第39話 ぱんぱん願掛初詣
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散り散りのしろい雲と澄んだ青空に朱色の鳥居がよく映える。肌に触れる空気はつめたかったけれど、お昼頃の日差しは幾分あたたかくて、そんな初詣日和のなかを、僕は満水さんといっしょに鳥居をくぐっていった。
「こんなに人がいると思わなかったなー」
「ねー。わたし初詣って元日に行く人が多いと思ってた」
きょう訪れたのは近隣でもっとも大きな神社で、三が日が過ぎているにもかかわらず、いまだに大勢の参拝客が来訪している。はぐれないように満水さんと手をつなぎながら奥へ進んでいくと、お賽銭をする人たちの長蛇の列が見えた。
最後尾に並ぶと、すぐにうしろに人がやってくる。背伸びをして、あとどれくらいになりそうか確認してみると、ざっと十分から二十分くらいだろうか。お賽銭箱がある拝殿まではまだまだあった。
僕はかかとを下ろした。「けっこう待ちそうだね」
「だねー。お腹だいじょうぶ?」
「僕はぜんぜん。真癒子は?」
「平気。でもいいにおいするのがねー。つらいー」
「わかる。あとでなにか屋台で買う?」
「えーどうしよ。このあとお昼食べるのに」
「でも行くとこカフェだよね? そんなにがっつり食べなくない?」
「それもそうだね。あーでもわたしダイエットしてるんだった」と満水さんが頬を押さえた。
「それ、さっきも云ったけど、ほんとにぜんぜん変わってないよ?」
「ほんとに? でもちょっと顔にお肉ついてない?」
満水さんが両手で頬を持ち上げながらこちらを見上げてきた。マフラーを巻き、きょうもお気に入りのダッフルコートだったけれど、トグルを全部締めているからインナーになにを着ているのかはわからない。下はコートの丈よりすこし長いくらいのグリーンベースのタータンチェックのスカートで、その下に黒いタイツ、靴は足と同化するような黒い革靴をはいている。カバンは公園へいっしょに行ったときに見たことがある、赤いひものキャンパスバッグを肩から下げていた。
「ごめんぜんぜんわからない」と僕は笑いながら云った。「触ってもいい?」
「ダメ」と満水さんがちらっとうしろへ目線を動かした。「やだ」
「はい」
満水さんがマフラーに顔を埋めた。ここでは、ということなのだろう。僕もいくら吹っ切れたとはいえ、人前で堂々といちゃいちゃできるほど度胸があるわけじゃない。
「そういえば、いまさらだけど、着物じゃないんだね」
「んーさすがにね。動きにくいし、気合入ってるように見られちゃうのいやで」と満水さんが云った。「それに、浴衣と違って、着物って着るの大変なんだよね……」
「へーそうなんだ。ごめん、知らなくて。まわり着てる人そこそこいたから、簡単に着れるものだと思ってた」
「男物はラクそうだけどねー。あ、おばあちゃんがこっちにいたら着てきたかも」
「着つけできるの?」
「うん。むかしお着物好きだったみたいだから。夏にもらった浴衣もねーたくさんあってどれにしようか迷ったんだよね」と満水さんが愉しそうに話した。「あっちに行ったとき見てくればよかったー。夏また行くから、そのときあれば見てくるね」
うん、と僕はほほえみながら返事をする。今年ははじまったばかりなのに、満水さんがもう夏のことを話してくれたことに、なぜだかとても安心した。今年になっても、僕は彼女の未来にちゃんといるのだと実感できて。
満水さんは、ただ何気なくつぶやいただけかもしれないけれど。でもついうれしくなってしまって、僕はつないでいた手をすこし強めに握ると、満水さんがこちらを見上げてきた。僕は気持ちを悟られないように「寒くない?」と誤魔化すように訊ねたら「ぜんぜんー」と満水さんが笑い返してくる。
そんな感じでまったりと話しながら待っていると、列がすこしずつ動いていく。満水さんがいるだけで待つのがぜんぜん苦ではなく、ずっとこの時間がつづけばいいと思うくらいだった。
そして順番がまわってくると、僕らはうすい藁の敷かれた台の上を歩いていき、お賽銭箱の前まで移動する。前の人たちの見よう見まねで二礼したあと、用意して軽くあたたかくなった小銭を投げ入れ、ぱんぱんと手を二度たたいた。
願い事を伝え終えてまぶたを開けたら、満水さんが「終わった?」と云いたげにこちらを見てくる。僕は「行こうか」と手を差しだし、彼女と手をつなぎながら列をはずれて参拝客の横を歩いていった。
「さて、と。なに食べます?」
「待って。その前にお守り買っていってもいい?」と満水さんが云った。「お母さんたちに買っていきたい」
「うん、いいよ」
満水さんが一歩前を行き、僕は手を引かれるがまま売店へ。拝殿からすこしはずれたところにある、しろい外壁の小屋のような売店のなかには、巫女装束を着た女性がふたりいて、訪れた人たちに商品の説明をしたり、おみくじを用意したりと忙しそうだった。
「けっこう混んでるね」
「だねー」と満水さんが顎を上げながらのぞき見た。「んー」
「見える? 肩車しようか?」
「いいー。したら恥ずかしくて買えなくなるよもー」と満水さんが手を離した。「あっ。あいたあいた」
満水さんが隙間を縫うように進んでいく。僕もそのうしろをついていくと、入れ物のなかに色とりどりのお守りがそろっていた。金額は物によってまちまちで、手がこんでいるようなものほど値段も高い。ただこういうものは値段で効力が弱くなるわけでもないだろうし、高い安いなどと思うこと自体が間違っているのだろう。
「こんなにあるんだ。僕もなにか買っていこうかな」
「ねー迷うよね。あっ、これとか刺繍かわいい」と満水さんが健康祈願のお守りを手に取った。「お父さんはこれで、お母さんとマチは――どうしよ。んー」
「マチさんは無難に学業成就じゃない?」と僕は目線を動かした。「あっ、おみくじあるんだ。引かない?」
「うん、いいよー。ねえ恵大はどれ買う?」
いっしょに話しながらお守りを選び終え、おみくじを一回引くことにする。巫女さんに小さめの紙袋にまとめてもらったお守りをもらってから、僕と満水さんはところどころに傷のついた趣のある六角形の筒をそれぞれ振って、でてきた棒に書かれた番号を巫女さんに伝えた。
「おめでとうございます。お受け取りください」
「ありがとうございます」
互いにおみくじをもらい、僕らは会釈をしてから売店から離れた。小石の散りばめられたわき道を、小気味のいい音を鳴らして歩いていたら、満水さんが横でおみくじをぺらりと開く。
「あっ。わたし中吉」
「おーけっこういいんじゃない?」と僕はおみくじを開いた。「うわビミョー。小吉だ」
「なに書いてあった?」と満水さんがのぞきこんできた。
僕はおみくじを見せながら文字を目で追った。「小吉だけど内容悪くないよね?」
「ほんとだー。わたしよりいいこと書いてある」
いろいろと書いてあったけれど、特に目に留まったのは『願事 心長くして騒がねば時いたりて叶う』だった。なぜかこれを見たときその言葉がすーっと胸に入ってきて、ふしぎだけれど、素直にそうしようと思ってしまう。
「真癒子はどう?」
「えー。どうしようかなー」
「そんなに悪いこと書いてあったの?」
「ん。読めばわかる」
おみくじを見せてきたので、僕は目を動かしたら『恋愛 いまの人が最上。迷うな』と書かれていた。あえてそのことには触れず、唇同士を合わせてにやけそうになるのを耐えていると、満水さんが「ねーなに笑ってるのもー」と笑いながら肩を押してくる。
「屋台見に行こ。わたしお腹空いたー」
熱くなった頬を押さえながら、もう片方の手を満水さんに引かれて屋台のほうへ。表面を炙ったいかの姿焼きの磯と醤油の混ざった香りやじゃがバタのやさしいあまい香り。あとは定番だけど、脳にこびりつきそうなクレープの香りと、たこ焼きと焼きそばのソースの香りなどなど、歩いているだけで数々の誘惑が襲いかかってくる。
満水さんが顔を動かしながら云った。「ね。なににする?」
「真癒子が食べたいの選んでいいよ。僕そこまでお腹空いてないから。あ、ベビーカステラあるよ?」
「んーちょっと違う」
「わたあめは?」
「んー足りないかなー」
「風車あるよ?」
「ねー食べられないそれ」と満水さんが笑いながら云った。「手軽に食べられるやつがいいんだけどなー。あっ。リンゴ飴ある。これにしようかな」
満水さんがリンゴ飴の屋台の前で立ち止まる。このあとお昼も食べるし、手軽さもちょうどいい気がした。僕は「いいんじゃない?」と後押しするようにつぶやいたら「じゃあ買ってくるね」と云って満水さんがするりと手を離す。
大きめのリンゴ飴を買ってくると「行こー」と満水さんがふたたび手を握ってきた。来訪者は時間が経ってもぜんぜん減らず、ぶつからないように気をつけながら鳥居を目印に歩いていく。その最中、満水さんが横でカバンの位置を何度もなおしていたので「食べにくそうだから持とうか?」と手を差しだしたら「ありがと」と云ってカバンを渡してきた。
鳥居を通過して歩道を歩いていくと、空の青さは幾分まろやかになり、うすい橙色に色づきだしていて――ここに来てからそこそこ時間が経っているのだと、時計を見なくてもわかった。
新年はじめての、満水さんとのデート。久しぶりに会ったせいだろうか、愉しくて、いつもより時間が経つのがはやく、あっという間の初詣だったなと思ってしまう。日照時間が短いことも関係しているのだろう、冬は一日一日がほんとに短くて、もうお正月も終わり、冬休みも残りわずかになっていた。
次に満水さんと会う日は、明後日。お泊まりの日。
当日のことを考えはじめたら、急に緊張してきて胸がきゅっと締めつけられる。そわそわと落ち着かなくなって、僕は緊張を和らげるように鼻でゆっくり息を吐いてから、横にいる満水さんへ目を向けた。
僕の考えていることなんて当然彼女は知らなくて、リンゴ飴を苦戦しながら食べている。なんだかその間の抜けた感じがほほえましく思えて、胸に宿った緊張がすーっと消えていき、僕はくすくす笑っていたら「はにー?」と満水さんがぼりぼりと咀嚼音を響かせながら見上げてきた。
「んーなんでも。え待って、ぜんぜん減ってなくない?」
「小さいの買えばよかったって後悔してたとこ」と満水さんが鼻で息を吐いた。
「ほんとに無理そうならもらおうか?」
満水さんが手で口を隠しながら云った。「食べ方、すごく汚いから、なんかやだ……」
「だいじょうぶ。僕そういうのぜんぜん気にしないから。ちょうだい」
「やーだーわたしが気になる。絶対ひとりで全部食べる」
前歯で囓りついてリンゴ飴をがりがり削っていく。噛むたびにやわらかそうなほっぺたが膨らんで、僕は耐えきれずに指で軽くつついたら「んーぃまー?」と満水さんが振り返り、ほっぺたを押さえながら云った。
「食べてる顔、かわいい」
唇に張りついた髪の毛を指で取ってあげると、満水さんがリップをなじませるように唇同士を合わせた。リンゴ飴ほどではないけれど、赤く染まった頬を隠すようにうつむいて、前髪を整える。
照れ隠しなのか、満水さんが無言で頭を肩にぐりぐりと押しつけてくる。僕も軽く頭を傾けると、久しぶりに会えたこの時間を噛みしめるように、お互いに寄り添いながら歩いていった。
今年も、満水さんと仲良く平和に過ごせますように。と願掛しておいたけれど、神様に頼りっきりにならないようにしようと、僕は改めて気持ちを引き締めた。
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