38 『色に出でにけり』?

 外出の支度を済ませたイサベルが一階に降りると、庭へと開いた大窓の前にいるエイミが目に入った。

 外を向いて立つ娘の視線は庭師が丹精込めた花壇でも、雲一つなく澄み切った青空でもなく、自分の手元。すっかり見慣れた薄い用紙は、白フクロウのふくたが運ぶエドワードからの手紙に違いない。

 ほぼ毎日のやり取りは、公の伝令鳥を引退して遠方への飛行が少なくなったふくたの運動不足解消を兼ねている。

 最初は内容に困ることが多かったエイミも、今では前世でいえばラインやツイッターといったSNSのような気楽さで書くようになっていた。

 そんな、もはや日常といって差し支えない手紙なのに、今日のエイミは口元をきゅっと結び、眉を下げた何とも言えない表情で覗き込んでいる。

 同行の侍女にクラッチバッグを預けると玄関ホールで待つように言って、イサベルは一人エイミのもとへと向かった。

「エイミ」

「あっ、お母様。出かけるところ? えと、今ね、ふくたが来て、ティガーも行っちゃって」

「そうみたいね」

 声を掛けられて、エイミはハッとしたように顔を上げた。

 どうやら母が傍に来ていることにも気付いていなかったらしい。慌てて手紙をたたむと、取り繕うように庭を指さした。

 そこにはいつものようにお気に入りの枝で休む白フクロウと、木に登り始めるティガーの姿。

 エイミ以外には人間にも動物にもあまり興味を示さないティガーだが、ふくたが来ると自分から近づいて行く。

 仲良くなった理由は分からないが、異種の動物同士が仲良くするのは見ていてもほっこりするので大歓迎だ。

 特に何かをするわけではないが、たとえば、ふくたが時々ピタリと羽繕いを止めてじっとティガーと見つめ合ったり、ふいにお互い目を逸らしたりする様子などは、何とも言えず愛らしい。

 そんな束の間の光景見たさに、ふくたが来るといそいそと窓辺に寄っていく使用人達の姿もある。

「それで、ふくたが来ているのにエイミはそんな風に難しい顔して。どうかしたの?」

「え?」

「なんだか寂しそうよ」

 手の中の便箋をちらりと眺めてイサベルが問う。

 普段と様子が違うと言われ、慌てて手紙をたたんだエイミは少し困ったように首を傾げた。

「私、寂しそう?」

「お母さんにはそう見えたけれど」

 目を瞬かせて意外だと声をあげるエイミは、本当に自覚がなかったようだ。

「んー、そうかなあ?」

「いいのよ、親には言いにくいこともあるものね。ほら、昔の人も言うじゃない『しのぶれど 色に出でにけり……』」

 母が思わせぶりに目を細めた意味を察して、エイミは少し焦ったように瞳をくるんと大きくした。

「べ、別にそんなことじゃなくって、来週また私、馬場に行くでしょ」

「そうね」

 現在もエイミは王城の馬場に通い続けている。

 ただ、入学してからは今までのように気楽に訪れることは時間的にも難しくなり、事前に予定を組むようになっていた。

 エイミが来るのを待っているフェンテやウェントスと触れ合ったり、ほかの馬や伝令鳥の体調を診たり、マーヴィン達と王都内外の動物情報を交換したりと、楽しい一時であるのは変わりがない。

 あわあわと両手を忙しなく動かしながら、エイミは話し続ける。

「いや、うん、それで……久し振りにエド様もお休みのはずだったんだけど、お仕事が入っちゃったって、この手紙に」

「ああ、せっかく会えるかと思ったのにそれはガッカリね」

「ち、ちが、だからそういうのじゃなくて、新しく入ったを紹介してくれるって言ってたから、」

「ふふふ、はいはい」

 先日、名馬の産地と名高い領地の諸侯から、一頭の仔馬が献上された。マーヴィン達王城の飼育員と共にエドワードも馬選びに関わったということで、その時の話が聞けると楽しみにしていたのだ。

 エイミがそう説明しても、イサベルは訳知り顔でふむふむと頷くばかり。

「そういうことにしておきましょうか」

「おかあさまー?」

 ちろり、と圧がかかった視線の下で紅くなりはじめた娘の両頬を、イサベルは、ぷに、と摘まむ。とたん、きょとんとするエイミに満足そうに笑った。

「んふふ、むにむにで気持ちいいー」

「ひゃ、ひゃにひゅる」

「よかった。すっかり仲良しねぇ」

「ひょ、ひょんなほとっ?」

 慌てるエイミの頬から離した両手をぱっと広げて、イサベルは肩をすくめた。

「あら、ふくたとティガーよ。ほら、また遊んでいるわ」

「ふっ? あ、そ、そうだね、仲いいね、うん、とっても!」

 エイミが頬を押さえながら外を見ると、太い枝の上でやや向き合うように位置を定めた二頭が目に入った。

 ゆったりと揺れるティガーの長い尻尾の動きを、ひゅこひゅこと首を伸ばしてふくたがトレースしている。

 意味はわからないが、ひたすら可愛い。

「誰のことだと思ったのかしらねぇ、エイミってば」

「お母様……時間はいいの?」

「あら、いけない。今日は少し遅くなるわ、お夕食は待たなくていいから」

「うん」

「ねえエイミ、難しく考えなくていいのよ」

「え?」

 訊き返した返事の代わりに、イサベルは名残惜し気にもう一度エイミの頬に手を添える。そうして、にこりと笑って去るのを見送ると、エイミはほっと息を吐いた。

 もう一度外を見ると、ティガーがふくたのほうへそっと前足を伸ばしかけたのに気付かれて、しれっと戻すところだった。その様子に思わず身を乗り出す。

 ――うん。ほんと、仲良し。それにしても、何で自分のことだと思ったかなあ。恥ずかしいよ、もう。

 とはいえ、タイミング的にさっきの母のセリフはエイミとエドワードのことだと勘違いしても仕方ないだろう。

 そもそも、色恋事には不慣れなのだ。

 兄以外に親しい同年代の異性など、片手で足りるほど。経験値になりえたはずの前世だって、恋人はおろか片思いさえ未消化なのだからメリットなどない。

 また熱を持ち出した頬を両手で押さえると、カサリと便箋の端が顔に当たる。

 エイミとエドワードは同じ学園に在籍しているが、入学年度も学習内容も違うため、同じ授業を受けるのは特別講義の時くらい。

 公務をこなしながら寮生活をするエドワードは相変わらず多忙だし、エイミも休日に獣医師のもとで手伝いもしていることから、二人でゆっくりと会う機会は多くない。

 出会ってからの四年間で、友人として大事に思う気持ちは育ってはいたが、やはり相手は攻略対象者。

 お互いの距離はあればあるほどいい。疎遠になるほうが好ましい、とさえ思っていた。

 だから、「会えなくなった」と告げる手紙を受けとったらむしろ安心するはずだった。なのに、実際には母に「どうしたのか」と訊かれて……エイミは貴族らしいポーカーフェイスが得意でない。

 きっと、分かりやすい表情をしていたのだろう。

 母に告げたように、仔馬の話を楽しみにしていたのは嘘じゃない。でも、それだけではなかったのかもしれない。

 そのことに気づいてしまった。

 ――文通だけで十分すぎたのに。

 きつく握りしめそうになった便箋が、手の中で音を立てる。慌てて力を緩めるとフクロウ便専用の薄い紙をそっと開いた。

 そこにはエドワードの丁寧な文字で、少し砕けた「友達用」の言葉が並ぶ……こんな手紙を交わすようになって、どのくらいが過ぎただろう。

『ごめんね』と、自分もすごく残念だと素直に綴られた手紙を、もう一度眺めて丁寧にたたむ。

 そこまで割り切れているわけではない。

 やっぱりこれが、ストーリー補正である可能性も捨てきれないのだ。ついゲームと絡めて考えてしまうところ、まだまだ囚われていると自分でも思う。

 それでも、こうして毎日のように手紙が届くことも、会えないと知って動いた心も「今の自分」にとって、やっぱり現実。

 強制力がかかっていたとしても、だ。

 ――ヒロインを確認できれば吹っ切れるのかな。会うのは正直、怖いけれど……。

 まだティガーは友達のところから戻ってこない。

 ドレスのポケットに手紙をそっと入れて背を伸ばすと、エイミも青空の下へと足を踏み出した。






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