第14話 よしよし帰り道
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完全下校時刻を告げる鐘が鳴り『生徒のみなさまは、すみやかに下校してください』とアナウンスが流れた。僕は一息ついてから、広げていたノートなどをカバンにしまっていく。
そこらで、がちゃがちゃと筆箱にペンをしまう音が聞こえ、リュックを肩にかけた人などが自習室をでていった。自習室にいた人のほとんどがおそらく三年生で、どことなく上級生らしい風格を漂わせており、見た目が大人びている人が多かった。
「帰れる?」
となりの仕切りから、満水さんがひょこっと顔をだす。可動する椅子の背もたれをぐーっと倒しながら首を傾げ、サイドの髪が流れて頬と首にかかっていた。その姿が妙に色っぽく感じて、どきっと胸が跳ねた。
「うん」
カバンを持って立ち上がると、満水さんがカバンを肩にかけて椅子を奥に押しこんだ。自習室をでて、すこし距離を空けながら、人気のない廊下を歩いていく。
夏休み明けにあるテストまで、僕らはここで勉強することにしていた。
教室ではなく、自習室ですることにしたのは、だれかに見られて疑われるのを防ぐため。あとは念のため、時間をずらして、ここに来るようにしている。そうすれば、仮にいっしょに帰っている理由を訊かれても『たまたま自習室で会った』と云い訳ができるから。
提案してきたのは、満水さんだった。付き合ってから、成績が悪くなったと、両親にも僕にも思われたくないかららしい。
僕は、快く了解した。
満水さんと恋人になれて、正直浮かれていると思う。付き合って間もないのだから当たり前だ。できるなら、学校なんか休んで遊んでいたい。でも、その提案を聞いて、僕は気を引き締めることができた。
ちゃんと、やることをやらないと、満水さんに見放されてしまうかもしれない。付き合ってから、だらしなくなったと思われないようにしたいと、僕はここ最近思っていた。
ずっと、好きでいてもらうために。
となりを歩く満水さんを見る。視線に気づき、こちらを振り向いたので、僕はつい笑顔をこぼしてしまった。
「なに?」
「いや、なんでも」
「えーなに。気になる」
「ほんとになんでもないから」
「ふーん」
僕は下唇を噛んでにやけるのを堪えた。やることをやっているからだろうか、心に曇りがなく気持ちよく接することができる。こうしたささいな会話に安らぎを感じ、一日の疲れが癒えていくようだった。
下駄箱で靴を履き替えて校門を通りすぎる。日は沈み、視界がほんのり青みがかっていた。左側の緑色のネットで囲われたグラウンドでは、サッカー部とラグビー部がいて、ボールを拾ったりと後かたづけをはじめている。
「きょう、ちょっと涼しいね」
さわさわと微風が吹き、満水さんの髪が揺らめいた。
「すこし秋っぽくなってきたね」
「ねー」と満水さんが云った。「秋、好き」
「僕も。過ごしやすいよね」
「ねー」と満水さんが笑顔を向けた。「逆に、苦手な季節は?」
「夏かなあ。暑いし」
「わたしは冬」
「寒いから?」
満水さんが首を振った。「冬が終わると、なぜか毎年切なくなって。一年が終わった感じが苦手なのかも」
「春が近づくと、不安になるよね」
満水さんがくしゅっと表情を崩して「わかるー」と云ってきた。そのまま話しながら、僕らは最寄り駅へ向かう道を通らずに、わき道を歩いて、そのひとつ先の駅を目指す。いっしょに帰るようになってから、居られる時間をすこしでも稼ぐためでもあり、人目につかないようにするために。
道の細さは車が一台通れるくらい。駅までの道は同じ制服を着た人がよく歩いているけれど、いま歩いている道は人がほとんど歩いておらず、たまに犬の散歩をしていたり、自転車に乗っている人とすれ違うくらいだった。
学校からある程度離れると、僕はそっと手をだした。満水さんはその手を取ると、にぎにぎと心地よい位置を探るように、何度か握りなおす。
「ずっと、思ってたんだけどさ」
「ん?」
「満水さん、指、長いよね」
「あ、それよく云われる」と満水さんがもう片方の手を広げた。「比べてみる?」
「ちょっと待って」と僕は持っていたカバンを肩にかけた。
手首をくっつけて、手をぴたっと合わせる。僕よりほんのすこし小さいくらいだった。歩きながら両手を合わせていると、まるでダンスを踊っているみたいで、ちょっとだけおかしさがこみあげてくる。
「ピアノとかやってた?」
「ううんまったく。習い事はスイミングしかやってない」
「あー。だからだよきっと」
「え、水泳って指伸びるの?」
「水かき発達しそうだから伸びるんじゃない?」
「てきとー。絶対そんなわけないって」
和やかな雰囲気で話していると、あっという間に目指していた駅の近くになってしまった。
駅の方向へ歩きだすと、腕にわずかな抵抗があった。歩をゆるめつつ横目で満水さんを見ると、下を向きながら、つないでいた手をさきほどよりも強く握っている。
「きょう、涼しいし、もうひとつ先まで行かない?」
「うん」
方向を変え、僕らはふたたび小道へ入っていく。
「歩くの、好き?」
「うん、好き」と満水さんが云った。「もっと涼しくなったら、散歩デートとかしたい」
「いいね。ご飯、美味しく感じそう」
「どこかで食べてもいいけど、お弁当でもよさそうだよね?」
「期待していい?」
「ダメやめて。わたし下手だから。おにぎりとか泥団子みたいになっちゃう」
「それはそれで食べてみたい」と僕は笑った。
満水さんがほほえんだ。「練習しとくね」
暗くなった住宅地のなかを歩いていくと、小規模な公園がぼんやりと見えた。人はおらず、中央に電灯がぽつんと立っており、その近くにベンチがおかれている。
「時間、まだだいじょうぶ?」
「うん。平気」
「ここからなら駅も近いし、坐って話さない?」
満水さんがうなずき、僕は手を引いて公園へ入っていくと、じゃりじゃりと革靴の底から砂の音がした。入ってすぐ右手に鉄棒が二つ、そのとなりにブランコがおかれていて、奥に砂場があり、その付近に何本か銀杏の木が伸びていた。
ベンチに坐ると、満水さんがカバンをわきにおく。さっきから、手はずっとつないだままだった。というより、僕は離してもいいタイミングがわからなかっただけなんだけど。
「いいねーここ。落ち着く」
「だね」
「暇なとき、帰り、ここで話す?」
「そうだね。寒くなったら厳しそうだけど」
「夏、終わったばかりだよ」と満水さんが笑った。
僕は笑い返しながら「そうだった」と云った。自然に、満水さんとここで過ごす未来を想像してしまっていた。
付き合ったばかりの、なにがあっても別れないという絶対的な自信とかじゃなく。先のことなんてわからないけれど、なぜか不思議とそうなるような予感がした。秋が訪れて、冬を過ぎ、春を迎えても、満水さんと付き合っているだろうな、と。
つないでいた手を包むようにやさしく握ると、腕が当たって、触れ合っているところが熱を帯びていく。なめらかな肌、やわらかな腕、華奢な肩、髪から漂うあまい香り。間近にある横顔。校内では絶対にできない距離感が、心臓の鼓動を加速させていった。
「好きだよ」
あふれた想いがぽろりと口からこぼれてしまうと、満水さんが急にこちらを振り返った。
「ぃて」
「あ、ごめん!」
ふわっと流れてきた満水さんの髪に頬をはたかれてしまう。僕は「だいじょうぶ」と云いながら、軽く笑ってしまった。こんなことって、あるんだなと。
「目、入ってない?」
「うん。ていうか、髪、さらさらだね」
「そう、かな」と満水さんが片方の手で髪を触った。「でも最近切りに行ってないから毛先痛んできて。ほら」
一部を指でまとめて見せてくる。正直、痛んでいるかどうかはよくわからなかった。
「長いのと短いのどっちが好き?」と満水さんが毛先をいじりながら云った。
「んーどっちでも」
「どっちかといえば?」
「正直、いまくらいが好きなんだよね」
「ほんとに?」
「ほんと。逆に男子の髪型で好きなのある?」
「短髪」
「沼くらい?」
「もうすこし長くてもいいくらい。でも、似合ってればなんでもいいよ」と満水さんがこちらを向きながら答えた。「小暮くんも、髪さらさらだよね」
「ワックスつけてもあんまり意味ないんだよね」
「触ってもいい?」
「どうぞ」と僕は軽く頭を下げた。
満水さんが撫でるように表面を触ってくる。指で髪を少量つまみ、指先で軽く擦り合わせながら「シャンプー、なに使ってる……?」となぜかショックを受けたような声で云ってきた。
「わかんない。でもふつうに、薬局で売ってるやつだと思うけど」
「今度教えて」
「うん。帰って見てみる」と僕は云った。「僕も、触っていい?」
「いいよ」
満水さんが頭を近づけてくる。普段見れないつむじが見え、僕はそーっと壊れものを扱うように手を乗せた。僕よりも髪が細く、どことなく軽い感じがする。表面は艶々としていて枝毛もなく、痛んでいるようにはぜんぜん見えない。
「髪、やわらかいね」
締めるように、頭を軽くぽんぽんと軽く撫でる。だけど満水さんは頭を引こうとせず、逆にさらに近づけてきた。
「んー」
「え、なに?」
「んーんーんー」
「なにもーどうしたの」
僕は軽く笑いながら、よしよしと頭をやさしく撫でた。満水さんの新たな一面が見れたのがうれしくて、胸がふわっと軽くなる。ベタベタしてくるイメージがあまりなかったけど、ふたりっきりだと案外、甘えたがりなのかもしれない。
「一日、おつかれさま」
僕は手を離して、ポケットのスマホで時間を確認する。これ以上遅くなるとなにか云われそうだし、満水さんの両親にも心配をかけてしまうかもしれない。
「そろそろ、かえら」
横を見ると、満水さんが片手で顔を隠していた。ようすがおかしかったので言葉を切り「満水さん?」と呼びかける。
ふいっと、顔をそらされた。だけど手は握ったままで、僕はよくわからない反応をされてどう言葉をかけたらいいかわからず、顔をのぞきこむように近づいてみる。
「ちょっとダメ、いま、顔、見ないで、お願い……」
か細い声で云われると、心臓がきゅっとなり、無理矢理でも見たくなってしまう。だけど我慢し、僕はベンチの背もたれに身体をあずけて、息を吸いこんだ。
「落ち着いたら、帰ろう」
「……うん」
手をつなぎながら、ちょっとのあいだ、無言で過ごす。
なにをせずとも、僕らのあいだには、甘い空気が流れていた。
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