44 競技会初日です(そして、五人目の攻略対象者)

「~~~って、わ、わた、私、なにしちゃってるのっ!?」

 自室に着くなりベッドにダイブして枕に顔を埋めたが足りず、その枕を防災頭巾よろしく頭に載せて丸くうずくまり、絶賛悶え中のエイミである。

 王城の馬場からの帰り、突然戻ってきたエドワードに馬車で送られた。

 それはよかったのだ、そこまでは。

 車内が二人きりだったのも、向かい側ではなく隣同士に座るのも、そこまで珍しいことではない。

 エドワードがエイミの手を握るのだって、挨拶でもエスコートでもよくあることだ。

 ありえなかったのは、自分の行動。

 膝の上の手を握り返したことも、その手を自分の頬に当てたことも、計算などした行動ではなかった。

 言葉だって、言おうと思って考えたわけでもない。

 勝手に体が動いて言葉が口を突いて出ていたのだ。それはもう、ごく自然に。

 ――いやもう、嘘だよね!? 少なくとも、あんなふうにくっつける必要はなかったよねっ?

 だが、なにか……いわゆる「ゲームの強制力」が働いたとは考えにくい。

 エイミの意識は途切れず続いているし、記憶だって判断力だって変わりない。ただひたすら、自分のしたことが信じられず恥ずかしいだけだ。

 だって、触れると気分が良くなるかもしれないという理由なら、そのまま手を繋いでいるだけで十分だったではないか。


 ふと我に返ってぎこちなく頬から手を離したエイミに、エドワードが何か言いかけたちょうどその時。タイミングが良いのか悪いのか、馬車は伯爵邸へと到着した。

 執事のクロードが開けた扉から、別れの挨拶もそこそこに逃げるようにして戻ってきたのである。


 なんとか平静を保とうとしても、さっきの様子がご丁寧にエンドレスリピートで勝手に脳内再生され続けている。

 その度に、手のひらに伝わった温度も質感も、綿あめを詰めたような甘い車内の空気も、ぶっちぎりのリアルさで蘇るから始末に負えない。

 毛布もシーツももみくちゃにしながらもだもだとしていると、ぽす、と馴染みのある重さがかかった。

 そっと羽根枕の隙間から視線を上げると、金色の丸い瞳が覗いている。

「っ、ティガー……」

 帰宅したエイミを喜んで迎えようとしたティガーだったが、駆け込んできたあまりの勢いに、さすがに一瞬固まった。

 出遅れたもののベッドにひょいと上がり、金色の瞳をくるりと大きくしてエイミを首を傾げて眺めている。

 涙目のままそろそろと枕から出て両手を広げると、当然のようにそこに納まった。

 すがるように抱きしめた腕の中、高い声でミア、と満足気に鳴く声にほっとして、エイミは長く息を吐いた。

「もう……今度、どんな顔して会ったらいいの?」

 ふわふわの長い毛に真っ赤になった顔を埋めて呻くように呟くと、返事の代わりにティガーの喉が鳴るのが聞こえる。

 ティガーとならこんなに簡単に普通に、鼓動が伝わるほど近くにいられるのに、と本気で思ってしまう。

 たのしい、うれしい、と、ぱさぱさと揺れる尻尾はいつも気持ちを真っ直ぐ伝えてくる。

 それにも、先ほどのエドワードが重なる。

 あんなに驚いた表情も初めてだった。

 救いは、驚いてはいたが、それ以上にどこか嬉しそうに見えたことだろうか。

 ――い、嫌がられなくてよかったけれど……いや、やっぱりよくなーいっ! だって、ああいうのは、こ、恋人同士がすることで……やーーっ、もうもうっ!

 ぷしゅ、と湯気を出しそうになりながら、誰が恋人同士だ、誰が、とティガーに埋もれながら必死にツッコミを入れる。

 エイミは「婚約者候補」であって、婚約者でもなければ恋人でもない。

 そう思うと少しだけ気持ちが落ち着くのは、同じだけ心が重くなったからだ。

 誤魔化すように抱き直したティガーに当たったペンダントが、エイミの胸で存在を主張する。

 服の中からするすると取り出すと、肌で温まったそれを握りしめた。

「……どうしよう。ティガー、本当にどうしたらいい……?」

 手の中で暖かく光るペンダントを眺めながら、その夜は更けていったのだった。




 エドワードにどんな顔をして会えばいいのか。

 頭を悩ませるエイミだったが、心配は不要だった。

 翌日からまたお互い忙しくて、ちっとも会う機会が無かったからだ。

 表面上はいつも通りの手紙をやりとりしているうちに動揺は静まり、あの出来事が夢だったかのように思えてくる。

 ――きっと、エド様も忘れている……よね? うん、大丈夫! それより今日も頑張らなきゃ。

 エイミは自分に言い聞かせて気持ちを入れ替える。今日から競技会が始まるのだ。

 今回は観覧席ではなく治癒魔術ができる医療院の一員としての参加になる。エイミは開催期間の三日間、希望してフルタイムでシフトを組んでもらっていた。

 家族で朝食を摂りながら話すのは、明日のトーナメントに出場するハロルドのこと。

「え、お父さん。お兄ちゃん達本当にまだ来ていないの?」

「ああ。王都に入るのは早くても今夜遅くだと、昨夜ギルドに連絡がきたそうだ」

 討伐をしながらルドゥシア国を目指していたハロルド達だが、予定していたよりも道中に時間がかかっている。

 というのも、

「……レアクラスの魔獣が出たって聞いて、国ひとつ向こうまで寄り道しに行く?」

「ほんと、ハルらしいわよね。でも討伐もできたようだし、明日の出番には間に合うのでしょう?」

「今日はお兄ちゃん出ないし、いいはいいんだろうけど……」

 競技会の開催は三日間。

 数日前から予選が行われており、今日は本選出場者による個人戦、明日が団体戦で、最終日は剣舞や魔術の技披露などエキシビション系が行われる予定になっている。

 三年に一度のこの競技会には、己の将来を賭けて挑む者も多い。ディオン卿の助手として準備の手伝いをしてきたエイミは、そんな出場者をたくさん見てきた。

 それに比べて、我が兄の呑気さが気にかかる。

 なんとなく釈然としないエイミに、それより、とイサベルが目の前に置かれた皿を示す。

「ま、お兄ちゃんの心配よりエイミは自分のほうをしっかりしないとね。ほら、もうちょっと食べなさい。今日もたくさん治療するんでしょう?」

「うう、食べてるよう。お、お父様、それはもういいからっ」

 魔力行使は体が資本。お腹はいっぱいだが、もう少し食べておかないときっと魔力が足りなくなる。

 そうなれば治癒魔術が行えない上に、倒れたりしたらディオン卿らにも介抱などの手間をかけてしまう。

 だが、ジョシュアが自分のデザートまで無言で渡そうとしてきたのはさすがに余計だ。

「そうか? 今日は、昨日までより怪我人が増えるかもしれないと言っていただろう」

「それはそうなんだけど、大丈夫。コットの実のおやつも持つし、自分ので十分です、はい」

 もぐもぐと食べながら、エイミはこれからのことを考える。

 競技会は実戦形式だが、しっかりとルールがある。

 攻撃にも禁止事項があるし、使う武器は刃先を潰した模造刀などで、命に係わることのないようになっている。

 とはいえ、スポーツだって負傷者はでる。まして本気でやりあえば、思わぬ事故に繋がる場合も。

 医療スタッフの一人として、昨日まで行われた予選の間も救護室に詰めていたが、怪我人が来るわ来るわで大忙しだったのだ。

 今日の本戦は、予選より人数がぐっと減る。

 だが、剣技にしろ魔術にしろ、レベルが高いということは受けるダメージも大きいということ。軽傷では済まない可能性があり、エイミ達治癒魔術師も万全にしておく必要があった。

「お願いだから、怪我する人がいませんように……」

「それはなかなか難しいお願いね。でも、救護室はエイミ一人じゃないのでしょう?」

「うん。ディオン先生はずっといるし、あとはローテーション。あ、そういえばフィン先輩も今日からは終日だった」

「先輩? ああ、サー・ディオンの弟子か」

「弟子っていうより、後継者よね」

 エイミは両親に頷いて、口の中の厚いベーコンを飲み込んだ。

 ディオン卿の内弟子であるフィン――フィネアス・ハミルトン。彼は「攻略対象者」である。

 王子、隠れキャラ、貴族、隣国の王子ときて、残る攻略対象者の席は二つ。

「魔術師」と「騎士」だ。

 もう今となっては、遭遇しないわけがないだろう、どうせなら早く来い。あ、でもやっぱりなしで! などと逡巡しているエイミの元に、どうしたって出会いはやって来た。

 オープニングスチルで「魔術師」の彼だけはフードを深く被っており、顔が半分隠れていた。

 覚えている特徴は、片眼鏡モノクルと紫色の瞳、それに長く編んだプラチナブロンド。

 顔立ちそのものは同じかどうか自信はないものの、この三点が揃うなんてなかなかないだろう。

 ――はい、キタ―! って、心の中で叫んじゃったものね……キャラ立ちすぎでしょ。やっぱり美形だったし。

 エイミがディオン卿に魔術を習い始めてから随分経っている。弟子がいるという話は聞いていたが、実は一度も会ったことがなかった。

 というのも、ノースランド家で行われる未成年のエイミの授業に弟子を連れてくることはなかったし、この一年間フィネアスは魔術研修で留学に行っていたからだ。

 この競技会の開催に合わせて帰国したが、その彼の一時不在がエイミが救護室を手伝うきっかけとなり、結局対面を果たしたのはつい最近なのだった。

 人当たりは悪くないがお喋りは得意でないようで、挨拶と必要最低限のことしか会話がない。

 だが、指示は細やかで的確だし、作業や魔術展開などは非常に正確。

 前世の学生時代、部活に似たようなタイプの先輩がいたのを思い出し、つい「先輩」と呼んでしまっている。

 実際、ディオン卿の個人的な教え子同士でいわゆる兄妹弟子になるわけだから、あながち間違いでもない。

 特に拒否もされないし、呼ぶと返事の代わりにエイミの頭をぽん、と撫でていくから案外気に入っているようだ。

 攻略対象者(仮)だというのに、あまり警戒心が湧かないのには理由がある。

 ――ディオン先生つながり、っていうことも安心材料の一つだけれど。

「それにしても……あの顔で一児のパパとか、ありえなくないかしら」

「年齢不詳のお母様には、フィン先輩も言われたくないと思う」

 そうなのだ。

 エドワード達と同年齢に見えるフィネアスだが、実はハロルドより三歳上で、しかも既婚者だ。

 幼馴染の婚約者と二年前に結婚し、留学先で子どもが生まれたばかり。

 攻略対象者の可能性は大だが、大変な愛妻家として一部界隈では有名なフィネアスが、ヒロインや悪役令嬢エイミとどうこうなるとは思えない。

「……エイミ、そろそろ時間じゃないか?」

「わ、いけないっ」

「あら、お茶もちゃんと飲みなさい」

 今日も一日治癒魔術をかけまくるため、残りの朝食を急ぎ食べたのだった。






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