55 突然の訪問者
その後に行われた決勝戦は、ハロルド達が危なげなく相手を下し優勝した。
翌日の午前中の
最終日である三日目の晩。
王城では競技会の閉幕にあたり、上位入賞者と関係者を招いての祝賀会兼慰労会――つまりはパーティーが催される。
エイミは治癒魔術師として競技会の主催側に携わってきた。
参加するのが筋だが、本人がまだ社交デビュー前の未成年であるため、ジョシュアが夜のパーティーへの出席に難色を示していた。
それでも短時間なり顔を出す予定でいた。が、昨日倒れたことでそれもなくなった。
そんなわけで、だんだん陽が傾きかけた今の時間。
本来ならば必要だった着替えなどの出かける支度もなくなり、エイミは久しぶりにのんびりと自宅の居間でお茶を飲んでいる。
「本当は行きたかったんじゃないの?」
「ううん、かえってホッとしてる」
向いに座る父を窺ってこっそり尋ねてきたイサベルに、きょとんと返す。
エイミはもともと、大勢が集まる場所は緊張するばかりで、楽しみとは思えないタイプだ。
準備期間から関わっていたため、顔見知りになった人達も多い。彼らに挨拶ができないのは残念だが、ディオン卿に伝言を頼み、後日改めてお礼状を出すことにした。
倒れて運ばれたところは大勢に目撃されているため、仮病を疑われることもない……とはいえ、あの時のことを思い出すと顔は熱いわ、背中はむずむずするわで、大変なのは今もだが。
療養中を示すように、今日のエイミの服装は柔らかなクリーム色のゆったりとしたデイドレス。真っ直ぐで長い黒髪も、軽くサイドを留めただけで結わずに背中に流している。
広い座面のソファーに深く掛けて、手にはお気に入りの紅茶、膝にはウトウトするティガー、テーブルには菓子と読みかけの本……幸せ満喫タイムだ。
「そう? 会いたい人がいるかなーとか思ったんだけど」
「お母様……」
そうやって揶揄うのは勘弁してほしい。
うふふ、と楽し気に笑うイサベルを睨んでも、真っ赤な顔では何の効果もありはしないと分かっていはいるけれど。
だって知らなかったのだ。ずっと「候補」のままだったことの理由が自分にあったとは。
エドワードは形だけの婚約ではなくエイミの心を望み、ジョシュアは政略ではなく娘の自由意志と幸せ、そして父親としての時間を望んだ。
――まさか、お父さんとエド様の間でそんな話になっていたとは……っていうか、私、当事者だよね?
一言くらいあってもよかったんじゃないかとは思うものの、二人を責める気持ちはない。
エイミの気持ちを尊重してくれていたことは確かなのだから。
ぷん、とそっぽを向いて紅茶を飲んでいると、俄かに廊下が騒がしくなって微睡んでいたティガーの耳がぴくりと動く。
おざなりなノックとほぼ同時に開いた扉から現れたのは、意外な人物だった。
「よう、エイミ。倒れたってな、元気かー? って、大丈夫そうだな」
「お兄ちゃん! え? 家に来るのは明日って……、それになんでその恰好?」
ハロルドは自宅ではなくギルドの宿舎にメンバー達と泊っていて、忙しくしていたエイミはちゃんと会っていない。競技会が終わったら一度ゆっくり食事を、という話になっていた。
団体戦の部の優勝者であるため、当然今日のパーティーにも出席する。なのに目の前の兄はすっかり旅装だ。
しかも。
「あの、ええと、お邪魔……します」
「あらあら、いらっしゃい」
ハロルドの後ろからぴょこり、と顔を出したのは「ヒロイン」――ヤスミンだ。
取り落としそうになったカップを慌ててテーブルに戻し、何度も瞬きをしながらなんとか立ち上がる。
同じく迎えたジョシュアも驚き顔で息子の姿を眺めた。
「ハロルド、まさかその恰好で王城に行くのか?」
「いや。サライザのほうでちょっとデカい魔獣が出たって、ギルドに情報がきてさ。俺ら、城じゃなくてそっちに行くから」
「え?」
「ギルやニックもお城のパーティーは面倒だからいいって。そんなわけでさ、悪いけど父さんが代わりに出席して褒賞貰っといてよ」
「は?」
「大丈夫、陛下にちょこっと挨拶するだけだから!」
「……ハロルド、ちょっと来なさい」
それでギルド経由で入金してくれ、とか言う兄に、ジョシュアも開いた口が塞がらない。
額を押さえながら、兄の腕をむんずと掴むと引きずるようにして居間を出ていった。
ぽかんと見送るエイミとおろおろしているヤスミンに、イサベルも苦笑いで立ち上がる。
「仕方ないわねえ、ちょっとお母さんも向こうにいくわね。お父さん、頭に血が上ると話が長いから……エイミ、ヤスミンさんにお茶を淹れて差し上げて」
「あ、う、うん」
「ヤスミンさんも、どうぞゆっくりしてらしてね」
幾つになっても困った子、などど歌うように言いながらイサベルも出ていってしまって、残されたのはエイミとティガー、そして……ヤスミンだ。
「……あの、どうぞ」
「っは、はい! 失礼、します……」
勧められてソファーに掛けたものの、ヤスミンはぴきんと音がしそうに背を伸ばしたまま固まっている。
家族で過ごすときは、この居間に使用人は立ち入らない。
ぎこちなくなりそうな手でティーポットを傾けながら、エイミはそっとヤスミンを窺った。
服装は兄と同じような、冒険者の旅装だ。試合の時も身につけていたフードの付いたローブを今は脱いで脇に置いている。
ピンクブロンドの綺麗な髪は、今日はポニーテールではなく三つ編みにして横に流していた。
尋ねたいことや確かめたいことは色々あるが、いざとなると戸惑いのほうが先に出てしまう。
さらに、リラックスモードでこの半日を過ごしたエイミは、突発案件に対処できるような心の準備もなかった。
――まさか「ヒロインですか?」とか訊くわけにもいかないよね……。
ゲームではヒロインのアバターはカスタマイズできたから、ヤスミンがヒロインだと思うのは、純粋にエイミの勘と読書経験からの予測なのだ。
それに、この世界でも「前世」とか「転生」などが一般的に認知されているわけではない。
一部の占い師達が用語として使うくらいで、実際にそれを経験した人も公式には存在せず、エイミも自分がそうでなければ信じなかっただろう。
突然「私には前世の記憶があって云々」なんて言ったとして、まともに取り合ってもらえるとは思えない。
「あの、どうぞ。紅茶、お好きですか?」
「は、ハイ好きです! ありがとうございますいただきますっ!」
困りつつ、まずはカップをテーブルに置くと、過剰なまでに恐縮されてお礼を言われてしまう。
両親とは既に会っているはずだが、今日が初対面のエイミに緊張しているのが丸わかりだ。いまだに人見知りをしてしまうエイミは、なんとなく親近感を感じる。
頬を紅潮させてぎくしゃくと紅茶を飲む姿には害意など微塵も感じなくて、逆にほほえましい。
――怖くない。それに、案外……
背も高いし容姿も整っている。ぱっと見、エイミよりも二、三歳は年上に見えたが、こうして近くにいると同じ歳なのだと信じられた。
エイミの正面に座ったヤスミンは、何口か飲んでそっとソーサーにカップを戻すと膝の上でぎゅっと手を握る。心を決めるように深く息を吐いて、エイミをまっすぐに見つめた。
重なった視線に心臓がドキリと音を立てる。
「あ、あの、エイミお嬢様」
「は、はい」
「私を、いえ、私というかヤスミンを、ご存じ……覚えていますか?」
「……え……?」
――ヤスミン? 「ヤスミン」はお兄ちゃんの昔のゲーム仲間で、え、あれ違う、そういうことじゃない?
予想外の質問にエイミは面食らう。
それを見たヤスミンが、慌てて両手を振って説明を追加する。
「っあ、ごめんなさい! こんな言い方じゃ、訳わかんないですよね。あの、なんていうか……エイミお嬢様も転生者、ですよね? 私もなんです」
――っ!? い、今なんて……!?
驚いて固まるエイミに、ヤスミンは、すぅと一息吸い込んでしっかりと自己紹介を始めた。
「私の今の名前は、マリア・クリフォード。元の名前は、早瀬
お兄さんと一緒にプレイしていた「ヤスミン」本人です、と一気に言われて、エイミは落ちるかと思うほど目を丸くした。
「……本人?」
「はい。あ、できればこれからも本名のマリアじゃなくて、そのままヤスミンって呼んでください」
一度口に出したら気分が落ち着いたのか、マリア――ヤスミンは、すっきりした表情でハキハキと話し始めた。
何度も瞬きをして、今聞いたことを反芻してかみ砕く。
前世の「ヤスミン」といえば……
「……えっと、猫耳アバターの最高装備持ち?」
「はい、そうです」
「超絶プレイでプロも真っ青なサポートスキル連発の?」
「そんな、て、照れますぅ」
「ヒロインじゃないの!?」
「ヒロイン?」
前世のプレイを褒められて赤くなった頬を両手で押さえたまま、ヤスミンは「ヒロイン」に関しては首をコテンと傾げた。
それがまた可愛らしくて、やっぱりヒロインだろう! とエイミは心の中でツッコミを入れる。
気が逸ってしまったが、まずはヤスミンの話を聞いたほうがいいと思い直して、小さく咳払いをして誤魔化した。
「えっと、コホン。な、なんでもないです。あの、ヤスミンさんは男性で、
驚いたのはそれだけではないが。エイミの言葉に、ヤスミンは、少し気まずそうに笑った。
「元の本名の『茉莉花』ってジャスミンの花のことなんですけど、ジャスミンって『ヤスミン』とも読めるんです。で、そこからとって、ついでにわざと性別が分からないように『ヤスミ』にしたんです。その方がプレイに集中できたので」
「ああ……なるほど」
「まさか、ヤスミンって呼ばれるようになるとは思わなかったですけど」
ふふ、と頬を染めて嬉しそうに笑う。
エイミはその顔を見ながら、ジャスミン(Jasmine)のペルシャ語読みだったかな、とこれまた遠い記憶のおとぎ話のお姫様を思い出す。ハリウッドアニメにもなった絨毯を空で飛ぶ冒険譚は、エイミも一度は見たはずだ。
「でも嬉しい……覚えていてくれたんですね。ハルさんから、きっと妹も覚えているから話してみれば、って言われて、今日……」
そう言って、ヤスミンはその宝石みたいな緑色の瞳から、ぽろぽろと涙をこぼした。
エイミは慌ててハンカチを差し出しながらティガーを連れて席を移り、ヤスミンの隣に腰を下ろす。
「あ、ご、ごめんなさい、泣いたりして。私……
「……そう、なの」
「小さい頃から体が弱くて……ベッドにいてもゲームはできるから、体調がいい時はずっとプレイしてたんです。友達もいなかったから、こうして誰かが覚えていてくれていたなんて、本当に嬉しい」
すん、と鼻をすすって顔を上げたヤスミンはもう泣いてはいなかった――重い話だが、時間と世界を超えて離れて、こうして話せるようになったのだろう。
隣にいるエイミではなく夕焼けに染まる正面の窓を見ながら、懐かしそうに話す横顔はとても綺麗だった。
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