49 これはちょっと予想外

 静かでものものしかった朝の雰囲気とは打って変わって、救護室の外は騒がしかった。

 各所に警備の騎士が控えているのは同じだが、運営に携わっているだろう文官達や係員のほかに、治療室へ行き来する怪我人やその付き添いが数多くいる。

 競技をしている舞台そのものはここからは見えないが、歓声は響くし、時折剣が交わる高い音も聞こえてくる。

 そんな中を、エイミは大股で歩くジャハルに連れられていた。

「ジャ、ジャハル王子、どこに」

「あまり時間がない、急ぐぞ」

 歩きながら話す気はないようで、そう言ったきりジャハルは無言でエイミの腕を引き続ける。

 ――いや、ちょっと、本当に! っていうか、少しペースダウン……っ。

 せめてもう少しゆっくり歩いてほしい。

 自分で歩けるとも言いたいが、手を離されたらジャハルの急ぎ足には間違いなくついていけない。

 明らかに戸惑っているエイミの様子に、通路に立つ警備の騎士の何人かがこちらを気にしたが、同伴者がバクル国の王子と分かると一様に黙してしまうのだった。

 短い回廊を渡り、朝とは逆の方向にジャハルは進む。

 そこまで行って、エイミはようやく行き先に予想がついた。

 ――こっちは……もしかして。

 今日のこの建物は最上階が王族、その下の階を高位貴族が利用している。

 そして一階のステージ裏側に当たるところには、競技会関係者の休憩室兼観覧用のスペースがあった。

 エドワードやハロルドの出番になったらここに行こうと思っていた、治療室のほかに唯一エイミが行き方を知っている場所だ。

「あのっ、」

「エイミの治癒魔術の効果はこの身で確認した。見事な腕前だが、あの部屋に籠りっきりでエド達に声援の一つも送らない気か?」

 強引に連れ出したのは、エイミに試合を観せるためだったのか。

 意図が分からずどうしようかと思ったが、こんなふうに半ば無理やりでなければ、今のタイミングで治療室を出るのは難しかっただろう。

 ……落ち着いて考えれば、いくら他国の王族とはいえ、ディオン卿があっさり行かせたことがおかしいのだ。

 事前に示し合わせていたとすれば、それも腑に落ちる。ジャハルとディオン卿は、学園でも王城でも、顔を合わせる機会はあったはずだ。

 治療室の現状を思うと心苦しくはあるが、応援の治癒魔術師も手伝いに加わる予定だから、そうすればフィネアスも楽になる。少しの間ならエイミが不在にしても多分、大丈夫だろう。

 勝手だとは思うが、やはり、気にかかっていた約束が果たせることは嬉しい。続く小走りに息を弾ませてエイミは礼を言った。

「あ、ありがとうございますっ」

「構わない。エド達の次の対戦相手は、この俺を下した奴らだ。勝つのは難しいと思うが、エイミが応援に来なかったから手を抜いた、なんて弁解する隙は与えたくないしな」

「そ、そうですか」

 よほど負けたのが悔しかったのだろう。

 不敵な笑みを浮かべて誰にともなく言うジャハルに、エイミは引きつった笑いを浮かべた。

 競技会には年齢制限がないとはいえ、ジャハルは最年少に近いはず。しかも、組んだ相手は専門職の大人だが、チーム戦最少人数の三名でトーナメントを勝ち進んだのだ。

 十分に大したものだと思うのだが、本人はそれだけでは不本意らしい……レティシアの見ている前、ということが多分に影響しているのは明らかだが。

 それにやはり、対戦相手との相性というか、運もある。

 バクルは古くから剣技に定評のある国で、ジャハルも剣を習得している。剣のみでの対戦なら、優勝も狙えたはずだ。

 しかし、ほかの技……魔術や弓など、中長距離攻撃が得意な相手には苦戦することもあるのでは、と素人ながらエイミは考える。

 エドワード達も剣が中心の陣だったはず。

 ジャハルを下した相手と聞いて、エイミは俄かに心配になった。

「相手、は、どういう……っ、あと、少し、ゆっくり」

「すぐに分かる。よし、間に合ったな」

 体力に自信がないこともないが、治癒魔術のために朝から魔力を使い続けているうえ、走るのは得意ではない。

 すっかり息が上がったエイミがもう少し速度を緩めてほしいと頼もうとしたところで、目的地に到着した。

 扉のない出入口をくぐると、教室くらいの広さの空間に十人程の人がいた。掃き出し窓のような開口部からは、少し離れたステージがよく見える。

 休憩時間だろう文官達や警備の騎士達は皆、そちらのほうを向いている。

 その後ろ姿の中、他の人達とは少し間を空けて一組の貴族の男女がいた。

 ――え?

 エイミは瞬きを何度も繰り返す。

 そこにいたのは自分の両親と、

「……ティガー!?」

 エイミの声に、ぴくりと耳と尻尾を同時に動かしたティガーがこちらを振り返る。

 即座に走りだすティガーに周囲の人がぎょっとして振り返り、エイミは思わずジャハルの手を振りほどいて前に出た。

「ティガー!」

「おっと、」

 どーん、と音がしそうにティガーに飛びつかれて、支えようとしたジャハルも間に合わずエイミは後ろに倒れ込む。

 その様子はまるで子虎に捕食された令嬢で、休憩中の騎士が思わず腰の剣に手を掛けた。

「なんで? ううん、なんでもいい、会いたかったぁ!」

「エイミってば、今朝も会ったでしょう」

「ああ、娘は大丈夫です。お気になさらず」

「そ、そうですか……」

 冷静な母のツッコミも聞こえているのやらいないのやらで、いつものことだ、と騎士にと伝える父の声もどこか呆れ気味だ。

 ミア、ミァと高い声で鳴いて甘えるティガーの勢いに押されながらも、しっかりとモフりながら抱きしめるエイミは、突然の出来事に涙目になっている。

「なるほど……たしかにまるで表情が違うな」

 ティガーを抱いて蕩けるような笑みを見せるエイミに、レティシアの言う通りだとジャハルが興味深気に独り言ちる。

 長い毛に埋まるようにしながらもっふもっふと撫でる手はどこまでも愛し気だし、猫……にしては随分と大きいが、のほうも懐いている。

 果たして友人エドワードと比べてどちらが、と少々意地の悪い想像をしてしまったジャハルに、ノースランド伯爵夫妻が近づいた。

「ジャハル王子。お招きいただき感謝申し上げます」

「いや。無理を言って連れてきてもらったが、おかげで面白いものが見られた。これがエイミのティガーか……確かに大きいな。それに随分と仲が良い」

「あっ、し、失礼しました!」

 こちらから手を振りほどいたのは明らかに礼儀に反する。

 ようやく我に返って上げた顔を青くするエイミだが、ジャハルは気にするなと手を横に動かした。

「構わない。きっとそうなると、レティも言っていた」

「れ、レティ……」

 予想通りだと楽し気に口角を上げるジャハルにすっかりお見通しだと言われてしまう。さすがに赤くなった顔をティガーに埋めて隠すと、余計に笑われてしまった。

 ――わあぁ、失敗! もう、皆がこっち見てるよ、恥ずかしい……!

 周囲の人達は最初、ティガーの大きさに驚いて距離を取っていた。しかし、大型猫とぽっちゃり令嬢の仲良しぶりに身も心もほっこりさせられた今は、自然と目尻を下げている。

 微笑ましく見守られているだけなのだが、エイミは注目を集めることに慣れておらず、その違いに気付いていない。

 身の置き所がなく感じてティガーに隠れるように縮こまり、そんなエイミにますますティガーがくっつく、という猫と女の子の団子状態だ。

「ジャハル王子」

 と、そこに、救護室に置いてきたメンバー二人も手当を終えてこの観覧室へとやってきた。

「手当は済んだか」

「はい、この通りでございます。お待たせいたしました」

「これが噂の……たしかに大きいですね。しかし可愛らしい」

 やはりティガーとエイミを見て、目を丸くする。驚いてはいるが、猫を可愛がる国民性のバクル人は、大きさに関係なく猫という生き物が好きらしい。

 戦士のいかつい体に似合わない非常に優しい眼差しを向けられて、ああ、同類だとエイミは直感で感じてしまうほどだ。

「ではまたな、エイミ」

「え?」

 あっさりと別れの言葉を口にするジャハルは、天井を指さして「上にレティシアがいる」と説明する……そういえばレティシアは、高位貴族用の上階にいて然るべき侯爵家の令嬢だった。

 もともと試合が終わったらそこで落ち合う予定だったと聞いてエイミは、はあ、と間の抜けた声をあげる。

「一度『エイミのティガー』を見てみたかった。こんな時でないと難しいからな。できれば撫でたいがティガーは人見知りだそうだし、次の機会の楽しみにしておこう」

「あ、はい……」

 留学中とはいえジャハルは王族である。学園と王城の中ではそれなりに自由に行動しているが、授業の課題や公務もあり、エドワード同様多忙な身だ。

 レティシアからさんざん話を聞かされて自分も会ってみたくとも、一貴族の家を訪問するには理由が私的すぎて、要らぬ憶測を招く可能性が高い。

 というわけで、競技会という機会を利用して関係者席にエイミの両親を招待し、ティガーの同伴を命じたというわけだった。

 立ち上がるエイミに手を貸して、ジャハルはちらりと競技ステージへと視線を送る。

「もうじき始まる。エイミがどちらを応援するか、楽しみだ」

「ジャハル王子?」

 含みのある言葉に首を傾げるエイミには答えず、エイミにぴったりと寄り添うティガーに笑いかける。

 そして、立たせてもまだ支えていた手に力を込め、エイミにだけ聞こえる程度に声を潜めた。

「……バクルに来ないか?」

「え?」

「留学が終われば、レティシアは連れて帰る。エイミも一緒に来たらどうだ」

「え、ええっ?」

「考えておくといい――ああ、知っていると思うが、バクルは猫が多いぞ」

 ジャハルは片側の口角を上げて握っていた手を離すと、くるりと背を向け歩き出す。

「私共からも、ぜひ」

「歓迎いたします」

 あとの二人も小さく告げてバクルの流儀で礼をすると、ジャハルを追った。

 エイミは呆然と三人の背中を見送りながら無意識にティガーの背を撫でる。

 ――今のって、どういう意味……?

 ジャハルの言葉をもう一度確かめようとした時、次の対戦をアナウンスする司会の声が響く。

 ひときわ大きい歓声が沸き起り、エイミの考えも一時中断されたのだった。






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