48 指輪と私と治癒魔術
エイミが救護室に戻ると、ディオン卿は競技会の本部に呼ばれて不在、看護助手達も休憩中とのことで、フィネアスだけが残っていた。
「フィン先輩、少しいいですか?」
「構わないが」
皆が戻るまで、まだ少し時間がありそうだ。
無駄なお喋りは好まないフィネアスだが、こちらから話しかければ応じてくれるし、自分よりずっと王宮の事情にも詳しい……というわけで、エイミは先ほどのことを相談してみることにした。
ところが意外にも、王妃から指輪を下賜されたと聞いた兄弟子は表情を変えなかった。
「その行動自体には、特段の不思議はないな」
「そうですか?」
「ああ。もともと治癒魔術師として国の公認を受けると、証が下賜される。それの代わりだろう」
今まで聞いたことのなかった話にエイミが首を傾げると、ほら、とローブの袖をまくって嵌めている腕輪を見せる。
魔石と貴石を両端に配したバングル、その中心に刻印された王家の略紋をフィネアスは指で示した。
「その指輪にも、こういう紋が入っていないか?」
「紋?」
そう言われて、握りっぱなしだった指輪を改めてよく見てみる。
たしかに通常石が嵌っている部分が紋になっていた。俗に言う、シグネットリングだ。
指輪の紋はその面積が小さいためか、フィネアスのとは多少意匠が違っていた。だが、王家のみに許された「王冠」が配されていることは共通している。
「この紋は特別な身分証明書にもなる。これがあれば大書架や第一温室にも入れるから、まあ、便利だな」
「え、それいいですね!」
大書架はルドゥシア国で最も充実している施設だが、貸出はもとより、入室も厳しく管理されている。
学者でさえ利用するには事前に申請が必要なくらいだ。
「大書架には、動物の本もたくさんあるって聞きました!」
「そっちか」
古の魔術書や歴史書など研究者垂涎の蔵書も多いのだが、エイミのお目当ては、やはり動物だ。
第一温室はそこよりはハードルが低いが、特別に栽培されている薬草もあるので、やはり利用は制限付き。
この二か所にいつでも入れるというのは、かなりの好待遇だ。それだけ公認の治癒魔術師が厚遇されているということである。
そう説明されて、エイミは感心したように頷いた。
「公認とか、ちっとも知らなかったです」
「治癒魔術師としての許状とはまた別だからな。公認が下りること自体が少ないから、認知度は高くない。下賜される物も、杖だったり装飾品だったりで『一目見て分かる』というものでもないから余計だろう」
「でも、そんなにすごいもの……私なんかが貰っていいのでしょうか」
実際、国の公認を得られる治癒魔術師は一握り。年に一人いるかいないかの狭き門だ。
そしてエイミは治癒魔術の腕はあるかもしれないが、あくまで「助手」。そんな自分に何故、と戸惑うエイミを、フィネアスは不思議そうに眺める。
「どうしてだ? エイミなら申請すれば今すぐでも公認が下りるのは間違いない。少し早まっただけだろう」
「買い被りですよ、フィン先輩」
「治癒魔術師は他国でも需要がある。成人前の今、先んじて渡したのは、他所にいかず
「そんな、国を出る予定なんて……」
ない、とは完全には言い切れないが。
あのゲームのことさえなければ、仲良くなった友人や動物達と別れてまで逃げ出すつもりはないのは確かだ。
ゲームを思い出してふと過ぎった不安を、ぷるぷると頭を振って追い出すと、エイミは話題をずらす。
「そ、それにしても、王妃様が私のことをご存じだったなんて驚きました」
「それも自覚がないのか?」
「え?」
きょとんと首を捻るエイミに、フィネアスが驚いた表情を向けた。
「お前、有名だろう」
「ええ? なんですか、それ」
動物ばかりを治療している自分が目立つわけがない。
そう言っておっとり笑うエイミにスコットは苦笑いを隠せず、フィネアスは
「……指輪は難しく考えずに貰っておけ。失くさないようにだけは気を付けるんだな」
「わ、そうだった。落としたら大変!」
エイミはぽっちゃりではあるが、年齢的には身長も高くなく、手も小さめだ。成人女性である王妃の指輪は、当然だがどの指にも合わなかった。
それに、エイミの治癒魔術は素手で患部に触るので、指に装飾品はないほうがいい。
少し悩んで、服の下に着けていたペンダントのチェーンにその指輪を通すことにする。これならポケットより安心だ。
――あれ、裏になにか……文字……?
指輪に細い鎖を通した時。
くるりと回転した指輪の内側――紋が刻印された裏側に、なにかが見えた。最初は表の刻印の凹凸かと思ったが、違うようだ。
よく見ようと持ち上げたとき、救護室の扉が音を立てて開く。
「始まるぞ」
「あっ、ディオン先生!」
ディオン卿に続き、看護助手達も相次いで休憩から戻ってきた。
開いた扉の向こうから、開会を告げる高らかなラッパの音と、次いで地鳴りのような観客の歓声がエイミの耳にも届く。
「すぐに忙しくなる。各自、準備を」
「「はい!」」
慌ててペンダントを胸元に押し込むと、エイミも治癒魔術師用のローブを纏ったのだった。
ちょっと盛り上がりすぎた運動会の保健室というか、年末年始の救急外来というか。競技会開催中の救護室は、だいたいそんな感じだろうか。
とにかく、ひっきりなしに怪我人が訪れる。
出場者で自分で歩いてくる者もいれば、仲間の肩を借りたり、係員に担架で運ばれてくる者も。
激しい攻防のとばっちりを食った審判や、盛り上がりすぎた観客が怪我をして連れてこられる場合もある。
全員を完璧に治療するには時間も魔力もいくらあっても足りない。
軽傷の者は看護師が通常の手当をし、重症者や次にまだ試合が控えている人を優先してエイミ達治癒魔術師が診ることになっている。
治癒魔術を施す範囲も止血や裂傷を塞ぐなど、より深刻な部分に重点を置く。なので、傷痕が消えるまで、とかそういったところまではしない。
限定的な治療とはいっても、国主催の大規模な行事で、国内でもトップクラスの治療師の処置だ。市井で受けられる手当とは格段の差が当然あった。
「へえぇ、すごいなこりゃ! お嬢ちゃん、見くびって悪かったな!」
つい先ほどまで「こんな子どもじゃ、話にならない」と文句を言っていたとは思えない態度の変わりようにエイミは苦笑する。こういう反応は予選の時からしょっちゅうで、とっくに慣れっこだ。
一度でもこの救護室に来たことがある者は、エイミが優れた治癒魔術師だということを身をもって実感している。
だが、今日の本戦は予選免除のチームも複数あって、初めて施術を受ける者も多かった。
「よかった、もう痛みはないですね」
「ああ、すっかり血も止まった。いや、信じられん」
「傷口は完全には塞がっていないですから、二、三日は激しい運動をしないでくださいね」
「そうか? これなら、すぐに討伐にも行けそうだけどな」
「……ダメですよ?」
「わ、わかった、分かったって。そっちの兄ちゃんもそう睨まないでくれよっ」
せっかく治したのにまた痛くなる、と悲しそうな上目遣いで言われると、屈強な冒険者といえど弱い。
さらに、隣席で他の治療をしている銀髪の美形や、泣く子も黙るサー・ディオンが奥からちらりと寄越す非難の視線は、魔獣が発する冷気にも匹敵する。
「ちゃんと言うこと聞くって。俺ら、今回は負けたけど次の競技会も絶対出るからな。お嬢ちゃんがまた治してくれよ」
「はい。でも、できれば無傷で勝ってくれるほうが嬉しいです」
「ははっ、まかせとけ!」
調子よく笑って賑やかに去っていく男たちと入れ替わりに、また次の患者がやって来て、の繰り返し。
魔力が切れそうになって取るごく短い休憩は、コットの実を補充するので精一杯だ。
――エド様に、応援するって約束したけれど……
どのくらいが経っただろう。エドワードやハロルド、そしてジャハル王子の試合はどうなっただろうか。
気になりながらも、試合進行すら確認する余裕もなく、怪我人も放っておけない。
昨日の個人戦もそうだったが、時間が過ぎるに従って試合内容も濃くなるようで、救護室を訪れる者の怪我の具合は酷くなってくる。
エドワードや兄達がここに来ないのは、治してもらうほどの怪我をしていないということ。それだけが救いだった。
治療を終えた一組をまた見送って、ふう、と額に滲んだ汗を手の甲でぬぐった時。
現れた人物を見て、エイミは椅子からガタリと立ち上がった。
「ジャハル王子……!」
「エイミ。約束通り、治してもらいに来た」
真白かったはずのジャハルの衣装は土に汚れ、押さえた左腕には血も滲んでいる。自信ありげな態度はいつも通りだがどことなく悔しそうで、負けたのだと分かった。
ディオン卿のほうへ、と勧める看護助手を無視したジャハルは、エイミの前の椅子にどっかりと腰を下ろした。
同行してきた二人のメンバーはジャハルよりも怪我の具合が酷そうだが、治療を受けようとはせずに王子の後ろに控えている。
「は、はい。あの、そちらのお二人も向こうの席で手当てを、」
「いえ、私達は後で」
「まずは我が主を」
あわあわとうろたえながらも治療を勧めるエイミに、メンバー二人は首を振る。ジャハルの手当を確認してからでないと、自分達は受けないと頑なだ。
バクル国の主従関係は強固らしい……ディオン卿が頷いたのを見て、エイミはそれじゃあと手を伸ばす。
「では早速……腕をこちらに。失礼します」
「ああ、頼む」
一番怪我の具合が酷そうな左腕を最初に診る。
破れた袖をよけて現れた傷口を看護師と共に検分したところ、腱や大きな血管は無事なようだ。
「止血をします。力を抜いてくださいね」
「……っ」
そっと傷に触れると、ジャハルが声を呑んだ。
傷の痛みに被せるように、指先から治癒の魔力を流していく。
集中するために目を閉じたエイミの目裏に浮かぶのは、気丈にしながらも泣きそうなレティシアの顔だ。
――大丈夫、レティ。治すから。
強がりな友人がきっとジャハルの心配をしていると思うと、込める魔力にも気持ちが入る。
ぽう、とエイミの指先から出た魔力が柔らかな光となって、患部を包んだ。
チカチカと瞬くように強弱を変える光のなかで、みるみるうちに怪我が癒えていく――その様子に、ジャハルとその後ろに立つ二人は驚きを隠せなかった。
「これは……」
「なんと」
そろそろいいかな、と治癒の手ごたえを感じたエイミが魔力を流すのを止めて目を開けると、患部は綺麗に治っていた。
そう、綺麗に、すっかりと。
腕の裂傷は完全にふさがり、薄い痕の一筋も残っていない。
ふと見上げると、頬にあったはずの擦り傷も消え、つるりとキメの整った驚き顔の美形がいるだけだ。
「……あれ」
――やりすぎた! ここまで治しちゃったら他の人との差がっ、あ、でも王子だし、バクル国との関係を考えるとこれでいいのか、な……あれ、何が正解っ?
「えっと、あの」
「……エイミ」
「ほ、ほかに痛むところは、」
「ご令嬢。今のは、「もうない」
何か言いかけた後ろのバクル国メンバーを、ジャハルが手をあげて遮った。
「お前たちはこのまま治療をしてもらえ。いい腕だな、エイミ。満足だ」
「あ、ありがとうございま、すぅっ?」
後ろの二人に振り返って告げると、ジャハルは立ち上がりながらエイミの腕を掴んで自分のほうに引き寄せた。とと、とよろけながら、エイミはなんとか態勢を保つ。
「え? ちょっ、あの、」
「ディオン卿、エイミを借りる」
「……承知しました」
「え、先生?」
「エイミ、休憩してきなさい」
「でも」
そうしている間にも、次々と怪我人はやって来る。戸惑うエイミに、ディオン卿は早く行けという風にひらりと手を振った。
助けを求めるようにフィネアスを見るが、こちらはこちらで忙しそうで目も合わない。
聞こえているはずなのに何も言わないのは、エイミが不在にしても問題ないということだと分かるが。
「恐れ入ります、護衛を」
「必要ない。行くぞ、エイミ」
慌てて同行を申し出るスコットに簡潔に応えながら、ジャハルはエイミの手首を掴んで歩き出す。王族の言葉に一護衛騎士が逆らうわけにもいかず、心配そうにスコットがこちらを見ているのが目の端に映った。
そしてそのまま、エイミは部屋の外に連れ出されたのだった。
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