エピローグ・その後、それから
競技会後の祝賀の席で婚約が突然発表されてから、約半年。
王族が節目に利用することの多い中央聖堂で、エイミとエドワードの婚約式は取り行われた。
結婚式に比べて婚約式を簡略化する貴族も多いが、王族との婚姻ではさすがにそうもいかない。ノースランド伯爵の言う「準備」が整うにはそれなりの期間が必要だったらしい。
さらに婚姻そのものは、最短でこれから三年後を予定しているという話だ。
どれだけ大層な式をしようとしているのか、という声も聞こえるが、内情は少し違う。
「随分とのんびりしているのね。まあ、エイミらしいといえばそうでしょうけれど」
「レティってば」
「あら、褒めているのよ? それだけ熱心に準備をするなんて、って」
エイミの指に嵌ったエンゲージリングを眺めつつ、レティシアが不満気な声を出す。
間に入るロザリンドも、仕方ないといった苦笑いを浮かべていた。
「エイミ、気にすることないわよ。レティはエイミがバクルに遊びに来るのを、三年も待たなきゃいけないって寂しがっているだけだから」
「なっ、ちょ、ちょっとロザリンド!」
「うん、ごめんねレティ……」
「エイミまで、もうっ、誰が寂しいなんて言いましたのっ」
頬を染めて否定するレティシアの手を、エイミはしっかりと握りしめた。
「私は寂しいな」
「私もです」
「あっ……あなた達、ずるいですわ」
エイミに握られた手の上に、ロザリンドの手まで重ねられれば、レティシアも降参するしかない。
三人の額がくっつきそうなくらいの距離で顔を合わせると、文句の代わりに、ふふ、と誰からともなく楽し気な笑い声が続く。
ここはノースランド伯爵家のエイミの自室。
厳かな聖堂での婚約式を終えて、伯爵邸の広間では披露のパーティーが催されていた。
先程まではエドワードと一緒に招待客に挨拶をしたり、ダンスを踊ったりしていたエイミだが、アレクサンダー達にエドワードが連れていかれたのを機にロザリンドとレティシアと三人で休憩を取ることにした。
部屋では早朝からお留守番だったティガーが随分と待ちくたびれていて、二杯目のお茶を飲む今になってもエイミの膝から離れない。
エイミの今日の衣装は張りのある布地でレースは裾にだけあしらっているため、ティガーが爪さえ立てなければ抱いても引っ掛かることはないだろう。
相変わらずぽっちゃりスタイル続行中のエイミだが、エドワードが手配した王家御用達の針子はやはり腕が良い。表面に光沢のあるオフホワイトの膨張色を上品にまとめていて、エイミによく似合っていた。
ふわふわの長い毛を愛おしそうに撫でるエイミの顔は、緊張のし通しだったせいで多少疲れも見える。
が、それ以上に、政略でない婚約をした娘らしい明るく幸せそうなものだった。
「だって、普通は婚約式の翌年には結婚するでしょう。三年も後だなんて……」
「でもレティ、私はほら、そういう勉強って全然していないから」
将来的には新しく立てる公爵位につく予定だが、ひとまずは王家の第三王子に嫁ぐ形になる。
エイミは長年「婚約者候補」ではあったが「候補」に過ぎなかったため、王家のしきたりや独特のマナーなどを何も習っていない。
このままでは公務もおぼつかないため、一から勉強する必要がある。
「妃殿下が小さい頃から何年もかけて勉強しているようなことを、私が一年やそこらでどうにかしようなんて無理だよ」
「エイミは王太子妃ではないのだから、そこまで深くは必要ないでしょう」
「それはそうなんだけど……」
「先生方にすっかり頼りにされてしまっていますもの。エイミが急に抜けたらお困りになるから、仕方ないですね」
眉を下げるエイミにロザリンドが助け船を出す。
現在行っている獣医師やディオン卿の手伝いを辞める必要はない、とエドワードや父から言われている。
今まで通りの生活をしながら、無理のない範囲で勉強すればいいと。そうするとどうしたって勉強のペースは遅く、三年はかかってしまうだろう。
三年後、エイミは十八歳。この国のいわゆる婚期からはやや遅れるものの、本人としてはまだまだ早いくらいの気持ちだ。それゆえ、提案に乗ったのだが。
「御父上も
「それはそうですね」
「ええ、ロザリンドまで」
今日だけでなく、何度もこの話はしている。
それでも改めて持ち出さずにはいられないくらい、レティシアにとっては待つ時間が長いらしい。
自分のバクル行きをどうにか遅らせられないかと呟いているが、ジャハルを見る限りそれは無理だろうとエイミとロザリンドは視線を交わす。
だが、それもまだ先の話だ。
それより、と、三人は来週に予定しているお出かけについて楽し気に話し始めた。
どの店に行く、食事はどこでと、きゃいきゃいはしゃいでいると扉がノックされる。
訪れたのはイサベルだ。気の置けない友人達との時間を邪魔して申し訳ないと、その顔に書いてある。
「エイミ。新しいお客様も増えたから、少し顔を出してもらっていいかしら」
「あ、はい、お母さま。ティガー、またちょっと行ってくるね……ティガー?」
置いて行かれると分かったのだろう。エイミが立ち上がろうとすると、ティガーはイヤイヤとばかりに肩に前足をかけてがっしりとしがみついてきた。
一緒にいたいのはエイミだって同じ。しかも耳元で寂しそうな甘え声で鳴かれてしまうと弱い。どうしよう、と涙目になるのもすぐだった。
だろうな、とレティシアとロザリンドは顔を合わせる。
「ああ、もういいわ、ティガーも連れてそのままでいらっしゃい」
「え? そんな」
「お城の馬場にだって連れていっているし、今更でしょう」
招待客には公爵夫人をはじめとして「猫の会」の会員も多い。
エイミが怪我の治療をした動物達の飼い主や、それこそ馬場の職員達も来ているから、当然、ティガーと仲良しなことも知られている。
イサベルの言う通り、今更なのだが。
「私は構わないよ」
「エド様!」
イサベルの後ろからすい、と姿を現したエドワードにまで言われてしまった。よく見れば、アレクサンダーやジャハルまで部屋の前に来ている。
「ティガーを抱いてれば、エイミをダンスに誘う人も遠慮するだろうしね」
「理由はそっちか、エド」
「アレクとジャハルは我慢するけど、ほかは駄目。少なくとも今日はもうダメ」
「エイミ。この男、婚約しただけでこれでは、この先なかなか面倒そうだぞ。今からでもバクルに来ると言え」
エドワードと最初にダンスをした後で、「猫の会」の男性何名かと踊ったのを気にしているらしい。
確かに踊りながら話も弾んだが、誰とも猫のことしか話していない。「今日はおめでとうございます、ところでウチのミーちゃんが」から始まって本当に、最初から最後まで徹頭徹尾猫トークだ。
そう説明しているのに、エドワードは笑顔のまま首を横に振る。
「んー、まあ、殿下の気持ちも分かりますけれど。ね、レティ」
「自覚がないから厄介なのですわ、この子はまったく」
ドレスや髪型を褒められるより、飼い猫を褒められたときのほうがよほど嬉しそうに顔を輝かすのだ。
ほんの僅かの陰りも企みもなく、ただまっすぐに好意を前面に出すその笑顔は眩しく、人の心を動かす。
頷き合うロザリンドとレティシアの隣で、ティガーを抱いたままで困り顔のエイミにエドワードは手を差し出した。
「行こう、エイミ」
「エド様……はい」
少しだけ躊躇って、エイミはエドワードの手を取る。
立ち上がるとき、ドレスの下でペンダントのロケットと指輪が合わさって小さな音を立てた。
ティガーを抱えやすいように、と両手を自由にしてくれて、代わりにエイミの腰に軽く手が回る。足元も気にせず歩けるようなスマートなエスコートにもすっかり慣れてしまった。
これだけ近くにいても以前のような不安を覚えないのは、記憶のスチルより鮮やかな現実が目の前にあると気づいたから。
二回目の人生とかゲームとかいうことも、考えない日のほうが多くなった。
けれど、忘れてもいけないのだろうとエイミは思う。
――
また、立ち止まったり、迷ったりするときもあるだろう。
改めて「ゲーム」に囚われることもあるかもしれない。
広間に降りれば、また大勢に囲まれる。「本日の主役」になっている今も、やはり人前に出るのは得意でない。
でも、腕の中のティガーと、隣のエドワードと。
見回せばロザリンドやレティシア、アレクサンダーら大事な友人達。
両親や、祖父、ディオン卿。それに動物を通して知り合ったたくさんの人達。兄やヤスミンの姿もある。
エイミが、この世界の現実を自ら繋いだ証。
――だからきっと、大丈夫。ううん、大丈夫にしよう。私が、自分で。
もう一度腕の中の重さを確かめるように抱え直して、それからエイミはエドワードを見上げる。
視線に気づいたグレイの瞳が柔らかく笑んで、エイミの頬にそっと指が触れた。
それこそ猫がすり寄るように、エドワードの手に自然と自分の頬を預けて……モフ、となにかに遮られる。
大勢の前だったことを思い出して湯気が出そうなくらい真っ赤になるエイミと、少しも気にした様子はなく、入り込んできたティガーの頭を撫でるエドワード。
おやおやといった周囲の声は自然と祝福に変わり、宴は続いたのだった。
「そんなことより、猫が飼いたい」完結です。
お読みいただきありがとうございました。(小鳩子鈴)
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