57 王城の祝賀会

 何台もの豪華なシャンデリアに照らされた王城の大広間は、大勢で賑わっていた。

 普段のパーティーと違うのは招待客に武骨な男性が多く、華やかなドレス姿の女性がほとんど見当たらないことだろう。

 用意されている食事や飲み物も、軽食というよりしっかりとした食事になるものや強めの酒が多い。

 遠慮するような者もおらず、給仕が忙し気に追加の皿を運んでいる。

 一応、各所に警備の兵も立ってはいるが、服装が違うだけで体格的にはまったく見劣りせず、どちらが招待客なのか分からない……。

 これが、三年に一度行われる競技会祝賀会での恒例でもあった。


 出場者の一人としてこの会に参加しているエドワードは、奥にある貴賓席ではなくフロアにいた。

 ケヴィンは早々に仲間達につかまったので、今はアレクサンダーと二人。夜会服に身を包み、招待客と挨拶を交わしながら広間をゆっくりと移動している。

 試合の時と違い穏やかなグレイの瞳が、ここにいるはずのない人を見つけて少し大きくなった。

「局長」

「え、ノースランド伯爵?」

 視線を追ったアレクサンダーも意外そうな声を上げる。

 そこには、知人らしき貴族男性と話しながら、分かりやすく眉間に深いシワを刻んでいるジョシュア・ノースランド伯爵がいた。

 伯爵家からの参加予定者は優勝者であるハロルドと、医療スタッフとして奔走してくれたエイミの二人。

 娘のエスコート役として同行するのなら分かる。しかし、彼女は欠席するとの連絡が既に届いていた。

 慌てて見回すが当然エイミの姿はなく、そういえばハロルドや彼の仲間達もまだ見ていない。

 競技会の出場者に雇用契約を持ちかける目的でこの場にいる貴族も多い。だが、ノースランド伯爵家ではそういった必要はなさそうに思えた。

 エドワード達は、顔を見合わせるとジョシュアがいるほうへと足を向ける。

 伯爵も第三王子と公爵家令息の姿を認め、会話をしていた相手に軽く挨拶をしてこちらへと進んできた。

「こんばんは、局長」

「殿下方。よい夜ですな」

「そうは言い難い表情ですが……」

「なに、いい歳をした馬鹿息子の尻ぬぐいを押し付けられただけですので、お気になさらず」

「ハル先輩がどうかしましたか? 姿が見えないようですが、まさか具合でも」

 相変わらずハロルドに憧れているアレクサンダーから食い気味に質問されて、ジョシュアは苦笑いを浮かべる。

「いえ、むしろ逆でして。祝賀会があるというのに、早々と魔獣討伐に向かってしまいました」

「ああ、なるほど」

 既に王都にはいない、とため息交じりに告げるジョシュアに諸々察したエドワードは深く頷いた。

 社交よりも討伐を優先するのは、権力の庇護を必要としない現役の冒険者ならでは。だが実際に国王に拝謁が叶う機会を捨てるような真似は、なかなかできるものではない。

 それを軽くやってのけるのが、ハロルド・ノースランドという冒険者なのだ。アレクサンダーは「さすがは先輩」とか、また感動している。

「メンバーも全員行ってしまいましたから、事情説明に私が参上した次第です。陛下には寛大にもお許しいただけましたが、本当に頭の痛い……」

 やれやれ、と額を押さえるジョシュアだが、なんとはなしに息子を誇るような色もあり、やはり家族としての愛情が垣間見える。

「顔見知りにも挨拶が済みましたので、そろそろ退出いたします。ああ、帰る前に少し研究室には寄りますが」

「……お付き合いしましょうか」

「こら、エド。まったく花のないパーティーで気持ちはよーく分かるが、俺を残して勝手に抜けるな」

「アレクも一緒に来る?」

「あんなややこしい魔道具の構造や数字なんて、俺に分かるかっ」

 ようやくジョシュアの表情も緩み三人で軽く笑っていると、ふいに声をかけられた。

「そちらはノースランド伯爵ですね、ちょうどいいところに」

 全身白色のバクル国の衣装を身に纏ったジャハルが、すぐ後ろに立っていた。

 一緒に戦ったメンバー二人も共におり、三人揃うとなかなかの存在感だ。ジャハルの身分もあって、周囲の人々との間には自然と空間が置かれ、遠巻きに眺められている。

「ジャハル。お前今までどこにいたんだ? それに今夜はレティは一緒じゃないんだな」

「今来たところだよ、アレク。舞踏会ならともかく、こんな男ばっかりのところにレティを連れてくるわけないだろう。エイミも来ないと聞いたしな」

「まあ、それもそうか。で、なにが『ちょうどいい』んだ?」

 伯爵とジャハルは今が初対面だ。意図が分からずとも隣国の王族に対して礼を取ろうとしたジョシュアを止めて、ジャハルは正面に立つ。 

「ああ伯爵、こういう席だ。お互い挨拶は無用に」

「恐れ入ります」

「ノースランド伯爵。単刀直入に言うが、貴殿の令嬢をバクル国でお預かりしたい。いかがだろうか」

 その言葉に、ジョシュアのみならずエドワードの表情も一瞬固まった。

 いつもと変わらぬ表情とあくまで軽い口調で言ってのけるには、インパクトの大きい話だ。

「……なんと?」

「私は現在ルドゥシア国に留学の身だが、勉学のほかに優秀な人材を探すという役目も負っている。エイミ嬢の治癒魔術は群を抜いている。ぜひ我が国に来て、バクルの若い治癒師を指導いただきたい。そうだな、任期は数年から生涯で」

「おい、何を急に」

「アレクは口出し無用。それにレティシアの話し相手としても丁度いい」

 悪びれないジャハルの言葉は、決して噓ではないが全部を語っているようには思えない。真意を確かめるようにエドワードはジャハルを見つめた。

「急な申し出は承知だ。待遇は約束する。可能であれば、魔道具の権威である伯爵ご自身も招きたいと考えている」

「……ジャハル」

「エド、私は許されている権利を行使しているだけだ」

 ジャハルは留学生だが、友好国からの賓客でもある。

 ルドゥシアに滞在中に外交的な行動が伴うことはエドワードも十分に承知していた。

 だが聞きたいのは、そういう表向きのことではない。

「彼女は私の、」

だろう? 一介の伯爵令嬢と国交とを天秤にかけるか?」

「っ、それは」

「……彼女の治癒魔術は、ルドゥシア一国で占有する類のものではない」

 よく耳をそばだてていなければ聞こえないくらい潜められた声に、エドワードの瞳が細くなる。

 ジャハルは魔術を使うのは得手ではないが、視る目はある。さらに、競技会の試合後にエイミの治療を受けたと聞いている。

 ――まさか。

 エイミの治癒魔術は、普通と違う。

 重傷者の手当をする機会が少なく、また動物ばかりを治療しているから「効果が高い」という結果で目くらましをされているだけだ。

 エドワード自身、確証はないが――自分の考えが行きつく「加護者」という結論に、否定と肯定を何度も繰り返してきた。

 ジャハルにも確信はないだろう。それでも、自国に囲い込みたいほどには興味を引かれたと見える。

 王族が自国の益になるための行動をするのは自然だし、そうしなければならないのも理解できる。

 だが。

 ――渡さない。バクル国にも、ほかの誰にも。

 ようやく心の一端を捕まえたのだ。手放すつもりはない。

 加護者は王族より格が上ではあるが、厳重な管理下に置かれる籠の鳥だ。行動は厳しく制限され、彼女が好きな動物達とも今のように触れ合うことは難しい。獣医の手伝いなどなおさら無理だ。

 エイミがそれを望むとは、到底思えなかった。

 王族であるジャハルの言葉は、依頼という形を取ってはいても命令だ。否と言えるのは、この場ではエドワードしかいない。

 しかし、二人の関係は一歩進んだとはいっても、現実にはまだ「候補」のまま。正式な婚約を結んでいるわけではないため、エドワードにはエイミの処遇を決める権利がない。

 それを持つのはジョシュアだが、彼はあくまで伯爵位だ。当然、断ることは許されない。

 ――多少穏便に済ませられなくても、退いてもらうよ。

 どのカードを切るべきか。

 瞬時に頭を巡らしながら口を開こうとしたエドワードの肩に、ぽんと手が置かれる。エドワードを制するように、ジョシュアが半歩前に出た。

「ジャハル王子。娘を評価いただいたことにお礼申し上げます。率直に申し上げまして、そのお話は難しいですね。こちらの……エドワード殿下との婚約が決まりましたので」

 それまで、周囲とは距離もあり、紛れるような音量で話していたのに「婚約が決まった」というところでジョシュアは語句を強めた。それを聞きつけた人々も一斉にこちらへと注目する。

「聞いていない」

「公示はまだですが準備が整い次第、婚約式を行う予定です」

 第三王子の婚約決定という知らせに騒めく空気のなか、エドワードは驚きを押し隠した。

 正式に婚約者に据える手続きを進めるためには、父親ジョシュアから最終的な許しを得ねばならない。王権を使えば簡単だが、エドワードにそのつもりはなかった。

 イサベルも言ったように、一度では済まないだろう。

 それを承知で何度でも申し込もうとしていたのに、ジョシュアのほうから先に「認める」と宣言するなど予想外だ。

 予想外ではあるが――ジャハルの申し出に、伯爵がエドワードと同じ懸念を感じ取り、エイミを案じたのなら話は別だ。

 ただの伯爵令嬢と、王子の正式な婚約者では雲泥の差がある。この状況下でジャハルの面目を潰さず穏便に断る、最善の返答であることは間違いない。

「折衝は本人と、未来の配偶者である殿下を交えてでお願いいたします」

 エイミと同じ黒髪を軽く振って、ジョシュアはエドワードを見る。その量るような視線を、エドワードは真っ直ぐ受け止めた。

「ふうん……そうきたか」

 見開いていたジャハルの黒い瞳が、にんまりと弓の形になる。

 そのままゆっくりと、エドワードに顔を向けた。

「さすがに未来の第三王子妃を連れてはいけないね。エドも先に言えばいいのに」

「いや、話遮ったのお前だろ」

 アレクの指摘は聞き流して、ジャハルは右手をエドワードに差し出した。

「そういうことなら申し出は撤回する。婚約おめでとう、エド……そうだな。遊びになら来るだろう?」

「それはもちろん」

「じゃあ、君らの最初の外遊はバクル訪問。それで手を打とう」

 ぎゅっと握り合って離した手を満足そうに上げると、ジャハルはさっと背を向け、配下の二人を連れて現れた時と同じくらい唐突に去っていく。

 とたんに、今度は周りにいた人達がどっと寄ってきた。

「ここは引き受ける。行けよ」

「アレク、助かる」

 祝辞を述べたり状況を聞きたがったりと騒ぎ始めた周囲をアレクサンダーに任せ、エドワードとジョシュアはその場からそっと離れる。

 人ごみを縫ってベランダに出るといい具合に誰もおらず、爽やかな夜風に揃って深く息を吐く。

 欄干に軽くもたれながら、先に口火を切ったのはエドワードだった。

「……局長、先程の」

「娘の意志を尊重したまで。ああは言いましたが、婚約式もエイミの成人まではお待ちいただきます。それに、殿下では娘が守れないと判断すれば、婚約は破棄のうえ、すぐにでも連れて消えますので」

 ご承知を、と淡々と響く伯爵の言葉に頷く。

 声音こそは普通だが、重い本心であり本気であることは十分に伝わる。ノースランド伯爵という人は魔道具の研究に心血を注いではいるが、家族のためにならどんなことも平気な顔でやってのけるだろう人でもあると、エドワードは理解していた。

「肝に銘じます」

「ぜひそうしてください」

「……初めて自分の生まれが役立ちました」

 望んだのは、加護者としてのエイミではない。

 自分の王族としての立場は制限としがらみばかりだ。だが、それが彼女を守る盾になるのなら、欠片も残さず使い切ってみせる。

 だが、それとは別に。

「実は、何度か追い返されるのを楽しみにしていたのですが」

「私もですよ。殿下は良い友人をお持ちだ」

 おかげで予定が狂ったと、ため息を吐きながら不満そうに言われてしまう。

 結果的にエドワードの望み通りになったといえるが、自分がそう誘導したわけではない。

 ジャハルがどこまで読んでいたのかは分からないが――エイミを手に入れても、エドワードとの婚約が進んでも、どちらでも構わないからこそあの場を選んだのかもしれないと、今は思う。

「ああ、それから。娘がなにか話があるから殿下の都合を訊いてほしい、と」

「エイミが?」

「父親を伝書鳥に使うとは感心しませんが、確かにお伝えしました」

 手紙のやり取りは頻繁だが、会いたい、話したいとエイミのほうから言ってくることはほぼなかった。驚きつつも喜びを隠せず頷くエドワードに、ジョシュアは退出を告げる。

 呼びかけて引き留めたエドワードは姿勢を正した。

 こんな時、こんな場所ではあるけれど言わねばならないことがある。

「局長、いえ、ノースランド伯爵。改めて申し上げます。どうか、ご令嬢との結婚をお許しください」

 視線は真っ直ぐに、少し震える指は軽く握って下ろして。

 もしかしたら、生まれてから一番緊張したかもしれない。

 驚きに目を見張ったジョシュアは数瞬の無言の後に、小さく嘆息した。

「……婚約を認めてからの許しというのも、恰好が着かないものだな。とりあえず一度は言わせてもらう。『やらん』」

 満足そうな笑顔で返されて、エドワードもほっとして笑みを浮かべる。

 伯爵が去ったベランダで、緊張を解いて深く息を吐いたエドワードの頭上には、明るい月が上っていた。






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