吐くように咳払いをした。
『会いたい』
思わぬ返事に、どくんと、大きく胸が跳ねた。その一言で、胸に溜まった濁りがすーっと消えて、僕はスマホを握り締めながら口を開く。
「日曜、家に来る?」
『いいの?』
「お母さんも、お父さんもいるけど」
『風邪、だいじょうぶ?』
「いちおう治ってるけど、家で会うだけなら、問題ないと思う。お見舞い、ってことにもできるし。それに、どこかにでかけるより、親も安心するんじゃないかな」と僕は云った。「……理由づけはもういいよね。本音云うね。僕も会いたい」
『行く』
「わかった。写メ、やっぱりいいや。来たとき見せて」
『うん。あ、ノートいる? 休んでたところ写す?』
「あーそれ助かる。じゃあ、日曜は中間の勉強するってことで」
『うん』と満水さんがか細い声で云った。『……ね、さっきの、もう一回云ってもらっていい……?』
「やだよ。恥ずかしい」
『えーやだ。お願い』
「ダメです」と僕はほほえみながら云った。「じゃあ、明日またラインするね」
『うん。おやすみ』
「おやすみ」
僕は通話を切って、ほっと息を吐きだした。スマホをおいて、部屋から洗面所へ移動して歯を磨いていると、赤らんだ顔のお父さんが入ってくる。歯ブラシに歯磨き粉をつけると、横でしゃこしゃこと磨く音が聞こえてきた。
「はのひょ、どんなほぉなんは?」
僕は歯磨き粉を吐きだし、口をゆすいでから「日曜、家に呼んだから、そのときわかるよ」と云った。
「……ごぉほっ、ゲほッ。こホっ……」とお父さんが歯磨き粉を吐きだした。「ああ、ぼんどに?」
「嘘云ってどうするの……」と僕は云った。「そういうことだからよろしく。あ、それまでにちゃんと風邪は治すから。お母さんにも云っておいて。おやすみ」
「お、おお。おやすみ」とお父さんが口の端から歯磨き粉を垂らしながら云った。
部屋へ戻って電気を消し、布団のなかへ潜りこむ。ちゃんと寝て、日曜に備えよう。僕はまぶたを閉じ、肩の力を抜くと、次第に身体が軽くなっていった。
今夜は、いい夢が見れそうだった。
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