第8話 てれてれショッピング
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はじめて、ファッション雑誌を買った。
僕はベッドの上で横になりながら、ページをぱらぱらとめくった。流行のアイテム別に着こなし方が載っていたり、一週間ごとの着回しコーデなど、普段まったく聞かない単語が眺めているだけでぽんぽんとでてくる。
はじめはネットで『十代』『メンズファッション』『おしゃれ』でいろいろ検索していたけど、しっくりくるものがなく、ネットサーフィンをしていて見つけた、ファッションコーディネートサイトのランキングものぞいてみた。
着こなしもだけど、投稿者の身長やらのスペックが高すぎて、僕でも真似できるようなものが、正直なかった。
ネットがダメなら雑誌しかないと、僕は駅前にある本屋さんに行った。
数冊並んでいたなかで、最初どれを買えばいいのかまったくわからなくて、数十分ほど立ち読みをしてから『NICE BOYS』という雑誌が、初心者の僕でもわかりやすく着こなしを解説していたので、これを購入して現在に至る。
雑誌のいいところは、情報を幅広く収集できるところだった。ネットだとキーワードを知らなければ得られない情報も、雑誌でならいろいろと知ることができる。
一概に『服』といってもいろいろで。たとえばTシャツ一枚にしても『ロゴT』『無地T』『柄T』とあり、それぞれ合わせ方、印象が変わってくるらしい。さらに云えば、合わせるズボンの太さ、形まで考えなきゃいけないようだ。これを読んでいると裸体で野外を駆けまわっていた原始人が本気でうらやましくなってくる。
「疲れ、た……」
僕は雑誌から目を離して天井を見上げた。ごぉーとエアコンから流れてくる音を聞きながら、パンクしそうになっている頭を休めるために目を閉じる。
おしゃれになるのって、むずかしいんだな。
いろいろと情報を得てみて、ただ服を買うだけでは、すぐにおしゃれにはなれないのだと改めて思う。制服がほんとうに有り難いものだと再認識できた。毎日、私服登校とか絶対無理だ。
そのまま横になっていると、ドアを開く音がした。
「電気つけっぱなしで寝て……恵大(けいだい)。ちょっとケイ」
「起きてるって」と僕は身体を起こした。
「なんだ。もうすぐご飯だからね。きょうお父さん、はやく帰ってくるみたいだから」とお母さんが云った。「呼んだらすぐ来てよ」
「はいはい」
僕はベッドから立ち上がって大きく伸びをした。窓のほうへ目を移すと、空はまだ明るく、幻想的な水色と橙色のグラデーションができていた。夕飯ということは、そこそこいい時間なのだろうとスマホで時間を確認してみたら、もうすぐ七時になるところだった。
僕は廊下にでてリビングへ向かう。ドアを開けると、味噌の香りとなにかの揚げ物っぽいにおいがした。右手には液晶テレビとソファとローテーブルがあり、左手にはダイニングテーブルがおかれていて、その奥がキッチンになっている。
そこで、エプロンをつけたお母さんが下を向きながら立っていた。本来は顎くらいまである長さの髪を耳にかけ、目尻の垂れ下がった目と、小皺の目立ちはじめた肌。全体的に華奢で、身体のラインがしゅっとしている。
僕はキッチンのほうへ足を運んだ。冷蔵庫から麦茶と、食器棚からコップをだして振り返ると、お母さんが味噌汁の味見をしているのが目に入る。
僕は麦茶を注ぎながら云った。「あのさ」
「んー?」
「服、ほしいんだけど」
「どんなのがほしいの?」
「そうじゃなくて」と僕は声を抑えながら云った。「自分で、買いに行きたいんだけど」
「あ、そういうこと」
お母さんがコンロのノブをひねって火力を弱めた。
「だからファッション誌、読んでたんだ?」とお母さんがにやにやしながら云った。「高校生らしくなってきたじゃん」
「い、いいじゃん別に。ダメなの?」
「ぜんぜん。むしろいいことじゃない?」とお母さんが軽い口調で云った。「自分の服くらい、自分で買えばってお母さん思ってるし。んー美味しい。やっぱ天才だなー私」
話をしているのに、お母さんはおいてあった漬け物をぽりぽりとかじった。それがなぜだか無性に腹が立ち、頭を冷やすために、コップに注いだ麦茶を一気に飲み干す。
「おこずかい、前借りしたいんだけど」
「いくらの服買おうとしてるの?」
「まだ、決めてない」
「ほしいものが決まってからでもいいんじゃない?」
「そう、かもしれないけど」
満水さんと、女子と買い物に行きたいからと云えないのが、歯がゆかった。
「ただいまー。っついなー」
遠くからお父さんの声が聞こえてきた。足音が近づいてくると、リビングのドアを開けて早々に「はぁー天国」と幸せそうな顔をしながらカバンをおく。
「おかえり。先にシャワー浴びる?」とお母さんが食器をダイニングテーブルに並べながら云った。
「おう。そうだな。汗かいたし」
お父さんが半袖のシャツのボタンを外していく。髪は短く立てて、全体的にゴツゴツとした顔立ちをしており、袖から伸びている腕はほどよく引き締まっていた。背も高いせいか、スラックスと半袖シャツ姿が凛々しく見える。お父さんの要素があまりない僕は、どちらかと云えば母親似なのだろう。
「あと、そうだ。恵大が云いたいことあるって」
「ん? なんだ?」
突然話を振られると、僕はじっとお父さんに見つめられて萎縮してしまった。別に怖いわけじゃないけれど、お母さんより気軽に頼めない感じがする。特にお金のことに関しては。
お母さんもこちらを見つめてくる。その目の奥から、自分からはっきり云いなさいと訴えているような、強い意志が感じ取れた。
「服が、ほしいんだ」と僕は拳を握りながら云った。「……と、友達と、買いに行きたいから、それで、お金、ほしくて。おこずかい、前借りしたいんだけど」
お父さんが、目を丸くする。まさか僕の口からそんな単語がでてくるとは思ってなかったような驚き方だった。
流行っているゲームなどがほしくて、僕もほしいと頼んだことは何度かある。
でも、今回は服だ。流行っているとか、そういう理由がつけられない。
いままでとは、訳が違う。
「そういう年頃か、おまえも」
お父さんがぽりぽりとおでこをかいてから、黒いビジネスバッグを漁って財布を取りだした。
「これくらいでいいかな?」
お父さんは財布をお母さんに見せると、お母さんが「いいんじゃないの」とやさしげな表情でうなずいた。
お父さんが近寄ってくると汗臭い男の香りが漂ってきて、一万円を差しだしてくる。その手は大きく、血管が浮きでていて、みずみずしさがなかった。その手を見て、このお金はこの暑いなか会社へ行って、お父さんが働いて稼いだものなのだと、気持ちが引き締まる。
「前借りじゃなくていい」とお父さんが真剣な声音で云った。「ただ、今回だけだからな。自分でちゃんと見て選んで試着して、いいと思えるやつを買ってきなさい。すこしでも迷ったら、買うんじゃないぞ」
僕は一万円を受け取った。お父さんの手に比べて僕の手は、しろくて細くて華奢だった。
働いている人の手と、そうじゃない人の手の違いを感じたら、このうすい紙切れ一枚が、途端に重たくなる。
「ありがとう」
「買ってきたやつ、ちゃんと見せろよ」
「うん、わかった」
お父さんがシャツを脱ぎながらリビングをでていった。そのうしろ姿を眺めていると、お母さんが「いいなー。私も服ほしいなー」とそちらを向きながら、聞こえるか聞こえないかくらいの声を飛ばした。
『自分でちゃんと見て選んで試着して、いいと思えるやつを買ってきなさい』
雑誌を読んで流行や着こなしを学ぶよりも、お父さんのアドバイスのほうがよっぽど信用できた。
満水さんとラインのやりとりを繰り返し、予定を合わせて、僕らはふたたびショッピングセンターへ行くことになった。移動している最中、財布に入っている一万円が気になってしまい、僕はカバンを触って財布がちゃんと入っているかを何度も確認してしまった。
改札を通ってから、僕はあたりをきょろきょろと確認する。満水さんはまだ来ていないみたいだった。よかった。この前は満水さんのほうがはやく着いていたので、今回は先に、と思っていたから。
音楽を聴きながらしばらく待っていると肩をつつかれる。僕はイヤホンを引き抜いてそちらへ向くと、満水さんがにっこりと笑みを浮かべた。小さな花柄のブラウスに、ライトブルーのデニムをロールアップして、前に見たことがある赤いハイカットのコンバースをはいている。背中には小ぶりのリュックを背負っていた。なぜだかきょうの服装は、いつもとすこし雰囲気が違っているように思えた。
ああ、そうか。ワンピースじゃないからだ。
いままで、それしか見たことがなかったから、余計に新鮮に映る。それにどことなくラフさがあると云えばいいのだろうか、動きやすさを重視しているような気がした。
「はやいね」
「いま来たとこ」
満水さんが顔をのぞきこんできた。「ほんとに?」
「ほんとだよ」と僕は目をそらしながら云った。「行こ」
僕らは並びながら歩いていった。夏休みに会うのはこれで二度目なのに、何度会っても、緊張してしまう。
「この前のやつ、あるといいね」
「どうだろう。日にち経っちゃったからね」と満水さんが云った。「小暮くんは、なに買うのか決めた?」
「まだ、考え中」
「そっか。いいの、見つかるといいね」
ショッピングセンターのなかへ入っていくと、エスカレーターを上がってファッションフロアへ。二回目のせいか、以前より居づらさはうすれたけれど、それでもまだ馴染めた感じがしなかった。
僕らは寄り道することなく『ブロードアロー』というお店に向かった。フロアのなかでもやや広めにスペースが取られていて、内装はしろを基調にしていて清潔感があり、ところどころにライトが当てられ、ハンガーラックや棚にたくさんの服がかかっていて、ショーケースには小物がおかれている。
「いらっしゃいませ」
お店に入った途端、女性の店員さんが落ち着いた声であいさつをしてきた。会釈をして店内を歩いていくと、ひとりで来ているようなお客さんもいれば、カップルで、親子もいたりする。ここはメンズとレディースの比率を均等に取り扱っているようで、客層も男女比がほぼ同じくらいか、すこし女性が多いくらいだろうか。こういう場に慣れていない僕でも居やすいお店だった。
満水さんが店内を軽く見てまわり、急にこっちを振り向いた。
「あった。あったよ」
満水さんが早足になり、レディースコーナーにある半袖のワンピースを手に取った。しろとネイビーの細かい縦縞模様で、腰にベルトループがついており、そこに同素材のベルトが巻かれている。
「よかったね」
満水さんが弾んだ声で「うん、うん」と答える。相当うれしいみたいで、いっしょにいるこっちまで幸せになれそうなくらい、笑顔をほころばせていた。
この前、下見に来たとき、僕と満水さんはいくつかお店をまわったあと、ここを訪れていた。そのとき、満水さんはこのワンピースに一目惚れしてしまったらしく、でもお金がないので買うことができずに、試着だけして、その日は帰ることにしたのだ。
よかった、満水さんのほしいものがあって。
まるで自分のことみたいに満足感に浸っていたら、満水さんがこちらに近寄ってくる。
「小暮くんの、探そ」
その言葉に、ふと我に返る。そうか、今度は僕の番だ。
「あ、うん。そうだね」
僕らはメンズコーナーへ移動する。夏真っ盛りというせいもあって、派手な色や柄もの、半袖のシャツや短パンなど、身軽で涼しそうなものが多く飾られていた。僕は適当に触りながら、自分好みのものを探していく。
「どういう色が好み?」
「青とか紺とか、落ち着いた色が好きかな」
「同じ。シンプルなほうが好き?」
「かなぁ。疎いから、よくわからないけど、シャツとか好きだよ」
「わたしも」と満水さんがほほえんだ。「好み、似てるかもね」
そう思われてうれしかったけれど、素直に「そうかもね」と云えない自分がいて、答えにくかった僕は、話題を変えた。
「きょう、いつもと、違うよね」
「え、どこが?」
「いつも、ワンピース着てたから、かも」
「そういえば、会うときいつも、そうだったね」と満水さんが思い返すように云った。「あとこれ、お母さんのじゃなくて、自分で買った服だからかも。いつもより、ダサくない?」
満水さんはきっと、自分を下げてそんなことを云っているんじゃないかと思った。その言葉を鵜呑みにせず、僕は反射的に、印象を悪くしそうな言葉を避けてしまう。
「そう、かな」と僕は云った。「どっちも、いいと思う」
なにを着てても満水さんは満水さんだ。よほど浮いた服装や、街中を歩くのに体操着を着てきたりと、逸脱している服を着てこなければ、大概はゆるせてしまうと思う。
たぶん、そういう外見的な要素で、満水さんに惹かれたわけじゃないからかもしれない。私服がダサくても、僕はきっと満水さんのことを好きになっていただろうな、と。
満水さんが急に黙ってしまった。すこし踏みこみすぎてしまったかな、と思ったけれど、本心だからしょうがない、と開きなおる。
僕は服選びに専念していると、何気なくおかれていた一枚のギンガムチェックの長袖シャツがふと目に入った。すこし指で触ってみると、どこかシャリシャリとした質感で、ブロックの大きさも小さすぎずちょうどいい。なによりシンプルで他の服とも合わせやすそうだ。
これがほしいと思える服に、はじめて出会えた気がする。
すこし胸の前で広げてみてサイズを確認してみる。いま持っている『S』で、たぶんちょうどいいんじゃないかと思えた。
タグについている値札をおそるおそる見てみる。税抜きで、八千五百円。一万円で買える範囲内だったけれど、これ一枚でほぼなくなってしまうことに、若干の躊躇があった。
でも、これがほしい。
これじゃなきゃ、ダメな気がする。
「試着、してきていい?」
すこし離れたところにいた満水さんに声をかける。
「それ?」
「うん。なんか、気になって」
自分の気に入ったものを見せることに、若干の恥ずかしさと、不安があった。
「いいと思う」
満水さんの一言で、ふわっと心が軽くなる。本音か建前かわからないけれど、そのどちらでも、いまの僕にはうれしかった。
店員さんに声をかけて、試着室へ案内される。カーテンを閉じられると、僕は着ていた半袖のシャツを脱いだ。袖を通すと、新品の張りのある生地に触れて身を引き締まった。
鏡の前で、確認する。
袖丈も、着丈もほぼジャスト。ボタンもしっかりと全部閉じられるし、若干ゆとりのある着心地で圧迫感がなかった。
「どう?」
「いい感じ、かな」
「見せて見せて」
僕はゆっくりカーテンを開くと、すぐそばに立っていた満水さんの目が、ほんのすこし大きくなる。
「小暮くん、っぽいね」
「そう、かな。ありがと」
すこし照れてしまって、僕は首を触った。満水さんのうしろに立っていた店員さんが、にやにやしながらこちらを見ていて、ますます恥ずかしくなってくる。
僕はカーテンをつかみ、ふたたび服を着なおしていると、鏡に映る自分の顔が気持ち悪いくらいにやけていた。おしゃれと云われるより、自分っぽいと云われたことが、たまらなくうれしい。
「はぁー」
つい溜息がもれてしまう。緊張がゆるんでカーテンを開けると、満水さんがぱたぱたと手を扇いでいた。
「あの、これ、ください」
店員さんにシャツを渡すと、満水さんも「わたしも、お願いします」と伝えた。ふたりでレジへ向かい、別々に会計をしてから、お店をでる。
「よかったね。いいのあって」
「満水さんのも、あってよかった」
「うん。でも、お金、ないねー」
「そう、だねー」
浮いたり沈んだり、よくわからないテンションのまま、僕らはフロアを歩いていく。目的は達成してしまったので、このあとはゆっくりできるところで休憩したいな、と僕は思った。
「今度は、お金のかからないところ、行きたいね」
満水さんが歩きながら提案をしてくる。これは、誘ってもいい、ということなのだろうか。
「休めるところ、知ってるから、そこで相談しない?」
「うん」
ふたりでショッピングセンターのなかを歩いていく。同じ紙袋を下げながら歩いていると、なんだか妙な気恥ずかしさがあった。
帰る頃には、紙袋の持ち手は、しっとりとやわらかくなっていた。
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