第12話 らぶらぶ星空花火


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 天気予報は、くもりのち雨だった。


 僕は靴を履いてから、トートバッグの中身を確認する。財布と、タオル。ポケットにスマホ。折りたたみ傘は、持っていかないことにした。持っていったら、ほんとうに雨が降ってしまうような、そんな気がして。


「いってきます」


 玄関のドアを開く。満水さんと会うときは、いつも晴れだったけれど、きょうはあいにくの空模様だった。まだ雨は降っていなかったけれど、全体的にうすい雲におおわれていて、まだ夕方なのにすこし暗く感じる。


 エレベーターで一階に降り、スマホで時間を確認する。余裕を持って行くためと、場所の確認をしておきたくて、僕は約束の時間よりもかなりはやめに出発した。


 駅へ歩いていくと、じっとりと汗が滲んでくる。気温はそこまで高くはないけれど湿度が高そうだなと思った。僕はシャツの袖をまくり上げ、なるべく汗をかかないように速度を落とす。


 きょうは、満水さんと買いにいったギンガムチェックのシャツを着ている。長袖なのに、無理してあれから何度か着てみたせいか、張りのあった生地はすこしやわらかくなって、買った当初よりはそこそこ肌に馴染んでいた。


 準備は整えた。覚悟も決めた。

 あとは、告白をする勇気だけ。

 

 

 駅の改札を抜けると、スマホをいじって、待ち合わせをしているような人たちでごったがえしていた。法被と、浴衣を着ている人がそこら中にいて、僕は人混みを避けるように空いたところを歩きながら、河川敷のほうへ向かっていく。


 絹川花火大会の花火は絹川橋の上流で打ち上がる。事前に調べた情報によると、毎年大勢の人が押し寄せる人気の花火大会だそうだ。


 ベストポジションは絹川橋の上。大会中、橋は封鎖されて歩行者天国となるが、場所の確保は禁止されており、立ち見になってしまうこと、大勢の人が訪れるので、毎年かなり混雑すると、いろいろ調べてわかった。


 なら、と僕はきょうまで何度かここへ来て、穴場を探していた。そして見つけたのだ。ネットのどこにも情報はなかったので、おそらく地元の人くらいじゃないと、わからないような場所を。


 駅から歩いて五分くらいで土手が見えてきて、その上に立つと、すこし離れたところに大きな川をつないでいる絹川橋が見える。平坦な河川敷には横にずらっと提灯のぼやっとした赤い光が連なり、いくつもの屋台が並んでいた。


 僕は人の流れに逆らいながら土手を歩いていく。石の階段を降りて住宅地のほうへ進んでいき、そこからさらに奥へ行くと急に勾配がきつくなってくる。


 坂を上がっていくと、お寺に隣接した神社が見えてくる。


 階段を上がっていくと、朱色の鳥居を通り、境内へ足を踏み入れる。高い樹木がいくつも伸び、明かりがないせいもあって少々薄気味悪かった。


 ぐるっと、振り返る。


 視界を遮る建物がなく、高地になっているため、ここから絹川橋周辺が一望できた。


 僕はトートバッグからタオルをだす。念のため、予約の目印を残そうと思い、僕は賽銭箱の前の木の階段においておくことにした。現在は人がいないのでなんとも云えないけれど、花火が打ち上がったら、どうなるかわからないから。


 スマホで再度時間を確認する。いまから駅に戻れば、ちょうどいい頃合いだった。僕はトートバッグを肩にかけなおし、来た道を引き返していく。


『駅、人すごい』


 歩いている途中で、満水さんからメッセージがきた。約束の時間の十五分前なのにもう着いたんだ。僕はすでに到着していることを悟られないように『そんなに?』と知らないフリをしておくことにした。


 駅へ戻ると、さっきよりも人が増えていた。僕はスマホを片手に、満水さんと連絡を取り合いつづける。


「あ、いた」


 満水さんを見つけると、あちらも気づいたのか、人を避けながら近づいてくる。左側の髪を耳にかけ、飾りのついたヘアクリップでまとめており、疎い僕でもはっきりとわかるくらいの化粧をして、桃色のリップをつけた唇が艶々ときらめいていた。浅葱色の浴衣には、なんの花かわからないけれど、紫色の模様が散りばめられている。帯は黄金色で赤い花が描かれ、雪駄を履いた素足の爪は赤く塗られ、手には巾着袋を持っていた。


 僕はその姿を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。口が自然と軽く開いて、言葉を探したけれど、気の利いた言葉が浮かんでこない。反射的に、きれいとか、かわいいと云ってしまいそうになったけれど、それとはまた違う気がして、僕はいまの気分に相応しい言葉を必死に考えた。


「似合ってるね」

「ありがと」と満水さんが照れたようにくしゅっと笑った。「雨、降らないといいね」

「だいじょうぶ。絶対晴れるよ」


 僕らは目と目で合図を交わし、となり合って歩いていく。人混みを避けながら進んでいくと、すこしだけ距離が空いてしまったので、はぐれないためとか、そんな理由じゃなくて、ただつなぎたいから僕は満水さんの手を取った。元から僕らの手がくっついていたように、しっとりと湿った手が、肌に吸いついていく。


「まだ時間あるし、屋台、行こう」

「行くー。焼きそば食べたい」

「がっつり食べるね」

「夕飯、食べてないから」と満水さんが笑った。「もしかして食べてきた?」

「すこしだけね。でもぜんぜん空いてる。僕、たこ焼き食べたいなー」

「わたしもー。あと、バナナチョコと、ベビーカステラでしょ。リンゴ飴にー、フライドポテトと、あ。あと、かき氷」と満水さんが指を折りながら云った。

「え、ちょ、そんな食べられないよ」


 満水さんが「冗談だよー」とほほえんだ。ダメだ。この間延びした声を聞いているだけで頭がとろけそうになってくる。心臓がさっきからずっと鳴り止まなくて、寿命がどんどんと削られていくようだった。


「人、多いねー」

「だね。人気、みたいだから」

「同級生、いるよね、きっと」

「いる、だろうね」


 そのあとのことを、満水さんは口にせず、ぎゅっと手を握ってきた。たったこれだけで、いまなにを考えているのかなんて、わかるはずもない。でも、すこしでも不安を取り除いてあげられたらと、僕は同じくらいの力で手を握り返した。


 同級生や、知り合いに会う可能性はもちろんある。もしも会ったら、当然、僕らの関係を訊かれてしまうだろう。見られていたら、新学期に噂が流れているかもしれない。そのとき、僕は堂々と胸を張って、満水さんとの関係を答えられるだろうか。



 開けた道にでると、満水さんが「わぁー」と声をもらした。河川敷には屋台の光と、ぼやけた提灯の明かりが一列にずらっと長く伸び、幻惑の世界へ誘うかのように妖しく輝いている。


 ゆるやかな坂を下って、流れに逆らわずに屋台をまわっていると、そこらから漂う香ばしいにおいや、あまい香りをかいで、どんどんお腹が空いてくる。


「あ、焼きそばあった。買ってもいい?」

「うん。どうぞ」


 満水さんが一歩前へでた。「あの、すいません、ひとついただけますか」

「ういっすー。ちょっと待ってちょうだいな。あとちょいでできるっスから」


 頭にタオルを巻き、黒いTシャツをまくり上げたイケイケのお兄さんが、鉄板の上で野菜と麺をほぐしていた。仕上げのソースをたっぷりとかけると、じゅわーっと音がして麺に色がついていく。


「へいすんません。五百円っス。割り箸は二膳入れておきやしたー」

「ありがとうございます」


 満水さんが巾着袋から財布をだして千円を渡す。「あざっしたー」とイケイケのお兄さんがおつりと、しろいビニールに入った焼きそばを差しだした。


「やった。出来立て」

「よかったね」と僕は笑いながら云った。


 そのまま歩いていくと、途中で並んでいるたこ焼き屋の屋台があり、無骨で強面のおじさんが手際よくお客さんをさばいていた。僕は「たこ焼き、いい?」と訊ねると「うん、もちろん」と満水さんが答える。


 すこしのあいだ列に並んでから「あい次のお客さんどうぞ」と強面のおじさんが低い声で云ってくる。


「八個入りをひとつで」

「あい了解。五百円ねー」


 ぱっぱっぱと透明のトレーに入ったたこ焼きを袋に入れる。僕は流れを途絶えさせないように、すぐに財布から千円をだし、おつりをもらって列を離れた。


 そのとき、頭上でごろごろと雷が轟いた。近くにいた人たちがいっせいに空を見上げる。しかし雨は降ってこない。もしも降ってくるなら、はやめに移動したほうがいいのかもしれないけど、急かしたくない気持ちが勝ってしまう。


「なんか、すぐ食べられるものも、買いたいね」


 僕は満水さんの意識を天気からそらさせるために話しかけた。


「そうだね。お腹減っちゃったし」

「探そっか。あ、焼きそば、カバンに入れようか?」

「うん、ありがと」


 僕はトートバッグのなかに焼きそばとたこ焼きをしまう。焦らせないように、のんびりと、僕らは屋台を見ながらフライドポテトと、串にささったウインナーを買った。


 歩きながら食べているあいだに何回か稲光が走り、弱い雨が降ってくる。でもこの程度なら、まだだいじょうぶだろう、と僕は信じつづけた。


 屋台をある程度見切ったところで、僕はスマホで時間を見る。


「そろそろはじまる時間だから、移動しない?」と僕は云った。「いい場所、見つけたんだ」

「どこ?」


 こっち、と僕は満水さんの手を取り、人混みからはずれて、間隔の空いた屋台の隙間を通り抜けていく。堤防をのぼって、土手を歩いていき、住宅地のほうへ降りていった。


 その途中で、雨粒が大きくなっていき、地面の色がみるみる変わっていく。僕はシャツのボタンをはずし、満水さんにふわっとかぶせた。


「えっ、ダメだよ。買ったばかりなのに」

「いいんだ」


 僕は強めの口調で云いきった。シャツは汚れても、何度だって洗濯できる。でも、満水さんの髪は、化粧は、この日のためにしてきたことだ。どれだけ時間がかかったか、僕には想像するしかないけれど、きっと手間がかかっているんだと思う。それを雨なんかで崩させたくない。


「きゃ」


 稲妻が光った直後、どこか近くで落ちたとわかるほど、張り裂けるような衝撃音が響き渡った。雨の勢いも強くなっていき、激しい降雨が地面をたたきつけ、ズボンの裾が濡れていく。


 僕と満水さんは、すこしのあいだ雨に打たれつつ、神社へ到着した。高い木々があるおかげか、さっきと比べて雨の勢いが弱く感じる。周囲にはだれもおらず、雨音と枝葉の揺れるさざめきだけが聞こえた。


「降って、きたね」

「だね」 


 屋根がある賽銭箱のところで、僕らは雨宿りをする。髪の水気を手で弾いていると、満水さんが申し訳なさそうな顔をしながら、かぶさっていたシャツをおろした。髪や化粧はほとんど崩れていなかったけれど、浴衣の裾が汚れていて、足に細かい砂利がついている。


「シャツ、もらうよ」

「うん。ごめんね、ありがとう」


 僕はシャツを賽銭箱の上におき、階段においていたタオルを手に取った。

 

「これ、僕のだから、使って」

「そうなの?」

「実は、先に来てて。場所、取っておくために、おいてたんだ」

「そう、だったんだ」と満水さんが小さく首を振った。「いい。小暮くんが使って」


 満水さんが階段に腰を下ろして雪駄を脱いだ。断られた手前、無理に押しつけるわけにもいかず、僕はタオルでがしがしと髪を拭きながら、となりに坐った。


 胸に宿る罪悪感に打ちひしがれる。自分のこだわりなんか捨てて、ちゃんと傘を持ってくれば。屋台をまわっているとき、もっとはやくに移動しようって云えていれば――こんなことにはならなかったかもしれないのに。


「ごめん」

「ごめんね」


 まったく同じタイミングで、満水さんが謝った。どうして満水さんが、と僕はおそるおそるそちらを見たら、ばちっと目と目が合って。


 満水さんが驚いた顔をしてから、すぐに顔をそらすと、両足を抱えた。


「わたし、傘、わざと持ってこなかったの。絶対に、晴れてほしくて」と満水さんが云った。「屋台見てたとき、雷、鳴ったよね?――そのとき、すぐに移動してれば、シャツも、小暮くんも、濡れなかったのに」

「同じだよ」


 満水さんがこちらを振り向いた。


「僕も、雨が降ってほしくなくて、急かしたくなくて、云いだせなかった」


 合わせて云っているわけじゃないから、と僕は目で訴える。


「同じ、だね」


 僕らはささやかにほほえみ合うと、満水さんが思いだしたように「買ったやつ、食べない?」と云ってきた。僕はうなずいてカバンから袋をだし、焼きそばとたこ焼きをお互いのあいだに広げる。


「花火、中止かな」

「これだと、厳しいかもね」

「残念」

「だねえ」


 とりとめのない会話を重ねながら、僕らは焼きそばとたこ焼きを交互に食べていく。雨を含んだ空気の湿った香りと、埃っぽい砂のにおい、神社の古くさい木の香りに、ソースのにおいはまるで調和しなかった。


 食べ終わって、なにもすることがなくなると、無言の間が満ちていく。雨脚はさっきと比べたらだいぶ弱くなってきて、しずかに降り注ぐ雨音を聞いていると、普段なら落ち着くはずなのに、胸の鼓動がどんどん大きくなってきた。


 もう、胸にとどめておけなかった。


 一秒でも閉じこめていたら、想いが濁ってしまいそうで。


「あの、満水さん」


 ほんとうは、花火を見終わったら云うつもりだったのに、現実はそんなに甘くないなと思いながら、僕は満水さんのほうを向いた。


「来年も花火、見に行きませんか?」


 糸で結ばれているみたいに、目と目が合う。


「次は、友達じゃなくて、カレシとしてじゃ、ダメですか?」


 心臓が、緊張で押し潰されそうになる。身体が宙に浮いているみたいに、重さが感じられない。息をしているだけで、食べたものがでてきてしまいそうで、視界が満水さん以外、ぼやけて見えてしまう。


「好き、です」


 想いを伝えた瞬間、なぜか涙がでそうになってくる。どうしてなのかはわからない。緊張しすぎて、おかしくなってしまったのかもしれない。


「付き合って、ください」


 告白を受けて、満水さんが深く瞬きをした。


「ダメじゃ、ない、です」


 屋根に当たる雨音でかき消されそうなほど、弱く、震えた声で、満水さんが答える。


「わたしも、好き、です。よろしく、お願いします」


 返事をもらって、どうしたらいいのかわからなくなり、僕はゆっくりとうつむいた。


 寒いわけでもないのに、身体が、手の震えが止まらない。それなのに、焼けるように熱い。血管中に溶解した鉄が流れているみたいに、暑くて、熱くて、どうにかなってしまいそうだった。


「はい。こちらこそ」


 顔を上げると、満水さんがぎこちなく笑いながら「となり、行ってもいい?」と云ってくる。


 うなずくと、足とお尻を交互に動かして、肩を寄せてきた。僕は倒れないようにお腹に力を入れながら、満水さんの手を取ると、雨で濡れて冷たくなった手をあたためるように、そっとやさしく握った。


「夏休みの目標、叶っちゃった」

「あれ、ほんとうだったの?」

「んー。どうだろうねー」と満水さんがいじわるな笑みを浮かべた。


 そのまま、雨が弱くなるまで他愛のないことを語り合った。


「雨、止んだね」

「うん」


 雨音が消えて、肌に触れる空気がほんのすこしあたたかくなる。名残惜しかったけれど、僕は「行こうか」と満水さんの手を取りながら立ち上がらせ、濡れたシャツをカバンに入れて、神社をあとにした。


 空にかかっていた雲は流れ、切れ間からたくさんの星が見える。


 雲のあいだに浮かぶ星々の瞬きは、さながら打ち上げ花火のようで、僕らを祝福しているみたいに輝いていた。

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