56 前世と今世
渡されたハンカチを膝の上で握りしめながら、ヤスミンは話を続ける。
「楽しかった。ろくに歩くこともできない私が、ゲームの中では走ったり、ジャンプしたり、モンスターだってやっつけられちゃうんですよ」
「うん……」
「そのうちオンラインでもプレイするようになって。でも私、ゲームに入ってる時間は短いし、アバターのこともあって一緒に戦ってくれる人がいなかったんです」
獣人のアバターは可愛らしいが、人型に比べると各種能力の上限値がもともと低く設定されている。
どうしても戦力的にマイナスイメージがあり、特に難易度の高い場面での協力プレイヤーには滅多に選ばれることがなかったという。
――そういえばお兄ちゃんも、だから余計に驚いたって言っていた気がする。
おぼろげな記憶を探りながら、エイミはヤスミンに続きを促す。
「でも、アバターを変えるつもりはなかったんでしょ?」
「だって、可愛いもん!」
お互いに敬語が抜けてきて、肩をすくめるヤスミンと一緒にエイミも笑う。
「偏見とかなく私と一緒にプレイしてくれたのは、ハルさんが初めてだった。『ヤスミン』って前からの友達みたいに呼んでくれて、すごく楽しくて……これが現実だったらいいのにって、ずっと思ってた」
自分が願ったから転生したとは思わないけれど、とヤスミンはこれまでのマリア・クリフォードとしての人生を教えてくれる。
父はなく、幼い頃に母親を亡くし、ウォーラムに住む祖父のもとで育ったこと。
前世を思い出したのはエイミより少し早い九歳のころ。
クラーケン討伐で見たハロルドの双剣の操り方が、記憶の「ハル」にそっくりだったこと。
祖父が亡くなって、実父の縁者だという貴族が現れ、強引に連れていかれそうになった際に自分の魔力に気づいたこと。
逃げ出した先で冒険者の魔術師に出会って教えを請い、自分も
その師匠の冒険者が後見をしてくれていたが、今年成人してからは名実ともに独立。その直後に、兄からメンバーに誘われた、というわけだった。
「え、もう成人してるの?」
「うん」
エイミも次の誕生日で成人を迎えるが、まだしばらく先だ。
誕生月を聞いたら、同じ歳とはいってもヤスミンのほうがずっと早く、前世だったら学年が違っているくらいの差があった。
自分より大人っぽいヤスミンに、また一つ納得だ。
それにしても、貴族の落とし子で高い魔力持ち、という乙女ゲーム系小説のヒロインテンプレにピタリと嵌るが、本人にその自覚はないらしい。
逆に、記憶が蘇り魔力に目覚めてからというもの、いかにして前世のプレイスタイルを再現できるかというほうに血道を上げたというから、案外中身は兄と似ているのかもしれない。
聞く限り、ヤスミンの兄に対する評価は前世も今世もかなり高いようだ。
「ハルさんも冒険者になったって聞いたから、私も実力をつければもしかして、また前世みたいに一緒に討伐できるかもしれないって」
「そうだったんだ。あ、あの……訊いてもいい? ヤスミンは、えっと、その、兄と付き合ってるの?」
「っ、え!? え、ええええ、そんなっ?」
ぱあっと目のふちまで赤く染めて、ヤスミンはぶんぶんと音が出るほどに手と首を振る。
「つ、つつつ付き合うとか、そういうのじゃなくて、私はただ、ハルさんに追いつきたくて」
「だって、よく一緒にいるみたいだし、かなり強引に勧誘されたって聞いたし」
「た、確かにそれは……私、自分の能力にあんまり自信がなくて」
「あれだけできるのに!?」
競技会でのことを思えば、そんなはずはない。
ありえない、と言うエイミに、ヤスミンはまたぶんぶんと首を振って否定する。
「だって、前世に比べたら全然なんだもん。で、でも、それでもいいって言ってくれて……こんなに早くまた一緒にプレイ、じゃなくて討伐できるなんて思わなかったから、もう、今の私にできるのは技を磨くことくらいで」
――どうしよう。こんな頑張り屋さんにあんな兄のお守りとか、大っ変申し訳ない。
もしかしてと思ったエイミの予想は外れ、現時点でヤスミンと兄は仲間意識のほうが強いようだ。
ちょっと残念で自由人な兄に振り回されていることに詫びたい気持ちが、余計に込み上げる。
「ホントごめんなさい、兄がご迷惑をお掛けして……」
「え、全然! かえって私のほうが足引っ張りだし、やっぱり現実では岩も割れないし」
「いや、割らなくていいから」
「開発中の
「むしろそれどんな味!? っていうか、回復薬なんてあるのっ? 見たことない!」
「えへへ、まだ企業秘密でーす、ふふふ……ふ、ふ」
勢い込んで話している途中で、笑いながら急にヤスミンはまた泣き出した。エイミは何もできずうろたえてしまう。
「……ずっと、こういうふうに喋りたかった……どうしよう、嬉しい。ごめんね、やっぱり泣いちゃう」
前世を思い出してからしばらくは記憶に引っ張られて混乱が続き、それまでの友人達とも疎遠になってしまったという。
涙が少し落ち着くと、ヤスミンはぽつぽつとそのことも話してくれた。
「前世では運動なんてできなかったから、自由に動ける今の体がすごく嬉しかった。でも、心だけでなく体までが、病気だったことを思い出しちゃって……どこも悪くないのに熱は出るわ、体中が痛いわ食事は喉を通らないわで、半年くらいまともに起き上がれなかったんだ」
「それは……大変だったね」
「原因不明っていうか、原因なんて言えないでしょ? 元気になってからも、コイツ変な病気じゃないか、またすぐ倒れるんじゃないかって皆びくびくするし、私もこっちの世界に改めて馴染むのが難しくて、距離を取るように……おじいちゃんだけは変わらずに可愛がってくれたけど、やっぱり話せないしね」
向こうがどうというより、自分の問題だとヤスミンは言うが、エイミにも心当たりはありすぎる。
同じ境遇の家族がそばにいたから、どうにか飲み込めたのだ。一人で、しかも十歳程度の年齢で受け止めるのは、かなり酷だと思う。
そうしているうち、王都の学園から来る留学生の中に「ハロルド」という名の双剣使いがいると知った。
虫の知らせというのだろうか。胸騒ぎがして、到着の日に見に行ったと言う。
それが転機だったとも。
「前世でだって顔も知らないのに、生まれ変わった証拠なんてないのに、絶対あの人だって思った……すっごくドキドキして、見つかる前に走って逃げちゃったんだけど」
エイミも、証拠もないのにあの子がヒロインだ、と本能的に思い込んだ。それと似ている。
「私その日、ヤスミンを見たよ」
「え、クラーケンが出た時じゃなくて? 私あの時も緊張してて……だって王都の貴族様なんて、すっごい雲の上の人だし!」
「そんな」
「本当だよ! イサベル様は女優さんみたいに綺麗だし、お嬢様だって、えっと、あの、ちょっとぽっちゃりしてるけど」
言葉を選び始めたヤスミンに、エイミは苦笑いだ。
「無理しなくていいよう」
「ううん、そうじゃなくて、何ていうかオーラがね、こう、普通の人と違うの! あと、その子にも驚いたしね」
「あ、ティガー?」
たしかにティガーはサイズ的に驚かれるだろう。大人しい子なのだが。
「でもウォーラムにいる間、よく浜辺を散歩していたでしょう? 何回も見るうちに、仲いいなーって。やっぱ王都のお嬢様は違うわーって」
声をかけてくれたらよかったのに、と一瞬思ったが。果たして実際に声をかけられたとして、あの時のエイミは応えられただろうか。
今だからこそこうしていられるが、まだ疑心暗鬼だったあの頃は、きっと距離をとるしかできなかったはず――物事には適した時があるのだろう。
それまでのしんどい思いも、必要な場合があるのかもしれない。
「あ、私のことばっかり話しちゃってごめんなさい!」
エイミもなにか話して、と言われたが、さすがにそろそろ兄達が戻ってくる頃合いだろう。
この後すぐに旅立つようだし、あまり時間はなさそうだ。
少しだけ逡巡して、エイミは思い切って確かめてみることにする。
「あのね、前世では女子向けの恋愛ゲームとか、ウェブ小説とかは好きだった?」
「あー、ごめん。ゲームはアクションかバトルものばっかりで、恋愛系は興味なかったんだ。小説もね、あんまり」
「あ、そ、そうなんだ」
漢字が苦手で、と笑うヤスミンは、なにか含んでいる様子もない。
本心なのは間違いないだろうし、今までの様子から言っても「乙女ゲーム小説」を知っているとは考えられない。
でも、とヤスミンはなにか思いついたように話し出した。
「ゲームといえばね、今いるこの世界は私がプレイしたゲームの世界と似ている気がするんだ。もちろん、モンスターじゃなくて魔獣だし、実際には装備や武器とかも違うよ。でも全体的な空気感とか世界観がね、なんとなく。あ、あと、大陸の地理や国名はほとんど同じでびっくりした」
「世界観と地理……」
エイミが似ていると確信があるのは、全体というより特定の人物だ。
もしかしたら、いろいろなゲームがミックスされて……と考え始めたところで、はたと我に返る。
――なんでもかんでも前世とゲームに結び付けるのは、おかしいよね。
思考が囚われる、というのだろうか。
それは狭量なだけではなく、ひどく不自然ではないだろうか。
清水が湧くように自然とこういう意識が浮かんだのは、エイミが本当に「ゲーム転生」という考えの拘束から抜け出せた証拠なのかもしれない。
そのきっかけは多分、昨日にあるような気がした。
――ゲームとか……そんなことより、もっと違うことを話そう。
前世という共通項を持つ、同じ歳の女の子。せっかく出会えたこの人とできる話は他にもある。そう、たとえば……。
エイミは膝にいるティガーを撫でる。
金色の瞳を細めて自分の手に頭をこすり付けてくる様子が、どこまでも愛おしい。
「私ね、前世ではアレルギー持ちだったから、動物とか飼えなかったんだ。生まれ変わったと知ったときに、動物を……まずは猫を飼いたいって思ったの」
その条件が魔術の習得だったと話すと、ヤスミンは驚いた顔をした。
ヤスミン自身、突然発現した自分の魔力の扱いには苦労してきた。エイミと同じく魔術訓練で無茶をしたことも少なくない。
治癒魔術の行使は特に魔力を多く消費する上、コントロールも難しい。
サポート役に就くために一通りを勉強したヤスミンは、エイミの使う治癒魔術の高度さをよく理解している。
「そうだったんだ。私達二人とも、夢が叶ったね」
「ううん、叶えたんだよ。私もヤスミンも」
「……そっか。そうだよね、私も冒険者になりたくて頑張った」
「うん、今も頑張ってる」
「だよね」
二人で笑い合って、お互いの手を高く上げて。
伯爵家の居間にはパチンというハイタッチの音と、明るい笑い声が響き渡った。
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