5 彼も攻略対象者

 なるべく毎日おいでなさい、との公爵夫人の言葉に従い、部屋などの準備ができるまでの間、約束通りエイミはティガーに会いに公爵家に日参していた。

 ふくふくと柔らかそうな女の子が大きな猫と無邪気に戯れる様子は、公爵家の使用人達の間でも話題になり、また、使用人相手にもぞんざいな口をきかず礼儀正しいエイミはかなり印象良く受け入れられていた。

 今世での身分差について理解はしているが、前世の記憶のあるエイミ。使用人といえど、大人を相手に横柄な態度や命令口調は取れるわけがない。結果的にその控えめで手間を掛けさせない令嬢ぶりが、普段から高位の貴族とばかり接している公爵家の使用人達には新鮮だったらしい。


 そんなある日。母イサベルと公爵夫人が話している間、ティガーを連れて公爵家の広い中庭に出たエイミは突然呼び止められた。

 白い花の咲いた生垣の向こうから現れたのは、兄より少し年下くらいの男の人。

 見るからに仕立てのいい服を着てこの場に自然と馴染んでいることから、公爵家の子息のどちらか――見た目年齢からいって次男のほう、とエイミはあたりを付ける。

 明るい金髪が陽の下でキラキラと眩しいくらいに輝いていて、公爵夫人と同じブルーグレーの瞳は爽やか。だがその表情は自信ありげというか、気が強くわがままそうな印象だ。

 さらに悪いことには、脳裏に蘇るあの「オープニング画面」……左から二番目で不遜に微笑んでいた美形とぴったり面影が重なる。あの彼は貴族だとは思ったが、なんてことだ。やっぱりなのか。

 前世では小学生の頃にやんちゃな同級生男子にひどくからかわれて以来、そして今世では同年代の男の子に免疫のないエイミは異性に対して構えてしまう。もう少し年齢が離れている兄の友人達であれば、多少は接し慣れているのだが。

 おい、と乱暴に呼び止められて、思わずティガーの後ろに隠れるように後ずさってしまった。

「お前がそうか? 来るのは午後と聞いていたが」

「え? あの、いえ、午前中のお約束でした」

 不躾に尋ねられたが、訪問はちゃんと日時を約束してある。昼前までの予定だったのでその旨を伝えるが、形のいい眉をいぶかし気に顰められてしまった。

 その上、ぽっちゃりな体をじろじろと上から下まで品定めするように眺められたあと、軽く鼻で笑われる。対象外にされるのは望むところだが、自己紹介もする前から嫌な感じだ。

「取り入ったのは母だけかと思ったらティガーそいつもか。ご苦労だったな、顔のつくり自体は悪くないが……まあ、諦めろ」

「あ、諦めろと仰られても。もう、迎えるお部屋の支度もしています」

「はぁっ!?」

 彼は初耳のようだがティガーの譲渡は既に決定事項だ。公爵夫人は動物に関してはきっちりしていて書面も既に取り交わしている。第一、顔は関係ないだろう。

 ――多分だが、攻略対象者。

 関わりたくは全くないが、ティガーに関してはエイミだって譲れない。

 そんな気持ちが伝わったのか、ぴくりと振り返ったティガーが、大丈夫だよ、というように小さく鳴いてくれてエイミは勇気づけられる。

 ティガーは私の家に来るのだってちゃんと言わないと。

 一対一で男性と会話など経験も少ない。屋敷内だからと付き添いの侍女を断ったことを後悔しながらも、エイミは反論を試みた。

「こ、このことは、カミラおば様も、許してくださいました」

「お前、母のことを名前で?」

「はい。他人行儀はお嫌いだと、お名前で呼ぶように仰られて」

 額を押さえて天を仰ぐ目の前の男性。ティガーのふさふさの尻尾が、エイミを褒めるようにぽす、ぽすと当たる。うん、頑張る!

 エイミは祈るように胸の前で手を組んで、必死に言葉を続けた。

 ――この人は、ティガーが大好きで渡したくないのかもしれない。それなら、引き取られた先でもちゃんと世話をして愛情を注ぐことを伝えて、安心してもらわないと。

「まさか本気か、母上……? こんな、ぽちゃ……」

「あのっ、信じていただけないかもしれませんが、一目見て、大好きになったのです」

「っ、ん、んんんッ!? な、なにを急に、」

「こんな気持ち、初めてなんです。諦めるなんて無理です」

 勢い込んで、とと、と前に出てしまったエイミは、その身長差からぐいと見上げる格好になる。ものすごい至近距離になっていることにも、必死すぎて気付かない。

 いや、あの、とか急にしどろもどろになった男の人は、顔を真っ赤にして言いよどんでしまった。エイミはエイミで、緊張しすぎて大きな金の瞳からは涙がこぼれそうなほど。それでも見つめ続けているのは、目を逸らしたら負けだと言う兄ハロルドからの指導だ。ただし対、魔獣の。

 先に視線を泳がせたのは、エイミではなかった。

「っそ、そう、なのか」

「はい。カミラおば様も、これはもう運命だと仰って、快く」

「運命……」

「すごく大事にします。寂しい思いはさせません。眠るときも一緒のベッドに入りますし、お風呂だって私がお手伝いします」

「いや! は、ふ、風呂っ!?」

「慣れていませんから下手かもしれませんが、一所懸命やります。えっと、あの、そのほうが仲良くなれると聞きましたが……」

 違ったのだろうか。

 目の前の人は手で顔の下半分を隠したが、クラバットを結ぶ首元まで赤く染まっているのがはっきり見て取れる。色が白いと顔色の変化も分かりやすいのだなあ、とエイミは頭の片隅で思った。

「そんなに、す、好きなのか」

「はい。好き、大好き。本当に好き。夢に見るほど」

 頬を紅潮させてエイミが言い切ると、押さえた手の内から、あー、とか、うー、とかいった言葉にならない声が聞こえる。

 自分の気持ちが伝わっただろうか。少し不安の残るエイミは無意識に小さく、好きと何度も繰り返していた。

 お互いの息づかいまでが聞こえそうな緊張感が漂う公爵邸の中庭に、ピチチ、と小鳥の声が響く。

「……アレクサンダー・ジル・カヴァデールだ。アレクでいい」

「アレク様」

 ようやく掛けられた声にエイミはほっと息を吐く。

 言われたように呼ぶと、金色の前髪をクシャ、とかき上げて、まだ赤みの残る顔で満足そうに頷かれた。

 出会いがしらの高慢な様子は、すっかり毒気を抜かれたような表情と声に取って代わっている。緊張が解けてへにゃ、と表情を崩すエイミに、アレクサンダーは目の端を染めたまま、また少し横を向いて気まずそうにした。

 体が触れそうな距離にいたことにようやく気付いて、あわあわと一歩下がり、エイミは照れ隠しの笑みがこぼれるままスカートの裾を軽くつまんで簡易な礼を取る。

「あ、あの、失礼しました。エイミ・ノースランドです。そんな訳で、ティガーは我が家に譲っていただきますが、時々はこちらにも連れて参りますのでアレク様も寂しくは……」

「は? ティガー? って、ノースランド伯爵?」

「え? は、はい」

 アレクサンダーは困惑を張り付けた顔で言葉を失くす。

 えっと、あの、と言いかけて何を言ったらいいか分からなくなったエイミとの間の沈黙を破ったのは、公爵夫人の明るい声だった。

「エイミちゃーん、帽子忘れているわよぅ」

「あ、カミラおば様」

 振り返れば、侍女を従えてつば広の帽子を手にこちらに向かって、母と一緒に歩いてくる公爵夫人。慌てて駆け寄り礼を言って受け取った。

「あら。アレク、貴方は部屋にいるように言ったのに」

「え、あ」

「まあ、いいわ。挨拶は済んだ? イサベル・ノースランド伯爵夫人とお嬢様のエイミちゃん。ティガーの家族になってくれるのよ」

「……聞きましたよ」

 面白くなさそうに返事をするアレクサンダーを軽いため息でたしなめて、エイミが頭に乗せた帽子の角度を目を細めて直す公爵夫人。去年娘が嫁いでしまい寂しいのか、こうして構われることの多いエイミだった。

 ちなみに実母のイサベルは、人見知りがちな娘が他人と接するのを歓迎していて、そんな様子を楽しそうに眺めてニコニコしている。

「アレク、貴方はもう戻りなさい。今日は出かけては駄目ですからね。さ、エイミちゃん。東屋がありますから、向こうで遊ばせましょう」

 お茶もしましょうね、と侍女に持たせたバスケットをエイミに見せてウインクをした。その中には公爵家のコック特製の菓子が入っている。

 初めて振る舞われた時、あまりの美味しさにものすごい勢いで褒めたたえてしまってからというもの、エイミが来るときはキッチンが張り切っているらしい。

 自分の行動を振り返ると少し恥ずかしいが、エイミは素直に喜んだ。美味しいものは美味しいのだ。

「はい、カミラおば様、お母様。ティガーも行きましょう。あの、アレク様、お話できて楽しかったです」

 失礼します、ともう一度礼をすると、エイミはくるりと向きを変えて庭の奥へと向かう一行に加わる。

 生垣の向こうに三人と一匹が消えるのを見届けて、アレクサンダーは頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。


「……有り得ない」

 今日、寮から公爵家に呼び戻されたのは両親に決められた見合いの為だった。

 兄と姉がいたため、この歳になるまで婚約者の一人も持たずにきたが、公爵家子息として政略による婚姻は逃れられないと分かっていた。

 そうとはいえ、学園に入ったばかりで学ぶことも友人を作ることも一番楽しい時期。自分としてはまだ結婚も婚約も先でいい。会うだけ会って断らせるつもりだった。

 整った容姿を活用し、身分の高さからくる尊大な態度でやや乱暴に接すれば、気弱なお嬢様なら婚約もしり込みするだろうと――その目論見は外れてはいなかったが、相手を間違えるとは。

 しかも、ちょっと悪くないと思ってしまうとは。

「あー……」

 アレクサンダーの好みはスレンダーな大人っぽい女性のはずだったが、真逆ともいえる彼女を可愛いと思ってしまった自分に正直、混乱していた。

 ……まあるい輪郭、つつきたくなる頬。胸の前で組んだ手は赤ちゃんのようにぷくぷくしていて、全体的に丸っこい。どこもかしこも白くて柔らかそうで、思わず触れたくなる。

 大きな金色の目やきゅっとしまった口元は表情豊かで、必死に「大好き」と言い募る涙目にやられてしまった。ぶちぶちと目の前の芝をむしっていると、その視界の端に、よく手入れされた黒光りする革靴が入る。

「坊ちゃま、芝が痛みます」

「爺……お前、見てただろう」

「さて、とんと目も耳も遠くなりまして。アレク坊ちゃまが人違いをして恋に落ちる瞬間なら、ぜひこの目にしたいものですが」

 絶対見られていたし聞かれていた。

 頭頂部まで熱が上がるのを感じながら、アレクサンダーは気心の知れた執事に文句を言う。

「午前中に客があるなんて聞いてなかった」

「おや、そうでしたか。しばらく前からいらっしゃるようになったお嬢様でして。大変愛らしくて、使用人の間でもなかなかの評判です」

「そういうことは先に言えよ……ノースランド伯爵の、というとハロルド先輩の妹か」

 既に双剣使いの冒険者としても名を上げているハロルドは学園でも有名人だ。身分が邪魔をしてダンジョンに潜れないアレクサンダーが、こっそり憧れている人物でもある。

「そして、エドワード王子の婚約者候補のお一人とか」

「エドの?」

 そうか、と膝を伸ばし立ち上がると執事と目線の高さが揃うのが、今でも違和感がある。公爵家に代々仕えてきたこの老執事を、ずっと見上げてきたのだ。

 食えないところのある爺だが信用できる。友人の婚約者候補云々は初耳だったが正しい情報なのだろう。話を続けるよう、目で促す。

「他にも候補の方がいらっしゃるようですね。もうじき初顔合わせだと、気乗りしないご様子でしたが」

「なりたくないのか? 第三とはいえ、王子妃だぞ」

「ご興味は動物におありのようで」

「……ふうん」

 物心つく前から遊び相手兼、勉強相手として近くにいた友人の第三王子。色々と難しい母とティガーにすっかり気に入られているエイミ。どう見ても年下なのに、なんとなく年上にも感じる不思議なところがあった。

か。さて……どうなるかな」

「それは坊ちゃまの恋の行方で?」

「爺」

「なに、年寄りの戯言です。では、そろそろお戻りになって午後のお支度を」

「やっぱり会わな……ああ、分かったよ」

 はあ、と生垣の向こうに大きなため息を一つ吐いて、公爵子息はその足を屋敷へと向けたのだった。







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